久しぶりに訪れました
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1/20 11:00
久しぶりに訪れました
いつもは外観を見るだけ(^_^;)
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いつもは外観を見るだけ(^_^;)
法観寺
(東山区八坂通下河原東入八坂上町)
本尊 五智如来
臨済宗建仁寺派。山号は霊応山。八坂塔と呼ばれる五重塔(重要文化財)で知られる。聖徳太子が五重塔を建て、その中に仏舎利を納めて法観寺と号したという。創建には渡来系豪族の八坂氏が関わったとも伝える。治承三年(一一七九)の清水衆徒と祇園神人の争いで焼失したが、源頼朝、その後足利義教によって再建された。仁治元年(二一四〇)に建仁寺の証救が入寺して禅宗に改めた。
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法観寺
(東山区八坂通下河原東入八坂上町)
本尊 五智如来
臨済宗建仁寺派。山号は霊応山。八坂塔と呼ばれる五重塔(重要文化財)で知られる。聖徳太子が五重塔を建て、その中に仏舎利を納めて法観寺と号したという。創建には渡来系豪族の八坂氏が関わったとも伝える。治承三年(一一七九)の清水衆徒と祇園神人の争いで焼失したが、源頼朝、その後足利義教によって再建された。仁治元年(二一四〇)に建仁寺の証救が入寺して禅宗に改めた。
今日は木曽義仲供養祭へ
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今日は木曽義仲供養祭へ
中にはいるのははじめて
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中にはいるのははじめて
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首塚
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首塚
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五重塔内部です
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1/20 11:06
五重塔内部です
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供養祭が始まりました。
予定より40分も遅れて・・・。
おかげさまで境内を十分見学することができました♫
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1/20 11:43
供養祭が始まりました。
予定より40分も遅れて・・・。
おかげさまで境内を十分見学することができました♫
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1/20 11:54
一般の方は入れないということ(^_^;)
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1/20 12:07
一般の方は入れないということ(^_^;)
いつもはここから見るだけ
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1/20 12:09
いつもはここから見るだけ
清水寺
(東山区清水一丁目)
本尊 十一面千手観音
北法相宗の大本山。山号は音羽山。世界遺産(文化遺産)。西国三十三所観音霊場第十六番札所。宝亀十一年(七八O)、この地に鹿狩りにきた坂上田村麻呂が修行中の僧延鎮に殺生を戒められ、夫人とともに千手観音を造り、お堂を建てたのが始まりと伝える。弘仁元年(八一〇)に嵯峨天皇から宸筆を賜わって鎮護国家の道場となり、「清水寺」を世号とした。かつては法相宗として南都の興福寺(奈良県奈良市)に属したため、延暦寺との抗争の度に攻撃を受け、たびたび焼亡した。北法相宗となったのは昭和四十年(一九六五)のことである。「清水の舞台」として知られる本堂(国宝)は寛永十年(一六三三)の再建で、舞台は檜板張り、柱は欅で高さ約十三メートルある。秘仏の本尊十一面千手観音立像は、左右の腕を頭上に高く挙げて化仏を戴く独特の姿で、この形式の観音像は「清水型観音」と呼ばれている。本堂の舞台から見えるもう一つの舞台造の建造物は、「奥の千手堂」とも呼ばれる奥の院(重要文化財)で、三面千手観音坐像(重要文化財)を安置する。清水寺の起源となった「音羽の滝」の真上に立地する。他に、仁王門、西門、三重塔、鐘楼、経堂、開山堂(田村堂)、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、子安塔(泰産寺三重塔)などの堂塔伽藍が重要文化財の指定を受けている。阿弥陀堂は、洛陽六阿弥陀巡りの札所で、また洛陽三十三所観音霊場のうち第十番から第十四番の札所が境内にある。
