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写真のあるものがやっと終わって390ほど完了した。写真のないものは、
100ほどまだ残っている。
過去を振り返って今頃気が付いた。
元気でこれたのは、ラッキーだったかも。
山を始めたのは1996年。
その年、7月に初めて富士山に登った。
1週間後、北八ヶ岳を縦走。ここまでは、よかった。夏場で危険もない。
3回目は、10月15日、八方尾根から唐松小屋経由で黒部下の廊下を目指した。
八方尾根を上がるときは、上天気で唐松の小屋へ、小屋前にテントを張った。
ところが、次第に風が強くなって雲行きがあやしくなった。
回りの人が言うように、雪が舞ってきた。初冠雪だったが、次第に強くなった。夕方には、たまりかねて、テントを引き払い、小屋に入った。
小屋には宿泊客が5人いた。
「こういう時には死人がでるのだ」客の一人がいう。
全員、諦めて明日は下山するという。私も、諦めて、一緒させてもらうことに頼んだ。翌朝、雪が少し弱くなったときに、5人で、八方尾根を降りた。
始めての私には一緒に降りられたのはラッキーだった。アイゼンも貸してもらえた。その時は、この程度の感慨だった。
それから18年、さて、雪が後1日か2日遅くきたらどうなっていたかと思うのである。当然、祖母谷に降り、下の廊下を楽しんでいたであろう。
そこで雪。アイゼンも持っていない。GPSもない。1m幅もない絶壁の
下の廊下、祖母谷から唐松小屋への登り、たった一人、経験もなし、多分、動けなくて・・・・
死んでいたかもなと思うのです。
無知だったなと思うです。
そして、唐松小屋で、明日祖母谷に降りようとする直前に、吹雪の初冠雪。
これは、神の情け。まだ死ぬなということだったのでしょう。
ヤマレコをまとめていて、こんなことを思いました。
御蔭で、18年過ぎた今も、下の廊下は行っていません。
いいじゃないの。御蔭で、楽しいことが一杯です。
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