(1)丹沢山地の概要と地形的特徴
丹沢山地は、首都圏の人にはなじみ深い山だと思いますが、他の地方の方にもわかるように、簡単に解説します。
丹沢山地は主要部が神奈川県西部にある、東西 約50km、南北 約25kmの山地です。北西部の一部は山梨県になります。山地の中央部は標高が約1500-1600m程度のピークが数個あり、最高峰は蛭が岳(ひるがたけ;1673m)です。
丹沢山地は、東京など首都圏にほど近い位置にある中級山岳地であり、小田急線やJR東海道線などでのアクセスも良いことから、古くから登山の対象となっています。また周辺各地から多数の登山道があり、山中には山小屋も多いことから、初級〜中級登山者にも登りやすい山地です。
丹沢山地の北側には、桂川(相模川の上流部)が作る東西方向の谷(JR中央東線、中央道も通っている谷)があり、それより北の関東山地(狭義)との境となっています。南側は、酒匂川の作る谷が箱根火山との境をなしています。東側は相模川流域が関東平野との境となっています。西側は徐々に高度を下げて、山中湖付近まで続いています。
なお、丹沢山地の中央部には、南西から北東方向へ流れる道志川(相模川の支流)があり、その南側が通常言うところの丹沢山地の主要部で、道志川の北西側の細長い山並みは、道志山塊(道志山地)とも呼ばれます。
丹沢山地の地形は、全体的に見るとドーム状をしており、中央部には前記のとおり、1500-1600mほどの山を中心になだらかな尾根筋が続きます。一方で山腹は意外と急斜面が多く、それらを流れる川は急流で、沢登りの対象となる沢も多い山です。
全体的にみると、ドーム状に隆起した山地と言えます(文献1)。
丹沢山地は主要部が神奈川県西部にある、東西 約50km、南北 約25kmの山地です。北西部の一部は山梨県になります。山地の中央部は標高が約1500-1600m程度のピークが数個あり、最高峰は蛭が岳(ひるがたけ;1673m)です。
丹沢山地は、東京など首都圏にほど近い位置にある中級山岳地であり、小田急線やJR東海道線などでのアクセスも良いことから、古くから登山の対象となっています。また周辺各地から多数の登山道があり、山中には山小屋も多いことから、初級〜中級登山者にも登りやすい山地です。
丹沢山地の北側には、桂川(相模川の上流部)が作る東西方向の谷(JR中央東線、中央道も通っている谷)があり、それより北の関東山地(狭義)との境となっています。南側は、酒匂川の作る谷が箱根火山との境をなしています。東側は相模川流域が関東平野との境となっています。西側は徐々に高度を下げて、山中湖付近まで続いています。
なお、丹沢山地の中央部には、南西から北東方向へ流れる道志川(相模川の支流)があり、その南側が通常言うところの丹沢山地の主要部で、道志川の北西側の細長い山並みは、道志山塊(道志山地)とも呼ばれます。
丹沢山地の地形は、全体的に見るとドーム状をしており、中央部には前記のとおり、1500-1600mほどの山を中心になだらかな尾根筋が続きます。一方で山腹は意外と急斜面が多く、それらを流れる川は急流で、沢登りの対象となる沢も多い山です。
全体的にみると、ドーム状に隆起した山地と言えます(文献1)。
(2)丹沢山地(丹沢地塊)のプレートテクトニクス的歴史
前章では、伊豆半島(伊豆地塊)が、南方で生まれ、フィリピン海プレートの動きに伴って北上し、日本列島にぶつかった地塊であることを説明しました。
実はこの丹沢山地(以下、「丹沢地塊」という用語に統一します)も、伊豆半島(伊豆地塊)と同じく、はるか南方で生まれ、フィリピン海プレートの動きに伴って北上し、日本列島へとやってきた火山群がその元となっています。伊豆半島の衝突(約1Ma)よりさらに前(約5Ma)に、日本列島へと衝突した地塊であることが判明しています(文献1)、(文献2)、(文献3)。
現在、相模川、桂川の谷に沿って、藤野木―愛川構造線と呼ばれる断層帯がありますが、これが衝突前〜衝突時のプレート境界に相当します(文献2)。
以下、時系列的に、丹沢地塊の歴史をレビューします。
丹沢地塊の歴史に関する詳しい論文(文献2)によると、丹沢地塊の誕生は約17Maに遡ります。約17〜16Maに、伊豆小笠原弧の背弧部分(注1)で、リフト活動(注2)が生じて、玄武岩〜安山岩質の海底火山活動が始まりました。この時期の火山活動の堆積物としては、枕状溶岩など、海底火山の特徴が表れています。なおこの時期の後半には、比高 約500m程度の小規模な海底火山が多数できていたようです。