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清水寺
(東山区清水一丁目)
本尊 十一面千手観音
北法相宗の大本山。山号は音羽山。世界遺産(文化遺産)。西国三十三所観音霊場第十六番札所。宝亀十一年(七八O)、この地に鹿狩りにきた坂上田村麻呂が修行中の僧延鎮に殺生を戒められ、夫人とともに千手観音を造り、お堂を建てたのが始まりと伝える。弘仁元年(八一〇)に嵯峨天皇から宸筆を賜わって鎮護国家の道場となり、「清水寺」を世号とした。かつては法相宗として南都の興福寺(奈良県奈良市)に属したため、延暦寺との抗争の度に攻撃を受け、たびたび焼亡した。北法相宗となったのは昭和四十年(一九六五)のことである。「清水の舞台」として知られる本堂(国宝)は寛永十年(一六三三)の再建で、舞台は檜板張り、柱は欅で高さ約十三メートルある。秘仏の本尊十一面千手観音立像は、左右の腕を頭上に高く挙げて化仏を戴く独特の姿で、この形式の観音像は「清水型観音」と呼ばれている。本堂の舞台から見えるもう一つの舞台造の建造物は、「奥の千手堂」とも呼ばれる奥の院(重要文化財)で、三面千手観音坐像(重要文化財)を安置する。清水寺の起源となった「音羽の滝」の真上に立地する。他に、仁王門、西門、三重塔、鐘楼、経堂、開山堂(田村堂)、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、子安塔(泰産寺三重塔)などの堂塔伽藍が重要文化財の指定を受けている。阿弥陀堂は、洛陽六阿弥陀巡りの札所で、また洛陽三十三所観音霊場のうち第十番から第十四番の札所が境内にある。
【清水寺子院】
成就院
成就院は清水寺の子院(旧本坊)。文明年間(一四六九〜八七)の創建と伝え、寛永十六年(一六三九)に東福門院和子の寄進により再興した。庭園は典型的な借景式庭園。国の名勝に指定されており、「月の庭」として著名で、洛中雪月花三名園の一つに数えられる。巧みに配された烏帽子石、蜻蛉燈籠や、誰が袖手水鉢、手鞠燈籠などは名品。
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1/20 12:20
【清水寺子院】
成就院
成就院は清水寺の子院(旧本坊)。文明年間(一四六九〜八七)の創建と伝え、寛永十六年(一六三九)に東福門院和子の寄進により再興した。庭園は典型的な借景式庭園。国の名勝に指定されており、「月の庭」として著名で、洛中雪月花三名園の一つに数えられる。巧みに配された烏帽子石、蜻蛉燈籠や、誰が袖手水鉢、手鞠燈籠などは名品。
思い出すなぁ
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1/20 12:25
思い出すなぁ
浮世絵
外国人観光客が多いから商売になるかも・・・。
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1/20 12:28
浮世絵
外国人観光客が多いから商売になるかも・・・。
意外と見過ごしますが・・・。
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1/20 12:29
意外と見過ごしますが・・・。
表
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1/20 12:29
表
裏
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1/20 12:29
裏
地主神祉
(東山区清水一丁目)
祭神 大国主命、素盞鳴命、奇稲田姫命、足摩乳命、手摩乳命、乙羽竜神
一説に坂上田村麻呂を祀るともいう。明治維新までは地主権現と呼ばれた。古くから桜の名所であり、地主桜
の名で有名。「恋占いの石」として知られる本殿前にある一対の立石は、一方の石から他方の石へ目を閉じて辿り着ければ願い事がかなうとされる。近年は良縁の神として人気を集めている。現在の社殿は寛永十年(一六三三)に徳川家光によって再建されたもので、本殿、拝殿、総門が重要文化財に指定されている。
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1/20 12:32
地主神祉
(東山区清水一丁目)
祭神 大国主命、素盞鳴命、奇稲田姫命、足摩乳命、手摩乳命、乙羽竜神
一説に坂上田村麻呂を祀るともいう。明治維新までは地主権現と呼ばれた。古くから桜の名所であり、地主桜
の名で有名。「恋占いの石」として知られる本殿前にある一対の立石は、一方の石から他方の石へ目を閉じて辿り着ければ願い事がかなうとされる。近年は良縁の神として人気を集めている。現在の社殿は寛永十年(一六三三)に徳川家光によって再建されたもので、本殿、拝殿、総門が重要文化財に指定されている。
今日訪れた目的はこれ!
