街道歩き 水口宿から草津宿


- GPS
- 56:00
- 距離
- 37.0km
- 登り
- 27m
- 下り
- 129m
コースタイム
2日目:三雲-石部宿-六地蔵-和中散本舗-手原-草津宿本陣
3日目:草津宿-建部大社-瀬田の唐橋-近江八幡
天候 | 1日目:晴れ 2日目:晴れ 3日目:晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2013年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
★滋賀県に入りいよいよ大詰めです。雲一つ無い秋晴れの下、水口宿、石部宿、そして草津宿を訪ねます。
★今回の歩程はやや長く一里塚を実に9個通り抜けます。
★江戸側の出入り口から三筋の道に分かれる珍しい構造の水口宿、京から江戸へ下る旅人が最初に宿泊した「京立ち石部泊まり」の石部宿、東海道と中山道 また琵琶湖の矢橋湊へ至る矢橋街道との分岐で交通の要衝として栄えた草津宿。それぞれの特徴と歴史の深みを肌で感じながらの旅です。
★遠くに臨む山並み・通り過ぎる風・・確実にそこに琵琶湖が感じられるようになると、古来多くの旅人の心をとらえてきた美しい景観が想像され期待が高まります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆水口宿:豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じ水口岡山城を築かせた 江戸側の出入口から三筋の道に分かれる珍しい構造は築城の際整備されたものと考えらている
◆大岡寺:行基が684年千手観音の木像を安置したのが始まり 松尾芭蕉の句碑、鴨長明発心の地、書の大家 巌谷一六の生誕地
◆水口城跡:家光京都上洛の際築城された その後加藤明友が入り水口藩が成立 湧水を利用した美しい水堀を持つこの城を「碧水城」と呼んだ
◆北脇縄手:東海道の整備に伴い曲がりくねっていた旧伊勢大路を廃し見通しの良い道路とした 田の中の一本道で両側は土手 松並木があった
◆横田の渡し:野洲川はこのあたりで横田川と呼ばれ東海道13渡のひとつとして重視され幕府の管理下に置かれていた 通年の架橋は許されず3-9月は4艘の船渡し、10-2月は流路の部分に土橋をかけて通行させていた
◆天井川:川の氾濫を防ぐために堤防を作り土砂がたまって更に高い堤防を作ったことによる地形
◆うつくし松:平松に自生する赤松の変種 根から放射状に笠を開いたような美形の松で国の天然記念物
◆石部宿:京から江戸へ下る旅人の多くが最初に宿泊した宿場で現在も連子格子の民家など宿場の面影が残っている
◆和中散本舗:家康の腹痛を治したと言われる名薬「和中散」 製薬場には直径4メートルの木製製薬機がある また梅の木小休み本陣として本陣玄関や庭園、上段の間襖絵など重要文化財の大角家住宅は見ごたえがある
◆草津宿:東海道と中山道また琵琶湖への矢橋街道との分岐点でもあることから交通の要衝として繁栄した
◆草津本陣:田中七左衛門家 東海道で唯一完全な形で残る草津宿本陣は国の史蹟に指定されている 建坪468坪 表門をくぐると左手に番所、中央に式台を持った玄関、その先は長い畳廊下が続く その両側に従者の部屋、最も奥に主客の休息する部屋や専用湯殿、上雪隠などを配している
◆建部大社:近江国一の宮と呼ばれ日本武尊を祀っている 幻の千円札と重要文化財鎌倉時代の石燈籠がある
◆瀬田の唐橋:琵琶湖南端瀬田川にかかる橋 近江八景「瀬田の夕照」で知られる 京へ通じる軍事交通の要衝で何度も戦乱の舞台となった
コメント
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こんばんは
今回も楽しい旅でした
わてが写っていまへん笑
たまにはカメラ向けてくなはれ!笑
いよいよ来月はゴールどすなぁ!
寂しい限りです!
これを最後に年内は旅に出られませんが
来年は復活しますのでお声でも掛けていただければ
幸いです!
うん?私が幹事でしゃろか?
どこの言葉ですやろ!笑
来月も楽しみにしてます!
PS:旅の後、1日おいて秋田に行ってきました
旅三昧!
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