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Yamareco

記録ID: 2131338 全員に公開 ハイキング 中国

岡山県矢掛町&井原市 観音山〜高越山 岩場&史跡&神仏集合⁉

情報量の目安: S
-拍手
日程 2019年12月01日(日) [日帰り]
メンバー
 Machapuchare(記録)
, その他メンバー1人
天候曇り後晴れ
アクセス
利用交通機関
車・バイク
 小田つどいの森駐車場に自動車を停めました。10台ちかく駐車可能です。また、高越(たかこし)山北の高越城址公園駐車場<写真42>には40台程駐車できます。
 電車は井原(いばら)鉄道井原線の小田駅か早雲の里荏原(えばら)駅が最寄り駅になります。
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
4時間37分
休憩
1時間17分
合計
5時間54分
S小田つどいの森駐車場08:3608:44正覚山大弘寺&大師堂08:48小田つどいの森駐車場(2回目)08:52ふくふく地蔵(禅源寺)08:5308:58日吉神社09:0209:05岩屋山金龍寺参道入口09:13観音院09:1909:40観音山&八畳岩09:5010:14観音山西磐座?10:2410:28川上神社10:3010:40荒神社10:4510:48西池10:5411:30金切神社11:3411:51新九郎薬師堂11:5312:38高越山北舗装道路合流点12:4412:53高越城址公園駐車場12:5613:03高越山(井原市)13:1613:22高越城址五の郭13:2713:46平醫山寶蔵院14:13岩屋山金龍寺参道入口(2回目)14:30小田つどいの森駐車場G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
城跡などの史跡や岩場、寺社巡りや旬の動植物観察を楽しむコース
歩行距離12km、歩行時間4時間40分、歩行数19,600歩、消費カロリー2,320Kcal
コース状況/
危険箇所等
 道から逸れたのは、次の4か所です。地蔵堂<写真11>の西標高90mから岩場に祠<写真14>を経て標高110m辺りまで、観音山頂上<写真16>から八畳岩<写真17>往復、観音山北北西尾根標高130m辺りから観音山西磐座?<写真18>まで、新九郎薬師堂<写真37>西北西標高100m辺りからコゲラ<写真40>撮影地点すぐ北(高越山北舗装道路合流点)まで。このうち、最後の1か所はかなり厳しいヤブコギがありました。仕方がないのは八畳岩<写真17>周辺のみで、あとは避けようがあると思います。
 宝蔵院<写真52>の西側のコンクリート道はかなり急でてすりもありません。下りは濡れているときは要注意です。

 スタート&ゴール地点の小田つどいの森駐車場から観音山頂上<写真16>までは、一部、道から逸れた箇所がありますが、ヤブコギというほどではありません。
 正覚山大弘寺<写真03>からは元来た道を引き返しましたが、この西側(武荅(むとう)神社<写真01,02>から南に延びる道)沿いに銀色の小田つどいの森の案内板があり、側に丸太と土の階段状の道がついています。これが観音山への東からのルートのようです。案内板で八畳岩<写真17>などの位置を確認できそうです。
 ふくふく地蔵<写真05>からは急なコンクリート道を下りて国道486号に合流しました。濡れているときは要注意です。
 地蔵堂<写真11>の西側にコンクリートの細道があり、そこから観音山頂上<写真16>を目指しました。標高90m辺りで落ち葉が積もった細道から逸れて東に見える岩場に向かうと、踏み跡はすぐになくなり、木を掴みながら岩の側を無理やりよじ登りました。岩場に祠<写真14>から下りると、ちゃんと道がありました。それなりに楽しかったのですが、道から逸れなくてもよかったようです。
 祠<写真14>からは道を辿りましたが、標高110m辺りの分岐で直進は下り、東へは上りとなったので、どうせ登るなら岩の上をと祠<写真14>まで引き返しました。正規のルートは分岐から東へと上るほうで、標高115m辺りの青いビニールテープで尾根道に合流するようです。我々は、すぐに岩の間を抜けて尾根上を進みました。ヤブコギはなく、途中から青いビニールテープや先端が赤いプラスチック標板を見ながら歩きました。
 標高145m辺りで北上方向はヤブとなり、いったん西に巻きました。おそらく、八畳岩<写真17>直登コースがなくなってしまったのでしょう。そのまま道を辿り、観音山頂上<写真16>に着きました。
 八畳岩<写真17>のだいたいの位置はわかっていたので、頂上<写真16>からササの間を適当に南東に進みました。標高140m辺りに今度は赤いビニールテープがあり、東からのコースと思しき道に合流しましたが、八畳岩<写真17>には行く気配がなかったので、適当に下りました。復路は少し北を通り、最後は高さ150cm程のササを手で払って頂上<写真16>に戻りました。現在あるコースはどれも八畳岩<写真17>を巻くようになっているのかもしれません。
 
