(はじめに)
この第12−11章は、第12部 「九州地方の山々の地質」の最後の章になり、また、ヤマレコ内のヤマノートに投稿する形で長く続けてきた、「日本の山々の地質」という長期連載の最後の章にもなります。
この章では、登山対象として人気の高い屋久島の山々の地質と地形を中心とし、種子島や「鬼界カルデラ」についても説明します。
さて、九州本土の最南端、佐多岬から離れること約60kmの南海上には、屋久島と種子島の2つの島が並んでいます。
このうち屋久島は、九州地方最高峰の宮之浦岳(みやのうらだけ:1935m)を筆頭に、1500m以上の標高を誇る山々が、20峰以上集まっており、島全体が「洋上アルプス」の別名を持つほど、離島にしては高い山が多い島です。
なお宮之浦岳は百名山にも選ばれており、百名山全山踏破を目指す登山者にとって、人気の山(山群)とも言えますし、島であることや、九州の更に南に位置することなどを考えると、かなり難関の百名山かと思います。
また屋久島は、数千年の樹齢を誇る屋久杉(やくすぎ)の島としても良く知られ、ご存じの方も多いと思いますが、1993年には東北地方の「白神山地」とともに、「世界自然遺産」としても登録されました。それ以降、ツアー観光客や登山者も一層、増えたようです。
屋久島は後述のとおり、ほとんどが花崗岩でできている島ですが、この章では、その地質学的な成り立ち、及び屋久島中核部に広がる、独特の地形的特徴について説明します。
一方、屋久島の東にある種子島は、最高標高点が約250mで、山らしい山もない、丘陵性の島です。種子島にロケット打ち上げ基地(種子島宇宙センター)が設けられたのも、海に囲まれた島であること以外に、障害物となりえる高い山が無くて、見通しが良いことが関係しているのではないか、と思います。
種子島は、登山対象となるほどの山はありませんが、この章では、屋久島と対比する形で、種子島全体の地形や地質的特徴を説明します。
また、登山対象となる山ではありませんが、屋久島の北西 約20kmには、海没カルデラ火山である「鬼界カルデラ(火山)」があります。また屋久島の西、約15kmには口永良部島(くちのえらぶじま)という火山島があります。
このカルデラ火山、及び 口永良部島についても、簡単に解説します。
なお屋久島の地質全般については、(文献1)、(文献3)が詳しく書かれており、参考になります。
この章では、登山対象として人気の高い屋久島の山々の地質と地形を中心とし、種子島や「鬼界カルデラ」についても説明します。
さて、九州本土の最南端、佐多岬から離れること約60kmの南海上には、屋久島と種子島の2つの島が並んでいます。
このうち屋久島は、九州地方最高峰の宮之浦岳(みやのうらだけ:1935m)を筆頭に、1500m以上の標高を誇る山々が、20峰以上集まっており、島全体が「洋上アルプス」の別名を持つほど、離島にしては高い山が多い島です。
なお宮之浦岳は百名山にも選ばれており、百名山全山踏破を目指す登山者にとって、人気の山(山群)とも言えますし、島であることや、九州の更に南に位置することなどを考えると、かなり難関の百名山かと思います。
また屋久島は、数千年の樹齢を誇る屋久杉(やくすぎ)の島としても良く知られ、ご存じの方も多いと思いますが、1993年には東北地方の「白神山地」とともに、「世界自然遺産」としても登録されました。それ以降、ツアー観光客や登山者も一層、増えたようです。
屋久島は後述のとおり、ほとんどが花崗岩でできている島ですが、この章では、その地質学的な成り立ち、及び屋久島中核部に広がる、独特の地形的特徴について説明します。
一方、屋久島の東にある種子島は、最高標高点が約250mで、山らしい山もない、丘陵性の島です。種子島にロケット打ち上げ基地(種子島宇宙センター)が設けられたのも、海に囲まれた島であること以外に、障害物となりえる高い山が無くて、見通しが良いことが関係しているのではないか、と思います。
種子島は、登山対象となるほどの山はありませんが、この章では、屋久島と対比する形で、種子島全体の地形や地質的特徴を説明します。
また、登山対象となる山ではありませんが、屋久島の北西 約20kmには、海没カルデラ火山である「鬼界カルデラ(火山)」があります。また屋久島の西、約15kmには口永良部島(くちのえらぶじま)という火山島があります。
このカルデラ火山、及び 口永良部島についても、簡単に解説します。
なお屋久島の地質全般については、(文献1)、(文献3)が詳しく書かれており、参考になります。
