![]() |
![]() |
![]() |
未曾有の大災害にいち早く駆け付けてくれたアメリカ海軍の皆さん
それには私たちの知らない秘話が
ありました。
終戦直後の昭和35年の事です。
まだ戦火の傷跡が残る日本に一人の
アメリカ人がやって来ました。
海軍提督アーレイ*バーク大将です。
駆逐艦乗りの中では「猛将」と言われていた一人です。
日米合わせて9万人以上の犠牲者を出した
「ソロモン海戦」で日本軍の脅威になった人でした。
そのバーク大将が占領軍の海軍副長として
派遣されて来ました。
大将は東京の帝国ホテルに入ります。
従業員の荷物運びも断り
「やめてくれ!最低限の事以外私に関わるな!」と強い口調で日本人を遠ざけていました。
何故なら彼は筋金入りの日本人嫌いで
激しい憎悪に燃えていたのです。
戦争中
「日本人を一人でも多く殺す事は重要だ!
殺さない事なら重要でない!」と
訓令を出したほどだったのです。
多くの仲間を失っている大将であれば
当然の感情であったかも知れません。
日頃から
「ジャップ!」「イエローモンキー」と呼んで日本人を蔑んでいました。
だからホテルの従業員の事も無視していたのです。
ホテルで一月ほど過ぎた頃です。
「なんて殺風景な部屋なんだ!」と思った大将は花を一輪買ってきてコップに差しました。
事件はそのあと続きました。
翌日夜勤明けで部屋に戻ると
花が花瓶に移されていました。
怒った大将はフロントへ行き
「余計な事をするな!誰が移せと言った!」と怒鳴ります。
でも誰も知らない事でした。
大将は唸って部屋に戻りました。
しばらくすると今度は別のお花が
増えていました。
誰も知らないうちにどんどんお花は増え
お部屋は明るく華やかになって行きました。「誰がこんなことを?」
バーク大将はフロントへ行き
再び「誰が花を飾っているのか?探してくれ」と頼みました。
しばらくして分かった人物は
お部屋を担当していた女性従業員でした。
彼女は自分の少ないお給料の中から
花を買い大将のお部屋を飾っていたのです。
大将は彼女を呼び出して聞きました。
「君は何故こんなことをしたのか?」
「お花がお好きだと思いましたので」
大将がお礼に代金を払おうとすると
彼女は拒否しました。
「お金は受け取れません!
私はお客様にただ心地よく過ごして頂きたいと思っただけなんです。」
サービスに対してチップは当たり前だと思っている大将は不思議に思いました。
そして彼女の身の上を知りさらに
驚くことになります。
彼女は戦争未亡人で夫は駆逐艦の艦長でした。あのソロモン海戦で乗艦と運命を共にしていたのです。
「貴女のご主人を殺したのは私かも知れない」
「提督、提督が夫と戦い、もし提督が何もしなかったら提督が死んでいたでしょう。
誰も悪いのではありません。
強いて言えば、戦争が悪かったのです。」
バーク大将は考え込みました。
自分は日本人を毛嫌いしているのに
彼女はできる限り持て成しをしている。
この違いはいったい何なんだろうか?
この後バーク大将の日本人に対する見方が
一変しました。
一刻も早く日本占領を終わらせ
日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。
そして日本の独立を守るために絶対に必要なのが「日本海軍の再建」であると主張しました。まだ終戦5年後のことです。
アメリカ人の多くが反日感情を持っている時代にバーク大将は根気よく説いてまわり
ついに「海上自衛隊」の設立を実現させたのです。
帰国したバーク大将はアメリカ海軍のトップである作戦部長に就任しました。
この時最新鋭の哨戒機16機、小型哨戒機60機を海上自衛隊に無償提供しました。
昭和36年日本から一等旭日大綬章(最高位)
を贈られました。
平成3年96歳永眠
各国から多くの勲章を授与されましたが
葬儀の時に胸に付けられた勲章は日本の勲章ただ一つだけでした。
それは本人の遺言によるものでした。
時は流れ平成23年3月11日
アメリカは「トモダチ作戦」を発動しました。
最も早く被災地に着いたのが原子力空母
ロナルドレーガンです。
韓国へ向かう任務で移動中でしたが
艦長の独断で日本の救援に駆け付けてくれたのです。
艦長の名前は「トム*バーク」
あのアーレイ*バーク大将の孫です。
バーク大佐はパイロット出身だったので
ヘリコプターで救援物資を運びました。
普通は奪い合いや暴動が起こり低空飛行で
投下するのですが
東北地方はどの避難場所もヘリが着陸しやすいように目印の「H 」が書かれ
住民が荷降ろしを手伝いました。
終わったら全員がお礼を言って見送ってくれたそうです。
大佐自ら
「一件の略奪も殺しあいも無かった。」と
軍の機関紙に書いています。
さらに
「ここはこれだけで良いから別の避難所へ
持って行ってあげてください。」と
言われました。
世界各地の救援活動をしてそんなこと
日本だけだったそうです。
人間は極限状況にある時ほど
その本性があらわれると言います。
日本人は「みんなが困っている時ほど他人を思いやる」という遺伝子が備わっていると思います。
バーク大佐は帰国後
日本で経験した驚きの出来事を
家族に話したそうです。
(バーク大将は笑って聞いてみえるかしら?)