 観音山頂上<写真16>から新九郎薬師堂<写真37>までは、大半がアスファルト道ですが、一部、道から逸れてさまよった箇所があります。ヤブコギはありません。
 観音山頂上<写真16>からは西の川上神社<写真20,21>に下りようと思い、分岐を探して北上しました。赤いビニールテープを追って北東に延びる道に入って引き返し、北西の道にも同じテープがあったので、つられてしまいました。引き返しながら分岐を探し、結局、適当に西に向かうことにしました。もう少しだけ引き返せばよかったかもしれません。南西に延びる谷は足元が崩れやすく、木を掴みながら下りました。
 標高100m辺りでGPSを持った連れは、南東に登るステップを発見するもすぐに見失い、とりあえず東に登り返してみようとして私がかなり南にいることに気づいたようです。合流するため、標高100mの等高線沿いに南下してきました。道があるかどうかは半信半疑でしたが、木の間を東へと登るうちに巨大な磐座(いわくら)?と祠<写真18,19>の前に出ました。脇には、北東から南西に道が延びていました。逆(西からアプローチ)だったら迷わなかった可能性が高いと思います。
 ここからは楽勝、サラサラした滑りやすい土のジグザグ道を下り、川上神社<写真20,21>からはコンクリート道、防獣フェンスを開閉して抜けるとすぐにアスファルト道になりました。
 天満神社<写真29>へは、東から南西のあぜ道?を回り込みました。参道のモミジ<写真30>から南下すると道がなくなってしまったので、あぜ?を南西に下り、ひもをほどいて防獣フェンスを開けて舗装道路に合流しました。フェンスは通りにくかったので、引き返した方がよかったかもしれません。

 新九郎薬師堂<写真37>から高越(たかこし)山頂上<写真44〜46>を経てゴールの小田つどいの森駐車場までは、一部、厳しいヤブコギがありました。
 新九郎薬師堂<写真37>からはコンクリート道を進みました。すぐ西の落神子池を過ぎると落ち葉が積もった土道で、標高100m辺りに分岐がありました。東方向は石を敷いたような道、直進(北上)は多少倒木が見えていますが歩けそうでした。ここで東に向かっていればヤブコギせずにすんだかもしれません。運悪く?直進し、北上していると標高120m辺りで竹林に入りました。テープなどの目印はなく、適当に竹の間を歩きました。
 標高150m辺りで竹林を抜け、木の間の歩きやすい所を選んで西南西に進路を変えました。ササヤブに突っ込んでからササの間をぬって北上、小さな小屋の西には石垣がありましたが、踏み跡を辿りさらに北寄りに進みました。
 踏み跡はすぐになくなり、標高160mで倒木をなんとか乗り越え、これ以上北上は無理と判断、ここからはヤブコギになりました。東西方向も似たようなヤブ、必死に木の枝をかき分け、蔓をまたぎトゲトゲに引っかかり、いつしか南下していました。細い溝をまたいで木が生えた西斜面に向かい、そのまま西の舗装道路に出ようと思ったのですが、周囲は猛烈なヤブだったので、いち早くヤブから抜けられそうな北に向かいました。蔓とトゲトゲとササが背丈ほどもあり、木を植えて下草を刈った一角に出たときにはほっとしました。どうやら、最短距離ですんだようです。周辺にはピンクテープがありましたが、舗装道路沿いはずっとササヤブでした。
 ここからは舗装道路も土道もきれいで迷いようがなく、宝蔵院<写真52>西側のコンクリート道がかなり急な下りだったほかはとても歩きやすかったです。
その他周辺情報矢掛(やかげ)駅南の矢掛宿には日帰り入浴が可能な湯の華温泉やたくさんの飲食店があります。お土産は、やかげ町家交流館などで購入できます。
過去天気図(気象庁) 2019年12月の天気図 [pdf]

