ミズバショウの花が咲いている尾瀬でヒメシャクナゲ、裏燧林道ではブナに刻まれた字に昔を思う(沼山峠〜尾瀬沼〜尾瀬ヶ原〜裏燧林道〜御池)


- GPS
- 28:15
- 距離
- 33.8km
- 登り
- 638m
- 下り
- 836m
コースタイム
- 山行
- 4:40
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 5:55
- 山行
- 4:40
- 休憩
- 2:25
- 合計
- 7:05
天候 | 1日目:曇 2日目:晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
入間IC 西那須野塩原IC 御池登山口(会津バス)¥600 沼山登山口 復路: 西那須野塩原IC 高尾山IC |
写真
感想
尾瀬といえばミズバショウ、ミズバショウといえば尾瀬のはずなのだが、過去6回一度もミズバショウの季節に尾瀬に訪れたことがない。
職場の先輩から尾瀬と燧ヶ岳のお誘いがあり御池から入るとのこと。
燧ヶ岳に登ってから12年経っていて、今度は御池から登ってみたいと前から思っていたし、ミズバショウもまだ残っていそうな季節なのでちょうどよかった。
昨年7月に会津駒ヶ岳に登っていて、その時は東武線から乗り継いで会津高原尾瀬口駅からバスで入ったが、今回は車に乗せてもらう。
車の場合は関越道から奥只見経由なのかと思っていたのだが、検索してみると東北道西那須野塩原ICから塩原温泉、南会津経由の方が近いようだ。
なので会津高原尾瀬口駅から先は去年バスで通った懐かしい道を行く。
勝手知ったる道の駅尾瀬檜枝岐で少し休憩し、キリンテの親切だったキャンプ場を通り過ぎ、今回は御池まで。
梅雨時なので天気によって燧ヶ岳に登る日を決めることになっていたのだが、数日前に登山道の状況を確認したところ12本爪アイゼンがないと危ないくらいに残雪があるようなので、自分はもう今回は登らないことに決めていた。
せっかく今年は久し振りに夏山の予定をたくさん入れているのに、ここで滑ってケガをするわけにはいかない。
先輩は12本爪アイゼンを持参し登る気満々だったが、意外と雲が多いので今日登るか明日登るか悩んでいるようだ。
自分は登らないと決めているので気楽だ。
結局先輩も山頂からの展望がないと登っても意味がないので明日にするとのことで、一緒に御池から沼山峠行きのバスに乗り込んだ。
沼山峠から尾瀬に入るのも12年ぶりだが、記憶以上に簡単に大江湿原へと入っていける。
そして湿原には思っていた以上にまだ見頃のミズバショウが咲いていた。
妙高などで数株のものは見たことがあったが、こんなにも群生しているのは初めて見た。
歌にあるとおり「水のほとり」に咲いているが、これは拠水林と同様、栄養分の多い沢沿いに生えているのだろう。
リュウキンカも見頃で、ミズバショウの白に黄色い花がよく映えている。
燧ヶ岳にかかっていた雲も取れはじめ、尾瀬沼越しに眺めることができる。
22年前初めて尾瀬に来た時に泊まった尾瀬沼ヒュッテから眺めると、燧ヶ岳もその手前の木々も20年くらいなんでもないという風に泰然としている。
燧ヶ岳を眺めながら行きたいので尾瀬沼は南岸を歩くことにした。
沼すれすれを歩いて行けるので楽しいが、大雨の時は怖いかもしれない。
ところどころムラサキヤシオが色鮮やかに咲いていた。
沼尻湿原まで来ると燧ヶ岳の頭上には青空が広がり始め、明日の天気は期待できそうだ。
そうなると持っている6本爪アイゼンを持ってきて登ればよかったかなと思ってしまった。
