俺のシルクロードに青葉風が吹いた ★絹の町・愛川町(半原)から横浜港


- GPS
- --:--
- 距離
- 81.2km
- 登り
- 427m
- 下り
- 517m
コースタイム
明治10年生まれ。今日の俺さまの山行に合わせ、明治時代からタイムスリップした養蚕(ようさん)女子。
神奈川県・清川は煤ケ谷村の農家で繭(まゆ)の生産をしている。視点が広く、絹の加工、流通、エンドユーザーにも興味を持っている。
7:00 JR横浜線・淵野辺駅(県57・県54)ー8:00四谷ー高田橋(久所の渡し)ー9:00愛川町・馬渡橋ー11:30愛川町図書館14:20(県63)−二井坂子供広場(名桑春日碑)ー14:45山際交差点(R129・R246)ー16:40東名入口(R16)ー17:45横浜港
天候 | 五月にはやや寒い曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
市町史や聞き取りは決め手だが鵜呑みにはするな |
写真
感想
愛川・半原地区からの絹の流通を探ってまいりました。
さて、撚糸(ねんし)という言葉をご存知でしょうか?
検索すると複数の糸に撚りを掛けながら織物用の太い糸に加工する。。とのことで、特に半原では盛んな産業で、撚糸組合なるものも100年以上存在していました(数年前に解散)
蚕種(さんしゅ)ー養蚕(ようさん)ー製糸(せいし)【生糸になる】⇒
撚糸(ねんし)ー染色(せんしょく)ー機織り(はたおり)ー絹織物ー裁縫ー絹製品
これは絹織物ができるまでの過程ですが、海外輸出は生糸の状態で行われていたそうで、”撚糸”加工は国内向けになるそうです。
織物は縦糸・横糸があり、また製品により求められる太さが違うので、国内向けの主に八王子に運ばれていたようです。(※半原撚糸の歩み 半原撚糸組合七〇年史より)
開港前の1787年に日本に導入された八丁式撚糸機を、1807年に多く導入した半原では国内需要の撚糸を多く扱っていました。
※横浜港開港により国内需要(撚糸)は大打撃を受けたため、半原も養蚕そのものに重心が移ったようです。
さて、愛川町図書館で愛川町史を始め資料を漁ったのですが、肝心の輸送ルートに関する記述はありませんでした。なので手書きの地図は想像になります。
■肝は横浜線全通(M41)のBC・ADにあります。
BCでは、横浜港まで宿を繋ぎながらの陸送ルート。ADでは横浜線の駅までのルートになります。
まず撚糸ルートから
撚糸は国内需要向きですから八王子で反物などに加工してもらいます。
1)半原ー愛川ー久所の渡しー淵野辺(浜街道)ー御殿峠ー八王子
・闇ルート
2)三増峠ー小倉で渡河ー橋本ー御殿峠ー八王子
以前走った(歩いた)のですが、三増ー小倉間がきついので、愛川まで戻り淵野辺に出た方が楽な気がします。
ADでは間違いなく使われない筈。
海外輸出の生糸ルート
1)半原ー愛川ー久所の渡しー淵野辺(浜街道)ー横浜港
2)半原ー愛川ー厚木の渡し(大山道)ー長津田(浜街道)ー横浜港
このどちらを使ったのか私には解りません。自転車では両者とも難所はなかったし、道自体も整備されていたように思われる。
・闇ルート
3)×相模線の上溝駅を使う
相模線は相模川の砂利のみを運搬していた(※JR相模線物語 (株)230クラブ サトウマコト著)
4)×高瀬舟で相模川を下る水運ルート
相模川の高瀬舟の積荷は”江戸に送る石”だった。復路は平塚から”干物・米ヌカ・雑貨”を積んだ(※愛川町史)
ルートは集散地での営業所、またそれぞれの業者などが絡んで変わるものでもある。例えば現在でもバスの乗り継ぎの利便性により、最短距離を取れない場合もある。
長野南部・山梨・神奈川県産の生糸は、浜街道・横浜線との相性が非常によい。
愛川に限定すれば、相模川とそれを取り巻く丘陵を攻略さえすれば、浜街道や横浜線の恩恵にあずかれた。そのための渡し舟であり木橋であった。
鋼鉄の橋=永久橋は・町、、いや先祖の悲願であり、交通の革命であったことだろう。
時間があったので横浜港まで自転車で走った。R246(矢倉沢往還/大山道)-R16(浜街道)の現道を行く。休日なのでトラックは少ないが、なかなか喧噪だ。相模川を越え上川井で保土ヶ谷バイバス別れると、ようやく静かな生活道のR16となる。
ここから小一時間で横浜港に突入である。山下公園は人出が多そうだ。少し離れノスタルジックにラムネなど頂こうか
五月雨に包まれており阿夫利山 ほの香
郷土史に問ひかけている皐月かな ほの香
茶畑に一本在りて夏の桑 ほの香
登り鮎まぶた閉じれば高瀬舟 ほの香
白日傘並ぶ港の潦 ほの香
スカーフに大さん橋の南風 ほの香
馬車道やベースボールのシャツ白し ほの香
ラムネ飲む横浜近く貨物駅 ほの香
(蚕合戦)
知らねども吾にも君にも玉の繭 田村麻奈美
名桑を摘んでみろよと夏の蝶 ほの香
五月雨(さみだれ)、阿夫利山(あふりやま)=大山、高瀬舟(たかせぶね)、潦(にわたずみ)=水たまり、繭(まゆ)=蚕の繭、名桑(めいそう)=名のある桑の木
■関連する記録
俺のシルクロードは感嘆の連続である ★八王子・岡谷ルート(八王子・大垂水峠・笹子峠・甲府・諏訪・岡谷) 2017年04月16日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1107661.html