装備

個人装備 長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

写真

01武荅神社石段より注連柱
ご祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)です。従来は武荅天子宮と呼んでいましたが、明治6年に武荅(むとう)神社と改称しました。
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01武荅神社石段より注連柱
ご祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)です。従来は武荅天子宮と呼んでいましたが、明治6年に武荅(むとう)神社と改称しました。
1
02武荅神社拝殿
正平24年(1369)、小田氏初代の床上小松秀清(とこのうえひできよ)が小田庄の地頭職として着任した際、神祇7社を再建した内の1社です。
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02武荅神社拝殿
正平24年(1369)、小田氏初代の床上小松秀清(とこのうえひできよ)が小田庄の地頭職として着任した際、神祇7社を再建した内の1社です。
2
03正覚山大弘寺&大師堂
曹洞宗の寺院で、武荅(むとう)神社<写真01,02>を管理していました。左の大師堂は明治四国八十八か所霊場のものかもしれません。
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03正覚山大弘寺&大師堂
曹洞宗の寺院で、武荅(むとう)神社<写真01,02>を管理していました。左の大師堂は明治四国八十八か所霊場のものかもしれません。
04曹渓山禅源寺
禅源寺の境内には、かって六道地蔵が祀られ、土造地蔵尊が6万体埋められ霊場を造ったと伝えられています。
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04曹渓山禅源寺
禅源寺の境内には、かって六道地蔵が祀られ、土造地蔵尊が6万体埋められ霊場を造ったと伝えられています。
05ふくふく地蔵
1983年、禅源寺境内整備の工事の際に、土中から首なし地蔵が掘り起こされました。<この地に祀られたらご利益を授けよう>との天の声によりお祀りしたところ、色々なご利益があったそうです。パワーがすごいので“ふくふく地蔵”と呼ばれ信仰を集めています。
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05ふくふく地蔵
1983年、禅源寺境内整備の工事の際に、土中から首なし地蔵が掘り起こされました。<この地に祀られたらご利益を授けよう>との天の声によりお祀りしたところ、色々なご利益があったそうです。パワーがすごいので“ふくふく地蔵”と呼ばれ信仰を集めています。
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06明治四国八十八か所霊場
        31番竹林寺
国道486号沿いの日吉神社境内に設置されていました。
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06明治四国八十八か所霊場
        31番竹林寺
国道486号沿いの日吉神社境内に設置されていました。
07日吉神社拝殿
1369年、観音山北北東の神戸山城(こうどさんじょう)の守護社として武荅(むとう)神社<写真01,02>とともに建立され、明治元年(1868年)に山王宮から日吉神社に改号しました。手前の土俵では、秋祭りに子供相撲が奉納されます。
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07日吉神社拝殿
1369年、観音山北北東の神戸山城(こうどさんじょう)の守護社として武荅(むとう)神社<写真01,02>とともに建立され、明治元年(1868年)に山王宮から日吉神社に改号しました。手前の土俵では、秋祭りに子供相撲が奉納されます。
2
08日吉神社随身像
拝殿の壁に取り付けられたようになっています。木彫りでした。
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08日吉神社随身像
拝殿の壁に取り付けられたようになっています。木彫りでした。
2
09岩屋山金龍寺参道モミジ
国道486号線沿いに参道入口の道標があり、コンクリートの階段状の道を上ります。金龍寺は民家のような建物らしく、今回は立ち寄りませんでした。
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09岩屋山金龍寺参道モミジ
国道486号線沿いに参道入口の道標があり、コンクリートの階段状の道を上ります。金龍寺は民家のような建物らしく、今回は立ち寄りませんでした。
10八將稲荷鳥居
鎮守社八將稲荷(お稲荷様)は地蔵堂<写真11>などの西隣にあります。昭和12年に建立された拝殿はなくなって小さなお稲荷様の祠だけになっていました。
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10八將稲荷鳥居
鎮守社八將稲荷(お稲荷様)は地蔵堂<写真11>などの西隣にあります。昭和12年に建立された拝殿はなくなって小さなお稲荷様の祠だけになっていました。
11地蔵堂
詳細は不明です。隣には弘法大師像?などさまざまお祀りしてあります。
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11地蔵堂
詳細は不明です。隣には弘法大師像?などさまざまお祀りしてあります。
1
12観音院
備中西国三十三所観音霊場巡り16番札所は金龍寺ではなくこちらのようです。境内からは小田川が眺望できます。
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12観音院
備中西国三十三所観音霊場巡り16番札所は金龍寺ではなくこちらのようです。境内からは小田川が眺望できます。
13観音院鐘楼越しにモミジ
鐘楼と背景のモミジの紅葉が絵になっていました。
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13観音院鐘楼越しにモミジ
鐘楼と背景のモミジの紅葉が絵になっていました。
1
14岩場に祠
この辺りはコンクリートの土台に乗った巨岩がたくさんありました。磐座(いわくら)でしょうか⁉かつては小さな神社があったのかもしれません。コースアウトして岩の側をよじ登り辿り着きましたが、祠から下りたらちゃんと道がありました。
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14岩場に祠
この辺りはコンクリートの土台に乗った巨岩がたくさんありました。磐座(いわくら)でしょうか⁉かつては小さな神社があったのかもしれません。コースアウトして岩の側をよじ登り辿り着きましたが、祠から下りたらちゃんと道がありました。
15観音山頂上南西祠群
詳細は不明です。頂上の平坦部分の一段下にありました。
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15観音山頂上南西祠群
詳細は不明です。頂上の平坦部分の一段下にありました。
16観音山頂上龍王神碑
さすが“晴れの国”です。ここで雨乞いの儀式が行われていたのでしょうか⁉頂上には小田氏5代目の小田政清の居城といわれる岩屋山城があったとされ、確かに平坦で周辺より一段高く、主郭のようでした。岡山県の埋蔵文化財地図によれば、弥生土器が出土したとの言い伝えがあり、墓の可能性があるそうです。
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16観音山頂上龍王神碑
さすが“晴れの国”です。ここで雨乞いの儀式が行われていたのでしょうか⁉頂上には小田氏5代目の小田政清の居城といわれる岩屋山城があったとされ、確かに平坦で周辺より一段高く、主郭のようでした。岡山県の埋蔵文化財地図によれば、弥生土器が出土したとの言い伝えがあり、墓の可能性があるそうです。
17八畳岩
観音山頂上を少し南東に下った所に大岩がありました。実際には6畳程の広さです。周辺はササが茂り、適当に歩いて辿り着きました。現在のコースはここを巻くようになっているのかもしれません。
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17八畳岩
観音山頂上を少し南東に下った所に大岩がありました。実際には6畳程の広さです。周辺はササが茂り、適当に歩いて辿り着きました。現在のコースはここを巻くようになっているのかもしれません。
18観音山西磐座?
観音山北西部を迷い迷い進んだ挙句に着きました。詳細は不明ですが、おそらく、磐座(いわくら)だろうと思われます。観音山でもっともパワーを感じるスポットでした。周辺の様子を動画に撮りました。
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18観音山西磐座?
観音山北西部を迷い迷い進んだ挙句に着きました。詳細は不明ですが、おそらく、磐座(いわくら)だろうと思われます。観音山でもっともパワーを感じるスポットでした。周辺の様子を動画に撮りました。
19観音山西磐座?に祠群
中央の祠の左、土塀部分にも同じような祠があります。山中に突如巨大な岩と祠、きれいな山道に石垣のようなものまで出現、これは観音様のお導き?川上神社<写真20,21>は元々、ここにあったのかもしれません。
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19観音山西磐座?に祠群
中央の祠の左、土塀部分にも同じような祠があります。山中に突如巨大な岩と祠、きれいな山道に石垣のようなものまで出現、これは観音様のお導き?川上神社<写真20,21>は元々、ここにあったのかもしれません。
2
20川上神社拝殿
扁額はかなり変わっており、デザイン文字が縦に3つ並んでいるように思えます。「川上宮」と読めなくもありません。一番上の文字はランドルト環(視力検査のわっか)が3つ横に並んだような形でおもしろいです。あぶみなどの馬具をモチーフにした文字ではないかという説はなるほどとうなずけます。近くに岩屋山城(観音山頂上)<写真16>などがあるので、武士だった氏子が奉納したのかもしれません。
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20川上神社拝殿
