ふと他の方の日記を見てて思ったのですが、みなさん「事故りそうな人」と会ったときってどうしてます?
山歩きしてると時々「だ、大丈夫???」って人と会うとこってあると思うんですよね。
こんな時間にこんなとこそっち向きに歩いててで大丈夫なの?とか
その格好で大丈夫そう?とか
明らかに体調が悪そうとか絶対危ないって時ははっきり止めると思うんですけど微妙な時ってあるじゃないですか。
時間的に歩くの速い人なら帰ってこれるけどそんな雰囲気しないなぁ…って人とか。本人はすごく危なそうだけど山慣れた感じの連れっぽい人いるからわざわざお節介するのも違うかなって人とか。あとは明らかに軽装すぎる街着みたいな感じけどまあそこまで難しい道ではないし歩けないことはないかなって時とか。
もちろんすれ違う時に挨拶するわけで、そのときに「この先〜〜ですよ」とか「結構危ない場所あるんで気をつけてくださいね」とか言うわけですけど、止められるかというと止められないですよね。
だからまあ「お気をつけて」で終わっちゃうんですけど時々あの人あのまま止めなくてよかったのかなあって思ったりするんですよね。まあその後遭難のニュースを聞かないから止めなくてもよかったってことなんでしょうが。
で、そういう微妙な時って声かけられても多分聞かないんですよね。
実際先でクマが出たとか沢が増水してて通行困難って時にすれ違う人に「この先で〜〜〜」って話してもまあ大抵は「でもいけます…かね?」「いけるとこまで…行ってみます」みたいな反応されるパターンが大半で「じゃあ引き返します」って言われたことそういえばないなと。
じゃあ自分の場合どうなんだって言われると、今日はここ登るんだ!って意気揚々とやってきて登ってる途中にどこの誰とも知れない人に「無理ですよ」って言われても「いやいやせっかくここまで登って来たのに」とか「この人は難しいって言ってるけど自分なら通れるんじゃない?」とか多分そういうのが心の中でいったりきたりすると思います。
んで結局「じゃあいけるとこまで行って行けなかったら引き返します」みたいな、一応自分の目で見ていけるかダメか判断しようみたいな心境になると思います。
多分場数を踏んでいくと「あ〜これはヤバイ」の判断が早くなるんだと思いますし、実際私自身も何度か遭難を覚悟する場面を経験したから「これ以上はヤバイ」って登山始めた頃よりはなんとなく察せるようになりましたけど結局それ危ない経験しちゃったってことなんですよね。
でもそれ経験したらどこからがヤバイかわかるようになるっていっても一回目の「ヤバイ」で遭難してそのまま帰らぬ人になってしまう場合もあるわけで。
だけどすれ違うだけの経験も力量もわからない全くの赤の他人にどこまで口出ししていいものなのか…。
なんか止めるのって薦めるよりずっと難しいなって思う金曜日の夜なのでした。
なんか同じ日に、同じ様な日記を私も書きました。
どうなんですかね。難しいところです。
こんばんは。ginnendoさんの日記が一覧にでてきたのを拝見して私もふと思って書いた次第なのです。
ginnendoさんの場合は外国人の方のお話でしたから言葉の壁もあるしより難しいですけど、相手が日本人ならそれはそれでまた別の種類の微妙な距離感みたいな難しさもあるなぁ…などと思ったもので。
アウトドアブームでキャンプとかからの流れ?で登り始めた方も多いですし、大学生くらいの子たちが楽しそうに登ってるのに水をさすってのも…ってなりますしね。
止めるのはすすめるよりも難しいです。身内ならまだしもすれ違っただけの赤の他人となると本当に。
ヤマレコされてる方たちはそれでも結構しっかり注意しそうなイメージだけど実際みなさんどのくらいの感じで止めるんでしょうね。難しいところですよね。
それなりの装備の方には微妙でしょうか?
