3月12日(木)湯河原鍛冶屋・上多賀・芦之湯〜畑宿、黒曜石原産地踏査
- GPS
- --:--
- 距離
- 57.8km
- 登り
- 2,262m
- 下り
- 1,878m
コースタイム
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
鍛冶屋の瑞應寺裏山の尾崎山周辺は分岐が多く農道と私道の区別がつきにくく、どう歩けば山頂に行きつくのかよくわからない。上多賀の海岸は景徳院下から海岸に出られるが、リゾートマンションだらけで海岸べりは巨石とテトラポットで埋め尽くされて歩きにくいのと満潮時は海水をかぶるので海藻で滑る。芦之湯から畑宿は整備されてはいるが、年寄りには結構険しい。無理をしないように努めた。 |
写真
装備
個人装備 |
地学用ピックハンマー
拡大鏡
軍手
ビニール袋数枚など
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感想
昨日は、腎臓炎外来で結果は横ばいかまあ順調か、ステロイド剤は少しづつ減って13mgに減り血圧も安定しているので薬を減らした。体調は良いが、コロナウイルス騒動で外出予定が悉く無くなり家でくすぶっていて体が鈍っておかしくなる。
そこで今日は6月に予定している考古学サークルの箱根伊豆愛鷹の黒曜石遺跡ツアーの下見にでかけた。
早朝5時半の電車で小田原経由で湯河原駅に出る。バスで鍛冶屋中央に出る予定だったが、黒曜石の分布範囲が瑞應寺の裏山周辺らしいので駅から歩くことにした。
いきなり急な坂を登る道はかつて城山に向かったハイキングコースで駅の下をくぐって真っすぐすすめば城山コースで右に曲がると幕山方面だ、箱根火山の溶岩台地の裾道はアップダウンが激しく疲れる道だ。
しばらく山裾を20分程進み左側の斜面を見つめながら歩くが黒曜石は影も形もない。瑞應寺が見えてきたので左の山に入る道を探す。登り始めると道がいくつもに分かれるがどの道、を行けばよいかわからない。裏山の山頂方向と思える未知を進むが周囲のみかん畑を見てもそれらしい石は転がってはいない。鹿よけの電気柵に覆われて中には入れないし私有地なので入るべきでない。様々な分岐を試しに進んでみるが黒曜石どころかイノシシの罠などが仕掛けてあり、無理に進むことはできない。更に進むと道が細くなったところで軽トラックに行く手をふさがれ、ここで何をしているのか?ここは私有地だと一喝された。これまでよほど黒曜石目当てのコレクターに荒らされたらしく黒曜石はこの上の方にまだあるがここから先は入ってはならないと追い返された。私自身はコレクターではなく写真さえ取れればよいのだが被害を被った農家には通じなかった。諦めて下山し、湯河原駅に戻り、奥湯河原行バスに乗り湯河原観光会館の黒曜石を見に行く。会館の庭園入口付近に大きな黒曜石が置いてある。先ほどの登った山から出たものらしい。会館の資料室にも黒曜石の展示がある。
こんな巨大な黒曜石があの山の斜面には埋まっていたのだろうか?今では大半は失われ、山の上の方にわずかに眠っているのか?
