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2017年08月15日 22:54未分類全体に公開

大人になれない自分が私の首を締めてきて困るの巻

1ミリも山の話は出てきません。あしからず。

大人になるって一体どういうことなんだろうか?
今のところ一番しっくり来る文章を回答として引用する。

「大人になるってどういうことかかんがえてみると、要は「別にお前とは関係なく、世の中色んな人がいろんな場所でそれぞれの事情や思いを抱えて生きてんだよ!」という至極当たり前の事実を受け容れるということなのかもしれません」
(『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』より抜粋)

私はこれができない。できていない自覚がある。そしてそれが自分の首を締めまくっていることも知っている。そのことについて改めて考えてみた。
昔から家にいる時の感じで学校の友人に接する事ができなかった。遊びに行って帰ってくるたび、嫌な気分になっていた。それはずっと続いていて、「人と一緒にいることが息苦しい」ということなのだとこの歳にして気がついた。
実際に人と喋っている時に息を止めている時がある。そういう物理的な事とは別として、誰かといると気持ち的に息苦しい。一体これは何なのか?
そのことについて考えてみようと何冊か読んだ心理学の本や自己啓発の本にはだいたい「自分を良く見せようとしている」「本当の自分ではいられないから人と接するのが」という2パターンが書いてあった。でも「自分を良く見せようとしている」自覚も、「人前で本当の自分を出せていない」という自覚もなくて、ただ毎度困っている。そんな俯瞰した視点を持てていなかったし、そんな俯瞰した視点を持てていたらそもそもこんなに自分のことが把握できない&アンコントローラブルな状態に陥っていないと思う。
息苦しいがMAXに達して会社を休職した。しかも2回。2回目の休職に入ったときはもう何をする気も起きなくて、もはやこれは心の寿命なんじゃないかと思った。JAROに通報されるんじゃないかと思うほど大げさだ。まあいい。仕方ないしんどかったんだ。色々。
さて休職して実家に戻ってきてホっとしている中で、「あれ?人といて息苦しいと感じているのはもしかして実家にいる時もそうじゃない?」と思い始めた。
家族全員でリビングにいる時は何かを話していないといけない(仲良くしていないといけない)みたいな思い込みがあって、父親がテレビを見ていて母親がイヤホンで映画を見ていると何だかハラハラしてしまう。何のハラハラなのだろう?仲が悪いんじゃないかとか、「人がいるのにイヤホンをする」という行為について父親が疎外感を味わってないか?とか、草刈正雄の娘のしょうもない番組に母親がイラついていてイヤホンをしているんじゃないか?とか、ワーーーーっと周囲の感情が入ってきて(妄想)耐えきれなくなってくる。私は何をしていたかというと、内容があまり入ってこないまま漫画を読んでいた。
ところがこれが母親と私だけだと全然平気だったりする。母親がテレビ見ていようがイヤホンで映画見てようがネットしてようが全然オッケー。何なら「一人で好きなことをする時間」の気楽さは知っているので、母親のために自室に引っ込んだりもするし、同室にいても私も平気で本を読んだり、物を書いたりする。
これの相手が父親だと私は思うように動けない。父親のご機嫌を取らないといけないとか、何かをしてあげないといけないとか、自分だけが楽しい思いをするのは駄目だとか、ついご機嫌伺いをしてしまう。
それにたまに突然よくわからない怒り方をすることがあって、何が地雷なのかわからなくてそれが怖い。そしてこれは父親に限らず他の男性にもそうなのだ。もはや男性に対してのこの感じ、諦めの境地。
父親の事は嫌いじゃないし、どちらかと言えば好きだから楽しくしていて欲しいんだ。いつも楽しく無さそうで、生きがいがなさそうに見えるのがちょっと娘としては悲しい。でも父親は男だから女が楽しくしているのとは感じが違うんだよなたぶん。もしかして父親は母親ともっと会話がしたいんじゃないかな…。もしかして父親はやりたいことを我慢しているんじゃないのかな…。とまあこんな具合に父親についてはあれこれ心の中を読んでしまう。絶対わからないのに…。
それにしてもこうやって書いていると改めて友人の言い放った名言「男は全員5歳児」説が真実味を帯びてくる。
それならもう『5歳児を褒める魔法のさしすせそ』を出すしかないじゃないか。
「さすが〜!じょうずだね〜!すごいね〜!絶対できるから大丈夫!そうだね〜!」
今書きながら「(ヤベ〜!!!!私が男ならこの承認欲求を満たしてくれる女好きになるわ〜!!!)」と思ってしまった。バカじゃなかろうか。何だか全てがバカバカしく思えてきた。リビングの空気も、自分の中に流れ込んできていると思っている他人の感情も全ては私の妄想だバカバカしい。母親はイヤホンで映画を見るのが好きで、父親は草刈正雄の娘のことが絶句してしまうほど好きなのかもしれないじゃないか。バカバカしい…バカバカしいわ!
自分の性格が悪い&認知が歪み気味なことは重々承知しているので、あえてそれを外に出さない賢さも必要だよなと今さらにして思う。『心の中を全部素直に出さなければそれは罪』『心の中と表の自分は完全一致していなくてはならない』『心の中ですら他人を憎んではならない』みたいに半ば強迫的に思っていた時期が長くて盲目状態だったけれど完全にアホだ。なぜ自ら鎧を捨てて全裸で走り回るような事をしていたのか理解に苦しむし一番嫌いなタイプの人間だ。笑顔の裏に腹黒さを持って全てを真に受けずかわしつつ飄々と生きたいもんだ。

世の中が思い通りにならない事にどうしても納得できなくて、何とかしようとするも一人空回りして滑って転んで勝手に重傷を負い、人の気持ちを完璧に理解することなんかできないということと、人を変えることはできないということが、やっとわかりかけてきてひとつ大人になれそうです。的なエントリーでした。いやいややっぱ子供じゃねーか!

※追記
結局翌朝母親に聞いてみたところ、機嫌が悪かったわけでも何でもなくて、GYAOの広告で『この世界の片隅で』をやっているというのを見て、いつも見ているテレビのことは完全に忘れて映画を見ていたらしい。そんなもんだ。大体「皆がいるところでイヤホンをして映画を見ることで不機嫌さを表現する」なんてかまってちゃん思考、母親には無いだろうよ…。
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