総数として多いのかは知りませんが
最近やたら目につくような気がしています。
西穂高でも私が先月登ってから
すでに2名事故ってますし。
44歳登山2回目の男性、同僚2人とパーティ登山、西穂高主峰からの帰りに独標付近で滑落、死亡とか。
20代女性。8峰付近で150m滑落、重症、とか。
そして、ネットのコメントを見れば、まぁ色々書かれています。
正直、それらの意見にはほぼ興味が湧きません。
だって、どんな鋭い切り口のコメントであっても結局は後出しジャンケンですし。そりゃもっともらしい事言えるだろうな、と。
未来から過去を裁いてるというのかな。
やっぱね、後出しジャンケンはフェアじゃない。
この手のニュースを見て、毎度、私が思うのは
"自分はどうだ?ワンチャン死ぬ準備がちゃんとできているか?"
ということです。
ココに登れたから次はアソコに登ろう、と
順当にステップアップしていけば、
難度は上がる一方で、
1ミスで死ねるトコにも当然行きます。
鎖持ってたら滑っても死なないよね、とか
3点支持をしっかり守ってれば大丈夫、とか
そりゃあ私もそう思ってしまうけど、
一般の感覚なら万が一手を放したら死ぬんだよね?になると思います。
普通に暮らしてる分にはワンチャン死ぬ状況なんて稀なハズなので、まぁ、一般の感覚のが正常な感覚なんだろうなぁ、と。
上級ルート以上の登山はなんやかやエクストリームスポーツなので、いくら技量と装備が上がっても死ぬ確率を極小まで抑えられるだけで、
どうしても0にはできない
いつかその極小確率を引きあてることもそりゃあるよなって思います。
コロナだって、第一波の初期の頃は、罹患する率は1/6000くらいだったわけで、そんな極小確率でも引き当てる人は引いてたわけで。
分かる人にしか分からない表現をするなら、GOD揃い引くのと同じ確率を引き当てる人が何百人といたわけでw
事故に話を戻すと、
残された家族が〜〜とか、まだ若いのに〜〜とか、
そういうのは私にとってはどうでもよくて。
大事なのは、ポカンとした顔で死ななかったか?
ということ。
いざ事故った時に、なんで私が?みたいなポカンとした顔で死ぬくらいなら、危ないルートなんか行っちゃダメだよなぁ、って思います。
一通り、みっともなく、晒せる限りの無様を晒して足掻きながらも、ついに極小確率を引いたか、私の番か、と心のどこかで思えるようでありたい。
まぁ、実際死にかけたらそんな心の動きを把握するどころでなく、死に物狂い、ですらない、ただの生存本能としか言いようがない謎の動きをする訳ですが。
走馬灯すら見てる暇はねぇ、とw
なので、厳密には山に行く前の準備段階での心構えの話です。
山岳保険に入る、とか、いまココみたいなサービスでGPSログを身内に知らせておくとか、実在的な準備ももちろん大事。
私も普段からもしかしたら死ぬかも?とか考えてる訳ではないけど、難度の高いルートに行く時は必ず家をきっちり掃除してから出かけるのが癖になってます。
昨年死にかけた事もあり、多分、心のどこかでワンチャン帰ってこれないかもなって覚悟してるところがあるんだろうな、と。
それでもね、矛盾するようだけども。
どこかで死ぬ覚悟をしつつも、
大好きな山で死んじゃダメだよなって思います。
人は多かれ少なかれ、イケない事が好きな生き物です。
子供がホットケーキミックスをぺろっとつまみ食いで舐めるのも、親にナイショで彼氏作るのも、学生が隠れて酎ハイ飲んで大人ぶるのも、無駄に車で飛ばしてみるのも、人によっては不倫をするのも、我々が危ない山に好き好んで登りたがるのも。
度合いと程度の違いだけで、本質とベクトルは変わらないんじゃないかな。
どこか危うい事をしたいんだよ。きっと退屈こそが真に堪え難いから。
別に私は善人でもなんでもなく、むしろ悪い人寄りなので、正直、誰が死のうが知ったことではないし、各人好きにしたらいいと思うんです。
ただ、リスクをちゃんと正しく受け入れて遊ぼう。
バレなきゃいいよね、のノリで、私だけはきっと大丈夫、でやるんじゃなくて、仮に大丈夫じゃなかったとしてもそれはもう仕方ないとちゃんと受け入れる覚悟と準備をして遊ぼう。
私なんかは、趣味人だから、だからこそ、
危ないんでしょ?死んじゃわないの?
