高校入学から体育の授業以外の運動はほぼ皆無
高校のと部活は高校理科部、大学では無所属でした。
高校の体育祭はずっと理科室で涼んでいた。
しかも15才から趣味がサボテン(max250種類をベランダで育てる)とか、
25才まで実家暮らしの時も、以降の独り暮らしの時も、週末引きこもり大好きとか、
通帳を見て貯金が増えるのを喜んでいたり、
街に出ることもなく、お洒落もしない。
ギャンブルも酒も女もしない
秋葉系の雰囲気で29才になった私。
職場の2歳上の女性事務員に服装と頭髪の指導を受けたこともあってか
彼女は何とか26才と28才の時に居たので
こんな私にも若干のモテ期は到来していた。
ある日いつものように会社の階段を息を切らし、ヒーコラ←しながら、
1階から【2階】に登っていると、下からスタスタと誰かが来た。
60歳後半のゴルフ好きな顧問でした。
その瞬間、自分自身に危機感を覚えた。
【俺が60才になったら、階段を二足歩行できず、匍匐前進して階段を登っているな】と。
何とかせねば、と思いつつも
身長169、体重52、足は22.5センチ(マヌケ)、かなりやせ形、
走るの大嫌い(50m8.00秒)、球技苦手、筋トレ大嫌い、太陽光苦手で、
この年でスポーツなんぞ始めるにはハードルが高過ぎ。
父親が登山好きで、幼いときから年に一回は
秩父の詳細不明な山に拉致されていた。
雲取山(三峰ルート)、両神山(旧白井差)、武甲山(表からの周回)、小鹿野二子山、は記憶にある。
他にも筑波山、愛鷹山、富士山(諸事情で9合目ピストン)
山の歩き方ならば少しは知識あるし、
登山地図(父親から借りた)も登山道なら分かる。
うん、登山なら歩くだけだし、レベルも自分で作れる。
自分のペースで続けられそう。
ついでに、ガールハントも出来るかも←邪心
そりゃ、アラサーのプレッシャーはありましたから
登山靴(実はハイキングシューズで数回で壊れた)もあるし、
ザックは30Lのノースフェース(腰バンドが帯のみ)を新調したんだっけかなぁ。
ジーパン、ウィンドブレーカー。
山ではトイレがないからと、まともな食事は取らない方向で←?
山域は歩いたことがあって、アクセスがよく
(後半は)人も多い武甲山を選択した。
さて、入念に計画した初単独登山。
まず朝四時に家を出て、自転車で14キロを一時間移動。
西武鉄道の始発電車に乗って、一時間移動。
朝六時芦ヶ久保駅から歩き出した
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-263703.html
12時間のコースを10時間で無事に踏破できたが、
もちろん、下山後は往路と逆のパターン。
電車内では自分でも汗臭いのが分かる。
(これで登山に電車を使うのが嫌になって、車を買うことを翌月に決意する)
10時間山を歩いて、往復二時間の自転車、もうボロボロ。
二日後から筋肉痛(今も翌日に筋肉痛は絶対に来ない)、7日経っても膝の痛みが消えず、
医者に行くと、筋肉の付け根が炎症していると、
慣れないことをいきなりやるからだと言われた。
出だしから1ヶ月の休養を余儀なくされるも、
父親が単独登山を続けるなら最低限のものは揃えろと
神田神保町でレインウエアとツエルトの買い物に付き合ってくれた。
他にも使わなくなった(時代を感じる)登山用品の数々を譲り受けた。
有り難いけどたまに今時無いだろ的なものも。
また親父の汗でシミだらけになったウエアとかも
買った時は値段が高かったのは分かるが、その価値はもうないよ。
翌々月にmixiの仲間でハイキングに行った帰りに、温泉に入ろうとなった。
潔癖症&恥ずかしがり屋のこともあり、他人と風呂に入るのは嫌だったが、
下山後のサッパリ感はそれを遥かに超越していた。
これがキッカケで、山=温泉となったのは、今でも山を続けている1つの要因でもあると思う。
登山では結局のところ、
彼女を見付けることはできなかったが(邪心空振り)、
年齢を越えて、色々な人に出会えたし、
山の繋がりで妻に出会えたのは確か。
登山を通じて自分に自信を持てるようになったし
息子たちも自分の背中を見てくれている(気がする)
70才まで登山を続けていけるように程よく頑張ります。
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