私が注意するのはお子さん連れの場合だけです。子どもの意志だけでその山に来ていることは少なくて親などの保護者が連れてきてることがほとんどと思います。そんな子が痛い思いや苦しい思いをするのは忍びないので「やめた方がいい」は安易に言いませんが「装備が十分でないなら子どもさんには厳しいと思います」など声がけしています。
こんばんは。
なるほど。大人は「自己責任」ってことですね。
昔とある山の上の方で大泣きしてる小学校1年生くらいのお子さんに「山は自分で登ったら自分でおりるしかないんだよ!!!!!!」って怒鳴ってる親御さんみたことがあってあれは見てて忍びなかったですね。怒鳴ってる大人を刺激するのも嫌でそっと通り過ぎてしまいましたが、きっとあの子は山嫌いになっただろうなぁ…。
大人を大人が注意するのは難しいんですよね。見た目とか自分より若そうとかそういう人に注意されるとかたくなになって逆効果ナことが多いと感じます。以前、同行者が熱中症を起こしている二人連れとすれ違い、私の向かう小屋が15分で着ける場所だったので救助要請することを申し出ましたが自分達の向かう1時間先にもこやがあるかはと断られてしまいました。結局、その方は亡くなってしまいました。何が最適解だったのかなぁと今も思っています。
成人してる大人が自分の意思と判断で行動してるのだから、その先どうなろうと他人がとやかく言うのはどうかと思うのです。
相手のことを1人の責任ある成人として認めてるのなら、放っておくのがその人に対する尊重ではないかと。
自分の行動に責任を持てるのが成人でしょ?というだけのことです。
こんばんは。
そうですね。お互い大人だから「自己責任」ですよね。
私自身挨拶ついでにコース状況を伝えることはあっても引き留めることはしないですね。
あまり人の行動に干渉したりしないですけど
気になった人には雑談を装って目的や人となりなどをさりげなく探って
起こりうるリスクを伝えることはあります。
どうするかの判断は本人に委ねますが、判断材料の提供です。
状況によっては「止めた方が良いですよ」ということもありますが
それでも最終的な判断は本人に委ねます。
お返事遅くなってすみません。
雑談の中に危険情報とかを織り交ぜてリスクあるよって暗に言うことはありますね。まあでも自己責任ですからね…。引き止めはしません
過去に一度だけ
「やめたほうがいい」
と説得した事がありました。そのお相手は登山者ではなく、観光客でしたが。
奥多摩の川苔山から下山中、間もなく日が暮れるという時刻に、手ぶらで何も持っていない2人連れに出会いました。
この先の百尋の滝まであとどれくらいかと聞かれたので、もう日が暮れるからと説得したのですが、その2人連れはそのまま行ってしまいました・・・
足元も手元も見えなくなる山の夜を知らないのでしょう。
でもこちらには止めさせる権限も何もないし、他の方のコメント通り相手はいい大人です。
どうする事も出来ませんよね・・
お返事遅くなってすみません
それは危ないですよね。遊歩道が近くまで整備されてたりすると結構な山でもヒールにスカートみたいな軽装で来てしまったりするしそのくらいのつもりだと時間帯も結構危ない時間でも行ってしまったりするのでそういう方を見かけたら私も「この先は本当に危ないのでやめたほうがいい」ってはっきり言うかもしれないです。
ところが父の装備が20年ものか?というくらい古く重たいものだったので、かなり辛そうでした(別居していたので、当日まで装備について見る機会がありませんでした)
そこで、同行していた私の家族、それぞれのザックに入れられるだけ父の荷物を分散して背負いました
そこからはだいぶ楽になった様で三平峠も無事越せました
翌日、山ノ鼻から鳩待峠までは緩やかではあるものの登りですから、ゆっくりペースで進み、あと少しで鳩待峠に到着という時、前方に父以上のご高齢と思しきご夫妻とその息子さんと思われる3人連れに会いました
息子さん(当時の私より年上と見えました)から、高齢の両親にこの先行けるだろうか?と訊かれました
80も半ば過ぎと思われるお年頃のお父様、しかも足元は登山靴ではなかったので、行きは兎も角、帰りは厳しいから止めた方が無難です、と進言したらそのご家族はくるりとUターンしました
ガイドブックには鳩待峠から尾瀬は楽に行ける、という内容のものをよく見かけていたので、おそらくそれをみているのだろうと想像しました
でも、鳩待峠から直ぐ下位の登山道をゆっくりペースで下る様子は危うげでした
ご家族がアドバイスを受け入れて、尾瀬へ行くのを諦めたのは英断だと思いました
お返事遅くなってすみません。
相手の方が「この先に行けそうか」って聞いてこられた時は相手の方も不安に思って聞いてきていると思うのでそういう時は「危ないと思います。やめておいたほうがいいかもしれません」と言うと思います。
そういう時はご本人もやめるかどうか迷っている状態だと思うので、そういう時ははっきり止めるのも相手の方へのリスペクトだと思います。そういう時に安易に「大丈夫ですよ〜」と言ってしまうのは相手の方の判断を鈍らせたりするだけである意味不誠実ですもんね。
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