御池岳〜慰霊山行
- GPS
- 07:57
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 923m
- 下り
- 923m
コースタイム
7:21 65.8kポスト付近登山口
9:46 七合目
11:20〜12:00 ボタンブチ
14:30 65.8kポスト付近登山口
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
午前中は、雪はしまっていて、吹き溜まりには新雪があり山スキーには◎でした(W) 午後の標高の高いとことは雪が腐ってしまい、△(W) |
写真
感想
あれからもう1年もたったけれど、行こう行こうと思いつつ一度もボタンブチで手を合わせる機会が無いまま今日を迎えた。
久々の面々に会え、山のコンディションも良くテンションはいつものまま。
しかしボタンブチに着くと、そんな自分が恥ずかしかった。
御遺族の悲しみを目の当たりにし、とても切なく思い、貰い泣きしそうになる。
あってはアカンなぁ。こんな遭難事故は。
同じヤマレコ仲間の無念さと残された御家族の気持ちを思うと、やりきれない。
ボタンブチから見下ろす景色を見て、いろんな事を思わざるを得なかった。
合掌。
語弊があるかも知れないけど
苦しみ 悲しみ 痛み 無念さ 悔しさ 孤独感 怒り 恨み ・・・
そういった感情
死んでいった人間はその時点で全て幕が下ろされる
でも残された人間にとっては始まりです 生きている限り消えることはない
山で死んではいけない
しかし、どんなに入念に計画を立て、準備をし、登山技術の向上をはかろうと、完全などありはしない
100パーセントの安全などこの世界には存在しない
想定外、不測の事態は全ての登山者に平等にやってくるもの
もし自分の身に「遭難」という現実が訪れたとしたら
迅速に捜索態勢が取れる準備は出来ているか?
1日でも長く生きて救助を待つ準備は出来ているか?
自分自身まだまだだと改めて考えさせられる今回の山行でした
《御池岳慰霊登山に参列させていただいて・・・》
あれからもう一年以上が経つ、「hnagashi」このハンドルネームは私の
胸に深く刻まれていて今でも時折痛み出し「自分が生かされていることの意味」を
考えさせられるが今もなお、答えを導き出せない自分に失望し続けている。
私には悔やんでも悔やみきれず忘れられない一件がある。
2012年1月22日、前の月に途中撤退していた雪の御池岳に初めて登頂できた喜びを爆発させるかのようにヤマレコをアップした。わずか4,5ヶ月前に山を始めたばかりの私がもう「一端の山登り」を気取って得意顔だった。たくさんの先輩や常連のユーザーから拍手や賛辞のコメントをいただき有頂天だった。そして「hnagashi」彼も拍手を送ってくれていた。
一週間後、彼の御池岳山行のレコがアップされたが鈴北岳敗退とあった。私は拍手をし何かコメントを送ろうとしたが躊躇した。彼の装備を見て複雑な思いになったからだ。冬山用のテント、12本爪アイゼン、スノシュー、ビーコン、ブランド物のウエアー、時計、私が当時欲しかった以上のものを彼は身に付け使いこなして北アルプスにも登られていた(私より3年も前から山を始めておられたので当然なのだが・・・)。私は彼に対し「都会の余裕のある山登り」という偏見を持ってしまい、元来田舎育ちでコンプレックスだらけの私は自分の貧弱な装備に恥ずかしくなり書きかけたコメントを消去してしまった。彼のレコにその後もついにコメントが入ることはなかった。
翌週の2月11日に再度御池岳へ入山した彼はおそらくボタンブチ付近でテン泊し、翌日の2月12日、午前6時30分に「今から下山します」とのメッセージを家族に残し消息を絶った。
ニュースを聞いたとき、あの程度の山だからすぐに発見されるだろうと高をくくっていたが発見されずそのうちヤマレコのユーザーらしいと囁かれ始めた、私は愕然とした、遭難したのは「hnagashi」彼だった。鈴鹿を知っている山登りはみんな捜査に協力していた。いなべ市の大貝戸という所が対策本部になっていると聞き行ってみたが土曜日に行ったため何もわからず、その足でいなべ警察署へ行き捜索状況を窺うと昨日で警察の捜査は終了していた。捜索済みの箇所が載った地図を見せていただいたがネットで見たそれと変わりなかった。とぼとぼと滋賀県に戻ったが滋賀県側は何事もないかのように静かだった。同じ山を挟んで東と西ではものすごく温度差があった。翌日から一人で捜索に出かけた。多くのユーザーが「危ないからやめろ!」「一人では行くなと!」メッセージをくれたが週末になると居ても立ってもいられなかった。3週間を過ぎたが手掛かりさえなかった。私は必ず生きていると信じていた、いや信じたかった!あれだけの装備があるし「ウインナーとピーマンのスペシャル行動食」があるじゃないか!「俺のせいだ、御池岳に登っただけで調子に乗って浮かれたレコを書いたからだ」「あの時の彼のレコにメッセージを入れていれば彼の行動も変わっていたはずだ!」
彼が発見され死亡が確認されたのは春も終わりかけの時期だった。
自分が遭難したとき当然だと思った。彼に引っ張られていると思ってあきらめていた。しかし違っていた。彼は最期の力を振り絞って私を助けてくれたと信じている。
本日の慰霊登山で往路私は彼の奥様のすぐ後ろを歩いていた、何度も声を掛けようと思ったができなかった。ボタンブチで懸命に手を合わせていらっしゃる姿を拝見した後は ますます声をかけ辛くなり 今日のところは出直そうという結論に至った。
「hnagashi」彼とはおそらく事故がなければ 良い山友達になれたのではないだろうか、年も近く二人で仲良く鈴鹿を歩いていたのではなかろうか?そうに違いない! 今日の御池岳テーブルランドでは込み上げるものを抑えるのが精一杯でいつもは美しくみえる霧氷と青空がとても悲しい色に見えた。
