芦安鉱山探訪 / ドノコヤ峠を越えて、クマ越えて


- GPS
- 07:00
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 1,086m
- 下り
- 1,080m
コースタイム
08:40 登山口
10:25 ドノコヤ峠(標高1586m 標高差約526m)
(おにぎり休憩5分)
10:55 ドノコヤ沢
11:15 芦安鉱山着(標高約1260m)以上往路所要3時間00分
(鉱山探索・昼食・休憩 1時間15分)
12:30 芦安鉱山発
13:00 ドノコヤ沢離脱
13:30 ドノコヤ峠
(休憩5分)
15:00 登山口
15:30 駐車場所着 以上復路所要3時間00分
合計行動時間 7時間15分(歩行距離10.6km)
天候 | 天気/ 晴れ 気温/ 23℃(AM8)〜27℃(AM10〜PM3) 風 / 終日無風 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
「源交差点」で右折。約100m先の「芦安入口交差点」を左折。芦安小中学校脇を通過し、橋を渡ったら以後は御勅使川の右岸(山に向かって左側)をキープしながら標識に従って「桃の木温泉方面」へ向かう。 桃の木温泉から先は未舗装道だが駐車場所までは普通車で十分。国道20号線から約25km、一時間弱で到着。 長野方面からのアクセスなら中央道〜双葉JCT〜中部横断道白根ICが近い。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
[登山道] 道は一部分はっきりしている箇所もあるが、全行程においておおよそ不明瞭。 また明瞭な箇所も崩落しつつあり、状況はどんどん変わっていくだろう。 ドノコヤ峠までのうち、前半は小石ばかりの崩壊路で歩きにくい。後半は崖際のトラバース多いので慎重に。 ドノコヤ峠から先は前半は落ち葉の多い歩きやすい斜面(道は薄い)。後半の沢近くは再び小石だらけの滑りやすい道。 ドノコヤ沢は川原歩き。当然増水時には歩けない。 [最終コンビニ] 「芦安入口交差点」角のローソン。「源交差点」の手前約1kmの「柳西交差点」角にはセブンイレブンあり。 [日帰り入浴] 桃の木温泉 大人1000円。ちょっと高いが「日本秘湯を守る会」メンバーである旅館の秘湯を味わうことができる。 http://www.momonoki.net/ohuro.htm#one-day 古い話だが、アイドルの「河合奈保子さん」が奈落に落ちてケガをしたときに湯治したのがここ。骨折(くじき)には効くそうだ。 http://www.momonoki.net/history.htm 南アルプス市営の「ゆうかりの里 樹園」の湯が最高。 露天はないが、高温、中温、低温の三種類の湯があり、低温(約36度の源泉掛け流し)に入れば、気持ちよすぎて出られなくなること請け合い。 http://www.jyuen.info/contents/okunai.html [写真] 下の写真のうち主なものは地図上に撮影ポイントが落としてあります。 なお、写真は巾1024pxあります。各写真クリック(巾800px)よりも「スライドショーで見る」か「元サイズ」をクリックして頂いた方が大画像になります。 |
写真
感想
話は2年前の5月に遡ります。地元ローカル新聞に「南アルプス市芦安地区に勤める公務員や教職員らでつくる『芦安 山と出湯を愛する会』は29日、半世紀以上前に閉山した芦安鉱山の探索を行う。」という記事を見つけました。
http://www.minamialps-net.jp/news_main.php?news_num=706
鉱物マニアで山梨県内の鉱山はたいてい把握しているつもりだった私も「芦安鉱山」は初耳。
調べて見ればなるほど、この鉱山は名は「芦安」と付くが、その場所はドノコヤ峠を越えた早川町。すでに閉山して半世紀を過ぎ、崩壊しやすい地質の峠道は歩く人もなく、すっかり荒れ果てて人々の記憶からも地図からも消えてしまっていたのでした。
これはぜひ連れて行ってもらわねば、とさっそく連絡をとり同行の許可をいただきます。ところが、これを聞いたカミさんも息子も「自分達も行きたい!」と。
いや、いままでの鉱山と違ってここはかなり大変だぞ、というのも聞かず結局親子三人でおじゃましてしまいました。
当日は案の定、スローペースの二人はお荷物となり鉱山探査は慌ただしいものになってしまいました。今思えば申し訳ないことでした。
