残りの2回のうち1回は、支点に架かっていないザイルで懸垂下降をしようとしたこと。これは岩登りを初めて間もない頃、北岳バットレス第4尾根での話です。
第4尾根にはマッチ箱のコルという、10mくらいの懸垂下降をする所があります。そこでリーダーはお互いを繋いでいるザイルを真ん中で2つ折りにしてスリングに通し、スリングに架かる2本を使えばアンザイレンを解かないで下降できると考えてザイルをセットしました。リーダーに「下降するザイルを間違えるな!」と注意されていたにも関わらず、スリングを通しただけで引っ張れば抜ける方の2本で懸垂してしまったのです。
当時は肩ガラミ懸垂だったので、ザイルを巻き付けて基本通りに体を後ろに倒したら、ザイルに何の抵抗も感じずそのまま落下し始めて焦りました。運よく上昇する反対側のザイルをすぐに掴めたので下まで落ちずに済みましたが、もし掴めていなければアウトでした。
ザイルをセットしたリーダーはセオリー通りにやらなかった事を反省することしきりで、それ以後は私も懸垂下降するときは確認や安全対策に気を使うようになりました。
あとの1回は冬の八ヶ岳ジョウゴ沢右ルンゼ。このルンゼには50mほどの氷瀑があり、当時はザイルの長さが40mだったので途中でピッチを切らねばなりませんでした。それで、ザイルいっぱいまで登った所でピッケルで氷を削ってレッジ(確保用のステップ)を作り、セカンドを確保する事にしました。
氷瀑自体は技術的に難しくはないので途中の支点は3、4ヶ所しか取っておらず、セカンドも落ちることは無いだろうとセルフビレーのアイス・スクリューも2本ねじ込んだだけでした。
ところが、そのセカンドが、まさかの転落。確保の為にザイルを握り締めて足を踏ん張ったら、重さがかかった衝撃でレッジが崩壊し、引きずられて転落。幸いにも1mほど落ちただけでセルフビレーで止まり、セカンドも無傷でした。しかし、ビレー用の2本のスクリューのうち1本は抜け、残った1本も緩んでおり、何とか2人分の重さを支えている状態でした。もしその1本も抜けていれば、途中の支点の間隔が空いていただけに最悪は40m近い高さを墜落していたかも知れません。
他にも明確に危なかったという意識はないのですが、落石がブーンという音を立てながら近くを通過したり、5月の南岳から大キレットへの下りで雪を踏み抜いてバランスを崩し転倒。少し急な斜面だったので、踏み抜いた穴に引っかかった片足でぶら下がり頭が下になった状態で滑落を免れたこともありました。
どのケースもほぼ無傷で、冬山やクライミングをやっていれば誰しも似たような経験の1つや2つはあるでしょう。しかし、考えてみれば全て単に運が良かっただけで、何かが少し違っていれば終わっていた可能性は否めません。
危険を伴う冬山やクライミングをやらないなら大丈夫かというと、普通に歩けば危険とは思えない一般道で、何かのはずみで転倒して頭を打ったのか大怪我をしたケースも見ています。
結局、登山とはリスクを伴う遊びなのでしょうね。
そんなリスクがあるにも関わらず、なぜ山に行くのかと問われれば答えは人それぞれでしょう。私の場合は「その場所に行き、そこの景色が見たいから」という事に尽きます。
若い頃は、その為にリスクがあるなら、それを下げるように体力や技術を上げるトレーニングをしてました。最近は物事に対する興味が薄れてきたのか、どうしても行きたいという情熱はなく、それとともにトレーニングの単調さや辛さに耐えられなくなっています。ウチには「あぶないところでは、あそばない」という良い子のお約束があって、本格的な冬山やクライミングは禁止なのだけど、それもトレーニングをしない口実にしているような所もあります。
同年代、あるいは、ずっと上の年代の人でも精力的に山に行き、トレーニングもこなしている人も居られます。そういう人を目にすると、もう少し頑張らなくてはと思ったりしますが、でもやっぱり出来ない。自分の山に対する思い入れは、所詮その程度のものだったのでしょうけど、これが歳を取るということなのかも知れません。
*画像は本文と無関係です。
guchiさん、こんにちは!
雪崩に巻き込まれた話は覚えていますが、他にこんなことも!