yucon
気合の入った方たち(含むToshiさん)が前日に登山道整備(伐採)作業をやっていただいたこともあって、最初の尾根沿いは随分歩きやすくなってました。
今回の山行の目的にもかかわらず、山スキー持参で参上しました。やはり雪があるところに行くのであれば、多少重くてもスキーを背負って登るのが勤めです。そして雪洞大好き、スコップも忘れずに装備します。
単に私は同行したに過ぎませんが、無事にご遺族の方々を雪のボタンブチにまでお招きできたことはとても意義深いことだと思います。
(実は私自身は、昨年は雪山で捜索する自信がなかったので捜索には参加できてませんでした)
まだ、NさんのGPSは残念ながら見つかっておりません。どういうルートで発見現場まで転落して、苦しみの中テントを設営されたのか、やはり最期をどのように迎えたかというのはご遺族の方々にとっても情報としてはとても知りたいものだと思います。
また機会があれば、付近にGPSが落ちていないか探してみたいと思います。(単独だとまたゴロ谷に吸い込まれるので、誰かと一緒にということで)
吹雪の中、苦しみに耐えつつ、連絡も取れず身動きもままならず、体温が低下して意識が朦朧とする中、これまでの色々な思い出が走馬灯のように流れていったことでしょう。そんなことを思いながら、ボタンブチで唱えられる般若心経を耳にして、どうか安らかに、天国で楽しい山行を楽しんでいただけばと願わずにいられなかった、3月3日の慰霊登山でした。…本当に、とても切ない話です。
コメント
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みなさんお疲れ様でした。
大人数で道中はみなさん思い思いに和気藹々と登られていましたが、ボタンブチに到着するとそれぞれ胸にこみ上げるものがあって…本当に悲しい遭難事故でしたが、Nさんの残してくれた色々な教訓をしっかりと認識して安全登山第一を守る事の大切さを再認識させていただくことが出来ました。
しかし冬の御池は本当に素晴らしいですよね♪
一度登ると病みつきになる気持ちがよくわかります!
また、みなさんと御一緒できる日を楽しみにしてます
込上げる気持はみんな同じですね!
私も特別な思いがあり、ここは特別な山です!
春になったら例のmさんをみんなで担いで登りますので是非ご参加を
ほんまに小学校の遠足のようにワイワイと楽しい登山でしたが、ボタンブチでの時間は切なく辛いもので、何故かそれを他人に悟られないような振る舞いをしてた自分でした。
その美しさとのギャップに耐えられ無い物があったように思います。
仰るように、この遺してくださった教訓は忘れてはいけませんね。
涙腺が弱くなったのは歳のせいなのかな〜。
書いてる今もヤバイです。
単独で山を歩き始めて3年少し。
書籍や雑誌で得ていた情報に加えて、ヤマレコを紹介していただいて、歩く山や仲間が格段に増えました。
おかげさまで、すっかり山歩きにはまっています。
そして、山仲間として、今の自分にできることは限られていますが助け合いの輪にも参加するようになりました。
捜索活動に参加すると、基本的な安全登山の技術も必要に迫られて学ぶことができます。
今回のレコでは、先輩方から山に向かう姿勢も学ばせていただきました。
慰霊登山への参加はできませんでしたが、
あらためて命への思いを確かめ、より安全、安心な登山を心がけたいと思いました。
それが、何よりの御供養になると思います。
Nさんのご冥福をお祈り申し上げます。
突然失礼します。YamYamGPSと申します。
国道で軽トラの荷台に乗せていただいたものです。
本当にありがとうございました。
いやな国道の歩きが何とまあ快適だったことか、出発時間がたまたま一致して奇跡でした。お陰様で今までで最も快調にテーブルランドへたどり着くことが出来ました。
先日の慰霊登山会のヤマレコも読ませていただいていましたが、この日に皆様に出会えましたことをありがたく思います。
そして素晴らしいテーブルランドの景色にNさんも癒やされて居るのではと思いながらボタンブチで合掌させていただきました。
実はあの事故は私も1週前に同じような記録をヤマレコに載せた直ぐ後の出来事でした。
この美しい御池岳を愛する人達に辛い思いをさせぬようにまた御池岳に登ることが努めなのかなと思います。
昨年、南木曾岳でお会いした方にも再会できました。
またどこかでお会いしましょう。
こんな書き方すると語弊があると思いますが、ヤマレコも捨てたもんじゃないですね。
おかげさまで仲間の輪から助け合いの輪に広がり、自分のスタイルも幅が広がりました。
このレコを見てくださった方々や普段から絡んで頂いてる方々まで、感謝の気持ちで一杯です。
楽しいことばかりでない・・・。
「生きる」ということを痛切に感じたりもした今回の山行でした。
Kさんの軽トラに乗ってた方やったんですね。
クラブの誰かと思ってましたが・・。
モモちゃんと「あれっ、誰か乗ってるで!」
って、後ろから笑わせてもらいました。
それはラッキーでした。国道歩きは結構な距離やし、くたびれますわね。
雪のテーブルランドはそれは見事に綺麗でした。
私もまた、訪れたいと思います。
かげながらご冥福をお祈り申し上げます
又、yuconさんの助かった命に感謝します。
ご訪問、コメントに感謝します。yuconです。
素敵なhnですね !
私の生還を喜んで頂いて重ねて感謝します。
いよいよ春のシーズンですね !
新しいカメラでの山行写真を楽しみにしております。
春のお山で またお会いしましょう!
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