引き続く約16Ma〜14Maの頃には、海底火山活動が活発化し、比高 約1500mの安山岩質の大型海底火山(山頂部の一部は地上に出て火山島を形成していた可能性あり)ができた、と推定されています。
(文献2)、(文献3)によると、この時期の火山噴出物は、まとめて火山砕屑岩類と呼ばれますが、細かく分けると、火砕タービダイト(火山岩性 海中乱泥流堆積物)や火砕デブライト(火山岩性 海中土石流堆積物)が主な堆積物です。
これらの火山噴出物(溶岩、水中火山破砕岩類)が、現在の丹沢地塊の主要地質である「丹沢層群」になったと考えられています。「丹沢層群」のトータル層厚は、(文献3)では数千m、(文献2)では最大で約3500mと推定されています。
このころの丹沢地塊の位置ですが、約15Ma(中新世中期)頃の丹沢山塊は、伊豆地塊と同様に、日本列島よりかなり南に位置していたと推定されています。丹沢層群の一部(大山亜層群;約16-13Maに堆積)には、石灰岩の小岩体が含まれており、そこに含まれるサンゴ、有孔虫などの化石の古生物学的検討から、丹沢地塊はその当時、熱帯の海にあったことが判明しており、フィリピン海プレートの移動に伴って丹沢地塊が北上した証拠の一つとされています(文献3)。
続く約14Ma−約11Maには前述の背弧リフト活動が停止し、それに伴って火山活動も比較的活動が低下し、前の時期にできた海底火山が崩壊して堆積物ができた時期だと考えられています(文献2)。
また丹沢地塊を含めたフィリピン海プレートの北方向への移動は約15Maに始まったと考えられています。約15-6Maの期間は、丹沢地塊はフィリピン海プレートの北〜北西方向への動きに伴い日本列島へと近づきつつ、徐々に全体が隆起して地表へと現れ、さらにその地下深くからは、マグマが貫入し、深成岩体であるハンレイ岩/トーナル岩体(注3)を形成する元となった、と考えられています(文献1)。
マグマの貫入時期についてはやや不明な点がありますが、(文献3)によると、約7Maにはすでに貫入しており、約7-5Maの間に、ゆっくりと冷却して岩体となったと推定されています。
なお、深成岩体の南側には高圧型変成岩である結晶片岩が、東側、北側には高温型(接触型)変成岩の一種であるホルンフェルスが分布しています。いずれも源岩は丹沢層群です。
ホルンフェルスは、深成岩体の元である高温のマグマの影響で熱変成したものと考えられています(文献2)。
結晶片岩は、約5Maの丹沢地塊の衝突前後に、丹沢地塊の南側にプレート沈み込み境界ができ、その沈み込みに関連して丹沢層群が地下深くまで沈み込んで高圧変成作用を受けて結晶片岩となり、その後、丹沢地塊全体の上昇とともに地表に現れたと考えられています(文献2)。
続く約5Maにはいよいよ丹沢地塊の日本列島への衝突が起きた時期です。
この時期、ぶつかられるほうの関東山地、ぶつかってきた方の丹沢地塊ともに、大きく隆起したと考えられています。
なお丹沢地塊と関東山地との間には元々、海洋プレートの沈み込みゾーン(トラフ)と、それを含む細長い海がありました。衝突イベント以前から、その細長い海は、隆起した両山地からの土砂で徐々に埋め垂れられ、「愛川層群」と呼ばれる礫岩などからなる堆積層を形成しました(文献3)。
一方、丹沢山塊の南側の海側でも、丹沢山塊の隆起に伴って堆積が始まったと考えられており、酒匂川沿いに「足柄層群」と呼ばれる、主に礫岩からなる堆積層が形成されています(文献1)、(文献3)。
この「足柄層群」は、丹沢地塊が日本列島に衝突した際に、プレート沈み込み帯が、丹沢地塊の北側(関東山地との間)から、丹沢地塊の南側にジャンプし、丹沢地塊の南側がプレート沈み込みによる付加体形成場となってから堆積が本格化したと考えられます。また次の衝突地塊である伊豆地塊の衝突(約1Ma)まで堆積が継続したと考えられています。
丹沢山塊が日本列島(関東山地)に衝突したのち、プレート境界は、丹沢山塊の北側(桂川沿い)から南側(酒匂川沿い)に移動しました。その後は丹沢地塊の南側にプレート沈み込み境界と東西に細長い海ができました。
徐々に伊豆地塊が接近すると、その部分の細長い海は前の衝突と同様に、両地塊から流れ込んだ岩石で埋め立てられ、「足柄層群」を形成しました。
そして約1Maに伊豆地塊が衝突し、丹沢山地はさらに隆起したと推定されています。この時期に、地下深部にあった深成岩体(トーナル岩体、ハンレイ岩体)と、その南側にあった高圧型変成岩(結晶片岩)も上昇して地表にでてきた、と考えられます(文献3)。