1) 屋久島の地質(1);花崗岩ゾーン
産総研「シームレス地質図v2」や、(文献2―a)、(文献3)などに図示されている、屋久島の地質概略図で確認すると、屋久島のうち、沿岸部を除く大部分の領域(宮之浦岳などの山地部も)の地質は、ほぼ全て、花崗岩でできています。(図1もご参照ください)
この花崗岩体は、約16−13Maに形成された、マグマ溜りの化石というべきものです(文献2−a)、(文献3)。
この約16−13Maという時代は、約20−15Maにかけて起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の最終時期にあたります。
この頃、現在のフィリピン海プレートのうち東半分(現世の「西南日本」に接する部分(「四国海盆」と呼ばれる)は、比較的新しい時代(約25Ma−15Ma)に、東西方向に拡大して形成されたプレート部分です(文献4)、(文献5)。注1)
その若くて、比較的熱かった(と推定されている)海洋プレート(四国海盆)の上に、「西南日本」を含む島弧側プレートが強制的にのし上げた形となったため、その下敷きとなったフィリピン海プレート部分(もしくはその上部に形成されていた付加体)が融解してマグマが形成され、西南日本の外帯地域や、現世の瀬戸内海地域で、15〜13Ma頃に、火成活動(火山活動 and/or 深成岩体の形成)が生じた、と考えられています。
この時期に生じた西南日本の火成活動に関しては、本連載のこの第12部(九州地方の山々の地質)のほか、四国地方の部、関西地方の部でも説明しましたし、それらの部に参考文献も記載していますので、ここでは詳細は略します。
(※ この中期中新世における西南日本の火成活動に言及した関連文献は、例えば(文献4)、(文献6)、(文献7)、(文献8)など多数あります)。
この屋久島の花崗岩体も、ほぼ同じ時期に形成されたマグマ溜りが冷却して形成された岩体なので、いくつかの文献では、マグマ溜りの形成メカニズムを、上記の、若くて熱いフィリピン海プレートと、強制的にのし上げた島弧プレートとの関係で説明されています(文献2―b)、(文献2)。
ただし、位置的に見ると、現世における屋久島の位置は、フィリピン海プレートのうち、東西の境界となっている「九州―パラオ海嶺」よりも西側の領域(西フィリピン海盆)に接しており、フィリピン海プレートの東側の領域(四国海盆)との関係で、マグマが形成されたのか? 多少疑問を感じます。
一方、屋久島花崗岩体がこの、「中期中新世 西南日本火成活動」の南限であることから逆に考えてみると、当時のフィリピン海プレートの東側の領域(四国海盆)の西端が、現世の屋久島の位置の南側にあった、とも考えられます(この段落は私見です)。
なお(文献4)では、四国海盆の拡大が終わった 約15Maの古地理として、「九州―パラオ海嶺」の位置が、現世の位置よりも西側にあって、屋久島よりやや南西諸島側まで、「四国海盆」であった、と読み取れる図が提示されています。
また、そのマグマ溜り由来の花崗岩体の上昇メカニズムについては、(文献3)にその研究結果が記載されています。
(文献3)によると、屋久島花崗岩体の岩石学的な研究を元に、沈み込み帯でのスラブに沿った下降流の反流として、島弧側の下のウエッジマントル部分に上昇流が生じ、屋久島の花崗岩体は、沈み込み帯(スラブ)に沿って、ダイアピル状の形態を持って、斜めに上昇してきた、と考察しています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
この花崗岩体は、約16−13Maに形成された、マグマ溜りの化石というべきものです(文献2−a)、(文献3)。
この約16−13Maという時代は、約20−15Maにかけて起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の最終時期にあたります。
この頃、現在のフィリピン海プレートのうち東半分(現世の「西南日本」に接する部分(「四国海盆」と呼ばれる)は、比較的新しい時代(約25Ma−15Ma)に、東西方向に拡大して形成されたプレート部分です(文献4)、(文献5)。注1)
その若くて、比較的熱かった(と推定されている)海洋プレート(四国海盆)の上に、「西南日本」を含む島弧側プレートが強制的にのし上げた形となったため、その下敷きとなったフィリピン海プレート部分(もしくはその上部に形成されていた付加体)が融解してマグマが形成され、西南日本の外帯地域や、現世の瀬戸内海地域で、15〜13Ma頃に、火成活動(火山活動 and/or 深成岩体の形成)が生じた、と考えられています。