マッチ箱からの懸垂、10mぐらいでしたかね。でも、落ちたら下で止まるとは思えないから、多分Cガリー側に落ちてオシマイでしたね。
なるほど、guchiさんが懸垂下降時の安全確認をシツコク言う理由の一端を理解できました。
確かに、長く山をやっていると、かなりの人が、「死んでたかもしれない」と後で思う経験をしますね。単に運が良かったか・・・そうかもしれません。(運が良くなかった先輩、友人もいます )
年齢相応にゆるゆる登山にしていかないと、どこかで破綻が来ますよね。
イーグルさん、こんにちは。
今はどうなっているかは判りませんが、当時のマッチ箱は懸垂位置の関係で、落ちるとDガリー奥壁側に行ったと思います。
もっともDガリーに落ちなくても、10mをそのまま落ちればかなりヤバイですが。
我ながら、よく落ちなかったものだと今でも思ってます。
そうなんですよね、長年山をやっていると誰しも何らかの危ない状況は経験しますね。
本当に運次第だと思います。そしてその運の有る無しは紙一重で、大事に至らなければ後で笑い話もなり、最悪の場合はそこで終了。
これは冬山やクライミングに限った話ではなく、奥多摩や丹沢のような所でも有り得えますからね。
だから、どんな山をやるにしても、それなりに気を付けなくてはいけないですよね。
guchi999さん おはようございます
私は、岩も雪も沢もやらないけど、それでも危なかったのだな〜と思い出す事はあります。
残雪の八ヶ岳で、キスリングの重さにフラついて、キスリングの上のに乗ったまま、道を滑り落ちました。たまたまキスリングが木にひかかってくれたので、多少の擦り傷ぐらいで済みましたが、上から見ていた同期たちは冷や汗ものだったと後から聞きました。
怖い思いをしながら、それでも山に行っていたのだからあの頃は熱中していたんでしょうね。
歳を取るにつれ、無理もしないし、行ったこともなかった里山歩きも多くなった。それは、それで良いのではないかと思うようになってます。
jikyoonさん、こんにちは。
一般道でもちょっと危い事などは、普通にありますね。
本人は「おっ、危なかった〜」なんて言いながら能天気にしていても、はたから見れば冷や汗もの、これもよくあります。
イケイケで山をやってるときは、多少危険な事があっても、感覚が麻痺しているような所がありますよね、特に若い時は。
若い頃には見向きもしなかった里山に行くようになったのは私も同じです。
高い山には高い山なりの、里山には里山なりの楽しさがありますよね。
何にしろ、無理をせず、出来る範囲で楽しめれば良いのではないでしょうか。
guchiさん、こんばんは!初コメ失礼します
「死んでたかも知れない」→まさに先日の山行で思い知らされました。
guchiさんの山行ほどの、強烈にしびれるような場所ではなかったですが、それこそ、ひと段落して気を抜いた矢先のミスでしたから、掲載された内容を拝見して、改めて身につまされる思いがしております。
私の今回の件も、単に運が良かっただけ。山を歩く以上は、リスクを常に背負っていることを肝に命じた行動をしたいと思っております。
私にとって、タイムリーな日記の掲載、ありがとうございました
airdiverさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
二子山の記録、拝見しました。
危なかったですねー、大事至らず何よりでした。
岩場の事故は切り立って核心と言われている所より、そうでもない所で起こることが多いですね。
気が抜けた所が危ないとよく言われていますが、緊張感から解放されたら、どうしてもそうなりますよね。
本当に気を付けたいものです。
ただ、危険な目にあった経験があると、次からは気を付けるようになりますから、経験値は上がりますね。それがベテランと初心者の違いでしょうね。
あっ、経験値を上げるために危険な目に会う事を推奨している訳ではありません。
guchi999さん、突然のコメント失礼致しました。
物凄く共感するところや、心に響く所があったのでコメントさせていただきました。
かなり長々となりますが、どうかお許し下さい。
私は30代前半の登山歴4〜5年のまだ若い(?)者ですが、其れなりに危険な目に遭ってきました。
*漆黒の中の道迷い。
*ホワイトアウトでリングワンデリング。
*雪山で滑落したこと。
*マルチピッチの懸垂下降のピッチの切り替え時にセルフビレイを忘れてヒヤリとしたこと。
等、無傷で下山出来たのは、guchi999さんの仰る通り単に運が良かっただけだと思います。
それぞれの誤ちから学びに変えて成長しているつもりですが、次の誤ちは学びに変えられずにそのまま死に結びついてしまうかもしれません。
そして私は自身の実力には遠く及ばない山行の目標を胸に、自分なりに日々トレーニングや毎月の山行に挑んでいます。
しかし、心の中では自分がやっている内容では、夢は到底叶わないとも分かっています。
