若かりし頃の話。
まずは中学三年生の夏休み、水窪ダムのバックウォーターである、戸中川に早朝から一番に入渓し尺アマゴを狙うため、飯田線水窪駅から歩いて行くか、自宅から地図上で目測65キロの道のりを愛用の5段変速の自転車で行くか悩み、結果、自由に到着時間を設定し、入渓できる自転車の方法をとることとした。
なぜ自転車になったかというもう一つの理由が、同じ年の夏休みに、同級生7人と伊良湖岬へ日帰りのサイクリングをしたことが、自信になっていたようだ。
夕方にはダムサイトに着きたいと考え、自宅を昼過ぎに出発。45年ほど前の当時は、今ほど酷暑ではなく、昼間はアブラゼミやにーにーゼミ、夕方には当たり前のように、ヒグラシゼミの鳴き声を聞くことができた時代であった。当然であるが、熱中症などという言葉もなかった。
母親に握り飯を9個持たせてもらい、何とか日没ではあったが自転車のランプを付けずに現場に到着した。意外に遠かったという気持ちと、全身汗まみれになりながらの、相当の筋肉疲労と達成感で、清々しく、ダムサイト横の小さな建物に自転車を止めることとした。
ここが、今晩の宿。といっても、屋根が少しせり出している建物の横に、そのまま地べたに横になるだけではあったが、人工的な構造物が、人のぬくもりを感じることができ、すこし安堵した。明日は、暗いうちからダムの奥へと続く道を歩き入渓すると決めていたため、持参した握り飯を4個ぱくついた。残りは、最初の一匹を釣り上げた後、朝食をとしゃれこむことを考え、ザックに戻した。
ザックを枕代わりにして、時計を見ると時刻は9時過ぎであったが、疲労と満腹感で、睡魔が襲ってきてそのままの長座姿勢で、いつしか眠ってしまった。
コンクリートに直に、横になっているだけなので、ことのほか硬く、背中の痛みを感じながらの眠りであった。
どれだけ寝たであろうか、就寝を覚ます出来事は、そいつの仕業であった。
そいつは、私のはいている運動靴の先端に噛みつき、奪い取るほどの勢いで首を振っていた。私は片方の足先が左右に揺さぶられることと、指先にくぎのような鋭く硬いものが当たっており、少し痛さを感じ、寝ぼけ眼で身を起こした。
暗闇の中、足元には二つの光る眼が目に入った。そいつは私と目にあったにもかかわらず、まだ首を振りながら靴をはぎ取ろうとしていたので、私は反射的に、身を横によじりながら反対の足で、そいつを思いっきり蹴り上げた。
当時の私は、陸上とサッカーの部活動をしていたが、一回目のけりの後に、そいつが足先から離れたので、今度は、立ち上がって、そいつに向かっていき、インステップキックを顔の横に食らわせることができた。
そいつは、見た目、雑種の野犬のようであったが、犬では吠えないような声を上げて、逃げる体制に入ったため、私はさらに追いかけ、腹にもう一撃のキックを入れた。その間、そいつを威嚇するように、自分の声を大きく絞り出しながら、追い払おうとしていた。
心臓が高鳴り、汗だくとなり、視界から消えていくそいつを確認してからは、横になって寝るどころではなくなった。
行動を起こす時間帯としてはまだ早い暗闇の中、地下たびに16枚はぜの脚絆をつけ、さらに滑り止めのわらじにはき替え、戸中川の上流を目指した。
持参したミミズでの反応が悪ければ、川虫をとればいいということで、2間半の渓流竿を振り続けていた。なかなか最初の一匹に出会うことがないため、時間も午前9時ごろではあったが、気分転換のつもりで、持参した握り飯で、朝食時間とした。
林道を歩くことで、ことのほか、わらじが痛んできたが、スペアはあるため、安心しながらわらじのひもを縛りなおすため、地下足袋をはきなおそうと脱いだ。
なにかまだらで、茶色に光るものが両足のアキレスけんに縦に2本づつはりついているなと思い、何気なく触るが、それは簡単にはがせない、そう、人生初の、山ヒルの餌食にあったのだ。初めて見るそいつらは、簡単に取ることができず、釣りへの気持ちがないでしまい、釣りどころの騒ぎではなくなってしまった。
当時、山ヒル対策など何も考えていなかったため、釣果ゼロのまま、そいつらを足に張り付けたまま、今一度足元を前の通り整え、とにかく自転車の場所まで行けば、何とかなるであろうと、走るように戻ることとした。
自転車のおいてある場所に到着し、素足になると、なんと、両アキレス腱に4匹だけだと思っていたとはちがい、さらに両膝の裏に一匹づつ張り付いていた。
その場で、奇声を上げ、もがきながら、はがしていたところ、そばを通りかかった山師が、声をかけてくれて、山ヒルに悪戦苦闘している私の窮状を知っていただいたのか、持参した塩を振りかけてくれて何とかすべてをはがすことができた。
当時は万が一の為、マキュロームしか持参していなかったため、食われた場所にそれを塗りたぐって、帰路に就くことにした。帰路とはいえ、また65キロのサイクリングであった。
最近とある番組で、そとに置いてあるスリッパが盗まれるというニュースで知ったのであったが、犯人は、動物の死体の強い腐敗臭をかぎつけ、食料にしているキツネの仕業であることがわかった。
当時の私の運動靴は、相当臭かったのであろう。
現在の熊被害の一部始終とは違い、あいつは、ザックの中の、握り飯を狙わなったことは、いい経験になったのであった。
一気に読みました。中学三年生での体験、まずはたくましさに驚きました。
そして壮絶な山ヒルとの戦い。たくましくても、やはり気持ちをなえさせるのですね。山師が通りかかったときは時を越えてホッとしました。
とても鮮明な記憶ですね。
おはようございます。
たわいもない経験話を、一読いただき、大変恐縮です。
ありがとうございました。
追伸
私の日記の中で、ヤマヒルへの対応として過去に載せさせていただきましたが、現在は、ローションのひとつ「シーブリーズ」を愛用しております。
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