この時期に生じた西南日本の火成活動に関しては、本連載のこの第12部(九州地方の山々の地質)のほか、四国地方の部、関西地方の部でも説明しましたし、それらの部に参考文献も記載していますので、ここでは詳細は略します。
(※ この中期中新世における西南日本の火成活動に言及した関連文献は、例えば(文献4)、(文献6)、(文献7)、(文献8)など多数あります)。
この屋久島の花崗岩体も、ほぼ同じ時期に形成されたマグマ溜りが冷却して形成された岩体なので、いくつかの文献では、マグマ溜りの形成メカニズムを、上記の、若くて熱いフィリピン海プレートと、強制的にのし上げた島弧プレートとの関係で説明されています(文献2―b)、(文献2)。
ただし、位置的に見ると、現世における屋久島の位置は、フィリピン海プレートのうち、東西の境界となっている「九州―パラオ海嶺」よりも西側の領域(西フィリピン海盆)に接しており、フィリピン海プレートの東側の領域(四国海盆)との関係で、マグマが形成されたのか? 多少疑問を感じます。
一方、屋久島花崗岩体がこの、「中期中新世 西南日本火成活動」の南限であることから逆に考えてみると、当時のフィリピン海プレートの東側の領域(四国海盆)の西端が、現世の屋久島の位置の南側にあった、とも考えられます(この段落は私見です)。
なお(文献4)では、四国海盆の拡大が終わった 約15Maの古地理として、「九州―パラオ海嶺」の位置が、現世の位置よりも西側にあって、屋久島よりやや南西諸島側まで、「四国海盆」であった、と読み取れる図が提示されています。
また、そのマグマ溜り由来の花崗岩体の上昇メカニズムについては、(文献3)にその研究結果が記載されています。
(文献3)によると、屋久島花崗岩体の岩石学的な研究を元に、沈み込み帯でのスラブに沿った下降流の反流として、島弧側の下のウエッジマントル部分に上昇流が生じ、屋久島の花崗岩体は、沈み込み帯(スラブ)に沿って、ダイアピル状の形態を持って、斜めに上昇してきた、と考察しています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
注1) フィリピン海プレートの起源、構成、及び、拡大について
フィリピン海プレートは、「九州―パラオ海嶺」と呼ばれる古い島弧を境目として、東西の2ゾーンに分けられます。そのうち西側ゾーンは、古第三紀(約50Ma以降)に形成された、より古い領域であり、「西フィリピン海盆」と呼ばれます。
また、東側ゾーンは、より新しい時代に形成された領域です。さらにその領域を南北2つに分けて考える場合、北側は「四国海盆」、南側は「パレスベラ海盆」と呼ばれます。
日本列島と関連が深いのは「四国海盆」ですが、その形成(拡大)開始時期に関しては、文献によって少し違いがあります。ここでは拡大開始時期を約25Maと記載しましたが、約30Maや、約27Maとする文献もあります。
※ 本節は、(文献5)を参照して記載しました。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
また、東側ゾーンは、より新しい時代に形成された領域です。さらにその領域を南北2つに分けて考える場合、北側は「四国海盆」、南側は「パレスベラ海盆」と呼ばれます。
日本列島と関連が深いのは「四国海盆」ですが、その形成(拡大)開始時期に関しては、文献によって少し違いがあります。ここでは拡大開始時期を約25Maと記載しましたが、約30Maや、約27Maとする文献もあります。
※ 本節は、(文献5)を参照して記載しました。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
2) 屋久島の地質(2);付加体ゾーン
屋久島は前節で述べたように、山地部を含めたその大部分が、新第三紀 中新世に形成された花崗岩体からなります。
一方、産総研「シームレス地質図v2」や、(文献2−a)、(文献3)によると、沿岸部には、付加体型の堆積岩(主に砂岩、泥岩)が分布しています。
(図1もご参照ください)
これらの堆積岩は、地帯構造区分上、「四万十帯」(厳密に言うと「四万十南帯」)に属する付加体であり、後述の種子島を形成している地質と同じです。(文献1)によると、付加年代は、古第三紀 始新世(約56−34Ma)と推定されています。
