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幸いにして、好きな山登りなどをしても、贅沢をしなければ何とか生活していけそうだ。
今後は、人のためになることはやりたいが、もう「利益第一」の会社(組織)では働くつもりはない。
そもそも自分にとって「豊かな生活」とは何か? 「カネ」だけでないことは確かだ。
そんなことを考えていると、ふと思い出し、本棚から『豊かさとは何か』(暉峻淑子)を引っ張り出してきてペラペラめくっていると、マークしている箇所があった。
「私たちは、雄大な山を見たり、森の中を歩いたり、太陽の輝きが雨上がりの樹々にきらめくのを見たりしたとき、また、一本の草や花、風のそよぎ、水の音、虫や鳥に出会ったときにも、心をひかれ、美しさや感動を覚えて立ちどまることがある。自然の中にいると、何ともいえない気持ちになり、永遠の自然や、命のふしぎさに、神秘的な何かを感じたりもする。人生の挫折の中で、自然にふれて立ち直るきっかけをつかんだりするのも、人間そのものが自然的存在であるからだろう」
なるほど、私が山が好きな理由が書いてあった。
山に登るということは「豊かさ」でもあるのだなぁ〜
『豊かさとは何か』・・・・・
山などの自然の風景は心の拠り所だと思います。
登れなくなれば、眺めているだけで癒されます。
暉峻さんは学者として、日本人の琴線に触れる学説を残していらっしゃいますね。
山はいにしえの代から尊崇の対象であり、山の神は今に通じるものだと思います。
日の出や日の入りを見ているだけで、涙がでるほど感動することがあります。
生きている自分を実感できるというか…
山に登ると、その都度、自分の人間的な弱さを感じ反省します。
「苦しい」「つらい」と感じるのは生きている証拠。
そうした中でも、同行の仲間のことをおもんばかれるか?
山登りは修行にも通じるところがあるのではないでしょうか…
御嶽山などで「ざーんげ、ざんげ、六根清浄」と唱えて歩いている信者さんを
みかけたりしますが、登山で精神が清められる?のは自分も同じかもしれません。
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