岡山県矢掛町&井原市 観音山〜高越山 岩場&史跡&神仏集合⁉
- GPS
- 05:55
- 距離
- 11.9km
- 登り
- 439m
- 下り
- 438m
コースタイム
- 山行
- 4:37
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 5:54
歩行距離12km、歩行時間4時間40分、歩行数19,600歩、消費カロリー2,320Kcal
天候 | 曇り後晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
電車は井原(いばら)鉄道井原線の小田駅か早雲の里荏原(えばら)駅が最寄り駅になります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道から逸れたのは、次の4か所です。地蔵堂<写真11>の西標高90mから岩場に祠<写真14>を経て標高110m辺りまで、観音山頂上<写真16>から八畳岩<写真17>往復、観音山北北西尾根標高130m辺りから観音山西磐座?<写真18>まで、新九郎薬師堂<写真37>西北西標高100m辺りからコゲラ<写真40>撮影地点すぐ北(高越山北舗装道路合流点)まで。このうち、最後の1か所はかなり厳しいヤブコギがありました。仕方がないのは八畳岩<写真17>周辺のみで、あとは避けようがあると思います。 宝蔵院<写真52>の西側のコンクリート道はかなり急でてすりもありません。下りは濡れているときは要注意です。 スタート&ゴール地点の小田つどいの森駐車場から観音山頂上<写真16>までは、一部、道から逸れた箇所がありますが、ヤブコギというほどではありません。 正覚山大弘寺<写真03>からは元来た道を引き返しましたが、この西側(武荅(むとう)神社<写真01,02>から南に延びる道)沿いに銀色の小田つどいの森の案内板があり、側に丸太と土の階段状の道がついています。これが観音山への東からのルートのようです。案内板で八畳岩<写真17>などの位置を確認できそうです。 ふくふく地蔵<写真05>からは急なコンクリート道を下りて国道486号に合流しました。濡れているときは要注意です。 地蔵堂<写真11>の西側にコンクリートの細道があり、そこから観音山頂上<写真16>を目指しました。標高90m辺りで落ち葉が積もった細道から逸れて東に見える岩場に向かうと、踏み跡はすぐになくなり、木を掴みながら岩の側を無理やりよじ登りました。岩場に祠<写真14>から下りると、ちゃんと道がありました。それなりに楽しかったのですが、道から逸れなくてもよかったようです。 祠<写真14>からは道を辿りましたが、標高110m辺りの分岐で直進は下り、東へは上りとなったので、どうせ登るなら岩の上をと祠<写真14>まで引き返しました。正規のルートは分岐から東へと上るほうで、標高115m辺りの青いビニールテープで尾根道に合流するようです。我々は、すぐに岩の間を抜けて尾根上を進みました。ヤブコギはなく、途中から青いビニールテープや先端が赤いプラスチック標板を見ながら歩きました。 標高145m辺りで北上方向はヤブとなり、いったん西に巻きました。おそらく、八畳岩<写真17>直登コースがなくなってしまったのでしょう。そのまま道を辿り、観音山頂上<写真16>に着きました。 八畳岩<写真17>のだいたいの位置はわかっていたので、頂上<写真16>からササの間を適当に南東に進みました。標高140m辺りに今度は赤いビニールテープがあり、東からのコースと思しき道に合流しましたが、八畳岩<写真17>には行く気配がなかったので、適当に下りました。復路は少し北を通り、最後は高さ150cm程のササを手で払って頂上<写真16>に戻りました。現在あるコースはどれも八畳岩<写真17>を巻くようになっているのかもしれません。 観音山頂上<写真16>から新九郎薬師堂<写真37>までは、大半がアスファルト道ですが、一部、道から逸れてさまよった箇所があります。ヤブコギはありません。 観音山頂上<写真16>からは西の川上神社<写真20,21>に下りようと思い、分岐を探して北上しました。赤いビニールテープを追って北東に延びる道に入って引き返し、北西の道にも同じテープがあったので、つられてしまいました。引き返しながら分岐を探し、結局、適当に西に向かうことにしました。もう少しだけ引き返せばよかったかもしれません。南西に延びる谷は足元が崩れやすく、木を掴みながら下りました。 