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大内氏や毛利氏の月山富田城の戦いで攻城側本陣が置かれたのが京羅木山です。頂上から月山富田城は手にとるようにみえました。富田城の補給路となった安来港(十神山城)や飯梨川、広瀬の城下町が予想以上に一望できる事を実際に登って思いました。また、大軍を布陣させるだけのスペースがなく、ふもとの平地の広瀬城下(勝山城)を占領する必要性が判りました。実際、富田川を挟んで攻城軍と籠城軍は対峙しています。
今の登山道も、いくつもの分岐が存在し各街道と繋がっていました。前線に物質を投入するのに重要な山だと思いましたが1万の軍勢が1日消費する米はひとり2合食べるとして約50俵(3トン)これだけの物資の運搬は山道では大変でこの脆弱性を狙われた大内氏は兵糧の確保に苦しみ撤退します。
尼子氏の兵站は出雲鉄の莫大な資金で買い付けた大量の米を美保関で内航船につみ安来港(十神山城)へ、更に川船に積替え飯梨川富田川を経て富田城前へという1度に大量に運ぶシステムでした。
毛利氏は大内氏の失敗を見て5年かけて周辺を攻略、最後に川警固衆の奇襲で中継基地の安来港(十神山城)を落し尼子氏の物流をたち、月山富田城の開城に繋がりました。
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