秘境・青ヶ丸から仏ノ尾 バリ周回


- GPS
- 07:45
- 距離
- 15.2km
- 登り
- 1,145m
- 下り
- 1,135m
コースタイム
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
●秋岡浄水場〜青ヶ丸 浄水場の左側から林道があってしばらく登っていきます。標高585mで林道から離れて尾根に取り付きます。尾根ははっきりしていてまぎらわしい枝尾根なども少なく登りやすいです。P710+を過ぎたあたりで少し痩せ尾根になっていますが、注意して歩けば危ないというほどのものでもありません。しばらくはネマガリタケも少なくて歩きやすく綺麗な稜線でした。ところが標高1050mにある岩場を乗り越えたあたりから急坂になりネマガリタケも増えてきて辛い藪漕ぎが強いられます。ただ何年か前に行われたらしい地籍調査の切り開き(の残骸)があって、そんなに強烈なヤブではありません。標高差200m弱を我慢してヤブ漕いで登ったらポンと県境尾根に出ます(標高1220m)。県境尾根は広く切り開かれていて氷ノ山が展望できました。ここが自分の縄張りとばかりに熊の大グソが何か所かあるほぼ平坦な切り開きを進んでいって、その切り開きが広くなった場所が青ヶ丸山頂1239.5mです。明確な山頂表示板はありませんでしたが、三等三角点?がありました。まわりのネマガリタケは自分の背丈よりも高くて、これに遮られて展望はありませんでした。 ●青ヶ丸〜仏ノ尾 青ヶ丸山頂から先の切り開きは2方向あって、西北西と北北東です。イメージ的には西と北です。切り開き以外は濃密なネマガリタケでとても歩けません。いわゆる10m進むのに10分かかるヤブ漕ぎです。西の切り開きはP1144を経由して若桜町へ降りていくルートです。yamayuuさんが去年の秋に登られてます。今回は北の切り開きで降りていきます。引き続き県境尾根となります。ササなどを掴みながら急斜面を降りたところの青テープに誘われて沢を下りかけましたが、不安になって右に巻きました。これはヤブでしたので直進して登り返した方が良かったかもしれません。真北に登る稜線に乗って登ったらなだらかな切石1153mに着きます。進路を北西に降って同じ方向で登り返したら中ノ丸1144mに着きます。中ノ丸から先は西に延びる県境尾根から別れて、北に延びる広い尾根を進み、すぐに東寄りに登り始めますが、尾根が広いのでルーファイは俄然難しくなります。しかし中ノ丸あたりからポツポツとピンクテープがあってこれを信じて進めば仏ノ尾山頂1227mに着けます。仏ノ尾山頂は切り開きになってますが、わずかに鉢伏山が見えました。 ●仏ノ尾〜仏ノ尾登山口 仏ノ尾山頂には山頂標識は見当たりませんでした。登山口にあんなりっぱな標識を作りながら、正直、片手落ちと言わざるを得ません。北へ伸びる稜線には『小長辿(こながたわ)登山口へ』と書かれてありました。小長辿は平家の落人伝説のある廃村です。いまや国土地理院の地図にも載っていませんが、小代区久須部のP670周辺です。今回進む南東方向の稜線は標高差にして200mほど激下りです。ピンクテープが等間隔にあるので安心して下れますが、なくても明確な稜線なのでルートを外すことはありません。しだいに緩やかになってきて、栗の巨木を少し過ぎたあたりで主稜線を外して右下へトラバースしたのち、また支尾根に乗って下っていくと高層湿原に着きます。湿原の下は崩壊していてややこしくなっていますが、林道を見つけて下っていけば、りっぱな標識の登山口に着きます。 ‐ |
その他周辺情報 | おじろん温泉は休業中。 6月2日火曜日より時間を短縮して営業を再開するとのこと。 ‐ |
ファイル |
(更新時刻:2020/05/26 14:51)
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写真
装備
個人装備 |
一般的な日帰りハイキング装備に加えて万一のため
ペツルRADロープ30m1本
ブルーアイス コーカスライトハーネス
エーデルリッド マイクロジュル(細ロープ対応ATC)
環付カラビナ3枚
シュリンゲ長短2本
ツェルト
非常食
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感想
緊急事態宣言は解除されたものの、相変わらず府県をまたぐべからずということで、県内の少々手ごたえのある山に登ってきました。手ごたえと言っても、ルーファイとヤブ漕ぎの観点で、ルートを外さない限りクライミングの要素はありません。万一を考えて少々過剰な装備になってしまいましたが、バリエーションには念を入れるに越したことはありません。