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今日訪れた目的はこれ!
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1/20 12:34
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今日はトレイルを歩きません
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今日はトレイルを歩きません
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1/20 12:44
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清閑寺
(東山区清閑寺山ノ内町)
本尊 十一面干手観音
真言宗智山派。山号は歌中山。延暦二十一年(八〇二)に比叡山の紹継が創建した。平安時代中期の一條(一条)天皇の頃に勅願寺となり、のちに六條(六条)・高倉両天皇が当地に葬られた。応仁・文明の乱で焼失後、慶長年間(一五九六〜一六一五)には根来寺(和歌山県岩出市)の性盛が再興、天台宗から真言宗となった。『平家物語』で知られる小督局は高倉天皇の愛妾で、当寺で出家した。また当寺は幕末の勤皇僧である月照と西郷隆盛が密議を交わした場所としても知られている。
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1/20 12:47
清閑寺
(東山区清閑寺山ノ内町)
本尊 十一面干手観音
真言宗智山派。山号は歌中山。延暦二十一年(八〇二)に比叡山の紹継が創建した。平安時代中期の一條(一条)天皇の頃に勅願寺となり、のちに六條(六条)・高倉両天皇が当地に葬られた。応仁・文明の乱で焼失後、慶長年間(一五九六〜一六一五)には根来寺(和歌山県岩出市)の性盛が再興、天台宗から真言宗となった。『平家物語』で知られる小督局は高倉天皇の愛妾で、当寺で出家した。また当寺は幕末の勤皇僧である月照と西郷隆盛が密議を交わした場所としても知られている。
今年大河ドラマで
一躍人気になりそう。
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1/20 12:47
今年大河ドラマで
一躍人気になりそう。
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1/20 12:48
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1/20 13:14
道迷いの方に遭遇
教えてあげました。
トレイルの道から脱線(^_^;)
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1/20 13:32
道迷いの方に遭遇
教えてあげました。
トレイルの道から脱線(^_^;)
三島神社
後白河法皇の中宮が夢のお告げによって懐妊し、高倉天皇が誕生したことから、勅命により平重盛が社殿を造営し、守護神として三島明神を祀った
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1/20 13:35
三島神社
後白河法皇の中宮が夢のお告げによって懐妊し、高倉天皇が誕生したことから、勅命により平重盛が社殿を造営し、守護神として三島明神を祀った
狭いところながら
立派な神社でした♫
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1/20 13:37
狭いところながら
立派な神社でした♫
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うなぎの絵馬
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1/20 13:40
うなぎの絵馬
何かなぁ?
入ってみます。
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1/20 13:45
何かなぁ?
入ってみます。
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1/20 13:47
日本鉄道の父だそうです
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1/20 13:46
日本鉄道の父だそうです
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1/20 13:47
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ちょこっと寄り道
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1/20 13:53
ちょこっと寄り道
方広寺へ
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方広寺へ
大仏殿石垣
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大仏殿石垣
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国家安泰
