記録ID: 3972884
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ハイキング
丹沢
仏果山
2022年02月05日(土) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 06:59
- 距離
- 17.1km
- 登り
- 1,206m
- 下り
- 1,445m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:22
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 6:58
距離 17.1km
登り 1,220m
下り 1,448m
14:42
ゴール地点(宮上バス停)
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
| 京王線特急(新宿行) 6.4km 中央 | 05:20-05:25[5分] | 345円 ◇調布 3・4番線着 [7分待ち] | 京王相模原線各停(橋本行) 22.6km やや前・やや後 | 05:32-05:58[26分] ■橋本(神奈川) 1・2番線着 ==== 時間つぶしに散歩 ==== ■橋本駅北口BS 2番乗り場 | 神奈川中央バス(橋07系統) 約16km | 06:55-07:43[48分] | 587円 ■鳥居原ふれあいの館BS(終点) ==== 山歩き ==== ■宮上BS | 神奈川中央バス(田01系統) 約5km | 14:44-15:00[16分] | 294円 ■田名バスターミナル(終点) ■田名バスターミナル | 神奈川中央バス(橋57系統) 約8km | 15:05-15:32[16分] | 315円 ■橋本駅南口BS(終点) ■橋本(神奈川) 1・2番線発 | 京王相模原線快速(本八幡行) 22.6km 中央 | 15:45-16:12[27分] | 345円 ◇調布 3・4番線着・1・2番線発 [3分待ち] | 京王線特急(京王八王子行) 6.4km やや前・やや後 | 16:15-16:22[7分] ■府中(東京) 1・2番線着 交通費合計:1886円 |
写真
ダムの向こう側にインクライン(人工的な斜面のケーブルカーという分類命名らしい)が見える。AKIRAで大佐が乗ってたみたいに剥き出し(上物なし)のインクラインに乗ってみたい。
宮ヶ瀬ダムのインクラインは、4分間の乗車で片道300円。往復500円。普通のエレベーターはコロナ禍のため運休中。
宮ヶ瀬ダムのインクラインは、4分間の乗車で片道300円。往復500円。普通のエレベーターはコロナ禍のため運休中。
仏果山に到着。人がたくさんいる。以下、頂上の説明看板の写し。
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【仏果山(ぶっかさん)のいわれ】
この山は、室町時代のはじめ清川村煤ケ谷(すすがや)にある正住寺(せいじゅうじ)「臨済宗鎌倉建長寺派」を開山した天鑑存円上人(てんかんそんえんしょうにん)が、座禅修行をした山といわれている。
天鑑存円上人が座禅したという座禅石は、いつの頃か煤ケ谷側の仏果沢(ぶっかさわ)に落下してしまった。こうした由来から、この山を「仏果山」(ぶっかさん)と呼ぶようになったという。(現在この石は土山峠バス停わきにある。)
また、この山は昔、煤ケ谷の人々は南麓(なんろく)と呼び、半原越え(半原峠)から仏果山周辺までを南山(みなみやま)と呼んだ。旧津久井町長竹(ながたけ)・韮尾根(にろおね)などでは半原富士と呼んでいた。
神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課
(046)248−2546
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【仏果山(ぶっかさん)のいわれ】
この山は、室町時代のはじめ清川村煤ケ谷(すすがや)にある正住寺(せいじゅうじ)「臨済宗鎌倉建長寺派」を開山した天鑑存円上人(てんかんそんえんしょうにん)が、座禅修行をした山といわれている。
天鑑存円上人が座禅したという座禅石は、いつの頃か煤ケ谷側の仏果沢(ぶっかさわ)に落下してしまった。こうした由来から、この山を「仏果山」(ぶっかさん)と呼ぶようになったという。(現在この石は土山峠バス停わきにある。)
また、この山は昔、煤ケ谷の人々は南麓(なんろく)と呼び、半原越え(半原峠)から仏果山周辺までを南山(みなみやま)と呼んだ。旧津久井町長竹(ながたけ)・韮尾根(にろおね)などでは半原富士と呼んでいた。
神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課
(046)248−2546
仏果山展望台。高取山と同じトラス構造で13m。仏果山山頂に人は多いけど、展望台は貸し切りだった。一人で展望台に立っていると風の音が気になる。他に誰かいると風の音は気にならないようだ。夜中に一人でこの展望台に立って夜景を見る。すると「修行得験」して「験力(げんりき)」を得られるんじゃなかろうか。冬は寒いので暖かくなったらやってみようかな。
仏果山展望台からの眺め(4)
丹沢主脈が良く見える。
塔ノ岳 (1,491m)
日高 (1,461m)
竜ヶ馬場 (1,504m)
丹沢山 (1,567m)
箒杉沢ノ頭 (1,550m)
✖不動ノ峰 (1,614m)
✖棚沢ノ頭 (1,590m)
鬼ヶ岩ノ頭 (1,608m)