標高100m辺りでGPSを持った連れは、南東に登るステップを発見するもすぐに見失い、とりあえず東に登り返してみようとして私がかなり南にいることに気づいたようです。合流するため、標高100mの等高線沿いに南下してきました。道があるかどうかは半信半疑でしたが、木の間を東へと登るうちに巨大な磐座(いわくら)?と祠<写真18,19>の前に出ました。脇には、北東から南西に道が延びていました。逆(西からアプローチ)だったら迷わなかった可能性が高いと思います。 ここからは楽勝、サラサラした滑りやすい土のジグザグ道を下り、川上神社<写真20,21>からはコンクリート道、防獣フェンスを開閉して抜けるとすぐにアスファルト道になりました。 天満神社<写真29>へは、東から南西のあぜ道?を回り込みました。参道のモミジ<写真30>から南下すると道がなくなってしまったので、あぜ?を南西に下り、ひもをほどいて防獣フェンスを開けて舗装道路に合流しました。フェンスは通りにくかったので、引き返した方がよかったかもしれません。 新九郎薬師堂<写真37>から高越(たかこし)山頂上<写真44〜46>を経てゴールの小田つどいの森駐車場までは、一部、厳しいヤブコギがありました。 新九郎薬師堂<写真37>からはコンクリート道を進みました。すぐ西の落神子池を過ぎると落ち葉が積もった土道で、標高100m辺りに分岐がありました。東方向は石を敷いたような道、直進(北上)は多少倒木が見えていますが歩けそうでした。ここで東に向かっていればヤブコギせずにすんだかもしれません。運悪く?直進し、北上していると標高120m辺りで竹林に入りました。テープなどの目印はなく、適当に竹の間を歩きました。 標高150m辺りで竹林を抜け、木の間の歩きやすい所を選んで西南西に進路を変えました。ササヤブに突っ込んでからササの間をぬって北上、小さな小屋の西には石垣がありましたが、踏み跡を辿りさらに北寄りに進みました。 踏み跡はすぐになくなり、標高160mで倒木をなんとか乗り越え、これ以上北上は無理と判断、ここからはヤブコギになりました。東西方向も似たようなヤブ、必死に木の枝をかき分け、蔓をまたぎトゲトゲに引っかかり、いつしか南下していました。細い溝をまたいで木が生えた西斜面に向かい、そのまま西の舗装道路に出ようと思ったのですが、周囲は猛烈なヤブだったので、いち早くヤブから抜けられそうな北に向かいました。蔓とトゲトゲとササが背丈ほどもあり、木を植えて下草を刈った一角に出たときにはほっとしました。どうやら、最短距離ですんだようです。周辺にはピンクテープがありましたが、舗装道路沿いはずっとササヤブでした。 ここからは舗装道路も土道もきれいで迷いようがなく、宝蔵院<写真52>西側のコンクリート道がかなり急な下りだったほかはとても歩きやすかったです。 |
その他周辺情報 | 矢掛(やかげ)駅南の矢掛宿には日帰り入浴が可能な湯の華温泉やたくさんの飲食店があります。お土産は、やかげ町家交流館などで購入できます。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
出発点は小田郡矢掛(やかげ)町の武荅(むとう)神社南にある「小田つどいの森」駐車場です。井原鉄道「小田駅」にも近いので電車でのアプローチも可能です。
この辺りは旧山陽道沿いにあり多くの神社やお寺、史跡があります。
その中の一つ禅源寺<写真04>は、曹渓山(そうけいざん)と呼ばれ、古くは備中国の霊場として栄えました。現在の本堂は江戸末期に移転したものです。かって、この地に六道地蔵が 祀られており、境内に土造りの地蔵尊六万体を埋めて聖地としましたが、時代の移り変わりと共に忘れ去られていました。しかし、昭和58年、境内の大工事のとき、数百年の眠りから覚めたかの如く土中から首なし地蔵が現れ、「われ万物を生み諸宝を蔵する菩薩である。この地に祀られるならば衆生の利益を約束するであろう」と仰せになったためお祀りしたのが始まりといわれています。子授、安産、病回復、厄除け等を願い、 ご利益を頂いた人が増えるに従い、参詣者も増え、いつしか「ふくふく地蔵<写真05>」と呼ばれる ようになりました。
とにかく何にでもご利益があるすごいお地蔵様らしいのですが、“ぼけ封じ”と書かれていたので、家族(自分⁉)の心身健康を祈願しました。
なお、国道486号沿いに「ふくふく地蔵」の駐車場と参道入口がありますが、足腰に不安のある方は「小田つどいの森」駐車場から参拝したほうが楽です。