元々、屋久島の一帯は、古第三紀に付加した「四万十南帯」に属する付加体型の堆積岩が分布していたと推定されます。そこに地下深部から花崗岩体が貫入して、顔を出している、というような状態となっています。
(文献1)、(文献3)によると、屋久島沿岸部に分布する付加体型の堆積岩は、前述の花崗岩体が地下から貫入してきた際、その花崗岩体がまだ高温だったため、境界部分では接触変成作用によって、熱変成を受けて、ホルンフェルス化しているとのことです。
産総研の地質図のうち、「20万分の1 地質図:「屋久島」図版」(2007)で確認すると、花崗岩体から約2km付近までの、沿岸部の堆積岩ゾーンはホルンフェルス化している、と図示されています。
「ホルンフェルス」という変成岩については、12−9章の、市房山の項で、少し詳しく説明しましたので、この章では詳しい説明を割愛しますが、かなり硬い岩石であり、浸食抵抗性も強い、という特徴があります。
屋久島の山麓部には、いくつかの滝や、岩壁状の場所がありますが、それらのうちいくつかの場所は、このホルンフェルスによって、浸食に抗して険しい地形を形成しているものと推定されています(文献3)、(文献8)。
(文献1)、(文献3)では、その一例として、「大川(おおこ)の滝」(文献9)という、屋久島南西部にある 落差 約90mの滝が、このホルンフェルス分布域に形成されている、と説明しています。
なお屋久島の南部には、本富岳(もっちょむだけ:940m)という岩峰がありますが、これはホルンフェルスのゾーンにある岩峰ではなく、花崗岩で形成された岩峰です。またその近くの「千尋の滝」も花崗岩ゾーンの滝です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
一方、産総研「シームレス地質図v2」や、(文献2−a)、(文献3)によると、沿岸部には、付加体型の堆積岩(主に砂岩、泥岩)が分布しています。
(図1もご参照ください)
これらの堆積岩は、地帯構造区分上、「四万十帯」(厳密に言うと「四万十南帯」)に属する付加体であり、後述の種子島を形成している地質と同じです。(文献1)によると、付加年代は、古第三紀 始新世(約56−34Ma)と推定されています。
元々、屋久島の一帯は、古第三紀に付加した「四万十南帯」に属する付加体型の堆積岩が分布していたと推定されます。そこに地下深部から花崗岩体が貫入して、顔を出している、というような状態となっています。
(文献1)、(文献3)によると、屋久島沿岸部に分布する付加体型の堆積岩は、前述の花崗岩体が地下から貫入してきた際、その花崗岩体がまだ高温だったため、境界部分では接触変成作用によって、熱変成を受けて、ホルンフェルス化しているとのことです。
産総研の地質図のうち、「20万分の1 地質図:「屋久島」図版」(2007)で確認すると、花崗岩体から約2km付近までの、沿岸部の堆積岩ゾーンはホルンフェルス化している、と図示されています。
「ホルンフェルス」という変成岩については、12−9章の、市房山の項で、少し詳しく説明しましたので、この章では詳しい説明を割愛しますが、かなり硬い岩石であり、浸食抵抗性も強い、という特徴があります。
屋久島の山麓部には、いくつかの滝や、岩壁状の場所がありますが、それらのうちいくつかの場所は、このホルンフェルスによって、浸食に抗して険しい地形を形成しているものと推定されています(文献3)、(文献8)。
(文献1)、(文献3)では、その一例として、「大川(おおこ)の滝」(文献9)という、屋久島南西部にある 落差 約90mの滝が、このホルンフェルス分布域に形成されている、と説明しています。
なお屋久島の南部には、本富岳(もっちょむだけ:940m)という岩峰がありますが、これはホルンフェルスのゾーンにある岩峰ではなく、花崗岩で形成された岩峰です。またその近くの「千尋の滝」も花崗岩ゾーンの滝です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
3) 屋久島の地形的特徴
屋久島は地質だけでなく、地形的にも興味深い点があります。
この節では、宮之浦岳を含む屋久島中核部の独特の地形について説明します。
(本節は、図2や添付写真もご参照ください)
屋久島では麓(登山口)から屋久杉の林立する深い森を登っていくと、約1700mに森林限界があり、それより上部、標高 約1700m以上の屋久島中核部では景観が一転します。
