イヤー疲れた 古典的重登山靴での大倉-蛭ヶ岳日帰りピストン


- GPS
- 14:32
- 距離
- 24.4km
- 登り
- 2,249m
- 下り
- 2,236m
コースタイム
天候 | 常に富士山が見えた不思議な曇り空、下山時は小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大倉から見晴茶屋までは平坦な道。見晴茶屋から花立山荘までは急登と廊下の様に平らな道が交互に繰り返す。塔の岳を過ぎると人出が急に減る。風景も漸く深山の雰囲気がでてくる。丹沢山を過ぎると人出は更に減り、山並み以外は何も見えなくなる。表丹沢から入った時に丹沢が丹沢らしくなるのは丹沢山を過ぎてからだ。 コース状況は特に危険な箇所は無い。危険なのは疲労だ。 |
写真
感想
懐かしさに駆られて衝動的に買ってしまった古典的な重登山靴の履き馴らし途中で大震災の影響で山歩きは半年程中断。靴の履き馴らしも半年ほど中断。その後三度の登山で漸く酷い靴擦れもしなくなったので日帰りのロングを歩いて見ることとした。途中暗くなるのは予定の上で、ヘッデン歩行でも道迷いの心配の無いルートということで大倉‐蛭ヶ岳ピストンとした。
大倉尾根に取り付くと直ぐ、小生の車の横に原付バイクを乗り付けた御老体にあっという間に追い抜かれた。スニーカに10リットルくらいの軽荷・軽靴とはいえ、どう見ても小生よりは一回り以上は上に見える。原チャリで来ていることからして地元の方であろうが、丹沢界隈には仙人の様な御老体が徘徊している。
歩きだして直ぐ踵周辺に違和感を感じた、最近は靴擦れが無かったので気にしていなかったのだが観音茶屋で踵周りにテープをベタベタと張る。長丁場を前に気が重い。
丹沢山を10:30に通過出来れば14:00頃には丹沢山に戻れるだろうと踏んでいたが、丹沢山の通過は10:46になった、途中で靴擦れ治療の為のテーピング等の余計な作業をしているので許容範囲であろうと思ったが、甘かった。
兎に角靴が重いのだ。履いている靴は実測で片足1265gある。古典的な重登山靴としては標準的な重さであろう。昔はこんな靴を態々重登山靴とは言わなかった。単に登山靴と言った。しかし今時の靴の標準ではゲータ付きのエキスペディションブーツ並みの重さが有る。小生が歩いているのはヒマラヤ山塊ではない丹沢山塊、雪の無い季節ならばスニーカーでも十分な山である。こんな所でエキスペディションブーツを履いたら相当に違和感があるが、幸い見た目は単なる登山靴であるので不自然さはないが、やはり重い。
靴の重さはボディブローのようにジワジワと効いてくる。丹沢山を通過する頃までは何ということも無かったが、棚沢の頭を登り返す頃からボディブローのダメージがハッキリと出てきた。足を持ち上げるたびにハッキリとウエートを挙げている感じがする。丹沢山に戻ったのは15:00。何と1時間もの遅れが生じてしまった。
家に戻って娘に「いい歳して大リーグボール養成ギブスみたいな靴を履いているからだ。」としかられた。なかなか旨い事を云う。学生時代には、登山靴は重いのが当たり前だと、特段気にしたことも無かったのだが。40年の歳月は体力を奪うのはいたしかたない。
GPSのログを見てみると途中で休みを取り過ぎたのも遅れの一因であるが、理由を付けてグズグズ休みたくなる程疲れたのも事実だし、「どうせ最後はヘッデン歩行にななるんだから。」と半ば尻を捲ってしまった面もある。
だけどロング行程で休み過ぎは良くない。休み過ぎると動き出すのが億劫になる。又、休み過ぎの影響でヘッデン歩行の時間が長くなりすぎ更に足を遅くしてしまった。
道迷いの心配が全く無いということで大倉尾根を下山路に選んだのだが、大倉尾根は石を乱組した階段状の道が随所にある。下山途中で降りだした雨でぬれた石組みの下山道は変な所に足を着くと滑るので、ヘッデン歩行では足場を入念に確認しなければならず必要以上に時間を費やしてしまう。見晴茶屋まで戻った時に、やっと急坂は終わったと安堵した。
丹沢を歩いていると晴れていても富士は見られないことが多いが、雨が降り出してからも富士が水墨画の様に浮き出していた。どうせヘッデン歩行をするのであれば、霧の中の富士の移ろいをゆっくり眺めていても良かったかもしれない。
しかしヘッデン歩行は危険と背中合わせ、ロングを歩く時は、余分な時間を極力費やさないように心すべし。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する