当時、まだ山に慣れない私は荒れた登山道や恐ろしげな急傾斜のトラバースにすっかり参ってしまい、鉱山探査は消化不良ながら二度とここには来ないだろうな、と痛感したことでした。
しかし多少山歩きに慣れ、足腰に自信がついてきたこの頃、いまなら一人でもあそこへ行けるじゃないか、と考えたのが今回の山行です。
車を走らせて芦安の集落を過ぎ、御勅使川を遡って前回車を停めた場所を目指します。前回はなかった「立ち入り禁止」の看板を見かけましたが一応無視。
しかし二度目に同じ看板が出た所でさすがに躊躇します。もうだいぶ上流に来たはずだから、ここに停めて歩いてもよかろう、と判断します。
これが好判断で、この先道路は崩落・消失しており、かつて停めた場所など面影しか残っていませんでした。
うっすらした記憶に従って川巾の狭いところを渡河。巨大砂防ダムの脇を進むとまた道が盛大に崩れています。仕方なく河原に降下して進行。その先も崩壊箇所を越えてやっと登山口となるハシゴにたどり着きました。
しかし!。当時しっかりしていたハシゴはすでにあらかた朽ち果て足をかけるのも危険そう。ハナから障害発生です。
キノコが生えてほだ木と化しているハシゴをなんとか登ると見覚えある道が現れました。
ここからの道は比較的明瞭だったと記憶していたのですが、ここも荒れ果てていました。非常にもろい岩質の地盤はぐずぐずと崩れやすく、道は一面の小石だらけ。従って「踏み跡」というものができにくく全体が砂山を登っていくような印象です。
それでもところどころの木の幹に赤ペンキが見え勇気百倍。自分も帰路に備えてピンクテープを巻きながら進みました。
尾根のような小ピークを巻いた後、道は一転して急な崖際のトラバースの連続。道巾は足二足分ちょうどほどしかありません。ロープがあるので安心ですが、ロープと踏み跡の高さがずれていたり・・。おそらく道が崩壊して下に付け変わったのでしょう。
狭い道を緊張して足元だけ見ながら進んで行くと前方で「ドスンドカン」という重量ある獣が上から道を横切って走る音がしました。「おっ、鹿か?」と斜面下の樹林を見透かすと、なんと熊でした。ヤバ!!です。こんなところで逃げようがありません。
道に座り込み、熊に気づかれないように(て、すでに気づかれているのか?)、じっと静止。熊は逃げる風もなく、その辺を歩いたり座ったりしています。
しかししばらくするとさらに谷の下に向かって下りていきました。ふう!。危なかった。
ここは足早に現場を離れ、一路峠を目指します。
この先すぐに尾根の鞍部に出ますが、覗いてみると早川側は切り立った斜面で降りる場所がない。しばらく尾根伝いに進んで登った先のピークが尾根越えの「ドノコヤ峠」でした。
峠の先は緩斜面で落ち葉がいっぱい。道は不明瞭ですが、どこでも降りられる斜面なのでどんどん下を目指します。やがて沢音が大きく聞こえ、前方に沢が見えてくると地面は一挙に砂利斜面に変わります。
適当な場所を見つけて、左に出現した沢の最上部に降下。ここからは沢歩きです。すぐにドノコヤ沢の本流に合流。合流点には二本の立ち枯れ樹木が立っており、幹に赤ペンキがあるのが目印のようでした。
ドノコヤ沢の河原はとても広く比較的歩きやすい。何度か流れを渡河して行くとあっという間に「芦安鉱山跡地」と赤ペンキで書かれた大岩まで到着しました。
さっそく、前回じっくりと探査できなかった鉱山全域を探査開始。
未だにピンと張られた鋼索が長い時間の経過を忘れさせます。
そして地面にはさまざまな遺物が散乱。うち捨てられた日用品などを見ると当時の生活が目の前に現れたような錯覚を感じます。
「廃屋」「山神祠」「火薬庫」「井戸跡」・・・。
まだ誰もこの遺構を総合的に調査・記録した人はいないはずです。誰かがそれをすべきなのですが。
それとも手をこまねいて、これらが土に返るのを見届けるしかないのでしょうか。
ここに長居をしているとなんだか変な気分になってきました。時間感覚がなくなるというか、亡霊のようなものに取り囲まれているような恐怖感さえも。
一時間ちょっと探査し、頭の上で「ゴロゴロ」という不吉な音がしたのを潮として引き上げることにしました。夕立は勘弁です。
自分でつけた、ドノコヤ沢から山に上がる目印テープを発見したときはなんだかとてもほっとしました。
砂地に足を取られながら斜面を登り、ドノコヤ峠を越え、熊がいないかドキドキしながらの帰路でした。
あれだけピンクテープを巻いたのに、御勅使川に降りるまでに数回の道迷い。本当に危ないルートです。
幸い無事に帰着しましたが、できれば単独行はやめた方が無難。テープは必携です。
「誰かが記録すべき」と痛感しましたが、では誰がどのように・・?