なお(文献1)によると、丹沢地塊の累積隆起量は5000m以上に及ぶと推定されています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
実はこの丹沢山地(以下、「丹沢地塊」という用語に統一します)も、伊豆半島(伊豆地塊)と同じく、はるか南方で生まれ、フィリピン海プレートの動きに伴って北上し、日本列島へとやってきた火山群がその元となっています。伊豆半島の衝突(約1Ma)よりさらに前(約5Ma)に、日本列島へと衝突した地塊であることが判明しています(文献1)、(文献2)、(文献3)。
現在、相模川、桂川の谷に沿って、藤野木―愛川構造線と呼ばれる断層帯がありますが、これが衝突前〜衝突時のプレート境界に相当します(文献2)。
以下、時系列的に、丹沢地塊の歴史をレビューします。
丹沢地塊の歴史に関する詳しい論文(文献2)によると、丹沢地塊の誕生は約17Maに遡ります。約17〜16Maに、伊豆小笠原弧の背弧部分(注1)で、リフト活動(注2)が生じて、玄武岩〜安山岩質の海底火山活動が始まりました。この時期の火山活動の堆積物としては、枕状溶岩など、海底火山の特徴が表れています。なおこの時期の後半には、比高 約500m程度の小規模な海底火山が多数できていたようです。
引き続く約16Ma〜14Maの頃には、海底火山活動が活発化し、比高 約1500mの安山岩質の大型海底火山(山頂部の一部は地上に出て火山島を形成していた可能性あり)ができた、と推定されています。
(文献2)、(文献3)によると、この時期の火山噴出物は、まとめて火山砕屑岩類と呼ばれますが、細かく分けると、火砕タービダイト(火山岩性 海中乱泥流堆積物)や火砕デブライト(火山岩性 海中土石流堆積物)が主な堆積物です。
これらの火山噴出物(溶岩、水中火山破砕岩類)が、現在の丹沢地塊の主要地質である「丹沢層群」になったと考えられています。「丹沢層群」のトータル層厚は、(文献3)では数千m、(文献2)では最大で約3500mと推定されています。
このころの丹沢地塊の位置ですが、約15Ma(中新世中期)頃の丹沢山塊は、伊豆地塊と同様に、日本列島よりかなり南に位置していたと推定されています。丹沢層群の一部(大山亜層群;約16-13Maに堆積)には、石灰岩の小岩体が含まれており、そこに含まれるサンゴ、有孔虫などの化石の古生物学的検討から、丹沢地塊はその当時、熱帯の海にあったことが判明しており、フィリピン海プレートの移動に伴って丹沢地塊が北上した証拠の一つとされています(文献3)。
続く約14Ma−約11Maには前述の背弧リフト活動が停止し、それに伴って火山活動も比較的活動が低下し、前の時期にできた海底火山が崩壊して堆積物ができた時期だと考えられています(文献2)。
また丹沢地塊を含めたフィリピン海プレートの北方向への移動は約15Maに始まったと考えられています。約15-6Maの期間は、丹沢地塊はフィリピン海プレートの北〜北西方向への動きに伴い日本列島へと近づきつつ、徐々に全体が隆起して地表へと現れ、さらにその地下深くからは、マグマが貫入し、深成岩体であるハンレイ岩/トーナル岩体(注3)を形成する元となった、と考えられています(文献1)。
マグマの貫入時期についてはやや不明な点がありますが、(文献3)によると、約7Maにはすでに貫入しており、約7-5Maの間に、ゆっくりと冷却して岩体となったと推定されています。
なお、深成岩体の南側には高圧型変成岩である結晶片岩が、東側、北側には高温型(接触型)変成岩の一種であるホルンフェルスが分布しています。いずれも源岩は丹沢層群です。
ホルンフェルスは、深成岩体の元である高温のマグマの影響で熱変成したものと考えられています(文献2)。
結晶片岩は、約5Maの丹沢地塊の衝突前後に、丹沢地塊の南側にプレート沈み込み境界ができ、その沈み込みに関連して丹沢層群が地下深くまで沈み込んで高圧変成作用を受けて結晶片岩となり、その後、丹沢地塊全体の上昇とともに地表に現れたと考えられています(文献2)。
続く約5Maにはいよいよ丹沢地塊の日本列島への衝突が起きた時期です。
この時期、ぶつかられるほうの関東山地、ぶつかってきた方の丹沢地塊ともに、大きく隆起したと考えられています。
なお丹沢地塊と関東山地との間には元々、海洋プレートの沈み込みゾーン(トラフ)と、それを含む細長い海がありました。衝突イベント以前から、その細長い海は、隆起した両山地からの土砂で徐々に埋め垂れられ、「愛川層群」と呼ばれる礫岩などからなる堆積層を形成しました(文献3)。