死ぬかも!でも行く!できる限りの準備はした!ちゃんと生きて帰ってくるから!
常に正面突破で行きたいなと、
いつも事故ニュースを見る度に思うのでした。まる。
「いけないことが好きな生き物」
スリリングな事をして事故にならなかった時、なんとなく気持ちいいのです🎵
でも僕には覚悟が出来てないので避難される対象だと思います(笑)
いくつになっても男の子、とはよく言ったもので、男だとそういう感覚ですよね笑
ウチの父親もバイクで事故って大怪我してましたが、命を取り留めての第一声は、あれは俺じゃなきゃ死んでた、でむしろ自慢げでしたし^^:
そうなんですよね。死ぬ覚悟はしとかないとというのは山登ってると思いますよね。
お恥ずかしながら想定外の暴風雨に巻き込まれて命からがら避難小屋に逃げ込んだこともありますし、気をつけていたつもりがうっかり間近で熊さんと鉢合わせして冷や汗をかいたこともあります。
冬はなかばホワイトアウトしかけてるような豪雪の中のスキーでツリーホールに頭からすっぽり落ちて抜け出せなくなったり。。。
備えも技量も経験も、それから保険とかももちろん大事なんですけど、死ぬかもしれないって覚悟は普段の生活よりは必要だし、どんなやさしい山でもその覚悟なしに入っちゃだめですね。
まあいずれのときも直面した瞬間はもうそれどころでもなくてただただ必死にもがいて火事場の馬鹿力で普段なら絶対無理な状況でも気合で危機を脱してますが。
でも死ぬかもしれない、運悪きゃ死ぬ、でも帰ってくるっていう意気込みが一番大事ですね。死ぬ覚悟と生きて帰る執念。これほんと何度か山で怖い目にあってつくづく思います。
好きで山に登れば登るほど、事故る期待値高めるようなものなので、皆さん、多かれ少なかれやってますね^^::
あの火事場の馬鹿力はなんなんでしょうねぇ…ちょっと普段なら考えられない力でますもんねw
お互い、ちゃんと生き延びて山を楽しみましょ♪
コメント心にヒシヒシと伝わりました。
先月西穂へ行った私は果たしてどういう気持ちで行ったのか?
この日記を読んで思うのは、私はまさかを全く想定していなかった事です。
すごいところへ行く、かなり気をつけねば、まではあったと思います。
でもまさかを覚悟なんて全くしていませんでした。それ以前に山を調べもせず、参加希望を出したことに問題があったのですけど😥
結果、天候不良にも関わらず、思った以上の思い出を作れたのは、先導者様の指導力とその時の運だったのでしょう。
これをいい経験として、一つステップアップができた気がします。
そのステップアップとは、登山技術どうこうではなく、takさんがおっしゃっていた通り、穂高系がリスクの多い山が多いという知識とそういう山を登るのはどういうものかという経験ですね。
低山であろうと危機がある時はある。
その気持ちは今後、きちんと持って登山に挑みたいと思います。
またの日記楽しみにしています。
西穂高はまぁお気になさらず^^あれは年齢経験性別不問で募集した時から、むしろ私が出来るフォローは全部して適切に撤退判断下そう、という中で募集かけたので^^
今後ともよろしくお願いします♪
( https://www.yamareco.com/modules/diary/75709-detail-213644 )
死ぬ覚悟という大袈裟なものではないにしろ、そういう事があるかも知れないといつも頭に置いておいた方が良いですね。同感です。
>ポカンとした顔で死ななかったか?
これは、仕方ないです。
事故に会う時は、それを意識していない事が多く、
逆に意識していれば事故にあう確率は下がりますから。
それと、走馬灯。
これは雪崩に巻き込まれた時なんかはあります。
レコの記録、興味深く拝見させていただきました^^ありがとうございます。
やはり面白いな、と思うのは、死を前にした瞬間、感じる事は千差万別なのだろうな、ということです。
死にかけた事ある人は山やってる人の中にはいくらでもいると思いますが、多分、そこから思うこと、感じる事は全然違って。
死を前にして理解できるのは、人が死にかけた時に何を思うか、ではなく、自分とはこういう人間だったのか、ではないかな、と。私なら私が思ってたよりもずっと、ちゃんと生き汚い人間だったんだ、という事でした。
大袈裟な表現を日記で使っていたのはご勘弁ください^^山やる人間は多かれ少なかれロマンチストなものですから笑
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