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1/20 14:05
国家安泰
君臣豊楽
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君臣豊楽
豊国神社
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豊国神社
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(東山区大和大路通正面茶屋町)
祭神 豊臣秀吉
通称は「ホウコクさん」。慶長三年(一五九八)に亡くなった秀吉の遺体を東山の阿弥陀ヶ峯に葬り、翌年には広壮な社殿がその山腹に創建された。朝廷より豊国大明神の神号を賜わり、同九年の秀吉の七回忌には盛大な臨時祭礼が行われた。その様子は「豊国臨時祭礼図屏風」(狩野内膳筆・重要文化財)に詳細に描かれている。豊臣氏滅亡後は荒廃していたが、明治元年(一八六八)に新日吉神宮の神楽殿を仮拝殿として再興され、同十三年に旧方広寺大仏殿境内に社殿を造営した。唐門(国宝)は伏見城の遺構と伝える。
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(東山区大和大路通正面茶屋町)
祭神 豊臣秀吉
通称は「ホウコクさん」。慶長三年(一五九八)に亡くなった秀吉の遺体を東山の阿弥陀ヶ峯に葬り、翌年には広壮な社殿がその山腹に創建された。朝廷より豊国大明神の神号を賜わり、同九年の秀吉の七回忌には盛大な臨時祭礼が行われた。その様子は「豊国臨時祭礼図屏風」(狩野内膳筆・重要文化財)に詳細に描かれている。豊臣氏滅亡後は荒廃していたが、明治元年(一八六八)に新日吉神宮の神楽殿を仮拝殿として再興され、同十三年に旧方広寺大仏殿境内に社殿を造営した。唐門(国宝)は伏見城の遺構と伝える。
国宝三唐門のひとつ
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国宝三唐門のひとつ
伏見城の遺構
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伏見城の遺構
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おおっきい
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おおっきい
京都国立博物館明治古都館(旧帝国京都博物館本館、明治28年、片山東熊設計、重要文化財)
片山東熊は長州藩出身で、明治維新後、お雇い外国人として来日していたジョサイア・コンドルに建築を学び、ヨー一ロッパ各地を歴訪し、洋風建築を学んだ。その代表作はいずれも近代日本を象徴する歴史的建造物で迎賓館赤坂離宮(明治42年、東京都、国宝)、東京国立博物館表慶館(明治41年、東京都、重要文化財)、奈良国立博物館本館(明治27年、奈良県、重要文化財)などがある。京都には他に九条山浄水場ポンプ室(明治45年)がある。
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1/20 14:12
京都国立博物館明治古都館(旧帝国京都博物館本館、明治28年、片山東熊設計、重要文化財)
片山東熊は長州藩出身で、明治維新後、お雇い外国人として来日していたジョサイア・コンドルに建築を学び、ヨー一ロッパ各地を歴訪し、洋風建築を学んだ。その代表作はいずれも近代日本を象徴する歴史的建造物で迎賓館赤坂離宮(明治42年、東京都、国宝)、東京国立博物館表慶館(明治41年、東京都、重要文化財)、奈良国立博物館本館(明治27年、奈良県、重要文化財)などがある。京都には他に九条山浄水場ポンプ室(明治45年)がある。
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三十三間堂(蓮華王院)
(東山区三十三間堂廻り町)
本尊 千手観音
正式には蓮華王院。通称の三十三間堂は本堂の母屋正面の柱間の数が三十三あることに由来する。洛陽三十三所観音霊場第十七番札所。長寛二年(一一六四)に後自河上皇の勅願によって創建。豊臣秀吉が方広寺を創建した天正十四年(一五八六)には、その千手堂となったが、秀吉没後には方広寺とともに天台宗の妙法院の管理下に置かれた。楊枝のお加持、三十三間堂通しや矢は一月十五日に近い日曜に行う。現在の本堂(国宝)は、文永三年(一二六六)の再建で、京都における鎌倉時代和様の
代表的遺構。湛慶の手になる千手観音坐像(国宝)を中央に、南北約百二十メートルに及ぶ伽藍内に、等身大の木造千手観音立像(重要文化財)が立ち並ぶ光景は圧巻。二十八部衆立像、風神・雷神像(すべて国宝)が千手観音に従っている。他に桃山時代の建築で、南大門、
築地塀(太閤塀)(ともに重要文化財)がある。
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三十三間堂(蓮華王院)
(東山区三十三間堂廻り町)
本尊 千手観音
正式には蓮華王院。通称の三十三間堂は本堂の母屋正面の柱間の数が三十三あることに由来する。洛陽三十三所観音霊場第十七番札所。長寛二年(一一六四)に後自河上皇の勅願によって創建。豊臣秀吉が方広寺を創建した天正十四年(一五八六)には、その千手堂となったが、秀吉没後には方広寺とともに天台宗の妙法院の管理下に置かれた。楊枝のお加持、三十三間堂通しや矢は一月十五日に近い日曜に行う。現在の本堂(国宝)は、文永三年(一二六六)の再建で、京都における鎌倉時代和様の
