横浜測量史跡歩き


- GPS
- 04:04
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 211m
- 下り
- 185m
コースタイム
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 4:05
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:元町・中華街駅(みなとみらい線) |
コース状況/ 危険箇所等 |
今回の横浜測量史跡歩きは 2008年に開催された「地理空間情報フォーラム2008 横浜・測量史跡巡りウオーキング 」 http://www.jsurvey.jp/geoforum2008walking.pdf 7-1 横浜地図測量史跡巡り(距離約 13.0km) http://www5a.biglobe.ne.jp/kaempfer/mapsuv200/meguri/7-1chizusanpo2.pdf を参考にさせていただきました。 ◯トイレ みなとみらい駅、野毛山公園、妙香寺、元町・中華街駅 ◯コース状況 街中の路地迷いました。 私の場合はコンパスを持ってくればよかったと思いました。 車、自転車注意が必要です。 |
写真
1874(明治7)年12月9日に、100年に一度起こる太陽、金星、地球が一直線にならぶ天文現象があり、フランス、アメリカ、メキシコの観測隊が日本で観測を行ったそうです。
几号水準点のことを今日初めて知りました。
1880(明治13)年に来日、土地測量の重要性と国立天文台の設立を意見されたそうです。
その後中国香港などで水道工事を成功させ、1883(明治16)年再来日して、近代的水道計画を立案されたそうです。
1877(明治10)年までに旧外国人居留地では近代的な下水道が整備されたそうです。桜道の下水管は今でも当時のものが使われているそうです。
君が代は、薩摩琵琶歌『蓬莱山』から選ばれた歌詞に、イギリス歩兵隊軍楽隊長だったジョン・ウイリアムス・フェルトン(John William Fenton)(1831-1890)によって曲がつけられました。しかし、メロディーが日本語になじまないため、日本人に受け入れられなかったそうです。その後現在のメロディーに変更されたそうです。
最初のバージョンの「君が代」が1870(明治3)年東京越中島で、明治天皇に対して薩摩藩軍楽隊によって演奏されました。
妙香寺に薩摩藩軍楽隊は寄宿していたそうです。
1892(明治5)年、アメリカ人のウイリアム・コープランド(1834-1902)(William Copeland)がここに醸造所を作りました。
後にキリンビールの工場になったそうです。
感想
今日はパシフィコ横浜で開催されている図書館総合展のフォーラムに参加させていただいた。
7月の西日本豪雨で水害に遭われた機関様が、再開に向けてどのようなことをされていらっしゃるのか、実例を伺った。
一番こわいのはカビ。
建物内の土砂を取り除く作業、建物の消毒、被災した本の仕分け、残せる資料の清掃などを、ひとつひとつ人力でこなされていらっしゃっるとのお話だった。
猛暑の中想像を絶する作業をされていらしたとのこと、頭が下がる思いがした。
フォーラムに参加させていただいた感想
〇水害はカビとの戦いだと思った。
〇書架、建物のクリーニングと資料のクリーニングは同時進行が必要。
〇救える資料と救えない資料の仕分けを迅速にする。
〇建物のクリーニングに必要な高圧洗浄や廃棄資料の搬出に必要な重機の手配をどうするか考えておく。
午前でフォーラムが終わったので、午後からは横浜測量史跡歩きをした。
コースは 、地理空間情報フォーラム2008実行委員会様主催で、2008年6月19日開催された「横浜・測量史跡巡りウォーキング」の地図を参考にさせていただいた。
几号(きごう)水準点を初めて知った。
「不」に似た記号で、 鳥居、石垣、欄干などの後の世まで残りそうな建造物につけられたそうだ。今まで鳥居の下の方を気にしたことがなかった。奥多摩町、青梅市、日の出町、檜原村のお山を訪れた際、几号水準点があるか確認してみようと思った。
国歌「君が代」も現行のものではないバージョンがあったことを知り、衝撃を受けた。
私のレコをお読みいただきありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
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