一方、丹沢山塊の南側の海側でも、丹沢山塊の隆起に伴って堆積が始まったと考えられており、酒匂川沿いに「足柄層群」と呼ばれる、主に礫岩からなる堆積層が形成されています(文献1)、(文献3)。
この「足柄層群」は、丹沢地塊が日本列島に衝突した際に、プレート沈み込み帯が、丹沢地塊の北側(関東山地との間)から、丹沢地塊の南側にジャンプし、丹沢地塊の南側がプレート沈み込みによる付加体形成場となってから堆積が本格化したと考えられます。また次の衝突地塊である伊豆地塊の衝突(約1Ma)まで堆積が継続したと考えられています。
丹沢山塊が日本列島(関東山地)に衝突したのち、プレート境界は、丹沢山塊の北側(桂川沿い)から南側(酒匂川沿い)に移動しました。その後は丹沢地塊の南側にプレート沈み込み境界と東西に細長い海ができました。
徐々に伊豆地塊が接近すると、その部分の細長い海は前の衝突と同様に、両地塊から流れ込んだ岩石で埋め立てられ、「足柄層群」を形成しました。
そして約1Maに伊豆地塊が衝突し、丹沢山地はさらに隆起したと推定されています。この時期に、地下深部にあった深成岩体(トーナル岩体、ハンレイ岩体)と、その南側にあった高圧型変成岩(結晶片岩)も上昇して地表にでてきた、と考えられます(文献3)。
なお(文献1)によると、丹沢地塊の累積隆起量は5000m以上に及ぶと推定されています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
(注釈、補足説明の項)
注1)「背弧(はいこ)」について
海洋プレートが別のプレートの下に沈み込む場所では、まず沈み込み部分に海溝あるいはトラフと呼ばれる、深くて細長い部分が生じます(例;日本海溝、南海トラフ)。その奥側(沈み込みしているプレート側から見て)には、島弧と呼ばれる島々の列ができます(例;日本列島、伊豆―小笠原列島、琉球列島)。島弧は非火山性の島の列と、火山性の島の列の2つができることが割と多いです。
さらにその奥側を「背弧」と言います。背弧部分は地殻変動が活発な場所もあれば、不活発な場所もあります。一部の背弧領域では、引っ張り応力が大きくなって、島弧列と並行に、トラフ状のくぼんだ部分ができることがあります(例;琉球列島の東シナ海側に、沖縄トラフというやや深くて細長い部分がある) (文献4)。
注2)「リフト活動」について
プレートテクトニクスの用語で、プレートが割れて両側へ開きつつある場所をリフト(Rift)と呼びます。この部分は引っ張り応力が働いて多数の断層ができてきます。プレートが完全に裂けると、海洋プレートが生まれる場所(大洋中央海嶺)となりますが、リフトの生長が途中で停まることもあります。(文献4)
世界的に見ると、陸上あるいは陸地に挟まれたリフトとしては、アフリカの大地溝帯、アラビア半島西側の紅海、ロシアのバイカル湖などが代表的なリフト地帯です。リフトの下からは、広がってしまったプレートの間を埋めるように、地下からマグマが上昇して火山活動が活発となることもあります(例;アフリカ大地溝帯にあるキリマンジャロ山など)。(文献4)。
注3)ハンレイ岩、トーナル岩について
(1)ハンレイ岩(Gabblo);分類上は深成岩の一種です。地殻下部、特に海底地殻の下層部を構成している岩石でもあります。鉱物としては斜長石(白色)、輝石(黒っぽい色)などで構成されています。日本列島にはハンレイ岩が地表に露出している場所はかなり少なく、越後三山のうち中ノ岳(中ノ岳ハンレイ岩体)、筑波山の上半分、生駒山の一部が良く知られています(文献5)。
(2)トーナル岩(Tonalite);これも分類上は深成岩の一種で、花崗岩の親戚的な位置にあります。日本語表記では、テキストによって「トーナル岩」と書いたり、「トーナライト」と書いてあったりします。構成鉱物としては、石英(透明感のあるグレー)、斜長石(白色)、角閃石(黒っぽい色)が主なものです。日本列島では丹沢山地が主なトーナル岩の産地です(文献5)。
海洋プレートが別のプレートの下に沈み込む場所では、まず沈み込み部分に海溝あるいはトラフと呼ばれる、深くて細長い部分が生じます(例;日本海溝、南海トラフ)。その奥側(沈み込みしているプレート側から見て)には、島弧と呼ばれる島々の列ができます(例;日本列島、伊豆―小笠原列島、琉球列島)。島弧は非火山性の島の列と、火山性の島の列の2つができることが割と多いです。
さらにその奥側を「背弧」と言います。背弧部分は地殻変動が活発な場所もあれば、不活発な場所もあります。一部の背弧領域では、引っ張り応力が大きくなって、島弧列と並行に、トラフ状のくぼんだ部分ができることがあります(例;琉球列島の東シナ海側に、沖縄トラフというやや深くて細長い部分がある) (文献4)。