扁額はかなり変わっており、デザイン文字が縦に3つ並んでいるように思えます。「川上宮」と読めなくもありません。一番上の文字はランドルト環(視力検査のわっか)が3つ横に並んだような形でおもしろいです。あぶみなどの馬具をモチーフにした文字ではないかという説はなるほどとうなずけます。近くに岩屋山城(観音山頂上)<写真16>などがあるので、武士だった氏子が奉納したのかもしれません。
21川上神社本殿
延喜21年(921年)再建とも伝えられる歴史のある神社です。珍しく、土塀に囲まれていました。例の観音山西磐座(いわくら)?の祠の土塀<写真19>と同じように思えます。
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21川上神社本殿
延喜21年(921年)再建とも伝えられる歴史のある神社です。珍しく、土塀に囲まれていました。例の観音山西磐座(いわくら)?の祠の土塀<写真19>と同じように思えます。
22ポットマム
ポットマムとは、1950年代にアメリカで矮性園芸品種として育成されたキク(=マム)を指します。直径2〜3cmの花がたくさん咲いていました。
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22ポットマム
ポットマムとは、1950年代にアメリカで矮性園芸品種として育成されたキク(=マム)を指します。直径2〜3cmの花がたくさん咲いていました。
23観音山南西斜面
麓の有木谷集落から望みました。
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23観音山南西斜面
麓の有木谷集落から望みました。
24荒神社
ご祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)です。拝殿と本殿の間を通過できました。
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24荒神社
ご祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)です。拝殿と本殿の間を通過できました。
25柿の木にモズ♂
メジロが警戒して鳴いているのもおかまいなしで、動画の撮影中、のんきに尾羽をずっと振っていました。クセなんだからほっといてbyモズ
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25柿の木にモズ♂
メジロが警戒して鳴いているのもおかまいなしで、動画の撮影中、のんきに尾羽をずっと振っていました。クセなんだからほっといてbyモズ
3
26西池ヒドリガモつがい
前を泳ぐのはオスで、その後ろをメスが追っています。
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26西池ヒドリガモつがい
前を泳ぐのはオスで、その後ろをメスが追っています。
2
27ホシハジロ♂♀&
     ヒドリガモ♀
奥の真ん中がホシハジロのメス、両隣がオス、彼らの手前をヒドリガモのメスが横切りました。動画も撮りました。
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27ホシハジロ♂♀&
     ヒドリガモ♀
奥の真ん中がホシハジロのメス、両隣がオス、彼らの手前をヒドリガモのメスが横切りました。動画も撮りました。
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28オオバン
カモではなく、クイナの仲間です。オオバンだけがボッチでした(´・ω・`)動画も撮りました。ちなみに、バンのくちばしの付け根は赤色です。
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28オオバン
カモではなく、クイナの仲間です。オオバンだけがボッチでした(´・ω・`)動画も撮りました。ちなみに、バンのくちばしの付け根は赤色です。
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29天満神社
享保6年(1721年)再建の小さな神社です。東からあぜ道?を通って回り込んだため、鳥居をスルーしてしまいました。
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29天満神社
享保6年(1721年)再建の小さな神社です。東からあぜ道?を通って回り込んだため、鳥居をスルーしてしまいました。
30天満神社参道モミジ
手前に黄色いモミジ、奥に赤くなりかけたモミジが見えました。さらに南下すると道がなくなってしまったので、あぜ?を南西に下り、ひもをほどいて防獣フェンスを開けて舗装道路に合流しました。
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30天満神社参道モミジ
手前に黄色いモミジ、奥に赤くなりかけたモミジが見えました。さらに南下すると道がなくなってしまったので、あぜ?を南西に下り、ひもをほどいて防獣フェンスを開けて舗装道路に合流しました。
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31明治四国八十八か所霊場
       19番&20番
左が19番立江寺、右が20番鶴林寺です。連座していました。
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31明治四国八十八か所霊場
       19番&20番
左が19番立江寺、右が20番鶴林寺です。連座していました。
32ハクセキレイ
顔が白いのでセグロセキレイと区別しやすいです。尾羽を上下に振りながらしばらくにらめっこ(*^^*)
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32ハクセキレイ
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3
33金切神社鳥居&石灯籠
康平5年(1062)、領主橘氏高に願い出て金山彦命(カナヤマヒコノミコト)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)を勧請し、金切大明神として祀りました。
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33金切神社鳥居&石灯籠
康平5年(1062)、領主橘氏高に願い出て金山彦命(カナヤマヒコノミコト)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)を勧請し、金切大明神として祀りました。
34金切神社本殿
享徳2年(1453)、高越城主伊勢新左衛門尉平行長が宝剣を奉納し武運守護の氏神と尊崇し、北条早雲が死去した永正16年(1519)まで代々社殿の営繕や祭典が行われました。
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34金切神社本殿
享徳2年(1453)、高越城主伊勢新左衛門尉平行長が宝剣を奉納し武運守護の氏神と尊崇し、北条早雲が死去した永正16年(1519)まで代々社殿の営繕や祭典が行われました。
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35黒ヤギ
鳴き声が聞こえるので探すと、西奥の民家の前で下草を一生懸命、食い散らかしていました。動画も撮りました。餌代がかからず草取りの手間が省けて一石二鳥。あっ、癒されるから三鳥(^_^)
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35黒ヤギ
鳴き声が聞こえるので探すと、西奥の民家の前で下草を一生懸命、食い散らかしていました。動画も撮りました。餌代がかからず草取りの手間が省けて一石二鳥。あっ、癒されるから三鳥(^_^)
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36石灯籠越しに高越山
文政10年(1827年)の石灯籠越しに南西に高越(たかこし)山<写真44〜46>が見えました。ここからスムーズに山城を攻めることができませんでした(>_<)
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36石灯籠越しに高越山
文政10年(1827年)の石灯籠越しに南西に高越(たかこし)山<写真44〜46>が見えました。ここからスムーズに山城を攻めることができませんでした(>_<)
37新九郎薬師堂
北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂です。なお、現地案内板によれば、如来像は平安後期の作で、「祈願主新九郎」の文字は江戸時代のものだそうです。
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37新九郎薬師堂
北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂です。なお、現地案内板によれば、如来像は平安後期の作で、「祈願主新九郎」の文字は江戸時代のものだそうです。
38サイヨウシャジン
「細葉沙参」と書きますが、細い葉ばかりではなく、卵形の葉も多いです。ツリガネニンジンに似ていますが、花の先がすぼまり、めしべが長く突き出ます。岡山県南部ではサイヨウシャジンのほうが多いようです。
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38サイヨウシャジン
「細葉沙参」と書きますが、細い葉ばかりではなく、卵形の葉も多いです。ツリガネニンジンに似ていますが、花の先がすぼまり、めしべが長く突き出ます。岡山県南部ではサイヨウシャジンのほうが多いようです。
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39カワラタケ
カサの直径は5〜6cmとカワラタケにしては大きい方でした。この後、標高100mの分岐で直進(北上)してしまったのが運の尽き?最後はトゲトゲのヤブコギになりました。おかげで、「引っ付き虫」は取れましたが(^_^)
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39カワラタケ
カサの直径は5〜6cmとカワラタケにしては大きい方でした。この後、標高100mの分岐で直進(北上)してしまったのが運の尽き?最後はトゲトゲのヤブコギになりました。おかげで、「引っ付き虫」は取れましたが(^_^)
