父の思い出の山、乾徳山に父と登る


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 1,189m
- 下り
- 1,169m
コースタイム
天候 | 晴天 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
乾徳山登山口付近〜JR塩山 タクシー 3800円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道満尾根の登山口へは地図を頼りに集落を抜けます、途中道標が出るのでそこまで来ると間違えないと思います。 乾徳山からの下山は、昭文の地図にある下山道より登った道を下山する方が、早くて道もよいと思います。 塩山駅前のほうとう屋七福。ほうとう、鳥モツ煮、冷酒。美味しかったです。 http://www.kcnet.ne.jp/~nanafuku/ |
写真
感想
義父に秋のハイキングを誘った時,「けんとくざん」と父は懐かしむように言った。
何でも父が二十歳の誕生日に登った思い出の山らしい…。
初めて聞いた山であったが、早速、ネットで乾徳山を検索したところ、頂上直下は垂直の岩場。面白そうである。むしろ、大菩薩ハイキングで父を誘ったのはグレードを下げた少々失礼な誘い方だったかも、と思いつつ準備を始めた。
父とは中央本線の列車で合流し、車中は徐々に近づく山々を見ながらいろいろな話しを交わした。勝沼に近づいたころ、父は子供の頃の勝沼での疎開の思い出を懐かしそうに話してくれた。そして、戦争は残酷であると…。
塩山駅で下車した乗客はほとんどが登山姿だった。駅のバス停では20名程の登山客のみを乗せてバスは出発した。
乾徳山登山口のバス停では半数以上が降車し、皆が乾徳山登山口方面へ向う中、道満尾根へ向かったのは我々だけだった。
道満尾根は傾斜もそれほどではなく、笛吹川の越しの大菩薩山塊を眺めながら、落ち葉の積もった山道を、気持ち良く登ることが出来た。父のペースは速く、普段からスポーツクラブで運動しているだけあって元気である。とても70代とは思えない。
月見岩に到着すると、そこは樹林帯を抜けた草原だった。
眺望もよくポカポカ陽気に包まれていた。
50数年前、父は誕生日の早朝乾徳山を登り、帰路この草原で昼食と昼寝をしたそうである。そんな話しをしながら小休止の後、山頂へ歩を進めた。
岩壁も父は一歩一歩慎重に登り、二つ目の岩も巻くことなく登頂を果たした。頂上は富士山はきれいに見え、晴れ渡った風もない穏やかな陽気であった。
ここまで登った父を達者だなと思いながら、父の写真を撮ろうとしたところ…ん?父の顔色が悪い。更に頂上付近で昼食を摂っている時、父は気分が悪いと訴えた。登りの最後で、太腿が痛いと言っておりペースを落として登っていたのであるが、急に体調が悪化したようである。
体を冷やさないように服を羽織って長めの休憩を行った。その間、父の体調が更に悪化したときにどの様な手段を取るべきか悩んだ。
そして、帰りのバスの時間に間に合わせることは諦めゆっくり下山することとした。
下山は岩壁ルートを使わず、頂上の先の下山道を下山した。頂上直下は等高線も詰まっていたのでそれなりの勾配を想定していたが、岩が多く予想以上に下山道は悪かった。歩きやすそうなコースを探しながら父をリードし下った。しかし父の歩みも覚束ない状況となりフラフラとしている。高度計と地図を繰り返し確認し、後ろの父を全神経で感じ取りながらゆっくりゆっくりと下った。樹林帯の薄暗い斜面の道は、長い長い道のりに感じた。そして、その間ずっとこの山行を企画した自分の計画の甘さを悔いた。
国師ヶ原の草地に着き休憩することとした。驚いたことに父の顔色が普段に戻っている。食欲の無かった山頂とは異なり、父がりんごを食べたいと言ったので、りんごの皮を剥き二人で食べた。甘酸っぱいりんごを噛みしめながら、それまで不安で押しつぶされそうになった気持ちがスーッと消えて行った。りんごがこの上なく美味しく感じられた。
りんごを食べ一息ついたところで、「じゃ、下りようか」と父から切り出された。
いつもの元気な父に戻った様子である。
そして、それからの父の下山は早かった。道の状況も国師ヶ原までと異なり良くなったのではあるが、それ以上に足取りがしっかりしていた。
途中で日が暮れ、ヘッドライトで足元を灯しながらアスファルトの道まで下った。
塩山の駅前のほうとう屋で父は、「昔は気軽に登れたのに…」と少々残念そうであったが、久々の山登りは楽しかった様である。
今度は孫と一緒に高尾山に登ることを約束した。
義父との初めての二人旅だったが、大変良い旅行になったと思う。かなりハラハラもしたが…。
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