注2)「リフト活動」について
プレートテクトニクスの用語で、プレートが割れて両側へ開きつつある場所をリフト(Rift)と呼びます。この部分は引っ張り応力が働いて多数の断層ができてきます。プレートが完全に裂けると、海洋プレートが生まれる場所(大洋中央海嶺)となりますが、リフトの生長が途中で停まることもあります。(文献4)
世界的に見ると、陸上あるいは陸地に挟まれたリフトとしては、アフリカの大地溝帯、アラビア半島西側の紅海、ロシアのバイカル湖などが代表的なリフト地帯です。リフトの下からは、広がってしまったプレートの間を埋めるように、地下からマグマが上昇して火山活動が活発となることもあります(例;アフリカ大地溝帯にあるキリマンジャロ山など)。(文献4)。
注3)ハンレイ岩、トーナル岩について
(1)ハンレイ岩(Gabblo);分類上は深成岩の一種です。地殻下部、特に海底地殻の下層部を構成している岩石でもあります。鉱物としては斜長石(白色)、輝石(黒っぽい色)などで構成されています。日本列島にはハンレイ岩が地表に露出している場所はかなり少なく、越後三山のうち中ノ岳(中ノ岳ハンレイ岩体)、筑波山の上半分、生駒山の一部が良く知られています(文献5)。
(2)トーナル岩(Tonalite);これも分類上は深成岩の一種で、花崗岩の親戚的な位置にあります。日本語表記では、テキストによって「トーナル岩」と書いたり、「トーナライト」と書いてあったりします。構成鉱物としては、石英(透明感のあるグレー)、斜長石(白色)、角閃石(黒っぽい色)が主なものです。日本列島では丹沢山地が主なトーナル岩の産地です(文献5)。
(参考文献)
天野、松原、田切 著
「富士山の基盤:丹沢山地の地質 −衝突付加した古海洋性島弧」
富士火山 誌、p59-68 (2007)
(本文での(文献2))
丹沢地塊の歴史、衝突イベント、地質解釈など総合的な論文
「富士山の基盤:丹沢山地の地質 −衝突付加した古海洋性島弧」
富士火山 誌、p59-68 (2007)
(本文での(文献2))
丹沢地塊の歴史、衝突イベント、地質解釈など総合的な論文
文献1)貝塚、小川、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原弧」東京大学出版会 刊(2000)
のうち、3-2章 「丹沢山地と足柄山地」の項
文献2)天野、松原、田切
「富士山の基盤:丹沢山地の地質 −衝突付加した古海洋性島弧」
富士火山 誌、p59-68 (2007)
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/yies/fujikazan/original/P59-68.pdf
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊 (2008)
のうち、3-6-1節 「丹沢山地」の項
文献4)上田 著
「プレート・テクトニクス」岩波書店 刊 (1989)
文献5)西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原弧」東京大学出版会 刊(2000)
のうち、3-2章 「丹沢山地と足柄山地」の項
文献2)天野、松原、田切
「富士山の基盤:丹沢山地の地質 −衝突付加した古海洋性島弧」
富士火山 誌、p59-68 (2007)
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/yies/fujikazan/original/P59-68.pdf
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊 (2008)
のうち、3-6-1節 「丹沢山地」の項
文献4)上田 著
「プレート・テクトニクス」岩波書店 刊 (1989)
文献5)西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
このリンク先の、5−1章の文末には、第5部「関東西部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年11月22日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
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