代表的遺構。湛慶の手になる千手観音坐像(国宝)を中央に、南北約百二十メートルに及ぶ伽藍内に、等身大の木造千手観音立像(重要文化財)が立ち並ぶ光景は圧巻。二十八部衆立像、風神・雷神像(すべて国宝)が千手観音に従っている。他に桃山時代の建築で、南大門、
築地塀(太閤塀)(ともに重要文化財)がある。
養源院
(東山区三十三問堂廻り町)
本尊 阿弥陀如来
浄土真宗遣迎院派の寺院。文禄三年(一五九四)に淀殿(淀君)が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し、寺名は長政の法号にちなむ。開山は浅井一族の成伯法印。元和五年(一六一九)に焼亡したが、二年後に淀殿の妹の崇源院が、夫である徳川秀忠に願い伏見城の遺構を移して再建した。以来、将軍家の位牌所、皇室の祈願所となった。客殿(本堂・重要文化財)の有名な血天井は、伏見城落城の時に鳥居元忠らが自刃した廊下の床板を用い、天井に上げてその霊を弔ったもの。また鳥居元忠らの霊を慰めるために、俵屋宗達が描いたとされる杉戸絵の「唐獅子図」、「麟麟図」、「白象図」八面(いずれも重要文化財)は表現が奇抜で新鮮である。同じく宗達の客殿障壁画「松図」十二面(重要文化財)は、松と岩だけを描いた豪壮なもの。また、護摩堂、鐘楼堂、中門(いずれも重要文化財)などの建造物がある。庭園は
小堀遠州の作とされる。
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養源院
(東山区三十三問堂廻り町)
本尊 阿弥陀如来
浄土真宗遣迎院派の寺院。文禄三年(一五九四)に淀殿(淀君)が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し、寺名は長政の法号にちなむ。開山は浅井一族の成伯法印。元和五年(一六一九)に焼亡したが、二年後に淀殿の妹の崇源院が、夫である徳川秀忠に願い伏見城の遺構を移して再建した。以来、将軍家の位牌所、皇室の祈願所となった。客殿(本堂・重要文化財)の有名な血天井は、伏見城落城の時に鳥居元忠らが自刃した廊下の床板を用い、天井に上げてその霊を弔ったもの。また鳥居元忠らの霊を慰めるために、俵屋宗達が描いたとされる杉戸絵の「唐獅子図」、「麟麟図」、「白象図」八面(いずれも重要文化財)は表現が奇抜で新鮮である。同じく宗達の客殿障壁画「松図」十二面(重要文化財)は、松と岩だけを描いた豪壮なもの。また、護摩堂、鐘楼堂、中門(いずれも重要文化財)などの建造物がある。庭園は
小堀遠州の作とされる。
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客殿(本堂・重要文化財)の有名な血天井は、伏見城落城の時に鳥居元忠らが自刃した廊下の床板を用い、天井に上げてその霊を弔ったもの。
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客殿(本堂・重要文化財)の有名な血天井は、伏見城落城の時に鳥居元忠らが自刃した廊下の床板を用い、天井に上げてその霊を弔ったもの。
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法住寺
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法住寺
後白河法皇の院御所であった法住殿の名を残している寺院。本尊の不動明王像は「身代わり不動尊像」とも呼ばれ。木曽義仲に攻め入られたとき、法皇の身代わりとなり、難を救ったといわれています。
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1/20 14:18
後白河法皇の院御所であった法住殿の名を残している寺院。本尊の不動明王像は「身代わり不動尊像」とも呼ばれ。木曽義仲に攻め入られたとき、法皇の身代わりとなり、難を救ったといわれています。
十二月四日
義士会法要
法住寺(東山区三十三間堂廻り町)には、
赤穂浪士の大石内蔵助良雄が祈願をした身代り不動が
祀られており、島原の太夫道中や舞妓の点前による茶会、討入りそばの接待などが行われる。
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1/20 14:24
十二月四日
義士会法要
法住寺(東山区三十三間堂廻り町)には、
赤穂浪士の大石内蔵助良雄が祈願をした身代り不動が
祀られており、島原の太夫道中や舞妓の点前による茶会、討入りそばの接待などが行われる。
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太閤塀
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太閤塀
池田屋事件もうひとつの舞台地
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池田屋事件もうひとつの舞台地
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新熊野神社
(東山区今熊野椥ノ森町)
祭神 伊弉冉命
永暦元年(一一六〇)に後白河上皇が紀州の熊野権現を勧請して、法住寺殿の鎮守となった。社殿は平清盛の造営。足利義満は当社で初めて観阿弥・世阿弥親子の能を見たという。応仁・文明の乱で荒廃後、寛文六年(一六六六)に東福門院和子が社殿を再建した。熊野神社・熊野若王子神社とともに京都三熊野社の一つ。