湯河原駅に戻り、熱海に移動し、バスで上多賀に向かう。
景徳院のある保育園前バス停で下車、海岸に下りる道を探す。保育園の下まで降りるとトンネルがあり、海岸に下る遊歩道があった。遊歩道といっても漁協などの連名で貝殻を取るなという看板があり、下に出るとテトラポットと大きな丸く磨かれた石が累々と重なる場所に出る。ここから漁港のあたりまで、巨岩の岸辺を渡っていくしかない。テトラポットの下の巨岩を渡るが、満潮時には海水が浸るので海藻類がついていて湿っている石が多く滑りやすく危険だ。石が大きいので段差が大きい。一度滑って転倒し、辛うじてけがを免れる。かなり危ない。大きなテトラポットが続くがけ下の濡れた大石の海岸べりを渡り、少し開けた乾いた大石の海岸の石の上に座ってコンビニ200円弁当を食べる。三色ごはんを食べ、ポテトサラダとホットドッグを食べようとしていると、上からトンビが急降下、あっという間にポテサラのトレーを弾き飛ばされた。危ない!−−上を見るとトンビが悠然と旋回している。声を上げてトンビを脅しながら下に岩の隙間に飛ばされたポテサラを回収、カメラでトンビを追うとトンビは少し離れたところに飛んでいく――まだ油断はできない――急いでポテトを食べきり空を見るがーどうやら危険は去ったようだ。
かつては国道沿いの壁面に地層がむき出しにあり、土壌化したデイサイト中に黒曜石が混じる露頭が見えたそうだが、リゾートマンション開発で大方消えてしまったようだ。そのリゾートマンションの発つがけ下の大石の累積する海岸を慎重にわたり、石や壁面を観察する。それらしきものはなかなか見えてこないが、最後にわずかな痕跡を見つけ、今日はこれで満足する。岸から上がるとその先は行き止まりで海岸を進むには大回りしなければならず、あまり見込みはなさそう。バス停を探すが、多賀神社前にある宮脇バス停に出ると、ちょうどバスが出てしまっている時間、伊東線の伊豆多賀駅まで歩こうと駅の近くまで行くが、スマホで再度時刻表を確認すると、電車より次のバスの方が早く来るので、再度バス停に戻る――しかしバスは遅れて10分以上待たされた。
熱海駅まで戻って乗り換えるつもりだったが、バスが遅れたので、途中の清水バス停で下車して、元箱根行バスを待つ。ここは多くのバスが集まるので屋根付きのベンチが二つもあり、待合の高齢者の一団が別のバスに乗り込んだ後、ゆっくり座ってバスを待つ。15分くらい待って元箱根行バスが来た。結構人が乗り込んだが、熱海峠〜十国峠を過ぎるとほとんどだれもいなくなる。箱根関所まで一緒だったのは一組だけ、当初は元箱根まで行き、乗り換えて畑宿(上畑宿?新畑宿?)まで行く予定だったが、箱根関所で蕎麦屋が見えて下車し、待ち時間の間そばを食べる。箱根湯本〜小田原行きバスに乗ろうとすると畑宿は通らないという。いわれるまま、バス停を小田急バス側に移動し、バス会社に聞くと畑宿はやはり元箱根で乗り換えになるという。時刻表をスマホでチェックし、畑宿でなく芦之湯から朝日弁天山遺跡石碑を見てから徒歩で畑宿まで下山することにしたが、むしろ正解だった。事前に計画を練る時に、きちんと標高差をチェックしなかったが、芦之湯側が畑宿より標高が高いことは十分予想できたので、芦之湯から下る方が楽と思ったが忘れていた――今日はすでに鍛冶屋の山と上多賀海岸を歩いて相当疲れているのでこれが正解だった。関所跡でぐずぐずしてよかった。
予定の六道地蔵―石仏群と歴史館は割愛し、東芦之湯バス停で下車し、事前に箱根町文化財課に問い合わせたように、わき道から朝日弁天山遺跡石碑を目指す。文化財課の情報とスマホの地図(google map、ヤマレコ地図、GPSなどを併用し、何とか、石碑の道を見つけて歩く。芦之湯三碑の一つが遺跡の石碑のようだ。石碑の根元に出土した1万2〜3千年前の黒曜石の石器が埋め込まれている。土器は出土しない無土器時代(旧石器末か縄文草創期か?)の遺跡で石器しか出ていない。箱根の石器時代遺跡として話題になった遺跡らしい。
