岡山県吉備中央町 円城〜岩倉山 岡山の真ん中でウメェーと叫ぶ



- GPS
- 04:27
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 257m
- 下り
- 258m
コースタイム
- 山行
- 3:15
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 4:25
歩行距離11km、歩行時間3時間10分、歩行数17,000歩、消費カロリー1,640Kcal
天候 | 雨のち曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
なお、焼き屋の看板<写真30>から焼き屋への道は車1台分の幅の砂利道で、お店の方のものと思われる自動車が停まっており、駐車はもちろん、通り抜けやUターンも不可能です。自動車は「円城ふるさと村」駐車場に停めて歩きましょう。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
境内や公園内など以外はアスファルト道なので傘を差して運動靴でも歩けます。前日からの雨の影響はほとんどなく、岩倉公園の岩のモニュメント周辺が少しぬかるんでいるくらいでした。 |
その他周辺情報 | 今回のスタート&ゴール地点となった「円城ふるさと村」駐車場より南南西に自動車で20分程進んだ吉備高原都市内に「きびプラザ」という施設があります。2Fの「吉備高原ごっつぉうビュッフェバイキング」では、大人税抜き1,000円でランチバイキングが楽しめます。 |
写真
以前はクサギの乾燥葉を使用した郷土料理「くさぎ菜のかけめし」が食べられましたが、現在は営業をしていないようでした(*_*;お昼にその横の丸いテーブルで「焼き屋」のウメェー!パン<写真31>を食べました。
京都の鈴鹿山の根本稲荷大明神を勧請し約320年前にはここに鎮座されていたとの記録がありますが、現在の祠は昭和52年に建てられたものです。走る白狐に乗る美しい天女の姿をした吒枳尼天(だぎにてん)が祀られています。
庚申堂(こうしんどう)とは帝釈天の使者青面金剛(庚申の別名)を祀るもので、本尊は見ザル、言わザル、聞かザルの3猿神を脇士としています。また、古来より悪事・災難は北方から襲来すると考えられており、この厄除けの神を祀る本尊も北向きに鎮座されています。
正面の向唐門(むかいからもん)の薬医門から入れず、本堂横から入りました。円城寺<写真32>の塔頭(たっちゅう)は14ヶ坊あったといわれていますが、そのうち現存するのが、地蔵院(旧福蔵坊)<写真11>とこの医王院(旧松本坊)です。
円城寺<写真32>の塔頭(たっちゅう)の一つ(旧福蔵坊)です。この寺も門扉(一間一戸鐘楼門)が閉まっていました。横にある別の薬医門の横の潜り戸門から境内に入ることができるようでしたが(´・ω・`)
三昧(さんまい)は、仏教で心を集中し雑念を払った境地、あるいは墓地や火葬場を意味する言葉です。この道沿いに小さな墓地がいくつかありました。六地蔵は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人の六道すべての衆生を救ってくださるお地蔵様です。
このモニュメントは、岡山県のド真ん中=“岡山県のヘソ”にあたる場所を調査した結果、吉備中央町(旧加茂川町)の岩倉山が該当するということで造られました。足元が少しぬかるんでいるのはこの周辺だけでした。動画を撮りながら一周しました。
&シンボルモニュメント
岩倉公園<写真18>の近くにある「いわくら公園」内に岩倉山の頂上があります。標高394.2mの頂上三角点<点名:上田西>越しにシンボルモニュメントを撮りました。中央の大きなステンレスの球体が現在地である吉備中央町の岩倉山で、その周囲にある小さな球体は岡山県内の代表的な市町村を表しているのだそうです。
アセビ(馬酔木)の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」という所から付けられましたが、雨が降ってよかったと思えるほどの美しさに酔いそうでした(*'ω'*)
長さ6~7cm程の実がたくさんぶら下がっていました。葉は落ちて実は変色しているのでよくわかりませんが、カラスウリでしょうか。通常、10月から11月に雌花の咲く雌株にのみ実をつけます。人間の食用には適しませんが、鳥が食べて種子を運びます。