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新熊野神社
(東山区今熊野椥ノ森町)
祭神 伊弉冉命
永暦元年(一一六〇)に後白河上皇が紀州の熊野権現を勧請して、法住寺殿の鎮守となった。社殿は平清盛の造営。足利義満は当社で初めて観阿弥・世阿弥親子の能を見たという。応仁・文明の乱で荒廃後、寛文六年(一六六六)に東福門院和子が社殿を再建した。熊野神社・熊野若王子神社とともに京都三熊野社の一つ。
今熊野猿楽
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今熊野猿楽
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足利義満は当社で初めて観阿弥・世阿弥親子の能を見たという。
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足利義満は当社で初めて観阿弥・世阿弥親子の能を見たという。
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こんなに広かった
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こんなに広かった
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熊野古道を歩いてきました♫
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熊野古道を歩いてきました♫
熊野から移植された後白河法皇お植えの神木といわれています。
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熊野から移植された後白河法皇お植えの神木といわれています。
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智積院へ
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智積院へ
智積院
(東山区東大路通七条下ル東瓦町)
真言宗智山派の総本山。山号は五百佛山。慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が肥州根来寺(和歌山県岩出市)の智積院玄伯僧正に根来寺再興の許可を与え、その正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(鶴松)を供養するために建てた祥雲禅寺であった。同十八年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏減亡後の元和元年(一六一五)にほ祥雲禅寺の建物・障壁画、豊国社の堂舎・梵鐘を受け継いだ。のちに末寺の学生僧の教学専門学寮として繁栄したが、数度の火災にあい、幕末には学寮が土佐藩屯所になるなどして講学も一時衰えた。書院前の庭園は国の名勝に指
定されており、延宝二年(一六七四)、祥雲禅寺時代の庭を修築したもので、中国の盧山をかたどったと伝えられる。また、「桜楓図」(国宝)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画。智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
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1/20 15:06
智積院
(東山区東大路通七条下ル東瓦町)
真言宗智山派の総本山。山号は五百佛山。慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が肥州根来寺(和歌山県岩出市)の智積院玄伯僧正に根来寺再興の許可を与え、その正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(鶴松)を供養するために建てた祥雲禅寺であった。同十八年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏減亡後の元和元年(一六一五)にほ祥雲禅寺の建物・障壁画、豊国社の堂舎・梵鐘を受け継いだ。のちに末寺の学生僧の教学専門学寮として繁栄したが、数度の火災にあい、幕末には学寮が土佐藩屯所になるなどして講学も一時衰えた。書院前の庭園は国の名勝に指
定されており、延宝二年(一六七四)、祥雲禅寺時代の庭を修築したもので、中国の盧山をかたどったと伝えられる。また、「桜楓図」(国宝)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画。智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
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1/20 14:59
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1/20 15:05
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1/20 15:00
「桜楓図」(国宝)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画。