そこには起伏が少ないなだらかな笹原が広がり、その中に、にゅっと突き出した花崗岩の巨岩群、岩峰群が、独特の景観を作っています。
永田岳(ながただけ;1886m)の北にある「ねまち」岩峰群やそのさらに先の障子岳は、特に高山的な印象ですし、宮之浦岳や黒味岳(くろみだけ;1831m)などのピーク付近には花崗岩の巨岩が座っています。
(文献10−a)によると、この屋久島中核部は、まだ海岸部からの浸食が、それほど進んでいない、標高 約1400〜1700mに広がる小起伏面(=「隆起準平原」)であり、宮之浦岳、永田岳、黒味岳など1900m前後のピークは、その小起伏面上に突出した残丘である、と説明されています。
また、(文献10−a)では、上記の花崗岩の巨石群、岩峰群(トア状ピーク)は、花崗岩類に特有の節理構造に加え、氷期に働いた周氷河作用の影響によって形成された、と推定しています。
緯度が北緯30度と、日本列島ではかなり南にあり、かつ標高が2000mにも満たない場所にありながら、日本アルプスや東北、北海道の山々と同じような、氷期の周氷河作用を受けた、というのはなにやら不思議な感じもあります。
(なお蛇足ですが、屋久島に氷河があったというわけではありません。「周氷河作用」とは、寒冷気候における、独特な地形形成作用を意味します)
また、この屋久島中核部は、地形的になだらかなことに加え、降水量が多いせいかと思いますが、川の源頭部などは、湿原状、湿地状になっているところがあります。
最も有名なのは、黒味岳の南側にある「花之江河(はなのえごう)」、及び「小花之江河(こはなのえごう)」と呼ばれる2つの高層湿原です。
規模は小さいながら、日本列島では最南端の高層湿原になります。
ここは、名前とは違ってそれほど花が多いわけではありませんが、池塘や矮小化した杉の木など、日本庭園風の独特の景観があり、屋久島の山歩きの際にはぜひ立ち寄りたい場所です。
それ以外にも、永田川源流部付近、鹿之沢小屋があるあたりも、笹が多めですが湿原風の景観です。また登山口の一つとなっていて、山小屋もある淀川(よどごう)の源流部も、穏やかな川の流れが印象的な場所です。
この節では、宮之浦岳を含む屋久島中核部の独特の地形について説明します。
(本節は、図2や添付写真もご参照ください)
屋久島では麓(登山口)から屋久杉の林立する深い森を登っていくと、約1700mに森林限界があり、それより上部、標高 約1700m以上の屋久島中核部では景観が一転します。
そこには起伏が少ないなだらかな笹原が広がり、その中に、にゅっと突き出した花崗岩の巨岩群、岩峰群が、独特の景観を作っています。
永田岳(ながただけ;1886m)の北にある「ねまち」岩峰群やそのさらに先の障子岳は、特に高山的な印象ですし、宮之浦岳や黒味岳(くろみだけ;1831m)などのピーク付近には花崗岩の巨岩が座っています。
(文献10−a)によると、この屋久島中核部は、まだ海岸部からの浸食が、それほど進んでいない、標高 約1400〜1700mに広がる小起伏面(=「隆起準平原」)であり、宮之浦岳、永田岳、黒味岳など1900m前後のピークは、その小起伏面上に突出した残丘である、と説明されています。
また、(文献10−a)では、上記の花崗岩の巨石群、岩峰群(トア状ピーク)は、花崗岩類に特有の節理構造に加え、氷期に働いた周氷河作用の影響によって形成された、と推定しています。
緯度が北緯30度と、日本列島ではかなり南にあり、かつ標高が2000mにも満たない場所にありながら、日本アルプスや東北、北海道の山々と同じような、氷期の周氷河作用を受けた、というのはなにやら不思議な感じもあります。
(なお蛇足ですが、屋久島に氷河があったというわけではありません。「周氷河作用」とは、寒冷気候における、独特な地形形成作用を意味します)
また、この屋久島中核部は、地形的になだらかなことに加え、降水量が多いせいかと思いますが、川の源頭部などは、湿原状、湿地状になっているところがあります。
最も有名なのは、黒味岳の南側にある「花之江河(はなのえごう)」、及び「小花之江河(こはなのえごう)」と呼ばれる2つの高層湿原です。
規模は小さいながら、日本列島では最南端の高層湿原になります。
ここは、名前とは違ってそれほど花が多いわけではありませんが、池塘や矮小化した杉の木など、日本庭園風の独特の景観があり、屋久島の山歩きの際にはぜひ立ち寄りたい場所です。
それ以外にも、永田川源流部付近、鹿之沢小屋があるあたりも、笹が多めですが湿原風の景観です。また登山口の一つとなっていて、山小屋もある淀川(よどごう)の源流部も、穏やかな川の流れが印象的な場所です。
