ダイトレ(滝畑〜槇尾山(施福寺)〜兜卒岳〜九鬼奥谷)
- GPS
- 05:19
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 456m
- 下り
- 605m
コースタイム
【ダイトレを歩く人のためのサイトを立ち上げました!】
●ダイトレ Solo Walking Guide http://kupi-fw.com/wp/daitore/
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9:04 河内長野駅
9:40 滝畑ダムバス停
9:49 新関屋橋
10:39 ボテ峠
11:06 番屋峠
11:21 追分
11:49 虚空堂(女人禁制)
11:58 施福寺(昼食)12:52
12:59 三丁地蔵石分岐
13:20 兜卒岳
14:26 九鬼
15:00 槇尾山口バス停
天候 | 曇り時々晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2012年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
【帰】槇尾山口バス停〜和泉中央駅(南海バス) |
コース状況/ 危険箇所等 |
滝畑から槇尾山(施福寺)までのダイトレ道はしっかりと整備されているため、迷うことは無いと思います。 施福寺から九鬼までの道も分岐地点では何らかの道標があるので大丈夫だと思いますが、あまり人が歩いていないようで、兜卒岳山頂の辺りでは枯葉が道を隠しており注意が必要です。そこからの下りは、結構急で滑りやすく、途中何箇所かトラロープが張っていました。 九鬼奥谷は倒木によって道が塞がれていたり、道が怪しくなるところもいくつかありましたが、「火の用心」と書かれた黄色い防火杭が数十メートルおきに立てられているので、それを目安に下っていけば問題無いと思います。 |
写真
感想
【プロローグ】
昨年の秋口から始めたダイトレ縦走とダイトレプレートの撮影もいよいよ最後のワンプレート「槇尾山」を残すのみとなった。
当初はダラダラと、事前調査や計画無しに「とりあえず歩いていけばなんとかなるだろう」的な山行きを行なっていたので、肝心のダイトレプレートを見逃したり、時間が無くて探すのをあきらめたりしたことがあった。後半になるとペースも掴め、事前に下調べをしっかりして臨んでいたので、計画通りに歩き進めることができたのだが、「果たしてどちらの山歩きが楽しかったのか?」と問われれば、正直、答えに窮してしまう。効率的に歩けた後半の山歩きであったが自分の立てた計画に振り回されてしまった感もある。
また、後半になるにつれ、ダイトレに対して一種の寂寥感を感じていった。
(槇尾山で終わってしまうのか・・・)
という漠然とした寂しさである。
とにかく本日で目標であったダイトレ全走破とプレートの撮影は達成する。
時間があれば、資料として一括してまとめ、ヤマレコにアップしようと思う。
【滝畑ダムバス停〜槇尾山(施福寺)】
公共の交通機関を使って朝一番に滝畑ダムへ向かうには、河内長野駅9:04発の南海バスしかない。それより早いバスは無いので、必然的にこの始発バスは登山者と関西サイクルスポーツセンターに向かう客で満員となり、車中では身動きの取れない状態となって、のろのろと目的地に向かって出発する。幸い、俺は、8時頃河内長野駅に着いていたので、バスを待つ行列の先頭辺りにおり、バスの中では座ることができた。バスの中は学生が多い。山に登るような格好では無いので、どこにいくのだろう、と思っていたら、ほとんどの学生は関西サイクルスポーツセンターで吐き出されるように降りていった。
9時40分頃、終着の滝畑ダムバス停に着いた。槇尾山方面に向かうグループは、ここから直ぐ横の水色の吊り橋を渡って行く。俺も槇尾山に登るのだがダイトレルートを忠実に歩こうと思っていたので、この橋は渡らず、川沿いの道を新関屋橋に向かって歩く。
新関屋橋を渡り、民家の中の細い道を歩いて行くと、先程の水色の吊り橋に出合う。ここから左に折れ、槇尾山と書かれた道標やダイトレの石柱を見やりながら、民家のすぐ横にある小さな階段を上っていくと、そこが槇尾山への登山口になる。