蛭ヶ岳 (1,673m)
姫次 (1,433m)
黍殻山 (1,273m)
焼山 (1,060m)
不動ノ峰と棚沢の頭は、手前に丹沢三峰の「本間ノ頭」が被って見えない。
丹沢主脈が良く見える。
塔ノ岳 (1,491m)
日高 (1,461m)
竜ヶ馬場 (1,504m)
丹沢山 (1,567m)
箒杉沢ノ頭 (1,550m)
✖不動ノ峰 (1,614m)
✖棚沢ノ頭 (1,590m)
鬼ヶ岩ノ頭 (1,608m)
蛭ヶ岳 (1,673m)
姫次 (1,433m)
黍殻山 (1,273m)
焼山 (1,060m)
不動ノ峰と棚沢の頭は、手前に丹沢三峰の「本間ノ頭」が被って見えない。
八菅(はすげ)修験の行所マップ。
仏果山から半原越は「関東ふれあいの道」ではあるけれど、修験の行場ではなかったようだ。仏果山から革駕籠石山が今回歩いた道で一番険しいと思ったので意外だった。地図の行場巡り(大山三山)を計画したい。
仏果山から半原越は「関東ふれあいの道」ではあるけれど、修験の行場ではなかったようだ。仏果山から革駕籠石山が今回歩いた道で一番険しいと思ったので意外だった。地図の行場巡り(大山三山)を計画したい。
経石に到着。以下説明看板の写し。
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【経石】
昔、弘法大師がこの岩(南側にある穴)に経文を収めたことから経石と、また経石のある山だから経ヶ岳と呼ばれるようになったと伝えられています。永禄十二年(1569年)、北条武田合戦(三増合戦)の際、武田氏に敗れた北条氏の落ち武者が、やっとのことでこの山にたどりつき法論堂(おろんど)を見下ろすと数多くの槍が立てられていました。落ち武者は、武田の軍勢がすでに法論堂まで追いかけて来たのかと思い、経石付近で力尽き相果てたそうです。ところが落ち武者が見た槍というのは、収穫を終えたトウモロコシだったといい、それ以来この地方では、トウモロコシを耕作しなかったと伝えられています。
環境庁・神奈川県
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【経石】
昔、弘法大師がこの岩(南側にある穴)に経文を収めたことから経石と、また経石のある山だから経ヶ岳と呼ばれるようになったと伝えられています。永禄十二年(1569年)、北条武田合戦(三増合戦)の際、武田氏に敗れた北条氏の落ち武者が、やっとのことでこの山にたどりつき法論堂(おろんど)を見下ろすと数多くの槍が立てられていました。落ち武者は、武田の軍勢がすでに法論堂まで追いかけて来たのかと思い、経石付近で力尽き相果てたそうです。ところが落ち武者が見た槍というのは、収穫を終えたトウモロコシだったといい、それ以来この地方では、トウモロコシを耕作しなかったと伝えられています。
環境庁・神奈川県
田代に向かって下山開始。この指道標に書いてある「高取山」は今日登った「高取山」(705m)とは別の「高取山」(522m)。
丹沢には「高取山」が3座ある。もう1個は(556m)。みんな似たような標高で紛らわしい。
丹沢には「高取山」が3座ある。もう1個は(556m)。みんな似たような標高で紛らわしい。
中津川を平山橋で渡る。以下に説明看板を写す。
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登録有形文化財 平山橋
平山橋は、大正二年に全長の三分の一にあたる左岸側のみが鉄製、それ以外は木製の姿で開通しました。全てが鉄製になったのは大正十五年のことです。
先の大戦末期には、米軍機の銃撃を受け、構造材の各所に弾痕を残すなど、町域に残る数少ない戦災後の一つとなっています。
下って平成十五年一月、「平山大橋」の開通に伴い、幹線道路施設としての任を終え、その後は人道橋として利用されています。
平成八年の文化財保護法改正により、近代建造物保護の制度が新たに設けられました。これにより平成十六年十一月八日、平山橋は、国の登録有形文化財となり、町に残る近代化遺産として保存されることとなりました。
なお、かつて、橋の上流七十メートル付近の川中には、数本の松の茂る小島があり、所在の社につなみ「稲荷森」と呼ばれる景勝をなしていましたが、昭和三十年代末頃に、治水を理由に取り除かれ今はなくなりました。
平成十七年八月 愛川町教育委員会
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登録有形文化財 平山橋
平山橋は、大正二年に全長の三分の一にあたる左岸側のみが鉄製、それ以外は木製の姿で開通しました。全てが鉄製になったのは大正十五年のことです。
先の大戦末期には、米軍機の銃撃を受け、構造材の各所に弾痕を残すなど、町域に残る数少ない戦災後の一つとなっています。
下って平成十五年一月、「平山大橋」の開通に伴い、幹線道路施設としての任を終え、その後は人道橋として利用されています。
平成八年の文化財保護法改正により、近代建造物保護の制度が新たに設けられました。これにより平成十六年十一月八日、平山橋は、国の登録有形文化財となり、町に残る近代化遺産として保存されることとなりました。
なお、かつて、橋の上流七十メートル付近の川中には、数本の松の茂る小島があり、所在の社につなみ「稲荷森」と呼ばれる景勝をなしていましたが、昭和三十年代末頃に、治水を理由に取り除かれ今はなくなりました。
平成十七年八月 愛川町教育委員会
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