4) 種子島の地質と地形
ここでは、屋久島とは地形的に対照的な種子島の地質と地形について、簡単に説明します。
屋久島が、標高1800〜1900m台の高さを誇る多数の山々を有しているのに比べ、種子島は、標高100〜250m程度の丘陵部があるだけの平坦な島であり、地形的に非常に対照的です。
地質的には、屋久島は、その大部分が花崗岩で形成されているのに対し、種子島は大部分が、「四万十南帯」に属する付加体(主に砂岩、泥岩)で形成されています。
(図1もご参照ください)
上記の両島の標高の違いとしては、屋久島は前述のとおり地下深くから上昇してきた花崗岩体が、地表に出たのちも更に隆起を続けて、2000m近くの高さまで隆起したのに対し、種子島には花崗岩体は無く、単に、海底にて形成された堆積岩(付加体型地質)が、若干隆起してできた島である、ということになります。
ただし、屋久島と比較すると隆起量は低いのですが、海岸段丘の研究を元にした(文献9−b)の記載によると、種子島は、約0.6〜0.9m/1000年と、結構な速度で隆起しており、その隆起は少なくとも30万年前から現世まで、等速度的に継続している、と推定されています。
また種子島には、北西―南東走向の数本の断層(断層崖)が確認されており、この断層の活動も、種子島の隆起に関わっていると推定されています。
ただし、浸食に対する抵抗性を考慮すると、泥岩、砂岩からなる種子島は、いつまでたっても屋久島のような高い山は持てないと思われます(この段落は私見です)。
「地質」と「地形」とは本来、直接的な関係、関連が無い場合が多いのですが、この章で説明した屋久島(花崗岩主体の地質)と種子島(泥岩、砂岩などの堆積岩主体)は、「地質」が「地形」に影響を与えている、興味深い事例とも言えます。
屋久島が、標高1800〜1900m台の高さを誇る多数の山々を有しているのに比べ、種子島は、標高100〜250m程度の丘陵部があるだけの平坦な島であり、地形的に非常に対照的です。
地質的には、屋久島は、その大部分が花崗岩で形成されているのに対し、種子島は大部分が、「四万十南帯」に属する付加体(主に砂岩、泥岩)で形成されています。
(図1もご参照ください)
上記の両島の標高の違いとしては、屋久島は前述のとおり地下深くから上昇してきた花崗岩体が、地表に出たのちも更に隆起を続けて、2000m近くの高さまで隆起したのに対し、種子島には花崗岩体は無く、単に、海底にて形成された堆積岩(付加体型地質)が、若干隆起してできた島である、ということになります。
ただし、屋久島と比較すると隆起量は低いのですが、海岸段丘の研究を元にした(文献9−b)の記載によると、種子島は、約0.6〜0.9m/1000年と、結構な速度で隆起しており、その隆起は少なくとも30万年前から現世まで、等速度的に継続している、と推定されています。
また種子島には、北西―南東走向の数本の断層(断層崖)が確認されており、この断層の活動も、種子島の隆起に関わっていると推定されています。
ただし、浸食に対する抵抗性を考慮すると、泥岩、砂岩からなる種子島は、いつまでたっても屋久島のような高い山は持てないと思われます(この段落は私見です)。
「地質」と「地形」とは本来、直接的な関係、関連が無い場合が多いのですが、この章で説明した屋久島(花崗岩主体の地質)と種子島(泥岩、砂岩などの堆積岩主体)は、「地質」が「地形」に影響を与えている、興味深い事例とも言えます。
5) 鬼界カルデラについて
この節では、登山対象の山ではありませんが、屋久島の北西 約20kmの辺りにある海没カルデラ(火山)である、鬼界(きかい)カルデラについて説明します。
鬼界カルデラ火山は、12―10章で説明した、鹿児島地溝帯の火山群の南西延長部にある火山であり、形成メカニズムも、東側から沈み込んでいるフィリピン海プレートの影響によって形成された火山列(火山フロント)の上にある火山です。
現在は海没カルデラとなっており、長径が約25km、短径が約15kmの楕円形をしたかなり大きなカルデラです。またカルデラ内は深く窪んでおり、最深部は海面下 約500mとなっています。また外輪山(カルデラ壁)にあたる部分に、薩摩硫黄島という火山島があります。薩摩硫黄島は標高 約700mの火山島で、近年でも頻繁に火山活動が起きています(文献2−c)、(文献10−c)。
さて鬼界カルデラを有名にしているのは、約7300年前に起きた巨大噴火(破局噴火)です。