円城寺<写真32>の塔頭(たっちゅう)の一つ中の坊の跡です。一番大きいこの祠が金毘羅堂でしょうか。東側は現在は木が茂って見晴らしが悪そうですが、以前は本宮山がよく見えたそうで、ベンチがいくつかありました。
標高約335mにあるパン屋です。10時過ぎには開店前のようだったので11時前に再度寄ると、15分程経ったら焼きあがるとのことで、この日3度目の訪問になりました。天然酵母を使った焼き立てパンは11時30分ごろが狙い目⁉なお、道は自動車1台分の幅しかなく、駐車場はありません。円城ふるさと村駐車場に停めて歩きましょう。
左からさつまいもパン、あんずパン、くるみフルーツパンです。ふるさと茶屋<写真01>の横で食べました。石窯で焼いた天然酵母パンの生地は、しっとりして少し弾力があります。くるみフルーツは全粒粉でレーズン入り、あんずは果実が丸ごと入り生地は焼き立ての餅のような風味、さつまいもは芋の食感はなくほのかな甘みがありました。「ウメェー!」
&円城寺本堂&阿弥陀堂
715年、行基により本宮山山頂に正法寺として開基されましたが、弘安5年(1282年)に全堂宇を焼失、翌年、この地に再建され円城寺と改称しました。天保4年(1833年)には再び全堂宇を焼失、現在の建物はその後再建されたものです。現在も神仏習合の形を残す天台宗の寺院です。
吉備中央町の天然記念物です。推定樹齢200年、樹高7m(現在は約5m?)、根元の周囲2mと、サザンカの木としてはなかなかの大木だと思います。2012年に治療を受けたそうですが、上のほうの細枝に葉がついているだけでした。生きているうちに会えてよかったです(*^^*)
弘安5年(1282)の全堂宇焼失の翌年、再建して円城寺と改称した当時の住職が弁財天のご加護を受けこの社を建立、天という意味の梵語「提婆(だいば)」より鎮守提婆宮と名付けました。なるほど、弁天様なら芸能の神様としてお祀りされるのは当然です。しかし、「提婆」は仏教における悪人、提婆達多(だいばだった)のことだと誤解も多く、「加茂の提婆は人をとる」と噂され呪いの社ともいわれています。
提婆宮(だいばぐう)のヒノキのご神木に恨み釘を打つと凝り固まった恨みが薄れるという言い伝えができたらしく、夜に密かにわら人形や似顔絵などを釘で打ち付けて行く人がいるようです。裏手にまわってみると、ヒノキの幹に本当に紙人形らしきものが五寸釘で打ち付けられていました。背筋が凍りましたが、ご住職はわざとそのままにして反省するのを待っておられるのだそうです。
「深山大沢必出龍蛇・垪和住人」と、落書きがありました。深い山や大きな沢のあるこの地に、龍蛇(りゅうだ)のような大人物が必ず現れるという意味です。「垪和(はが)住人」と落款(らっかん)があります。吟香(ぎんこう)は岡山県美咲町出身のジャーナリストで、日本初の民間邦字新聞「海外新聞」を創刊しました。「麗子像」で知られる画家の岸田劉生(りゅうせい)は吟香の四男です。
五輪塔はインドから伝わった五大という概念が元になっているため、宗派によっては梵字が刻まれています。同じ供養塔である宝篋印塔(ほうきょういんとう)は100年以上前に亡くなったご先祖様を奉るものですが、五輪塔は50年以上前に亡くなったご先祖様を奉る場合に使用するという違いがあります。
「大願主僧蓮宥 大工沙弥硯隆 延文二年八月上旬建」の銘があり、南北朝時代の1357年に建てられたことがわかります。銘が刻まれ、年代が明らかな石塔として重要で、また、昭和43年の塔解体修復工事の際、地下石室より完全な仏像だけでも約4000体も発見されたことでも有名です。岡山県指定重要文化財です。
本堂外陣(げじん)に取り付けられた天井画161枚です。江戸時代の作ですが、2014年に修復されました。靴を脱いで上がり、動画も撮りました。開山1,300年を記念し、2014年10月には内陣の天井画も披露されました。
なわばりを主張して大きな声で鳴いているので、ヒヨドリと一緒に動画も撮りました。かわいい横顔とは異なり、まるでサザエさんの準レギュラー?の空き巣の顔のようでした(^_^)/「サザエさん」には、日本手拭いで頬かむりして唐草模様の風呂敷包みを背負った空き巣が計80回以上も登場します。よく似ているのでいつも笑ってしまいます(*^^*)
湯武(ゆたけ)公民館の近くから足王大権現堂が見えます。加茂八十八か所霊場84番奥の院です。津山往来で栄えた江戸時代から、足腰の悩みにご利益があると有名でした。ご利益を得ると、幟や履物をお礼にお供えします。