先日鬼怒川水害で
60人の米軍ボランティアの方々が
休日返上で駆け付けて下さいました。
体育館で寝泊まりし泥だらけになって
住民と一緒に片付けを手伝ってくれたそうです。
訓練されていて重機を使いこなせるため
作業が進んだ様子。
言葉は通じなくても心は繋がるものですね。
明るい欠片を集めれば
それは繋がり未来を照らす
ひとりひとりの思いやりが
小さな種となり花開く
思いやりの一粒になれますように
絆に感謝を込めて(合掌)
*エピソードは「服部剛先生」の著書より
一部引用*参考にさせて頂きました。
*写真は「バーク大将」「バーク大佐」
ニュース無料画像より
お疲れ様です
バーク大将は海上自衛隊の大恩人ですからね〜〜
彼が居なければ、5年、10年時が止まっていたかもしれませんね。
真珠湾で戦友を亡くしてから日本人嫌いになったそうですね
色々あったにせよ、親日家として最期を迎えてくれたことを嬉しく思いますし、お孫さんの話は知りませんでした
輪廻転生ですかね?(笑)
バーク大将が知る「日本人」でいつまでも居たいもんですね
タメになるお話、有難うございましたm(__)m
acchi さん おはようございます(^o^)
そうですね。バーク大将の頑なな心を溶かしてしまったような思いやり深く芯の強い日本人でありたいと思います。
「困っている時ほど他人を思いやる遺伝子」だそうです。
何だか日本人として生まれてこれただけで
嬉しい気持ちになりました。
「お天道様に恥ずかしくないように」と
心に良心の種を頂いているのですね♪
国内の騒動やサンフランシスコの出来事を思うと色々な変化はあるでしょう。
でも「思いやる心」で結ばれた心の絆の強さを改めて感じました。
これからも大切に育てて行きたいです。
コメントありがとうございました(^-^)
血縁関係の件に関しては削除、逸話の内容に関しては、調査のうえ事実かどうかはわからない場合はその旨の記載も必要と思います。
血縁関係が無かったとしても、戦後の日本に影響を与えた偉人と苗字が一緒というその偶然は奇跡と言えますし日本人にとって意味のある事だと思いますので、記事の内容を全て否定するわけではありません。
アーレイバーク氏が日本人に対して嫌悪感を抱かなくなった逸話としては、太平洋戦争で敵同士だった草鹿氏との交流があったと言われています。もしよろしければ、そのお話も記載して下さると素晴らしいと思います。
自分自身取り上げたのを忘れていました。
心の温まるお話は無いか?とエピソードを探していた頃の懐かしい日記の一ページです。
同姓同名の別人の可能性があるのですね。
引用元は服部先生の著書なので読んだ時の感動はそのまま残して心の栄養にしたいと思います。
別人と考えるより素敵ではないですか?
悪意が感じられるような勘違いなら喜んで訂正したいと思いますがこのお話はこのままの方が幸せになれると思います。
すっかり忘れていた日記でしたがお陰でまた優しい気持ちになることが出来ました。
ストレスの多いこの頃。
最近はあまり良いお話が無くて・・・
おとぎ話や童話でもみんなが仲良くなれるお話は貴重です。
コメントありがとうございました。
古い日記を読んでいただいて感謝します。
☆最近の日記には
真実でないこともあります。
将来検証するためにメモを残しています。
と但し書きをつけています。
編集を繰り返しているうちに文字の容量を超えてしまい最新の日記以外からは最後の言葉が消えてしまっています。
真実かどうか?断言するのはとても難しいですね。
気付きをありがとうございます。
アーレンバーク氏や草鹿氏の事
教えていただきありがとうございます。
感動のストーリーを期待して調べてみます。
日本人の良いところ、もう一つの発見がありそうですね。
今後ともヨロシクお願い申し上げます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する