グループ登山とソロ登山の楽しみ方について考えてみる。
私の登山デビューは、ソロでの高尾山だ。
私はコミュ障というか、人が居ると無駄に気を使って疲れるタイプというのがある。
周りに登山をしている人がいないというのもある。
とにかく、山に登ってようがそうでなかろうが、ぼっち行動が楽なのだ。
ヒトカラとかめっちゃ行くし楽しい。
ひとりではカフェにも行けないという人もたまにいるけれど、私は寧ろひとりの時間がないとしぬ(精神的に)。
しかし、そんな私も一応登山サークルに所属している。
ソロ登山の良さは、何と言っても自由度の高さだろう。
いつ休憩しようが、最悪引き返そうが、誰にも迷惑はかけない。
行く山だって、前日に決めても良い。
私は思いつきで行動するタイプで、『あ、次の土日に温泉旅行したろ!』とかで宿を決めて出かけたりもするので、この自由度はなかなか捨てがたい。
同行者に気を使う、なんて必要はないし、何か話さなきゃと話題を探すめんどくささからも解放される。
それに、(私は今のところそれはないが)人がたくさん集まれば、気の合わない人と共に行動しなければならぬということもあるだろうが、ぼっちならそれもない。
小さく鼻歌を歌いながら登っても恥ずかしくない。
静かに1人でさくさく山を登るのも、なんというか、オツだと思う。
ぼっち万歳だ。
それでも登山サークルに入っているのは、登山の諸々への不安がそうさせるのだろう。
例えば私は今のところ日帰り低山のみを登っているが、ソロで初めての小屋泊をするなら、なんとなく不安で同行者が欲しいところだ。
ルート計画も、一度登ったことがある人が立てるのと、初心者の私が立てるのでは安心感が違う。
ひとりでは行くのが不安な長めルートや難易度高めの山でも、みんなで行けば(多少)怖くない。
山の名前などほぼ知らなかった私にとっては、みんなが登った魅力的な山の話を聞けるのも良い刺激になった。
そして何より、仲間内で助け合える。
と言っても私の経験の浅さでは、今はまだ助けてもらう専門になってはいるけれど。
実は、最初に登山サークルで登った際、私には登りがキツすぎたのだが、途中からザックを他の方に持ってもらうなどした。
おかげでだいぶ歩きやすくなり、無事に山頂に着くことができた。ありがたかった。
ちなみに途中からザックを持ってくれた方は私より年齢が上の小柄の女性で、頼りがいがありすぎて泣けた。
それとそれと。
私はとても大事だなあと思うのだが、絶景を見たとき、空腹時の山頂ランチのとき、その感動を共有する相手が居るというのは、とても素晴らしいことだと思う。
別に、『雲が多くて富士山見えないね、残念だね』でも良い。
言葉に出すと記憶に残るし、私の声に応えてもらえるとなお嬉しい。
私はその辺の登山者にさり気なく話しかけられるほどのコミュ強ではないので、同行者が居るときならではの楽しみ方だ。
とは言え、毎回サークル登山というのは、ぼっち愛好家である私には難易度が高いので、サークル登山の割合は多くても5割くらいで留める予定ではある。
ちなみにこの日記を書こうとしたのは、同行者ガチャが外れた方の悲しみの記録を読んだからである。
登山はどうしても長時間一緒に行動することになるから、同行者が合わないと本当に辛すぎる。
私は幸い周りの人に恵まれたが、そうでなかったら、登り始めると同時に帰りたくて仕方がなくなるだろう。
そんな山登りは、したくないよね……。
40年来の旧友が、山できれいな風景を見た時に・・
「きれいだね〜」と言ったら「そうだね」と答えてくれるだけで、うれしいと言います。
私は、学生ワンゲル出身なので、パーティー登山が主です。
いまでも、就職してから知り合った方(20歳上)、
学生時代の仲間と一緒に山旅をしています。
パーティー登山も、ボッチ登山も、その人が選んだ道ならどちらでも良いと思います。
今は、若い頃と違うので、ボッチ登山はちょっと怖くなって来てます。
自分が一番信用できない(笑)
そうなんです、そうだね、の一言が嬉しいんですよね〜
確かに、ぼっち登山は危険もいっぱいなので、パーティーで行く以上に気を張っていかないといけませんよね。
これからも安全登山を心掛けたいと思います!
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