40コゲラ
エナガの鳴き声がしたので見上げるといました。日本で一番小さなキツツキです。ドラミングは見られませんでしたが、木の幹を上っていく様子は動画に撮れました。ヤブコギの直後に癒されました(*^^*)
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40コゲラ
エナガの鳴き声がしたので見上げるといました。日本で一番小さなキツツキです。ドラミングは見られませんでしたが、木の幹を上っていく様子は動画に撮れました。ヤブコギの直後に癒されました(*^^*)
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41キツネアザミ
直径1.5cm程の花はアザミに似ていますが、全体的に横に広がり先端が二股に分かれてカールします。また、総苞片の下部にとさか状の突起があるなど、アザミとは異なる特徴があることからキツネの名前がついています。通常は春に咲きますが、この1株にはまだつぼみもたくさんありました。
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41キツネアザミ
直径1.5cm程の花はアザミに似ていますが、全体的に横に広がり先端が二股に分かれてカールします。また、総苞片の下部にとさか状の突起があるなど、アザミとは異なる特徴があることからキツネの名前がついています。通常は春に咲きますが、この1株にはまだつぼみもたくさんありました。
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42高越城址公園駐車場
        サザンカ
高越(たかこし)山頂上<写真44〜46>周辺は公園として整備され、北には40台ちかく停められる駐車場とトイレがあります。生垣のサザンカは咲き始めでした。
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        サザンカ
高越(たかこし)山頂上<写真44〜46>周辺は公園として整備され、北には40台ちかく停められる駐車場とトイレがあります。生垣のサザンカは咲き始めでした。
43ニホンカナヘビ
ニホントカゲよりもほっそりとして尾が長いです。我々に驚いて落ち葉の下から出てきました。お休み中のところをお邪魔して失礼しました(^_^)
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ニホントカゲよりもほっそりとして尾が長いです。我々に驚いて落ち葉の下から出てきました。お休み中のところをお邪魔して失礼しました(^_^)
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44高越城址一の郭
高越城址四の郭(くるわ)にあるトイレ前を横切り、高越山頂上に着きました。中央に忠魂の碑、その左に「北條早雲生誕之地」碑が見えています。1281年、宇都宮貞綱(さだつな)が執権・北条時宗の命を受けて、蒙古襲来に備えて築城したとされています。
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高越城址四の郭(くるわ)にあるトイレ前を横切り、高越山頂上に着きました。中央に忠魂の碑、その左に「北條早雲生誕之地」碑が見えています。1281年、宇都宮貞綱(さだつな)が執権・北条時宗の命を受けて、蒙古襲来に備えて築城したとされています。
45高越城址公園総合案内図
城址の案内図より右下の北条早雲像が気になりました。
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城址の案内図より右下の北条早雲像が気になりました。
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46高越山頂上三角点「石原」
標高172.3mの頂上三角点<点名:石原>です。ここからいったん北西の三の郭に下りて引き返し、四の郭で動画を撮りました。
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46高越山頂上三角点「石原」
標高172.3mの頂上三角点<点名:石原>です。ここからいったん北西の三の郭に下りて引き返し、四の郭で動画を撮りました。
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47高越城址五の郭より
        南西方面
五の郭は、往路で通った四の郭の下(南)にあります。手前に標高140m峰が大きく見えました。
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47高越城址五の郭より
        南西方面
五の郭は、往路で通った四の郭の下(南)にあります。手前に標高140m峰が大きく見えました。
48ヒナギキョウ
直径1cm程の小さな花は春から夏に咲きます。さすがにこの1つだけでした。
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48ヒナギキョウ
直径1cm程の小さな花は春から夏に咲きます。さすがにこの1つだけでした。
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49ヒメアカタテハ
後翅の表側の黒い部分がアカタテハよりも小さいです。暖地では越冬する個体もいます。動画も撮りました。
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49ヒメアカタテハ
後翅の表側の黒い部分がアカタテハよりも小さいです。暖地では越冬する個体もいます。動画も撮りました。
50ガウラ
北米原産の園芸植物で別名をハクチョウソウといいます。はかなげな花の雰囲気とは違い、なかなか丈夫な植物です。
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北米原産の園芸植物で別名をハクチョウソウといいます。はかなげな花の雰囲気とは違い、なかなか丈夫な植物です。
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51モミジ越しに宝篋印塔
モミジは道沿いに3本ほどあり、これが一番色づいていました。ここから寶蔵院<写真52>の西にあるコンクリート道を南下しましたが、かなり急で手すりがなく、要注意でした。
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51モミジ越しに宝篋印塔
モミジは道沿いに3本ほどあり、これが一番色づいていました。ここから寶蔵院<写真52>の西にあるコンクリート道を南下しましたが、かなり急で手すりがなく、要注意でした。
52平醫山寶蔵院鐘楼
寶蔵院は天平9年(737年)、行基により創建されました。加賀尾秀忍(かがおしゅうにん)元住職は、フィリピンにあるモンテンルパの戦犯刑務所の日本人兵の助命・釈放に尽力し、モンテンルパの父と呼ばれています。
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寶蔵院は天平9年(737年)、行基により創建されました。加賀尾秀忍(かがおしゅうにん)元住職は、フィリピンにあるモンテンルパの戦犯刑務所の日本人兵の助命・釈放に尽力し、モンテンルパの父と呼ばれています。
53サザンカ
真っ白ではなく、ピンクの縁取りがとてもかわいらしい花でした(*^^*)
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真っ白ではなく、ピンクの縁取りがとてもかわいらしい花でした(*^^*)
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54刀工女國重宅趾
江戸時代に活躍した荏原(えばら)国重派の刀工、大月源の生家跡です。12代目の甚兵衛国重と結婚したものの、彼は病気で刀鍛冶の仕事ができなかったため、代わりに跡を継ぎました。史上初の女性刀工で、すぐれた技量の持ち主だったそうです。
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江戸時代に活躍した荏原(えばら)国重派の刀工、大月源の生家跡です。12代目の甚兵衛国重と結婚したものの、彼は病気で刀鍛冶の仕事ができなかったため、代わりに跡を継ぎました。史上初の女性刀工で、すぐれた技量の持ち主だったそうです。
55サンカクヅル実
葉は三角形やハート形です。直径数mmの実がなっていました。黒く熟すと甘くておいしいそうです。
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葉は三角形やハート形です。直径数mmの実がなっていました。黒く熟すと甘くておいしいそうです。
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56石鉄山大権現
詳細は不明ですが、石鎚山を開山した役の行者像が彫ってあるようです。明治四国八十八か所霊場64番石鉄山 前神寺ではないようです。
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詳細は不明ですが、石鎚山を開山した役の行者像が彫ってあるようです。明治四国八十八か所霊場64番石鉄山 前神寺ではないようです。
57明治四国八十八か所霊場
        42番仏木寺
石鉄山大権現<写真56>から階段を上るとありました。
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57明治四国八十八か所霊場
        42番仏木寺
石鉄山大権現<写真56>から階段を上るとありました。
58イチョウ越しに阿部山
国道486号線沿いの俳句の小径案内図からこのイチョウの根元まで上がり、動画を撮りました。岩屋山金龍寺の方に向かうと、同じイチョウ越しに南東方面に標高366.1m頂上三角点<点名:山手>のある阿部山が見えました。
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国道486号線沿いの俳句の小径案内図からこのイチョウの根元まで上がり、動画を撮りました。岩屋山金龍寺の方に向かうと、同じイチョウ越しに南東方面に標高366.1m頂上三角点<点名:山手>のある阿部山が見えました。
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感想/記録

