今回の踏査は峯小屋トンネル〜光明山〜山東〜二俣付近。地図は「遠州の霊山と山岳信仰〜その源流と系譜」より引用。
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今回の踏査は峯小屋トンネル〜光明山〜山東〜二俣付近。地図は「遠州の霊山と山岳信仰〜その源流と系譜」より引用。
西鹿島駅から遠鉄バスで、おいだいら入口バス停までやってきました。
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3/15 7:50
西鹿島駅から遠鉄バスで、おいだいら入口バス停までやってきました。
まずは舗装路歩き。林道光明線のここから取り付きます。
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3/15 8:24
まずは舗装路歩き。林道光明線のここから取り付きます。
ここの分岐を左に行くと光明山山頂に寄らずに光明山遺跡へ向かいます。我々は山頂に寄りたいので階段ルートで。
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3/15 8:41
ここの分岐を左に行くと光明山山頂に寄らずに光明山遺跡へ向かいます。我々は山頂に寄りたいので階段ルートで。
尾根に到達。右へ行けば鏡岩や奥の院跡がありますが今回は寄りません。
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3/15 8:54
尾根に到達。右へ行けば鏡岩や奥の院跡がありますが今回は寄りません。
光明山山頂と二等三角点「光明山」。標示杭の根元が折れちゃいそう。
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3/15 9:00
光明山山頂と二等三角点「光明山」。標示杭の根元が折れちゃいそう。
2ヶ月ぶり2度目の光明山。今回は前回通らなかった山頂西側のルートから下ります。
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3/15 9:09
2ヶ月ぶり2度目の光明山。今回は前回通らなかった山頂西側のルートから下ります。
すぐに車道に出ました。
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3/15 9:14
すぐに車道に出ました。
再び小径に入り光明山遺跡へ。
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3/15 9:16
再び小径に入り光明山遺跡へ。
そういえば光明山遺跡ってお寺の前はお城でしたね。
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3/15 9:23
そういえば光明山遺跡ってお寺の前はお城でしたね。
光明山遺跡からの景色は最高でした。
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3/15 9:25
光明山遺跡からの景色は最高でした。
ここから西側は初めて歩くエリアになります。
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3/15 9:35
ここから西側は初めて歩くエリアになります。
「よみがえれ秋葉古道の会」さんのホームページにあった光明山の地図を参考に「麗橋古道」へ…。のつもりだったんですが、麗橋古道よりも50mほど下に作られた比較的新しい道でした。
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3/15 9:41
「よみがえれ秋葉古道の会」さんのホームページにあった光明山の地図を参考に「麗橋古道」へ…。のつもりだったんですが、麗橋古道よりも50mほど下に作られた比較的新しい道でした。
水場もありました。
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3/15 9:52
水場もありました。
車道に抜けました。町石が残っているという「麗橋古道」も歩いてみたかったので、麗橋古道の出口を探します。
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3/15 9:56
車道に抜けました。町石が残っているという「麗橋古道」も歩いてみたかったので、麗橋古道の出口を探します。
かなり荒れてますが、どうもここっぽい。
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3/15 9:58
かなり荒れてますが、どうもここっぽい。
これは道ですね。間違いないみたいです。
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3/15 10:04
これは道ですね。間違いないみたいです。
「第四十七町」の町石を発見!他に四十五町と五十町もありました。
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3/15 10:28
「第四十七町」の町石を発見!他に四十五町と五十町もありました。
光明山遺跡の駐車場に出ました。
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3/15 10:35
光明山遺跡の駐車場に出ました。
鎌倉時代から室町時代の墓地があるという方神塚に登ってみましたがひどい笹藪で、あるはずの集石墓は確認できず…。
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3/15 10:42
鎌倉時代から室町時代の墓地があるという方神塚に登ってみましたがひどい笹藪で、あるはずの集石墓は確認できず…。
南西へ進みます。今度は車道で…。
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3/15 11:06
南西へ進みます。今度は車道で…。
近くにあるからと寄り道して探した三等三角点「山東」。道のないピークにあったので20分ぐらい余計に時間がかかっちゃいました。
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3/15 11:20
近くにあるからと寄り道して探した三等三角点「山東」。道のないピークにあったので20分ぐらい余計に時間がかかっちゃいました。
再び車道歩きで船明方面へ。
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3/15 12:18
再び車道歩きで船明方面へ。
また三角点の近くだったので破線ルートへ。
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3/15 12:23
また三角点の近くだったので破線ルートへ。
「行者山〜丸山」という指導標がありました。行者山…ここにも修験者の足跡が!