登山口を登って直ぐのところに分岐が現れるが、左「作業道」、右「施福寺」と書かれた道標があるので迷うことはない。通常は右「施福寺」に向うが、何か急に作業をしたくなった場合は、迷わず左を行くべし。
小さな橋をいくつか渡って少し行くと、まるまるとした大木が丸太階段の上にゴロリと横たわっているところに出くわす。下から見るとまるで巨大な糞のようだ。その糞に触れぬよう、鼻をつまみながら、そろりそろりと注意して歩く。その後も、倒木が道の中央に向かって落ちていたり、そのまま道を塞いでいるようなところがいくつかあった。
「ボテ峠」に到着。名前を聞いただけで優しい気持ちになる。
さて、ここから施福寺までの道中が、実は俺にとっての至福のルートであった。それはまさに「It is a very wonderful OJIZOUSAN road!」なのである。最初のお地蔵さんは小さな橋を渡ってすぐ左側に、まるで俺を迎えるがごとくちょこんと立っている。そのお地蔵さんの光背には「十四丁」と彫られている。
はるか遠い昔、「情報」というものがほとんど無かった時代の旅人は、このお地蔵さんを見て、何を感じたのだろう。今の俺には、地図があり、GPSがあり、インターネットがある。そんな俺でも、このお地蔵さんの光背に彫られた「十四丁」という文字は、何物にも代えがたい、本当に安心できる「情報」であった。お地蔵さんさえ頼っていけば、間違いなく施福寺まで着けるのだから。
「十二丁」「十丁」とお地蔵さんを越えると番屋峠に着くが、右手は何故か頑丈な鉄条網と「立入禁止」と書かれた立て札。いったい何があるのであろうか。金塊でも埋まっているのだろうか、しかし、仮に埋まっていたとしても、この厳重な防備では、おいそれと持ち出すことはできない。とても気になる景観であった。
少し下ると広い林道と交差する「追分」に出る。左「桜ノ辻(岩屋谷)20分」とペンキで書かれた道標が、お地蔵さんの後ろに隠されたように置かれているのを発見。但し、その方向の道の入り口には大きな文字で「危険」と書かれてあった。
追分の橋を渡ろうとすると、右の林道から犬のようなものがひょこひょこと歩いてくるのが見える。(こんな山の中まで犬の散歩か・・・)と思ったのだが、飼い主が見当たらない。よく見るとそれは正真正銘の山「タヌキ」であった。タヌキは川を跨いで山の斜面を一生懸命掘り起こしている。何か旨いものでも隠してあるのだろうか。
桧原越の分岐地点には「二丁」のお地蔵さんの横に良く分からない石碑が2体並んである。その直ぐ先は「虚空堂」だ。「女人きんせい」と書かれた石柱がある。急な階段を登ると茅葺屋根の寂れたお堂がポツンと建っていた。
右手の谷筋に小屋のようなものが見えると施福寺はすぐそこである。槇尾山駐車場からの登り道と出合うところにダイトレの案内板があり、その案内板の反対側にダイトレプレート「槇尾山」がある。最後の一枚「槇尾山」のプレートをファインダー越しに覗き、右手の人さし指で軽くシャッターを切る。「カシャッ」という乾いた音が登山道に響いた。
【槇尾山(施福寺)〜九鬼】
施福寺の境内のベンチで飯を食う。深めのシェラカップにカップヌードルリフィルを落とし湯をかけて蓋をする。保冷バックに入れてあった缶ビールを取り出し、片手でプルトップを捻る。冷えたビールを流し込んで左手にある岩湧山を眺める。丁度2週間前、俺はあの山の頂上で今と同じようにして飯を食った。今日もあの山の頂上ではたくさんの人達が飯を食っているだろう。レンズを望遠に交換し岩湧山の頂上を狙う。
さて、下山ルートはどうしよう。参道を通って槇尾山駐車場まで下り、そこからオレンジバスに乗るのが一般的だが、ちょっと物足りない。
地図を見ると九鬼というところまで登山道があり、その登山道は途中から林道になっているので、その辺りまでいけば、あまり迷わずに槇尾山口バス停まで行けそうである。
(後で調べて見たらこの道は裏参道とのことであった)
ただ、その下山口が良く分からず、寺の裏のほうに回ると、小さな階段があったのでそこを登ったのだが、墓があるだけで道のようなものは見当たらない。