観音院<写真12>の西から観音山のアプローチを試みました。標高100mを超えた辺りから、東に岩が見えてきました。楽しそうなのでコースアウトし、木の枝を掴みながら岩の側を上っていくうちに、岩の上に祠<写真14>があるのに気が付きました。磐座(いわくら)でしょうか?ここから先、さらにパワースポットがいくつか出てくるようになります。ちなみに、この祠から下りると、ちゃんと道がありました。コースアウトしなくてもよかったようです。
祠からは道を辿りましたが、分岐で直進は下り、東へは上りとなったので、どうせ登るなら岩の上をと祠<写真14>まで引き返しました。ヤブコギはなく、途中から目印のビニールテープなどもあったので、コースアウトではなかったようです。
観音山頂上には「龍王神」の石碑が設置されています。雨乞いの儀式がここで行われていたのかもしれません。さらに頂上の南西には祠が3つありました。詳細は不明ですが、三神が祀られていたのでしょう。
頂上から西の有木谷集落に下りたかったのですが、道を何度も間違えて引き返し、結局、適当に西に向かうことにしました。崩れやすい斜面を下りながら道を探して最後には東に登り返し、迷いに迷って辿り着いた頂上の西、標高120m地点にある祠と巨岩<写真18,19>は磐座(いわくら)のようでした。ヤブコギはありませんが、木々の間をさまよいながら不意に祠の正面に出たので、何かに吸い寄せられたような気がしました。道に迷わなかったら、ここまでの感動はなかったかもしれません。ここは観音山でもっともパワーを感じるスポットでした。この西に位置する川上神社<写真20>は、かつてここにあったのかもしれません。祠からはちゃんと道があり、無事に有木谷集落まで下りられました。
観音山から有木谷集落まで下りて、井原市神代(こうじろ)町に入り、新九郎薬師堂<写真37>から高越(たかこし)山を目指しましたが、標高100m辺りの分岐で東ではなく北上する道を選択したところ、標高120m辺りの竹林突入からルートファインディングを誤ったのか、高越山の北の舗装道に出てくるまで、何度もヤブコギを強いられました(*_*;まさかの井原(いばら)で茨(イバラ)に苦しめられる羽目に(-_-;)新九郎薬師堂と高越山は北条早雲縁のスポットで、両者を結ぶルートは健脚コースとしてパンフレットに紹介されていました。我々が進んだのはヤブコギ冒険コースだったようです(-_-;)逆(下山)なら迷わなかったかもしれません。
北条早雲は、戦国時代を知る人ならご存じのとおり下剋上の先駆けとなった武将です。1432年(1456年説もあり)備中高越城主の伊勢新座衛門盛定の子として生まれ、伊勢新九郎盛時と名乗り、33歳で上洛するまで荏原(えばら)庄に住んでいました。現在、井原鉄道に「早雲の里荏原駅」があり、駅の北側一帯が早雲の里となっており、いくつかの史跡があります。
新九郎薬師堂は北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂です。この薬師如来像の背中に、江戸時代に表記された「祈願主新九郎」の文字があり、これが北条早雲こと伊勢新九郎のこととされています。
一方、高越(たかこし)城は蒙古襲来に備え執権北条氏から山陽道警護の要請を受け、下野(しもつけ)の宇都宮氏が築城したといわれています。享徳2年(1453年)、伊勢新左衛門行長が六庄三百貫の知行を得てこの地に下向し、居城として以来、伊勢氏が代々この地を治めました。そのうちの一人、備中守伊勢盛定は早雲の父です。現在、高越山頂上周辺は高越城址公園として整備され、山頂の主郭には一段小高い土壇があり、ここに高越城の碑や「北條早雲生誕之地」碑などが建てられていました。この主郭を中心に東、南、北の三方に曲輪(くるわ)があります。山城らしく、360度パノラマ展望も楽しむことができました。
高越山から土道を平井集落に下りて、小田川沿いを歩きました。この間にもいくつか寺院、史跡などを見ることができました。
ちなみに、今回のルートは明治四国八十八か所霊場巡りのコースの一部で、小さな石仏が祀られた祠がいたるところにあります。写真はほんの一部です。神社も多く、一帯は神仏習合、いや、「神仏集合」地帯でした(*_*;信仰心が「神仏集合」状態の我々でも十分パワーをいただけたと思います(^^♪
また、12月に入っても花や昆虫も見られ、バラエティーに富んだ楽しい時間を過ごすことができました。
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