格差社会から分断社会へ。
おそらく10年弱前から使われているので、この単語は時事性が高くはないのかもしれないが、最近、ますますリアルさを感じている。
以下はあくまで一般論であり、また、自分が今まで働いてきた中での経験則からの認識だけど、日本社会なんてさ、貧富の差なんて、大してないんですよ。
あくまでホワイトワーカーの会社員として生きる前提だと、
①高学歴を得る
②報酬水準がそこそこ高い名門企業に入社
③上司に恵まれる
この3つの難易度の高いミッションを全てクリアして(特に③は、かなりの部分で運次第だと思う)、それで年収20本台に乗れたら成功の部類。いや、成功では無いかもしれないが、負け犬ということもない。多分。
一方で、①②③を一つもクリア出来なくても、社会人適性(広義の意味で組織に帰属する能力)さえあれば、50代で7,8本くらいは貰える可能性は高い。
8本と20本だと、額面では2.5倍の差。
でも、所得税その他控除後で計算すると、8本なら6本、20本だと12本ちょいくらいだから、2倍くらいにしかならない。
自分は、こんなに格差が無い社会なんて、あんまりないんじゃね?とか思っていたわけです。
なお、自分の場合は、組織に帰属する能力は最低レベルはあるが、最大限良く言えば他人よりは妙なところで正義心が強い、悪く言えば尖った面倒くさい性格のため、かなり早い段階で「①②はクリア出来ても③は絶望的😰」と諦めて、専門職として技術を売って食べてます。
周囲(学生時代の仲間たち)も、皆、色々と足掻きながらも、なんとかはなってる。1番運がない奴でも、現時点で10本くらいは確保。皆、50代は最低でも14,15本くらいでは回りたいし、そのために今から情報を集め、無い頭を絞って色々と考えてる。努力や機知は勿論のこと、プライドを捨てて泥水を啜ったりすることも求められたりするのでしょうが、そこは揃いに揃って、妙にしぶとく、強かwww。所得水準なんて一労働者が自らcontrolできるものではないのだけど、それでもなんとかしてやるさくらいなノリ。微妙に後ろ向きで中間管理職体質丸出しの愚痴を吐きつつも、皆、根では前向きだし、それくらいはクリアしそう。今時のオコチャマ、もとい、坊やwwwたちには「メンタル強っ…」とか言われそうだが、皆、それなりの責任やポジション、プライドを背負って生きてきた自負はあるし、それがある以上、簡単に諦めたり、投げ出しだりしねーよ。
と言うわけで、こんな単語が使われる様になっても、全く現実性を感じなかった。
って言うか、①②を得る努力もせず、③の運も無く、組織へ帰属することもないじゃ、そりゃ、恵まれなくても仕方ないでしょ。それは格差とか分断みたいな社会科学の文脈ではなく、個人の問題と思っていた。
でも、最近、この単語の意味を、リアルに感じることが多い。
で、そう感じる様になったのは、やはりSNSがあるからだと思う。SNSってのは、その人のリアルな生活、人生、思考を炙り出す。で、それが誰にでも見えてしまう。SNS空間には虚構も多いが、それでもさ、嘘か真実かって、ある程度は見分けがつくものでさ。
なんか、景気が悪くて嫌な話ですいません、なんだけど、SNSって何のためにあるのかな、、、とか思ってしまう今日この頃。
便利だし、面白いなものなのは間違いない。そして、社会や世相を捉えるのにも便利なツールなのだとも思う。
ただ、使い方によっては、なんか人を後ろむきにしてしまうものの様な気がして。
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