記録ID: 2470232
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ハイキング
奥多摩・高尾
トヤド浅間
2020年08月02日(日) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 07:48
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 1,122m
- 下り
- 1,313m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:08
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 7:48
距離 18.6km
登り 1,122m
下り 1,313m
6:56
97分
スタート地点
14:44
ゴール地点
天候 | 曇り/快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
05:10 JR府中本町発 06:14 JR武蔵五日市駅着(473円) 06:22 JR武蔵五日市駅BS発 西東京バス 数馬行き 06:52 下川乗BS着(682円) ---山歩き--- 15:06 JR上野原駅発 中央線高尾行き 15:24 JR高尾駅着(330円) 15:31 京王高尾駅発 準特急新宿行き 15:56 京王府中駅着(283円) =============== 交通費合計:1768円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
1)下川乗BSからトヤド浅間への取り付きを見つけることが出来ませんでした。僕のログは、標高400mから450mは道の無い所を歩いています。標高450m付近で作業道に出ました。この作業道を捜して取り付くことをお勧めします。 2)上記1以外は特に問題の無い判り易い道でした。 |
その他周辺情報 | 軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)と石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)に参拝しました。 軍刀利神社は【剣】、石楯尾神社は【楯】の神社なので、RPGファンにお勧めです。 |
写真
下川乗BSに06:52着。トヤド浅間への指道標を捜して、バス通り(檜原街道)をウロウロする。指道標は何も見つからない。仕方がないので清水酒店脇の橋で南秋川を渡り、写真の苔の道を歩きながら、トヤド浅間への取り付きを物色する。地図では、この辺から直登するのが一番近道に見える。写真の坂の左の階段から適当に取り付く。
07:17 夏草がうるさいし、濡れた土の斜面は滑るし、トゲトゲは多いし、登ったりトラバースしたりした。標高400m〜450mが一番しんどかった。気温⁺22℃と快適な温度なのに汗だく。
※トヤド浅間に行く人は、僕のログをマネしない方が良いです。
写真は登るのに疲れて、南秋川の反対側の山を見ながら休憩の時に撮影したもの。ガスが登っているので良い天気になるかな。
※トヤド浅間に行く人は、僕のログをマネしない方が良いです。
写真は登るのに疲れて、南秋川の反対側の山を見ながら休憩の時に撮影したもの。ガスが登っているので良い天気になるかな。
10:43 軍刀利神社元社(950m)に到着。氏子の方達が草刈のご奉仕をされていた。
参拝して、「至 奥ノ院、井戸。元社から下り45分」と手書き道標が立つバリルートを覗き込んでいたら、「どちらまで行かれるのですか?」と氏子の方に心配されてしまった。「陣場山の方へ行きます」とバリルートは降りない意思表示をしてご安心頂いた。晴れていれば富士山が良く見えると教えてくれた。「次は冬に来て富士山を見てみます」とお礼を言って別れた。
覗き込んだバリルートは、急斜面で夏草ワサワサ。冬枯れの季節に登りで挑戦したいと思う。
(※)軍刀利神社 社務所前に置いてある富士急山梨バスの手書き地図にバリルートの名前が「男坂」となっていた。僕が降りた破線道は「女坂」。
参拝して、「至 奥ノ院、井戸。元社から下り45分」と手書き道標が立つバリルートを覗き込んでいたら、「どちらまで行かれるのですか?」と氏子の方に心配されてしまった。「陣場山の方へ行きます」とバリルートは降りない意思表示をしてご安心頂いた。晴れていれば富士山が良く見えると教えてくれた。「次は冬に来て富士山を見てみます」とお礼を言って別れた。
覗き込んだバリルートは、急斜面で夏草ワサワサ。冬枯れの季節に登りで挑戦したいと思う。
(※)軍刀利神社 社務所前に置いてある富士急山梨バスの手書き地図にバリルートの名前が「男坂」となっていた。僕が降りた破線道は「女坂」。
10:49 三国峠(奥ノ院への分岐)を通過。ここから軍刀利神社奥ノ院へ降りる予定だけど、時間に余裕があるので生藤山をピストンすることにした。
11:40に生藤山からここに戻り、予定通り軍刀利神社奥ノ院へ降りる。
11:40に生藤山からここに戻り、予定通り軍刀利神社奥ノ院へ降りる。
12:03 黒田川(※)の源流の沢を渡る。水が冷たくて気持ち良い。顔や手を洗い大休止。この先、井戸集落まで黒田川沿いに山を降る。
(※)軍刀利神社本殿参道の階段脇の地図には、「軍刀利川(井戸川)」と書いてあった。「黒田川」は「奥多摩」(宮内敏夫著)に書いてあった名前。
(※)軍刀利神社本殿参道の階段脇の地図には、「軍刀利川(井戸川)」と書いてあった。「黒田川」は「奥多摩」(宮内敏夫著)に書いてあった名前。
額殿の中。陸軍大将 松井石根の揮毫額。松井石根は南京事件時の総司令官として東京裁判でB級戦犯の判決を受け、1948年に東条英機や広田弘毅と一緒に死刑執行された。
wikiに処刑前に教誨師に残した以下の言葉がある。
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南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ[12]、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。
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松井石根は「興亜観音」の創設者でもある。興味深い人物。本を捜してみよう。
wikiに処刑前に教誨師に残した以下の言葉がある。
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南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ[12]、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。
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松井石根は「興亜観音」の創設者でもある。興味深い人物。本を捜してみよう。
12:29 +23℃ 社務所入口に置いてあった富士急山梨バス製の手書き地図。上野原駅でバスの発車待ちの時に車掌さんが配布してくれる地図だと思う。「桂(カツラ)」をカズラと書いてあるのは、この土地の呼び方だろうか?
「石楯尾神社前」バス停。次のバスは14:33まで無い。予定通り上野原駅まで歩く。
このバス停に「Ishidateo Shrine」と書いてあるが「Iwatateono Shrine」としたほうが良いと思う。
このバス停に「Ishidateo Shrine」と書いてあるが「Iwatateono Shrine」としたほうが良いと思う。
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