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3/15 12:32
「行者山〜丸山」という指導標がありました。行者山…ここにも修験者の足跡が!
三等三角点「舩明」。ここが行者山で、242ピークが丸山ということになるのかな?また違う日にゆっくり歩いて確認してみたいです。
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3/15 12:36
三等三角点「舩明」。ここが行者山で、242ピークが丸山ということになるのかな?また違う日にゆっくり歩いて確認してみたいです。
三角点からは南東の尾根から車道に戻りました。
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3/15 12:43
三角点からは南東の尾根から車道に戻りました。
車道を南へ進み、今度は四等三角点「羽生」へ寄り道。ここは小径が整備されていて簡単に立ち寄れました。
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3/15 13:03
車道を南へ進み、今度は四等三角点「羽生」へ寄り道。ここは小径が整備されていて簡単に立ち寄れました。
光明山遺跡から5kmほど歩いてきたみたいです。
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3/15 13:10
光明山遺跡から5kmほど歩いてきたみたいです。
集落まで下りてきました。
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3/15 13:28
集落まで下りてきました。
お腹が空いたので八幡屋山東店で上にか蕎麦を注文。「上にか」ってなんだろう?と思って注文しましたが、油揚げと鰹節がのったシンプルな蕎麦でした。
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3/15 13:46
お腹が空いたので八幡屋山東店で上にか蕎麦を注文。「上にか」ってなんだろう?と思って注文しましたが、油揚げと鰹節がのったシンプルな蕎麦でした。
光明山古墳と光明寺にも寄り道。光明山遺跡の場所にあったお寺が昭和6年に焼失して麓に移ったのがこの光明寺です。
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3/15 14:16
光明山古墳と光明寺にも寄り道。光明山遺跡の場所にあったお寺が昭和6年に焼失して麓に移ったのがこの光明寺です。
光明山古墳は五世紀後半の前方後円墳。後ろから見たらただの森にしか見えません。
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3/15 14:20
光明山古墳は五世紀後半の前方後円墳。後ろから見たらただの森にしか見えません。
再び車道に戻り天竜区役所の横を通過。駐車場内に四等三角点「笹岡」を発見。
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3/15 14:35
再び車道に戻り天竜区役所の横を通過。駐車場内に四等三角点「笹岡」を発見。
役行者像が祀られているという長光寺にも立ち寄りました。この辺りは鎌倉時代から行われた峯中路(秋峯)と、中世後半に成立した新しい峯中路(秋葉山〜竜頭山〜常光寺山〜信州)が重なる地域なので、多くの修験者が行き交った場所なのでしょう。
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3/15 14:42
役行者像が祀られているという長光寺にも立ち寄りました。この辺りは鎌倉時代から行われた峯中路(秋峯)と、中世後半に成立した新しい峯中路(秋葉山〜竜頭山〜常光寺山〜信州)が重なる地域なので、多くの修験者が行き交った場所なのでしょう。
再び二俣の町を南下。今度は二俣川の脇にある烏帽子山、小角役行者尊へ。
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3/15 14:55
再び二俣の町を南下。今度は二俣川の脇にある烏帽子山、小角役行者尊へ。
急な階段を登ると、不動明王や役行者の石像が祀られてました。ここは昭和7〜10年の工事で二俣川の流路が変えられるまでは、川を挟んで南側の浅間神社(浅間山)と繋がっていましたから、もしかしたらここが東の山へ入る入口だったのかもしれませんね。
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3/15 14:58
急な階段を登ると、不動明王や役行者の石像が祀られてました。ここは昭和7〜10年の工事で二俣川の流路が変えられるまでは、川を挟んで南側の浅間神社(浅間山)と繋がっていましたから、もしかしたらここが東の山へ入る入口だったのかもしれませんね。
できれば二俣街道の鳥羽山トンネル通過を回避したいので、二俣城と鳥羽山城を経由して行きます。