 出発点は小田郡矢掛(やかげ)町の武荅(むとう)神社南にある「小田つどいの森」駐車場です。井原鉄道「小田駅」にも近いので電車でのアプローチも可能です。
 この辺りは旧山陽道沿いにあり多くの神社やお寺、史跡があります。
 その中の一つ禅源寺<写真04>は、曹渓山(そうけいざん)と呼ばれ、古くは備中国の霊場として栄えました。現在の本堂は江戸末期に移転したものです。かって、この地に六道地蔵が 祀られており、境内に土造りの地蔵尊六万体を埋めて聖地としましたが、時代の移り変わりと共に忘れ去られていました。しかし、昭和58年、境内の大工事のとき、数百年の眠りから覚めたかの如く土中から首なし地蔵が現れ、「われ万物を生み諸宝を蔵する菩薩である。この地に祀られるならば衆生の利益を約束するであろう」と仰せになったためお祀りしたのが始まりといわれています。子授、安産、病回復、厄除け等を願い、 ご利益を頂いた人が増えるに従い、参詣者も増え、いつしか「ふくふく地蔵<写真05>」と呼ばれる ようになりました。
 とにかく何にでもご利益があるすごいお地蔵様らしいのですが、“ぼけ封じ”と書かれていたので、家族(自分⁉)の心身健康を祈願しました。
 なお、国道486号沿いに「ふくふく地蔵」の駐車場と参道入口がありますが、足腰に不安のある方は「小田つどいの森」駐車場から参拝したほうが楽です。