(文献2−c)、(文献10−c)によると、この時の噴火は、近隣の屋久島、種子島はもちろんのこと、海を隔てた鹿児島県本土一帯にも大規模火砕流をまき散らした巨大噴火です。
この巨大噴火の際に噴出した火山灰は、いわゆる「広域テフラ」として遠く東北地方まで分布しています。このテフラは「鬼界―アカホヤテフラ」(略号は、(K−Ahテフラ))と呼ばれ、完新世における地質の年代推定や、考古学の分野での遺跡の年代推定などに良く利用されています(文献11)。
また、この約7300年前の巨大噴火は、鹿児島県を中心とした南九州に住んでいた縄文人にも壊滅的な被害を与えたと、考古学的な研究から推定されています(文献12)。
一方、鬼界カルデラにほど近い屋久島も、大きな被害を被ったようで、宮之浦岳付近など標高の高いところまで現在でも、この火砕流噴出物が分布していることから、屋久島の植生もこの火砕流で大打撃を受け、焼け野原状になったと推定されています。今は屋久杉が林立する深い森となっている屋久島の植生も、この大惨事から復活してきたことになります(文献3)。
(図2もご参照ください)
また図1に示すように、屋久島の西方 約15kmにある口永良部島(くちのえらぶじま)は、火山岩(安山岩)で形成されている島であり、鬼界カルデラ火山の南西延長部にある火山(島)です。
阿蘇山の破局噴火(Aso−4;約9万年前)と並び、この「鬼界カルデラ」火山の破局噴火は、ネット情報やTV番組でもしばしば取り上げられるので、説明しました。
鬼界カルデラ火山は、12―10章で説明した、鹿児島地溝帯の火山群の南西延長部にある火山であり、形成メカニズムも、東側から沈み込んでいるフィリピン海プレートの影響によって形成された火山列(火山フロント)の上にある火山です。
現在は海没カルデラとなっており、長径が約25km、短径が約15kmの楕円形をしたかなり大きなカルデラです。またカルデラ内は深く窪んでおり、最深部は海面下 約500mとなっています。また外輪山(カルデラ壁)にあたる部分に、薩摩硫黄島という火山島があります。薩摩硫黄島は標高 約700mの火山島で、近年でも頻繁に火山活動が起きています(文献2−c)、(文献10−c)。
さて鬼界カルデラを有名にしているのは、約7300年前に起きた巨大噴火(破局噴火)です。
(文献2−c)、(文献10−c)によると、この時の噴火は、近隣の屋久島、種子島はもちろんのこと、海を隔てた鹿児島県本土一帯にも大規模火砕流をまき散らした巨大噴火です。
この巨大噴火の際に噴出した火山灰は、いわゆる「広域テフラ」として遠く東北地方まで分布しています。このテフラは「鬼界―アカホヤテフラ」(略号は、(K−Ahテフラ))と呼ばれ、完新世における地質の年代推定や、考古学の分野での遺跡の年代推定などに良く利用されています(文献11)。
また、この約7300年前の巨大噴火は、鹿児島県を中心とした南九州に住んでいた縄文人にも壊滅的な被害を与えたと、考古学的な研究から推定されています(文献12)。
一方、鬼界カルデラにほど近い屋久島も、大きな被害を被ったようで、宮之浦岳付近など標高の高いところまで現在でも、この火砕流噴出物が分布していることから、屋久島の植生もこの火砕流で大打撃を受け、焼け野原状になったと推定されています。今は屋久杉が林立する深い森となっている屋久島の植生も、この大惨事から復活してきたことになります(文献3)。
(図2もご参照ください)
また図1に示すように、屋久島の西方 約15kmにある口永良部島(くちのえらぶじま)は、火山岩(安山岩)で形成されている島であり、鬼界カルデラ火山の南西延長部にある火山(島)です。
阿蘇山の破局噴火(Aso−4;約9万年前)と並び、この「鬼界カルデラ」火山の破局噴火は、ネット情報やTV番組でもしばしば取り上げられるので、説明しました。
(参考文献)
文献1) 斎藤、下司(げし)、小笠原、長森、駒澤
「「観光地質学」からみた、世界遺産・屋久島
― 20万分の1地質図版「屋久島」の刊行−」
産総研 地質ニュース 第647号 p52−60 (2008)
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/08_07_09.pdf
文献2)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献2−a) 文献2)のうち、
6−4章「(九州地方の新生代の)深成岩」の、