そんなことを考えながら帰着したことでした。
最後にドノコヤ峠にまつわる「奈良田伝説」を。
『第四十六代孝謙天皇は女帝であった。生来健康にすぐれず、神仏に快癒を祈願されていた。
ある時、夢に老翁が現れて「甲斐の国巨摩郡早川庄湯島郷に効験あらたかな霊湯がある」との神託があった。
天平宝字二年(758年)5月、吉野を出発された女帝主従一行は御勅使川に沿ってさかのぼり、ドノコヤ峠を越え、奈良田にむかわれた。
奈良田に滞在された女帝は温泉に入浴されること二旬にして病は全快されたが、この地をこよなく愛され、八年間ここに御遷居された。』
http://kanto.pokanavi.jp/content.php?eid=00127
コメント
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仕事中にチームメイトからメール。
たいへん!pasocomさんが熊に出会ったらしい〜〜!!
今職場です(笑)。
拝見したら熊どころかこれは冒険です。インディージョーンズもかくや。
生活というか不十分な環境での労働の跡にはなんともいえない寂寥感
がありますね。
実際に熊を激写されている(貴重!)にもかかわらず、それも今回
山行のスリルとサスペンスのワンオブゼムに過ぎないなんて・・・。
もうほんとにあまり無茶しないようにして下さいよ〜。
「インディージョーンズ」ですか。
考えませんでしたが、言われてれば確かに・・・・。
彼は不確かな古文書などを手がかりに「奥地」にでかけ、冒険を尽くしてお宝をゲットするのですね。
今回、さほどのお宝はなかったですが、敵役(クマ)も出てきて、思えばそこそこの「冒険」だっかかも・・。
ただ探訪した鉱山が、それこそ昔の人の息づかいさえ聞こえてきそうなリアリティで、だんだん圧迫感が迫ってきたのです。
雷鳴を言い訳にしましたが、実のところもう一刻も早くここを立ち去りたいような衝動さえ感じたのでした。
そんな山行だったので、クマの一件は「ワンオブゼム」に。
でも考えてみれば、クマも衝撃の出合いだったわけで下手すれば新聞沙汰になるような話でした。
ヤマレコに「熊に襲われました」なんて書きたくないし、もうあまり無茶しないように自重しないといけませんね。
ご心配いただき、本当に申し訳ありませんでした。
大きなパイライトですね。もとは鉄鉱石の鉱山?銅ですか?山梨県の廃坑、多いんでしょうね。わくわくしますね。
コメントありがとうございます。
芦安鉱山は主に黄鉄鉱(鉄の鉱石)と黄銅鉱(銅鉱石)を産出していたようです。
そのため、黄鉄鉱を「芦安鉱山らしい」とコメントしたのでした。
http://www.minamialps-net.jp/data/article/699.html
ちなみに「ドノコヤ峠」の「ドノコヤ」とは「銅の小屋」だろうという説が有力です。
芦安側に「金山沢」という地名が残っているのはひょっとすると芦安鉱山の「金」にちなんだのかもしれません。しかし私が一見したところ、あまり金が出そうな気配はありませんでしたが・・。
山梨は金峰山はじめ太古の火山活動で生じた鉱山がたくさんあります。(おそらく全国屈指です)。
水晶はいうまでもなく、様々な鉱物産地があり、私のような鉱物マニアには天国のような場所。
それでも芦安鉱山のように完全に忘れ去られた鉱山も珍しい。
そのせいで、ご覧のように生々しい遺構も残っているわけですが。
現場を見ると「わくわく」というより「ぞくぞく」という感覚で、ちょっと怖いくらいです。
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