工事で閉まっていました(^_^;)
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1/20 15:02
「桜楓図」(国宝)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画。
工事で閉まっていました(^_^;)
新日吉神宮
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1/20 15:07
新日吉神宮
(東山区妙法院前側町)
祭神 後白河天皇、日吉山王七神(相殿には素盞鳴尊、大年神)永暦元年(一一六〇)に後自河上皇が法住寺殿の鎮守として近江の日吉山王社より勧請したのに始まるとされる。酒造・医薬・縁結びの神として信仰を集めている。
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1/20 15:07
(東山区妙法院前側町)
祭神 後白河天皇、日吉山王七神(相殿には素盞鳴尊、大年神)永暦元年(一一六〇)に後自河上皇が法住寺殿の鎮守として近江の日吉山王社より勧請したのに始まるとされる。酒造・医薬・縁結びの神として信仰を集めている。
いつも閉まっているような(^_^;)
今日は開いていました♫
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1/20 15:08
いつも閉まっているような(^_^;)
今日は開いていました♫
妙法院
(東山区妙法院前側町)
本尊 普賢菩薩
山号は南叡山。永暦元年(一一六〇)に後白河上皇が新熊野神社を勧請する時に西塔本覚院の昌雲が別当となって開創。鎌倉時代初期に尊性法親王(後高倉院の皇子)が入寺して以来、三千院や青蓮院とともに天台宗三門跡の一つに数えられた。その後の兵火で焼失したが、豊臣秀吉が方広寺を建立する時に当寺を経堂とし、その寄進を受けて復興。庫裏(国宝)は桃山時代の造営で、大棟上の他、左側屋根上にも小棟を出して煙出しを設けるなど、変化に富んだ外観を持つ。近世の庫裏が居住機能を併せ持つのに対し、庫裏本来の調菜喫飯の場のみに限定されている。他に江戸時代初期の建造物で大書院、大玄関(ともに重要文化財)がある。本尊の普賢菩薩騎象像(重要文化財)をはじめ、桃山時代の障壁画(重要文化財)、ポルトガル領インド副王が豊臣秀吉宛に書いた「ポルトガル国印度副王信書」(国宝)など数多くの寺宝がある。
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1/20 15:10
妙法院
(東山区妙法院前側町)
本尊 普賢菩薩
山号は南叡山。永暦元年(一一六〇)に後白河上皇が新熊野神社を勧請する時に西塔本覚院の昌雲が別当となって開創。鎌倉時代初期に尊性法親王(後高倉院の皇子)が入寺して以来、三千院や青蓮院とともに天台宗三門跡の一つに数えられた。その後の兵火で焼失したが、豊臣秀吉が方広寺を建立する時に当寺を経堂とし、その寄進を受けて復興。庫裏(国宝)は桃山時代の造営で、大棟上の他、左側屋根上にも小棟を出して煙出しを設けるなど、変化に富んだ外観を持つ。近世の庫裏が居住機能を併せ持つのに対し、庫裏本来の調菜喫飯の場のみに限定されている。他に江戸時代初期の建造物で大書院、大玄関(ともに重要文化財)がある。本尊の普賢菩薩騎象像(重要文化財)をはじめ、桃山時代の障壁画(重要文化財)、ポルトガル領インド副王が豊臣秀吉宛に書いた「ポルトガル国印度副王信書」(国宝)など数多くの寺宝がある。
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1/20 15:11
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1/20 15:11
お水を頂いて帰ります。
2リットル☓2
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1/20 15:45
お水を頂いて帰ります。
2リットル☓2
下御霊神社
(中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)
祭神 早良親王以下の八所御霊
(相殿に霊元天皇)
貞観五年(八六三)に神泉苑で修せられた御霊会の祭神を、平安時代初期に下出雲路の地に祀ったのが最初とされる。現在地に鎮座したのは、天正十八年(一五九〇)のことで、豊臣秀吉の京都改造による。現在の本殿は、天明の大火による焼失後、寛政三年(一七九一)に仮皇居の内侍所(賢所)を下賜されたという由来を持つ建造物である。
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1/20 15:44
下御霊神社
(中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)
祭神 早良親王以下の八所御霊
(相殿に霊元天皇)
貞観五年(八六三)に神泉苑で修せられた御霊会の祭神を、平安時代初期に下出雲路の地に祀ったのが最初とされる。現在地に鎮座したのは、天正十八年(一五九〇)のことで、豊臣秀吉の京都改造による。現在の本殿は、天明の大火による焼失後、寛政三年(一七九一)に仮皇居の内侍所(賢所)を下賜されたという由来を持つ建造物である。
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