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3/15 15:07
できれば二俣街道の鳥羽山トンネル通過を回避したいので、二俣城と鳥羽山城を経由して行きます。
二俣城址。家康の嫡子、徳川信康が切腹を命じられ自刃した悲劇の場所でもあります。
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3/15 15:22
二俣城址。家康の嫡子、徳川信康が切腹を命じられ自刃した悲劇の場所でもあります。
次は鳥羽山城址へ。こんなに近くだから両方合わせて二俣城扱いだったんでしょうね。
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3/15 15:30
次は鳥羽山城址へ。こんなに近くだから両方合わせて二俣城扱いだったんでしょうね。
城址は公園になってました。
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3/15 15:39
城址は公園になってました。
本丸広場。鳥羽山城址からは枯山水の庭園跡なども見つかっていて、迎賓機能も備えた居館だったと考えられているそうです。
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3/15 15:47
本丸広場。鳥羽山城址からは枯山水の庭園跡なども見つかっていて、迎賓機能も備えた居館だったと考えられているそうです。
本日6つ目の三角点、四等三角点「鳥羽山」。
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3/15 15:50
本日6つ目の三角点、四等三角点「鳥羽山」。
三角点の脇に下へ降りる小径があったので、そこから南へ下りようとしたんですが、後半はかなり荒れてました。
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3/15 15:53
三角点の脇に下へ降りる小径があったので、そこから南へ下りようとしたんですが、後半はかなり荒れてました。
整備された階段に出ました。最初からこっちで下りればよかった…。
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3/15 15:54
整備された階段に出ました。最初からこっちで下りればよかった…。
江戸時代の筏問屋だった田代家住宅へ下りられる小径を発見。江戸〜明治期に旅人が利用した古道だとか。
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3/15 15:59
江戸時代の筏問屋だった田代家住宅へ下りられる小径を発見。江戸〜明治期に旅人が利用した古道だとか。
田代家住宅の敷地を経由して道路へ。ちょうど閉館時間だったんですが、ギリギリ通してもらえました。
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3/15 16:03
田代家住宅の敷地を経由して道路へ。ちょうど閉館時間だったんですが、ギリギリ通してもらえました。
すぐ横には明治時代に作られた鳥羽山洞門の入口がありました。鳥羽山には「鳥羽山トンネル(車道)」「鳥羽山トンネル(歩道)」「天竜浜名湖鉄道のトンネル」「鳥羽山洞門」と、4つものトンネルが並んでいるんですね。
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3/15 16:07
すぐ横には明治時代に作られた鳥羽山洞門の入口がありました。鳥羽山には「鳥羽山トンネル(車道)」「鳥羽山トンネル(歩道)」「天竜浜名湖鉄道のトンネル」「鳥羽山洞門」と、4つものトンネルが並んでいるんですね。
鹿島橋を渡ります。遠州修験道の本に載っていた地図では秋峯ルートは鳥羽山城の北西から天竜川を越えているんですが、さすがに泳いで渡るわけにもいかないので…。修験者たちは泳いで渡ってたんですかね?まあ天竜川の流路も今とは全然違っていたでしょうし、時代によって色々変わっていったんでしょうね。
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3/15 16:12
鹿島橋を渡ります。遠州修験道の本に載っていた地図では秋峯ルートは鳥羽山城の北西から天竜川を越えているんですが、さすがに泳いで渡るわけにもいかないので…。修験者たちは泳いで渡ってたんですかね?まあ天竜川の流路も今とは全然違っていたでしょうし、時代によって色々変わっていったんでしょうね。
ようやく西鹿島駅まで戻ってこれました。大半が舗装路歩きでしたが、見所も多く楽しい踏査でした。
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3/15 16:28
ようやく西鹿島駅まで戻ってこれました。大半が舗装路歩きでしたが、見所も多く楽しい踏査でした。
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