 観音院<写真12>の西から観音山のアプローチを試みました。標高100mを超えた辺りから、東に岩が見えてきました。楽しそうなのでコースアウトし、木の枝を掴みながら岩の側を上っていくうちに、岩の上に祠<写真14>があるのに気が付きました。磐座(いわくら)でしょうか?ここから先、さらにパワースポットがいくつか出てくるようになります。ちなみに、この祠から下りると、ちゃんと道がありました。コースアウトしなくてもよかったようです。
 祠からは道を辿りましたが、分岐で直進は下り、東へは上りとなったので、どうせ登るなら岩の上をと祠<写真14>まで引き返しました。ヤブコギはなく、途中から目印のビニールテープなどもあったので、コースアウトではなかったようです。
 観音山頂上には「龍王神」の石碑が設置されています。雨乞いの儀式がここで行われていたのかもしれません。さらに頂上の南西には祠が3つありました。詳細は不明ですが、三神が祀られていたのでしょう。
 頂上から西の有木谷集落に下りたかったのですが、道を何度も間違えて引き返し、結局、適当に西に向かうことにしました。崩れやすい斜面を下りながら道を探して最後には東に登り返し、迷いに迷って辿り着いた頂上の西、標高120m地点にある祠と巨岩<写真18,19>は磐座(いわくら)のようでした。ヤブコギはありませんが、木々の間をさまよいながら不意に祠の正面に出たので、何かに吸い寄せられたような気がしました。道に迷わなかったら、ここまでの感動はなかったかもしれません。ここは観音山でもっともパワーを感じるスポットでした。この西に位置する川上神社<写真20>は、かつてここにあったのかもしれません。祠からはちゃんと道があり、無事に有木谷集落まで下りられました。

