島津義弘(戦国武将)の退却道を訪れる


- GPS
- --:--
- 距離
- 26.2km
- 登り
- 711m
- 下り
- 831m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
全コース舗装林道。ただし、道狭くて対向車が現れたらバンザイしてね。 |
その他周辺情報 | 河内の風穴が有名。 |
写真
感想
物語は話が長いんで、簡単にまとめました。
時は慶長5年(1600年)9月15日、そう関ヶ原の合戦の日なんです。
西軍の指揮者石田三成は「何で島津義弘が西軍側にいるんだろう?」と理解出来てなかったらしい。
(総大将は毛利輝元で、関ヶ原には出陣せずに大阪にいたとは)
と言うのも、合戦前までは徳川側だったからね。
合戦は西軍が負けて伊吹山の方へ逃げて行ったが、この島津義弘だけは徳川家康本陣に向かって退却を開始した(島津の敵中突破)。
家康クンはビックリ仰天したらしい。
島津追撃をした井伊直政は、このとき鉄砲で狙撃され重傷を負った。
牧田川(大垣市上石津町)を通って、近江の五僧峠〜保月〜杉〜高宮〜
日野町〜水口〜奈良〜大阪堺港→船で薩摩に逃げ帰ったのだ。
退却時約1000の兵は、薩摩に無事戻れたのは約80名だったらしい。
甲賀忍者が道案内したと言う説もある。
遠い昔の出来事なんで、俗説もあれば後日の作り話も含まれているかも知れません。と、歴史本にも注釈が書かれてます。
今回、五僧峠(島津越え)から彦根市高宮町まで、島津義弘の退却道を訪れてみました。
脇ヶ畑小学校:多賀町と合併する前は、脇ヶ畑村立の小学校。
明治の頃、寅の儀曽祖父が校長を務めていたことも。
元彦根藩の武士で、井伊直政と行動を伴にしていた。
島津製作所:播磨の国で検地をしていた島津義弘は、大変協力してくれた現地人の井上茂一にお礼として島津姓と家紋(○十字)を授けた。
島津製作所の創始者と薩摩の島津家とは血縁はないんです。
戦国の時代から幕末維新まで、薩摩の殿様に「バカ殿様はなし!」と言われてますね。
最後まで読んで頂いき感謝です。
文章を書くって、頭の活性化にええね。でも、疲れたです。
全コース、移動はマイカーにて。
コメント
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とらさん、こんにちは(*^▽^*)
距離見てびっくりしたがや!
ドーピングでもしたんか・・・(@_@)
レコ見て、な〜んや車か~(^_^;)
戦国武将って歴史で習ったのに、ほとんど覚えてない(;一_一)
でもドラマで見ると頭に入って来るって不思議!
とらさんの解説もバッチリやわ〜(^_-)-☆
mitti
馬持ってないけん、車だがや〜
mittiさん、最後まで見れくれた訳だ。うれしいです。
島津義弘の敵中突破や撤退方法は、のちに「島津の退き口(ときぐち)」とか「捨て奸(すてがまり)」って言い伝えられてますよ。
これも説明しようかと思ったけど、長ーい感想文になって、読む人もイヤだ!
ってるんで、 詳しいことはグーグル検索してな。
島津義弘の奮戦ぶりの解説は、よかと? 嬉しいね、ありがとう。
とらさん、こんにちは。
さすが歴史本好きのとらさんですね。
僕も、まだ山やってない頃にこの辺りの林道は走り回りました。毎週のように彦根へ抜けていましたね。懐かしいです。
今は、鞍掛峠も、時山の林道も通行止めなのでいきにくいですわ。
いい渓谷沿いの道ですよね。
シゲさんも懐かしい林道なんだ。
コメントありがとうございます。
寅が20代のころはさ、未舗装の岩露出で落石だらけ道でしたよ。
ウッカリすると床にヒットするんで、大変だった。
まぁ中古の車だったので「ゴツーン」ときても、平気なもんだったけどね。
しかし、鞍掛峠の通行止めは長いね。
シゲさん、国交省に顔が効くってウワサやけど
だったら「コ、コラー!寅さんが”遅ーい!”って怒り狂っとるぞー!」
って伝えてくれない?
通行止めは不便この上ないね。
どんな噂ですか〜(^^)
鞍掛はこの夏に開通するんじゃないですか?
鈴鹿スカイラインも3年くらいかかったもんね〜(^^)
あっはは〜、ごめん。
シゲさんは顔が広いけん、国交省に知り合いがいるんじゃないかと思っただけですよ
しかし、早く開通してほしいですね。
この夏か〜
寅さんこんにちは♪
榑ヶ畑辺りの廃村レコを思い出しました
400年ほど前の歴史を振りかえる山行お疲れさまです
SHIGA1トレイルのお姉さん
チェアーで随分くつろいでると思い検索したら
440kmを8日間かけて走るトレランの大会で、、
6日目なので300kmくらいは走って休憩中?