葉より先に黄色い花をつけるサンシュユは、別名ハルコガネバナ(春黄金花)と呼ばれるように、黄色というより黄金色の花が咲きます。まだほとんどつぼみでしたが、鮮やかな色に心も明るくなります。
87番仁五大師堂
旧加茂川町の重要文化財だそうです。加茂八十八ヶ所巡礼では導師と共に集団で巡礼する時は要所で数珠回しを行い、各札所・霊場の地元の世話人にお茶や菓子でもてなされます。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
|
---|
感想
この日は朝から雨、山行を控える人が多いと思いますが、雨のしずくで花がとても美しく見えます。これも雨の日山行ならではの味わいです。
前回(2018年09月10日)は大雨警報の翌日でしたが、花や虫がとても多く、写真を撮っているとなかなか前に進めませんでした。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1580118.html
今回は新しいGPS機器を携帯し、傘を差してのんびり歩きながら、春の訪れを感じてきました。
出発点とした「円城ふるさと村」は、岡山県の中心部の標高300〜400mの地帯に広がっています。
同地区は奈良時代に本宮山山頂に開創された正法寺が鎌倉中期の大火により現在の地へ天台宗円城寺として再建されたのを期に、門前町が形成され発展してきたものです。門前町は円城寺の繁栄と共に変化し、江戸時代には近郷の商業の中心地となり、明治時代には行政の中心地にまで発展しました。しかし、戦後の社会環境の変化により、現在は通りの一部に面影があるだけです。
しかし、この素朴な農村風景が、かえって周りの自然と同化し、趣がありました。また、想定以上に史跡が多く、まるで史跡の宝探しをしているようでした。
本宮山円城寺は約1300年の歴史をもち、かつては16余りもの僧坊があり栄えただけあって、見応えがあり貴重なものがたくさんありました。
しかし、今回、より印象に残ったのは鎮守提婆宮でした。
弘安6年(1283年)、寺院を再建して円城寺と改称した当時の住職が弁財天のご加護を受けこの社を建立、天という意味の梵語「提婆(だいば)」より鎮守提婆宮と名付けました。しかし、「提婆」は仏教における悪人、提婆達多(だいばだった)のことだと誤解も多く、「加茂の提婆は人をとる」と噂され呪いの社ともいわれています。
本宮山円城寺のホームページの「サプリ」というコーナーに、鎮守提婆宮では丑の刻参りの痕跡が見られるという話が載っています。近年は提婆宮のヒノキのご神木に恨み釘を打つと凝り固まった恨みが薄れるという言い伝えができたらしく、本気なのか質の悪すぎるいたずらなのか、夜に密かにわら人形や似顔絵などを釘で打ち付けて行く人がいるようです。丑の刻参りとはちょっと目的が違いますが、心配な心の状態であることに変わりはありません。
怖いもの見たさで本殿の裏にまわってみると、雨でぐったりした紙人形のようなものがヒノキの幹に五寸釘で打ち付けられていました。背筋が凍るような思いがして慌ててその場を離れました。
神様なら、バチを当てるのかもしれませんが、ご住職はわざとそのままにして反省するのを待っておられるのだそうです。さらに、円城寺のホームページの前述のコーナーでこう述べておられます。
「仏さまはこのような心にも手を差し伸べることでしょう。」
こういう心配な心の状態にある人のほうが仏様の慈悲は必要で、だからこそ積極的に救おうとされるのでしょう。学校で習ったときにはいまいちよくわからなかった浄土真宗の開祖親鸞の悪人正機説「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」がやっと理解できたような気がしました。
お布施の私的流用などのニュースがたびたび流れる昨今ですが、ここのご住職は本物の聖職者だと深い感銘を受けました。
今回のタイトルに用いたウメェ〜という言葉は、雨に濡れてさらに美しくなった梅の花を観たときの感嘆言葉「ウメェー」、我々の関心を引こうとするヤギの鳴き声「ウメェー」、岩倉山のルート上にある「焼き屋」のパンを食べたときの第一声「ウメェー!」の三つのウメェーをかけました(^_-)-☆詳細は写真やその解説、さらには動画で紹介しています。
前半は雨でしたが、途中で晴れ間もあり、青空に映える梅の花なども鑑賞できました。気まぐれ天候のおかげで一粒で二度おいしい山行となりました(^^♪
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する