 観音山から有木谷集落まで下りて、井原市神代(こうじろ)町に入り、新九郎薬師堂<写真37>から高越(たかこし)山を目指しましたが、標高100m辺りの分岐で東ではなく北上する道を選択したところ、標高120m辺りの竹林突入からルートファインディングを誤ったのか、高越山の北の舗装道に出てくるまで、何度もヤブコギを強いられました(*_*;まさかの井原(いばら)で茨(イバラ)に苦しめられる羽目に(-_-;)新九郎薬師堂と高越山は北条早雲縁のスポットで、両者を結ぶルートは健脚コースとしてパンフレットに紹介されていました。我々が進んだのはヤブコギ冒険コースだったようです(-_-;)逆(下山)なら迷わなかったかもしれません。
 北条早雲は、戦国時代を知る人ならご存じのとおり下剋上の先駆けとなった武将です。1432年(1456年説もあり)備中高越城主の伊勢新座衛門盛定の子として生まれ、伊勢新九郎盛時と名乗り、33歳で上洛するまで荏原(えばら)庄に住んでいました。現在、井原鉄道に「早雲の里荏原駅」があり、駅の北側一帯が早雲の里となっており、いくつかの史跡があります。
 新九郎薬師堂は北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂です。この薬師如来像の背中に、江戸時代に表記された「祈願主新九郎」の文字があり、これが北条早雲こと伊勢新九郎のこととされています。
 一方、高越(たかこし)城は蒙古襲来に備え執権北条氏から山陽道警護の要請を受け、下野(しもつけ)の宇都宮氏が築城したといわれています。享徳2年(1453年)、伊勢新左衛門行長が六庄三百貫の知行を得てこの地に下向し、居城として以来、伊勢氏が代々この地を治めました。そのうちの一人、備中守伊勢盛定は早雲の父です。現在、高越山頂上周辺は高越城址公園として整備され、山頂の主郭には一段小高い土壇があり、ここに高越城の碑や「北條早雲生誕之地」碑などが建てられていました。この主郭を中心に東、南、北の三方に曲輪(くるわ)があります。山城らしく、360度パノラマ展望も楽しむことができました。

 高越山から土道を平井集落に下りて、小田川沿いを歩きました。この間にもいくつか寺院、史跡などを見ることができました。
 ちなみに、今回のルートは明治四国八十八か所霊場巡りのコースの一部で、小さな石仏が祀られた祠がいたるところにあります。写真はほんの一部です。神社も多く、一帯は神仏習合、いや、「神仏集合」地帯でした(*_*;信仰心が「神仏集合」状態の我々でも十分パワーをいただけたと思います(^^♪
 また、12月に入っても花や昆虫も見られ、バラエティーに富んだ楽しい時間を過ごすことができました。




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