山王塚、小山、七国峠(三角点訪問-6)


- GPS
- --:--
- 距離
- 22.0km
- 登り
- 270m
- 下り
- 189m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
今回は、
・多摩川流域を隈無く歩くの一環で、支流の大栗川の前々回の続き。
・同じく多摩川…で、鶴見川、境川との分水嶺。
・三角点訪問で三等点三つ追加。
で出かけました。
以前、多摩川分水嶺一周というのをやってまして、青梅駅から高尾駅まで、荒川、富士川、相模川との分水嶺(微妙にハズレている所もありますが)のトレースを繋ぎました。それの延長で、余り登山の対象とはならない所もトレースを入れようと思った次第。が、開発が進み、かつての分水嶺も切り崩されたりゴルフ場になったりで、おいそれとは行けない所も多いようです。まぁ、行けそうな所をつまみ食いするしかないですがね。
1月から歩き回ったので、潤滑油は行き渡ったよう。平地20km程度なら苦も無く行ける感じ。が、今回はどうも頭のネジが緩んでました。ルートミス多発。三等点「小山」を過ぎた後、「後は道なりに行けばいい」と思い込み、左に曲がるのを直進。かなり行って気付くオマヌケぶり。一応、何か変だぞセンサーはピコンピコン点滅してましたが。そして、七国峠で何の気なしに広い道を辿ってしまい、隣のお山で「三角点ナイナイ」とウロウロする始末。呆れたもんだ。まぁ、予定の三角点は全部訪問出来たし、道迷い遭難救助要請無しで戻れたので落第ではありませんが。
三等三角点「山王塚」(有17)の点ノ記より。
・撰定:明治35年(1902)5月18日。陸地測量手、臼井由清。
・造標:明治35年6月12日。陸地測量手、臼井由清。
・觀測:明治35年11月3日。陸地測量手、臼井由清。
・順路:由木村大字別所ヨリ鶴川村大字小野路ニ至ル道路ヲ行ク十丁右折、経路ヲ行ク二丁、点ニ達ス。
昭和57年(1982)に南西約350mに移転し現在に至る。元々あった場所は完全に切り崩されてしまい、往時を偲ぶ何もなし。多摩川と鶴見川の分水嶺だったですけれど。で、移転先は一面の低層笹原の中、国土地理院の白い標柱もなし。地面を見つめ辺りを20分位ウロウロするアヤシイオヂさんになってやっと見つけました。もうダメかと思った。
別所から小野路に至る道路というのが大栗川から南に辿った都道155号が近いよう。測量隊は唐木田の交差点から都道158号辺りにあった道を西に辿ったようです。旧設置場所附近はすっかり開発されてしまって、様子は全く変わっていました。
無線鉄塔敷地の左側を伝って裏側に回れますが、三角点は低い笹藪の中。頼みの白い国土地理院標柱もなし。見つけ出すのが大変。
三等三角点「小山」(有6)の点ノ記より。
・撰定:明治35年(1902)5月15日。陸地測量手、臼井由清。
・造標:明治35年6月11日。陸地測量手、臼井由清。
・觀測:明治35年11月8日。陸地測量手、臼井由清。
・順路:界村大字小山ヨリ八王子町ニ至ル旧道ヲ行ク三丁、右折ノ道路ヲ行ク一丁左折、山背ヲ行ク五間、点ニ達ス。
昭和38年(1963)に略北に23m程移転しています。今の標石はその時のもの。歩いて来た小山内裏公園の道は、昭和38年当時防衛施設局「戦車試験道路」だったそうな。その道路を歩いている分には公園内の整備された道ですが、三角点へのアプローチ40m程が難路。三角点のある台地周囲一周、崩れた土手っぽくなっていて、這い上がるのがちょっちキビシイ。最後の「山背ヲ行ク五間」が難路。公園にあるんだから、アプローチの小径なんか有ったりして、それを行けば紹介説明板位あるんじゃ…と思ったのはあさはかですた。
小山から八王子町に行く旧道というのが良く解りません。誤って鑓水公園まで辿ったのがそれに近いと思えますが、それでは順路記載の右折、左折が合わないように思えます。右折はともかく、最後、左折の筈がないんだが。左にしか読めないんだけれどなぁ。
三等三角点「七国峠」(有1)の点ノ記より。
・撰定:明治35年(1902)5月6日。陸地測量手、臼井由清。
・造標:明治35年9月10日。陸地測量手、臼井由清。
・觀測:明治35年11月9日。陸地測量手、臼井由清。
・順路:界村大字相原ヨリ八王子駅ニ至ル道路ヲ行ク十町、峠ニ至ル。其レヨリ左折、山背ヲ進ム十間、点ニ達ス。
大正14年に改測されていて、明治の点ノ記にその際の訂正が入っており、住所が「字瀧ノ沢七國」だったのが「字瀧ノ澤、俗稱七國」に改められたようです。七国は住所から俗称に格下げされた感じ。なお、最新の点ノ記は明治25年選点になっていますが、これは平成2年更新時の転記ミス。明治の点ノ記は漢字「廿(20の意)」に縦一本追加した30(卅っぽい字。UTF-8には無い)と書いているのを、廿と読み誤った結果、十年さかのぼったもの。この手のミスはまま見かけます。私も明治の点ノ記を読み始めた頃、今では使わない略字などが読めずにウンウン唸ってました。
改埋された記載は見当たらないので、標石は当時のものと思います。最初から写真の通り、標石刻印面が略北向きなんでしょう。正反対なのは初めて。多分珍しいと思います。もっと集めるとそれなりに有るのかな?。周囲に何もないので、北に向けなければならない理由は無かった筈。臼井由清陸地測量手は修技所第八期で明治33年12月卒。この時任官2年目。まだ新米だったのかな?
明治の当時、相原の中心は七国峠の略真南で「出羽三山供養塔」から「大日堂入口方面」に降りる道がメインルートだったようです。八王子から横浜への「絹の道」ですね。峠から十間(約18m)と書いているので、臼井測量官は大日堂(七州見晴台跡)の所を峠と書いたよう。
で、測定結果の答え合わせ。
「山王塚」
・当方測定:北緯35°36.455、東経139°23.455、標高170m、衛星7個捕捉。
・国土地理院:北緯35°36.4598、東経139°23.4633、標高168.14m
南に約9m、西に約12m、計15m程ズレ。
「小山」
・当方測定:北緯35°36.323、東経139°21.715、標高183m、衛星8個捕捉。
・国土地理院:北緯35°36.3238、東経139°21.7158、標高182.37m
南に約1m、西に約1m、計2m程ズレ。おっ、ばっちりジャン。
「七国峠」
・当方測定:北緯35°36.818、東経139°18.981、標高219m、衛星9個捕捉。
・国土地理院:北緯35°36.8206、東経139°18.9838、標高223.19m
南に約5m、西に約4m、計6m程ズレ。
当方測定はYAESU VX-8D+GPSユニットで測定。国土地理院の値は表記を揃える為、公表値より算出してます。単純な粗いモデルで計算しており、測位系の補正もしてないので、結果のズレ量は保証しません。お遊びでやっている事なのであしからず。
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