6−4−2−i 項) 「屋久島花崗岩体」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
第1部 序章の、
1−5−3節 「九州・沖縄の新生界テクトニクスプロセス」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
5−2−9節 「鬼界カルデラと薩摩硫黄島」の項
文献3)安間(あんま)、山本、下司(げし)、七山、中川 著
「世界遺産の島・屋久島の地質と成り立ち」
地質学雑誌、第120巻(補遺)、p101-125 (2014)
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文献4)高橋
「東西日本の地質学的境界 第十話 待ち構えていた難問」
GSJ 地質ニュース 第6巻(第10号) p315−331 (2017)
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol6.no10_p315-331.pdf
文献5) インターネットサイト
ウイキペディア 「フィリピン海プレート」の項
2022年6月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E6%B5%B7%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
文献6) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」 朝倉書店 刊 (2009)のうち、
2−3−3節 「背弧海盆の形成と西南日本弧の回転運動」の項、及び、
2−3−4節 「前弧域の火成弧化と島弧の発達」の項
文献7) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」 朝倉書店 刊 (2016)のうち、
7−4章 「西南日本外帯および瀬戸内火成活動の成因論」の項
文献8) 小泉
「日本の山ができるまで」 エイアンドエフ社 刊 (2020)のうち、
第15章 「1400万年前の火成活動でできた山々」の項、及び
15−3節 「屋久島」の項
文献9) インターネットサイト
ウイキペディア 「大川の滝」
2022年6月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%BB%9D
文献10) 町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献10−a) 文献10)のうち、
3−6章 「屋久島・種子島 ―隆起する山地と台地の山」の、
3−6−(1)節 「屋久島」の項
文献10−b) 文献10)のうち、
3−6章 「屋久島・種子島 ―隆起する山地と台地の山」の、
3−6−(2)節 「種子島」の項
文献10―c) 文献10)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−2−(4)節 「鬼界カルデラ」の項
文献11) 米倉、貝塚、野上、鎮西 編
「日本の地形 第1巻 総説」 東京大学出版会 刊 (2001)のうち、
4−5−(2)―2)項 「(日本列島の)テフロテクノロジー」の項、
及び 表 4.5.1 「過去100万年間の日本列島の広域指標テフラ」の項
文献12) 山崎、久保 共著
「日本列島100万年史」 講談社 刊 (2017)のうち、
第8章「九州」の、
「火砕流噴出と縄文分化の消失」の項
「「観光地質学」からみた、世界遺産・屋久島
― 20万分の1地質図版「屋久島」の刊行−」
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「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」 朝倉書店 刊 (2009)のうち、
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「日本列島100万年史」 講談社 刊 (2017)のうち、
第8章「九州」の、
「火砕流噴出と縄文分化の消失」の項
このリンク先の、12−1章の文末には、第12部「九州地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年6月11日
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