ここからが結構大変だった。国道に出てゆ坂入口バス停の先のハイキングコースの入り口を探すが、道を間違えて別荘地の出てしまう。その別荘の丘の向こう側に国道があるのはわかるので、思い切って別荘地の庭を通過し、草むらの先の道を見つけて国道に下りる。するとバス停の前に出て、道標があり、ハイキングコースに出る。林道が交差し、林道は進入禁止の看板があり、ハイキングコースは湯元と畑宿に分かれている。畑宿コースに入り、どんどん下る。結構な急降下で、足がつりそうになる。相当足が弱っていると思われるが、条件の異なる厳しい三ヵ所歩くのは年相応の計画とは言えないー結構きつい。この道は畑宿ー芦之湯間の近道で険しい道だが、鎌倉街道として整備が始まり、おそらく江戸時代には、石畳の街道整備がなされていたらしく、石畳の痕跡と時折石垣の残りが見える。現在は神奈川県がハイキングコースとして整備管理し、それなりに整備されているが標高差があり、けっこう険しい。
湯坂路入口が14時18分、飛竜の滝到着が14時45分、 山と高原地図で20分、今回は27分かかったが、足が疲れているのでまあまあ、なんとか合格としよう。
何とか飛竜の滝までたどり着き、一休み、滝にアクセスする道が崩れ、途中で通行止めになっている。若ければ強引に崩壊地を下ってその先の道まで行くのだが、足腰の弱った現在ではやめておく。若いハイカーが下から上がってきたので選手交代、先に下山するが途中で追い抜かれる。その直前、ついに足腰の疲れがピークに達し転倒、石と石の間に足先を取られ、地学巡検用のロックピックハンマーなど荷物が重く、背中が耐え切れず、頭から石の地面に倒れ込む。今回は手先を痛めることなく、ひざを打っただけで、辛うじて大したけがはなかったようだ。大石に腰を下ろし、しばし休憩して体調を整えている間に先ほど滝で出会った若者たちが通り過ぎて行った。ケガの無いことを確認し、畑宿まで下る。途中、柱状節理の露頭が見られると聞いたが、それらしき場所は柱状節理なのか、板状かよくわからなかったが、そこしかなかろうと思う場所があった。長方形に割れた白っぽい岩石があちこちに転がっている。
ジオサイトの「飛竜の滝」の説明を見ると
「上段15m、下段25m と、2段に分かれて流れ落ちる滝です。「飛竜の滝」とは、龍が飛揚するかのような形からこの名前がついたといいます。神奈川県内で最大規模の滝で、鎌倉時代には箱根権現信仰の行者が鎌倉街道を進む途中、この滝に打たれて身を清めたと言われています。安山岩質の浅間山溶岩が造る滝です。飛龍の滝に沿った登山路は、江戸時代の街道筋にあります。畑宿と芦之湯温泉を結ぶ近道であり、通称「滝坂道」と呼ばれました。
麓の畑宿は箱根・小田原地方を代表する伝統工芸品である「寄木細工」の産地の一つとして知られています。寄木細工は色の異なる木を組み合わせて模様を作り、箱などの表面を装飾する技法であり、江戸時代後期からの箱根の土産物として人気を博しています。
滝へ行く歩道の途中にある巨大な岩体は、「柱状節理(※1)」(岩体に入った柱状の割れ目)と呼ばれるものです。噴火の際に流れてきた溶岩(※2)が冷えて固まる際にできたひび割れで、規則的に割れたものです。飛龍の滝へのコース沿いにある柱状節理は、ハイキングコースの沿道で間近に観察することができます。
※1 柱状節理:溶岩が冷え固まる時にできた割れ目(節理)のうち、柱状に規則的に割れたもの。溶岩の底面や上面に対して垂直方向にでき、断面は6角形などの形状をなす。
※2 溶岩:マグマがバラバラに飛び散らずに地表に流れ出たもの。高温で液体のものと、冷え固まって固体のもの、両方に使う。
とある。白っぽいことから、愛鷹山地の位牌岳の途中で見たデイサイト質の岩に似ているが、そちらは板状節理で、こちらは柱状のようだ。しかしながら、畑宿周辺の黒曜石はついに今回はかけらも見えなかった。本気で探すには、黒岩橋や甘酒橋など、ピンポイントで数カ所踏査しないと漠然と歩いても何も見つからないのだったーー。最後はこれ以上事故を起こさないよう慎重に下り、コースタイム30分のところ40分かけてなんとか無事に畑宿まで下った。若者たちの姿はすでに見えなくなっていた。ここは箱根新道と東海道が交差する場所で、どうにも分かりにくい。当初の計画では弁天山清流公園駐車場の下見をする予定だったが、これ以上歩く気になれず、上畑宿か新畑宿バス停から帰宅することにーー上畑宿バス停前の「石だたみ」という店は閉まっていたが、バス停ベンチがあるのでそこで休憩しながらスマホで時刻表を見比べ、上畑宿から湯元に出て小田急の特急に乗って帰宅することにした。普段は特急など乗らないのだが、体が疲れ切って、少しでも休ませようという年寄り期分、しかたないさーー。ともかく、三ヵ所歩き切ったことで良しとしようーー。
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