俺のシルクロードが川を使っていたなんて ★チャリで横浜港ー隅田永代橋ー旧江戸川ー江戸川ー利根川ー上州富岡 2017年04月02日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1096892.html
俺のシルクロードが東京湾を渡っていたなんて ★南房総岩井海岸(木の根峠)館山(千倉街道)千倉ー鴨川(長狭街道)保田(浦賀水道)久里浜 2017年03月12日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1083003.html
俺のシルクロードに細やかな雨が降る ★横浜港ー鑓水峠ー八王子 自転車パスハン 2016年04月24日(日)
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【チャリ・レコ】愛川は永遠(とわ)に輝く! みんな幸せハピネス! ★自宅ー厚木ー愛川町(半原地区)郷土資料館で納涼して帰りも自走 2015年08月08日(土)
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もし明治の養蚕女子が『チャリでシルクロード』を走ったら ★横浜港ー八王子ー小仏峠ー半原越ー清川・厚木★自転車パスハン 2015年06月20日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-662669.html
許すというのは強さの証なのだ(by平沢唯)★神奈川・矢倉沢往還(善波峠)おまけで旧中原街道の起点ゲッツ★自転車パスハン 2014年12月30日(火)
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俺のシルクロードがこんなに地味なわけがない★神奈川(三増峠・小倉山)★自転車パスハン 2014年12月14日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-559854.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
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おはようHonocaさん。これはもう街道歩きですね。自転車だからroadbikerでしょうか?街道歩きの面白さは、歴史、風土、遷移、自然、などなど。事前、事後
の調査もまた楽しですね。特に、ポピュラーな五街道と相違して、地方の産物と結びついた街道(鯖街道や塩の道などなど)散逸した資料調査もまた面白いですね。ここ2回ほど撚糸組合付近の山々うろうろしたので、撚糸、そのものに興味がわいていました(笑)ちょっと、Honocaさんのお手伝いでしらべてみると、撚糸の町・半原物語(
http://www.oshida-sangyou.co.jp/tradition11.htm1111)
の中に「 商い先、主に江戸・桐生(埼玉県)・足利・郡内に接した八王子に商いに行く時にこんな怖い話があったと、半原に住む歴史に大変詳しい古老より伺うことが出来ました。<半原で出来た製品を八王子まで商いに行く道順は、半原・久保沢・原宿・山田・八王子という道程です。半原の商人は特に八王子に商いに行く時はピストルを携帯する方が多かった」
ブラジャーの戦後(http://y2-j.com/?p=500)
半原4 撚糸の産地 神奈川県愛川町半原「半原が明治、大正から昭和まで輸出品の産地だったことだ。撚糸業を生業としていた半原産地で作られた縫糸は八王子や大月などの織物産地に販売されていたが、その一部は輸出品として横浜に運ばれ中国、満州、インド、マレーシア、オランダ、フランス、イギリスなどに輸出されていた」また半原撚糸のあゆみ: 半原撚糸協同組合七十年史という本もあるそうです。
*浜街道 http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi/hama/hama1.html
ご参考までですが、余計なことでしたらご容赦ください。知りたいこと、行きたいところ広がりますね
> おはようHonocaさん。これはもう街道歩きですね。
> 自転車だからroadbikerでしょうか?
おはようです。ふふふ(・∀・)
自転車だとサイクリングですw
もしくは、、わかんないww
> 街道歩きの面白さは、歴史、風土、遷移、自然、などなど。事前、事後
の調査もまた楽しですね。
完全に同意しますw
事前事後の調査はケリをつける意味でも楽しいですね
裏読みも楽しいですし必要で御座いますw
> 特に、ポピュラーな五街道と相違して、地方の産物と結びついた街道
> (鯖街道や塩の道などなど)散逸した資料調査もまた面白いですね。
完全に同意します(・∀・)
地方の特化した資料が必要ですし、リンク先の古老の話も笑えました
市町史を読んでの裏歩きも面白いですね
行政は隠しますからね。
例えばハイキングルートにマイナスなことは書けないです。例えば火葬場とか
おいらからすれば、火葬場はマイナスじゃないんですがね
ブラジャーの戦後の写真に、この記録に借りた同じ写真が使われているのが感動
リンクの紹介ありがとうです
呑み過ぎたので明日みます(^^;
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