![]() |
元旦、新潟駅の待合室で、系列の学童保育の男性職員50歳が、くも膜下出血で実家のトイレで亡くなったと連絡がはいりました。
毎日、会いにいきました。
眠っているようでした。
阪神淡路大震災でボランティアをしてから子どもに寄り添う仕事を始めた彼は金田一耕助みたいな風貌で、清里からの八ヶ岳を眺めるのが大好きだといつも言っていました。
いつも子ども達と遊んでいました。
とても悲しかったのは80歳過ぎたお母さんが
息子は寒がりだったからと言って綿入れはんてんとあったかい靴下を履かせてあげている姿でした。
人が会社で生きていくのはたいへんなのに
亡くなった時は年金事務所と雇用保険喪失届だけなんだと思うと力が抜けました。
彼はクリスチャンでした。
高い天井のステンドグラスからの陽がさす中で
友人としてのお別れの言葉に代えて
生徒からの手紙を読みました。
「たくさん遊んでくれてありがとう。
いろいろなとこ連れて行ってくれてありがとう。
絶対にわすれないからね
天国行ってもわたしをわすれないでね」と。
命は一個しかないから大切にしましょうね
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する