ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

HOME > is_pinarelloさんのHP > 日記
2014年02月20日 12:48つぶやき全体に公開

今回の大雪、自分にできる事。

今回の記録的大雪ですが、この様な天災が起きると、自分は必ず2011年に起きた東日本大震災の事を思いだします。

私の故郷は岩手県です。
高校まで大船渡市と陸前高田市で過ごしました。
大船渡市吉浜には39mの大津波が襲いましたし、陸前高田は「奇跡の一本松」で有名です。

その大津波によって、学校や街並み、初デートの映画館や海水浴でよく行った高田松原など・・
一瞬で、すべてを失いました。
自分は神奈川県に住んでいて、テレビに映る被害の状況に居てもたっても居れず、震災から約一か月後の4/20から一週間の予定で、仕事を休んで岩手に帰郷しました。

早速、少しでもボランティア活動ができればと思い、新聞に載っているボランティア活動の場所である山田町に行ってみると・・・

1. 飛び込みでのボランティアは受け付けていない。
2. ボランティア活動には事前に指定された保険に加入する事が必要。
3. ボランティアの受付けは、100キロ以上も離れた内陸の盛岡市に行かなければならない。

震災直後だったこの当時は県内外から集まったボランティアをいったん盛岡市に集め、そこから毎日104キロもある沿岸の山田町まで、バスで往復して移動していました。
もちろん、ライフラインなどは完全に復旧してません、いったいこの場所から何時間かかるというのか。

ボランティアの方に聞くとバスの移動時間がとても長く、現地での作業時間は一日たったの2時間しかないとの事。ハッキリ言って無駄ですが、当時はそうもいかなかったのでしょう。
ボランティアをやりたい人間はたくさんいても、受け入れ先がまだまだ整備されておらず、ほとんどの人が何も出来ないのが現実なのです。

そんな一方で、津波で流された家の前で、記念撮影をしているカップルや家族がたくさんいた事。そのほとんどが首都圏ナンバーの車でした。
自分も現地の方たちには、彼らと同じような野次馬に見られているのだろうと思うと、何も出来ずにいる自分の無力さを痛感してしまいます。

結局、ボランティアには参加せず、実家の片づけや、剥がれたタイルを貼ったりして実家の雑用の手伝いをしていました。
それでも中学で親元離れた自分にとって、今回の帰省は初めて父親とゆっくり酒を酌み交わす事が出来た日々でした。
岩手に帰郷する前は、ボランティアに協力し少しでも復興に役立ちたい!と意気込んでいたが、ボランティアの仕組みも何も知らないまま出かけて来た自分は、ただ善人を装いカッコつけたかっただけなのかと。。知識、権力、財力の無い者に、人は救えないのかと・・。
その様な事で、何も出来ず落ち込んでいた自分に、酒に酔った父が・・

「お前みたいな外様は、募金したり被災地の物を買う事が一番なんだ!」
「被災者に同情して、お前まですべての活動(消費)を自粛したら、復興はますます遅れるだけだ!」
「復興の邪魔になるだけだから、さっさと神奈川に帰って働け!」と。

(↑実際はこんなにキツクはないけど、この様な事を断片的に言われた。)

予定を2日早め、5日間滞在しただけで神奈川に戻りました。




そして今回の大雪。
日曜日に行った西丹沢でも記録的な大雪でした。
自然教室、ウエルキャンプ場、中川温泉ぶなの湯などに立ち寄りました。

「大雪で大変なのは”雪かき”ではなく、客足が遠のく事」らしい。


今の自分にできる事。
それは津波の被災地で何も出来なかった自分に、父が言った言葉。
幸いにも自由に行動できる自分たちが、被災者に同情して行動を自粛することが被災者の為ではないはず。
西丹沢自然教室の職員さんが、
「これに懲りずに、また西丹沢に来てください!」
と言ってました。

大雪で大変な時こそ西丹沢に出かけて、いっぱいお金を落とすつもりです!

(「いっぱい!」と言っても限度はありますよ・・)


※今回大雪の被害に遭われた方々が一日も早く元の生活に戻れるよう、心から願っています。

写真は震災直後、帰省した際に撮影。
左は陸前高田市、気仙川対岸から高田松原。「奇跡の一本松」
右は高田市立気仙中学校。屋上まで津波が押し寄せました。
お気に入りした人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:771人

コメント

この日記はコメントを受け付けていません。