どえりゃーメンバーと遭遇しましたね
そうなんよタカちゃん。
大津をスタートして、県境に沿って湖西の赤坂山や金糞岳も登って、伊吹山から天神経由でこの五僧峠に着いて、只今休憩中だって。ビックリだよね
雨の日は?って聞いたら「カッパ着るんよ ウフフ」だって
二度ビックリだがね。
SHIGA1トレイルメンバーって、まるで令和時代の島津義弘の軍勢だね。
よくわかりました(^○^)
おはよーさんです toraさん。
とても興味深い土地柄です。
島津製作所と島津藩の血縁はないのか〜。気になってました。
島津製作所、気になっていたことが解決出来ましたね
ヤンヤンさん、コメありがとうございます。
滋賀県北部地域は、歴史の舞台に事欠きませんよ。
続きで、義弘は近江の国から大和の国へ退却してます。
奈良県にある”三輪山平等寺”ってお寺に逃げ込んで、僧侶に助けてもらった記録が残っているそうですよ。
三輪山って山号が付いているから、素麺で有名な桜井市にあったお寺かもね。
ヤンヤンさん、今も平等寺ってお寺は存在するのか、おヒマな時に見に行ってくれる?
さすが寅さん、渋いねえ!
歴史を地で行くとは!
寅の儀曽祖父が校長を務めていたこともさすがです。
空き家屋が凄まじいいお姿
時代の流れの中で翻弄されるのは今も昔も同じですね!
いい勉強になりました。
アッハハ〜渋いレコですね
歴史好きって分かるよね、アッハハ〜のアッハハ〜だね。
多賀町、彦根市には廃村や無住村があって、特に多賀町は山深いので多いです。
戦後の生活環境の変化で離村する人が後を絶たず、ついに住民登録から名前が消えると廃村と指定されるんですよ。
廃屋でも朽ち果て荒れ放題の家、倒壊して消滅した家、今も手入れされ住めそうな家など、集落によって色々です。
廃村間近の集落もあって、令和の時代にも耐えられるのか心配だね。
群馬県には、このような集落ってあるんかね・・・。
寅さん こんにちは。
寅さんしか書けない滋賀県の戦国史にどえりゃー引き込まれたぎゃー。
1600年の関ケ原の戦いにタイムスリップ。
面白かったです、此のシリーズ続けてください。
80,81より
歴史好き丸出しレコだね。
80さん、81さん、関ヶ原の合戦にようこそ。
レコ読んで頂き感謝です。嬉しいですね。
関ヶ原の合戦は天下分け目の合戦と言われるけど、実は”しこり”を残す合戦でもあったんですよ。
こんな意味ありげな事を書くと、益々引き込まれそうだって?
島津義弘の名前を覚えてもらっただけでも嬉しいね。
近江の歴史探訪、折りをみてアップします。お楽しみに!
コメントありがとうございます。
寅さんこんにちは!
戦国史の講義ありがとうございます、勉強になりました。
島津が逃げ延びたルートが保月や杉だったんですね〜
このあいだ男鬼へ行った時、時間があれば杉集落近くのご神木に会って、多賀大社で御朱印を頂こうと思っていたんですが、遅くなって断念しました。また次の機会に行ってみます。
teppanさん、受講していただきありがとうございます
五僧峠はゲートがあって、時山へ行かれんのが悔しいね。
なので、五僧峠(島津越え)から彦根市高宮町までの現地研修となったワケなんです。お役に立ててよかったです。うれしいね。
近江鈴鹿のシリーズの一環でご神木と杉、保月も訪れてみて下さい。
多賀大社で御朱印もええね。
(多賀町役場の駐車場に駐車したら無料だよ
toraさんこんにちは。
歴史好きなtoraさんらしいレコいいですね。歳月を経て令和の時代を生きているtoraさんが巡るなんて当時の方は想像していなかったでしょう。生き抜くのに必死な時代…どんな思いで退却道を歩いたのでしょうね。toraさんのレコをみると歴史がとても身近なものに感じます(^-^)
座敷のワンチャンにゾクッと…🤭
sakoさん、どこに住んでいても、その地には歴史があるよね。
改めてじっくり散策すると何かが見えて来るかもよ。
歴史秘話の続きを紹介です。
島津義弘は「多勢に無勢の戦いでは勝てん。切腹して自害する」って言ったが、島津豊久(甥)は「自害されたら薩摩の島津家は滅亡する。私が徳川の追撃を引き止めてみせます。その間に逃げて下され!」
豊久は少数の兵を率いて戦ったが、最後は全員討死(うちじに)した。
このような戦法を「捨て奸(すてがまり)」と言うんですよ。
壮絶ですね。
座敷のワンちゃん、今も子供たちが帰って来るのを待っているんだね。
sakoさん、コメントありがとうございます。
とらさん、こんにちは〜。
とらさんは、本当に地元を愛してらっしゃるんだな〜
って感じました。素敵です
とらさんの解説読んで戦国時代をちょっとだけイメージできました。
先祖に纏わる歴史も辿って、とらさんカッコイイですよ〜ヽ(^o^)丿
なんと歩くのが早すぎる〜(◎_◎;)
と思ったら最後に車って( *´艸`)
良かった…
フルお姉さんも全部読んでくれたんだね。うれしいです。
こっちはね、古墳や遺跡や城跡でイッパイなんよ。
でも、興味をそそるのは戦国時代だね。
姉川の合戦、賤ヶ岳の合戦、佐々木氏と京極氏の戦い、安土城の築城、明智光秀の城跡、石田三成の佐和山城、山城は数え切れんです。
今回はさ、マイカーで行きましたよ。
車高が高いから、床にゴツンはまずないね。
一度乗せてって? いいですよ
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