今回の山行契機となったのは2つあって、多田繁次氏著『兵庫の山やま(総集編)』(神戸新聞出版センター S52.9.1発行)の山行レポートがひとつ目です。タイトルに(秘境)と入れたのは、この著作のなかで青ヶ丸が唯一、秘境となっていたからです。青ヶ丸の章のレポートはいまから50年ぐらい前のものと想像できますが、濃密なネマガリタケを漕いで登ったレポートには迫力があり、引き込まれていました。ですので、いつか登りたいと思っていました。いまや秘境と呼べるかどうかは各人が判断するところとはなりますが、少なくともボクの場合、山深さをヒシヒシと感じながら、周回できるかどうかドキドキしながら行動していたというのが偽らざる事実です。
もうひとつの契機は、加藤文太郎の『単独行』の章『初めて錯覚を経験したときのこと』です。この章で文太郎は、”三ッヶ谷”という名の山周辺で霧に巻かれてルートを喪失して倒れ、遭難しかけています。実はこの”三ッヶ谷”というのは、当時から呼ばれていた青ヶ丸の別名(俚称)で、一二三九・三メートル(国土地理院は1239.5m)と記述されています。そのあたりの『単独行』での記述は以下の通りでとても興味深いです。片方のストックが折れ、片方のシールが効かなくなったスキーで七転八倒している様子は、涙ものです。
『・・・それがちょうど三ッヶ谷<*1>や扇ノ山附近に見えたので、つい小代谷へ下った尾根を国境尾根<*2>だと感違いしてだいぶ迷い廻った。もちろん最初にこの尾根は怪しいようだと思えば、磁石も出して見るし、よく考えても見るから間違いはないはずだが、たしかにあれは、国境尾根に違いないと思うとそれに気を取られて後戻りしていることさえ気がつかなかった。・・・かつて僕は雪の無いとき、この谷を登ってきて三ッヶ谷の頂上に立ったことがある。・・・頂上附近はやはりブナの大木とスズ竹の物凄い藪であったから三角標石を探すのに随分と苦心をした。
・・・
しかし、この峰の頂きに登った頃はまた物凄く吹雪いてきた。そこからちょっと進んだところで不注意にも雪庇をふみはずして小代谷側へ落ち、ひどく身体を叩き付けられた。高さは四メートルくらいのもので、その下はあまり急でなかったからちょっと流れただけで止った。しかしこの急な雪庇を登るのはつらかった。三ッヶ谷の頂上は長くなっているので、南の方から登って行くとどこが最高点だかわからない。・・・どうも変だ、間違って小代村へ下りつつあるようだ、と思うようになった。それは周囲の山がすべて濃霧に鎖(とざ)されて方角がわからないのと、快晴の日の登山は、自分の歩いた道をあまり頭に入れていないためである。・・・風陰を探しながら歩いていると、また雪庇をふみはずし、こんどはまっさかさまに投げ出されてぞっとした。僅か二メートルぐらいのものであったがひどくこたえた。早速雪庇の下を掘って入る。・・・』(以上『単独行』の抜粋 <*1>青ヶ丸の別名 <*2>兵庫県と鳥取県の県境尾根。)
『兵庫の山やま(総集編)』の他の章では、”文さん”という呼び名で加藤文太郎も出てきます。著者は文太郎よりも1歳だけ年下で、レポートされている青ヶ丸山行の時点では文さんはすでに亡くなっていましたが、著者も文さんのことを感じながら登っていたんだろうなと想像できます。積雪があろうとなかろうと、加藤文太郎は一年を通してこのあたりを歩いていたようです。今回はボクにとって感慨深い山行となりました。
今回の山行計画にあたっては、ymgoroさんの青ヶ丸ピストンと仏ノ尾ピストンを合体して作成しました。随所にわたる貴重な報告が非常に参考になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
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コメント
この記録に関連する登山ルート
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兵庫県というと都会というイメージなんですが、
山深くて、やぶ漕ぎの山もあるんですね。
ネマガリタケがあるという事は雪も結構降るのでしょうか。
ネマガリタケのやぶ漕ぎは以前はよく突入して採取していましたが
体力が結構いるのでヘロヘロになりました。
今はもうもっぱら買っています。
最後から2枚目の写真はカラーの種類かな?
いずれにしてもサトイモ科ですね!
さくちゃん、まいど。
兵庫県は瀬戸内海沿いが都会で、中央部から日本海側は田舎の感じです。青ヶ丸は氷ノ山よりも日本海に近い場所にあり、山深いですね。平家の落人伝説もあります。
ネマガリタケは密度が高くなると、突っ込んでも跳ね返されますね。それでも突っ込むとカラダが浮いて、本当に泳ぐ形になります(笑)
カラーって呼ばれているんですか、畑でたくさん育てられていました。平均的なミズバショウと同じ大きさなので、これを使った生け花はかなり大きいものになりますね。
クマ
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