再び、先ほどの飯を食った広場に戻ると、便所の前を通ってその奥のほうに広めの道が伸びている。ここに間違い無い、と思って歩き始めようとしたら、いきなり「通行止め」と書かれた標識に出くわした。ウーム、大丈夫なのだろうか、まあ、とにかく行ってみよう、そう思ってずんずん歩いていく。結果的にはこの道が正しい道であった。「通行止め」になっているような危険な箇所は無く、九鬼まで行くことができた。
トイレの前の道を少しいくと、ここでもやはりお地蔵さんが建てられている。あるお地蔵さんは頭が取れ、白ペンキで顔が描かれた小石が変わりに乗っていた。九鬼町と善正町との分岐地点にもお地蔵さんがおり、男性が水を入れたり、榊を交換したりのお世話をしておられた。たくさんのお地蔵さんは、こうやって皆に守られているのだ。
この分岐から山道となる。枯葉が積もっているが一本道なので迷うことは無い。お地蔵さんのお世話をされていた先ほどの男性も同じ道を歩いているので、なんとなくその方の後を付いていくような形になる。
ずいずい行くと、切り返すように鋭角に曲がった分岐が現れる。黄色い道標が立っており、九鬼町へはその曲がったほうに行くよう示されてある。俺の前を歩いていた男性は、そこを曲がらず、その先の少し開けたところでなにやら伐採をされている。無言のままその方とはそこで別れ、一人で九鬼町と書かれたほうに向った。
その分岐からすぐのところに「兜卒岳」と書かれたピークがある。展望は全く無い。「兜卒岳」と書かれたものが無ければ、知らずに通り過ぎてしまうだろう。ちなみに「兜卒岳」は「トンツ岳」と読む(らしい)。
ここから急な下りとなる。枯葉が道を塞ぎ、ザレているところも多いので、注意深く下りていく。
途中で一組の夫婦に出会った。まさか人に会うとは思ってもみなかったので、ちょっとびっくりする。向こうもこちらを見て驚いているようだ。どちらに向われるのか訊いてみると、焼岳から施福寺に向かう途中とのことであった。お互い左肩にデジ一をぶら下げていたので、何を撮っているのかと尋ねられた。あまり大したものを撮っていない俺は「適当にパシャパシャと撮っています」などと曖昧な返答をしたのだが、向こうの方は道中に○○草があったかとか、××草はどうだったか、などと聞いてこられるのである。野草の名前に疎い俺は、明快に答えられず、申し訳なく思った。少しづつでも良いので、花の名前も覚えていこうと思う。
九鬼奥谷の谷筋に入ると、倒木が道を塞ぐ荒れた道となる。迷いそうになった時は、黄色い防火柱を目安に歩いていく。荒れた道が終わるところ辺りに「左はたみち」「右まきおさん」と書かれた石柱がある。「はたみち」とは何処なのだろうか、地図を見てもそれらしい道は描かれていなかった。
ここから幅の広い林道になる。後はひたすらこの道を歩くだけである。九鬼の集落に出て、槇尾山口バス停まで、よく晴れた農道をゆっくりと歩く。
【エピローグ】
帰りのバスの中で、心地よい疲労感に包まれながら、今までのダイトレルートを思い起こす。気になるのは別れ道のその先だ。ルート上には大小合わせてたくさんの分かれ道が存在した。ルートから外れる道のその先は果たしてどうなっているのだろうか?
本日で完走したわけであるが、俺の中のダイトレはこれで終わりではない。いやむしろ始まりかもしれないのだ。
多分、一生、付き合うことになるのだろうな
コメント
この記録に関連する登山ルート
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ダイトレ完走お疲れ様でした!
次は
「葛城28宿 経塚巡り」で
金剛葛城紀泉高原を駆け巡ってください
inoinoさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
カメ並みの歩きでしたが、なんとかダイトレを完歩することができました。
「葛城28宿 経塚巡り」ですか、そういえばダイトレ沿いにも、ポツポツと道標が現れ、「なんだろう」と内心気になっていたところです。
もしかしたら、はまってしまうかも・・・・
宜しくお願いします。
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