「必要な技術の習得方法が分からない」ということを理由にしていますが、自分と同年代以下でも達成している人達も沢山いるので、単なる言い訳だとも思っています。
私は20代から登山を始めたのですが、30代になった頃から、"命を削る挑戦的な山行(自分のレベル的に)"に心の中に恐怖心が芽生える様になってきました。
それは、心配してくれる両親や、私の趣味を理解して支えてくれる彼女の存在が大きいと思います。
「絶対に死んではいけない。」という当たり前のことを身近に感じるようになりました。
とは言えまだまだ山は辞めませんし、自分なりに上を目指すのですが、身の丈にあったレベルでいこうと思います。
guchi999さんのお言葉をお借りすると、私にとっての歳を重ねるということは、こういうことかもしれないと思いました。
kuitenさん、コメント大歓迎です。
私は海外登山の経験はおろか、国内でも人に自慢できるようなルートを登った訳でもない中途半端なクライマーだったので、偉そうな事は言えないのですが、kuitenさんのコメントを読んで思った事を書かせていただきます。
挑戦的な山行への恐怖心、私もありました。
それなりの山に行っていた時代に、人が目の前で亡くなる事故や、多少なりともと所縁のある人が山で遭難したのを何回か見ており、自分がそうなる可能性を常に感じてました。
山へ行く前は『今回は大丈夫だろうか』と不安が募り、帰って来ると『今回は大丈夫だったけど、次は判らないなあ』なんて思うのです。やがて、仕事やら生活やらを理由に山に行く回数が減り、ほとんど行かなくなりましたが、根底にはそういう恐怖心があったからだと思ってます。
レベルの違いはあるでしょうが、こうした恐怖心みたいなものは、著名なクライマーでもあるのではないでしょうか。
かの植村直己氏も、冒険旅行の前には奥様に行きたくないとこぼす事もあったそうです。
自分自身の選択としては、行きたい山よりも下界の生活を選んだわけで、それが間違っていたか正解だったかは判りませんが、最終的に悔いが残ったとしても、出来る所までやればある程度の達成感はあります。それでよいのではないでしょうか。
それに、行きたい所、やりたい事、興味の対象は年代や周囲の状況によっても変わりまから。
あと、山で厳しい状況になった時、何でも良いから下界に執着するものがあると頑張れる度合いが違うと思ってます。
その意味では、家族や彼女の存在は大きいですね。
とにかく山では死なない事、これに尽きますね。
「必要な技術の習得方法が分からない」
レコを拝見すると、講習会に参加されたり、トレーニング的な山行を行われてますが、もしかしたら同レベルのパートナーとやっているのではないでしょうか。だとすると、山岳会に入る事を検討されては如何でしょうか。
ネットや本からの知識、講習会だけでは駄目だとは言わないけど、経験者の話を聞いたり、実際に山に一緒に行ったりした方が習得が早と思います。
https://www.yamareco.com/modules/diary/75709-detail-204060
guchi さん、こんばんは。
guchi さんもいろいろと怖い目に遭われているようで・・・。
死んでたかもではなく、普通は死んでましたが、記憶しているだけでも3回。気が付かないのは、たぶん、多々 。
どんなに注意していても、起きるときは起きます、それがハイキングでも。
2ヶ月ぐらい前、自宅近くの低山で転倒。頭を木にぶつけて5針縫い、指を強度の打撲で未だ完治せずです。100回以上は通っていて、その後もどうみても転倒する場所ではない所でした。事故なんてそんなものです。注意しなければ確率が上がりますが、注意していても事故に遭わない訳でもないです。事故は、向こうからやってくるような感じを受けることもあります。「どうしてこういうタイミングなの?」って感じです。
死ななかったら、まだ、何か役目があるのかなぁ〜なんて思っています。
逆に役目が終わったら、山のケースだと遭難して死んでしまうのでしょう。
でも、山では死にたくないですね。
misuzuさん、おはようございます。
2日ほど山に行ってたので、返事が遅れてすみません。
やっぱりmisuzuさんもですか。
それなりの山をやっていると誰もが何回かありますよね。
それと、自分では気が付いていない事も。
私のケースでジョウゴ沢の件、私が転落すればセカンドの上に落ちた可能性が高いから彼も危なかったはずです。
セカンドは新人だったのですけど、直ぐに態勢を立て直してビレーしたので彼は単に自分が1mくらい落ちたとしか思ってないでしょうね。
ビレーピンが危なかった事は話してないですから。
ほんとに事故は、思わぬところで起きますよね。
そして、どんなに注意していても起きる時は起きる。
だからといって、何もしなければ確率が上がる。
まさにその通りですね。
あんまりオカルトチックな事は好まないのだけど「まだ向こうの世界からはお呼びがかかってない」と思うのは大いに同意します。
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