安土城、
天主までのアプローチ。
信長もここを歩いたかと思ったら
ゾクゾクしました。
石と木々しか無いこの城址に感じたのは、
信長の無念さでした。
「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」
戦国の世を終わらせる為に強引に
時代を変えようとしたやり方、
ついていかれない家臣も多々いたと
思います。
世を変える為に尊い命も残虐に殺してしまった。
しかしそれが戦国時代では無かったのか?
今の平和に溺れる私たちに、
この時代は到底理解できない。
しかし、
この時代に生きた人々も、
今の世を生きる事は出来ないと思います。
戦後を生きる私たちにとって、
ついこの間の戦争でさえ過去になっている。
戦国も戦争も、
この時懸命に生きた命をたくさん散らされ、
それを昔の出来事に葬り去ろうとしている事、
それが1番罪なのでは無いか?
そんな事も安土で感じました。
歴史を大きく変えた本能寺の変。
その後の戦で秀吉に負け、
光秀は自害に追い込まれる。
本能寺の変後、
10日でこの世を去っていった。
光秀のやりたかった事は何だったのか?
そして、
それをチャンスと捉えた秀吉と家康。
「信長が餅をつき、
秀吉がこね、
家康がそれを食った。」
この謂われからも、
私が好きなのはやはり信長だな。
aakoさん
おはようございます。mochiiです。今回は続編来るかも?と思っていました。信長大好きそうでしたから…。それより、aakoさんの日記からは、現在に至った過去を顧みて、今の生(生きている)に感謝しているように感じます。京都、弁天杉、朽木、安土城、ツララ。長い長い時間です。山も長大な時間を感じますね!だから山が好きで好きでたまらないの。だから山からいろんな事を吸収する為にユックリ歩く🚶のですね?♪ また。
aakoさん、こんばんわ。
安土城は天下の覇者信長に相応しい
威容に満ちた石垣がよいですね。
この城も、城代だった信雄が逃げ出す
際に焼いたという説になっていますが、
焼けたのは本丸だけで、実際は織田政権の
痕跡を無くすために秀吉が破却した説が
どうにも有力そうです。さて真相はいかに?
最近、歴史の定説を問い直す動きが
各時代にあって、この時代も
「信長は本当に残虐だったのか」
「実は天下取りの正当性を満たすための
秀吉の創作、捏造である」なんてのも
出てきましたましたね。
光秀についても出自から
性格、性状にまで踏み込んでみたり。
光秀といえば来年の大河の主人公で、
美濃土岐地方は大喜びで光秀推しです。
先日、光秀出生の明智城を回ってきましたが
けっこう盛り上がってました。
京都には人知れず光秀の胴塚や首塚があるの
ですが、そのへんももう少し有名になって
くれたら嬉しいかな。
家康が食った天下餅の句が、松平氏発祥の地の
城跡に貼ってあって笑えましたが、
これも言いえて妙ですよね。
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