沼尻から先は尾瀬沼から尾瀬ヶ原へと流れ下る沢の音を聞きながら緑の中を行く。
途中白砂湿原などの小さな湿原にもミズバショウが咲いていて、本当に尾瀬はこの時期に来るとミズバショウだらけなのだ。
見晴に到着すると至仏山まですこーんと開けた広大な尾瀬ヶ原。
明日尾瀬ヶ原を散策する時間のない先輩が龍宮だけは見ておきたいというので龍宮まで進む。
目の前には至仏山、振り返ると燧ヶ岳。
尾瀬ヶ原は広大なだけでなく、この2つのきれいな形の山に挟まれているという奇跡的な場所だ。
ここがダム湖に沈まなくて本当に良かった。
この日はそのダム計画に由来する東電小屋に宿泊。
思っていた以上にロケーションが良く、至仏山もよく見える。
梅雨の時季なのに好天に恵まれ、19時の日の入りの時刻となると周囲は「しゃくなげ色に黄昏れ」始めた。
夜は先輩がここ数年知り合ってできた山のグループのとんでもない人の話を聞いたりして、かなり面白かった。
翌日は時間調整のため燧ヶ岳に登る先輩より1時間遅く東電小屋を出発。
軽アイゼンでも登れないことはなさそうだが、ここは我慢して尾瀬ヶ原散策することに決めた。
まずは東電小屋から至仏山を眺めながら牛首へ。
このコースは尾瀬ヶ原の山ノ鼻から見晴を結ぶメインコースではないので、人が少なく快適。
途中池塘のところで振り返ると今日は燧ヶ岳も山頂までよく晴れている。
先輩はどこまで登ったのだろうと思い、やはり登ればよかったかなという思いが払拭しきれない。
尾瀬なんて湿原のハイキングが目的の人が多いし、自分も過去3回は登山なしのハイキングだけだったのにだんだんピークに登らないと気が済まなくなってきてしまっているのかもしれない。
牛首までいくと梅雨の晴れ間の土曜日ということもあり人が増えてきたが、ここから見晴方面に進むとまた人は減ってきた。
東京圏に近い鳩待峠から入る人が多く、そこから入る場合牛首止まりの人が多いのかもしれない。
拠水林のところはズミが花盛りで、レンゲツツジも蕾を付けている。
今回尾瀬ヶ原で一番目に付いた花はタテヤマリンドウだったが、初めて見るヒメシャクナゲもたくさん咲いていた。
常緑の樹木だが、こんなに小さいのだから夏場には草の陰に隠れてしまうだろう。
高山帯のイメージの強いチングルマも咲いていた。
高山帯でも雪田に生えるのだから、やはり水が好きなのだ。
夜行で来ているのか、湿原の休憩ポイントでは昼寝をしている人が多い。
自分も昨晩は快適な東電小屋でなぜかよく眠れなかったので少々眠い。
先輩の下山と合わせるためもあり、龍宮小屋の少し先で誰もいない休憩ポイントを見つけたのでそこで昼寝をすることにした。
ここはベンチがないので占拠してしまう心配もない。
爽やかな風を感じつつ、カエルの声を聴きながら30分程度の昼寝だったが気持ちよかった。
さらに見晴あたりで昼寝して時間を潰そうと思っていたのだが、先輩から燧ヶ岳登頂の連絡が入っていたため、温泉小屋から三条の滝経由で裏燧林道へ進む。
三条の滝は過去に2回見ているのだが、いずれも8月下旬だったので、雪解けのこの時期は水量が多い感じがして迫力があった。
そしてここから先は初めての裏燧林道。
ブナの木にでかでかと名前が刻み込まれていてなんだこれと思ったのだが、名前の下に刻まれた年齢が「廿一才」。
21歳をそう表現するなんて少なくとも50年以上前、もしくは戦前ではないだろうか。
道沿いのブナの大木にはほとんどといっていいほど文字が刻まれている。
そしてその中に「昭和六年」「皇紀二六〇〇年」と刻まれたものを発見。
やはり戦前のものだったのだ。
昭和6年なら91年前、皇紀2600年(=昭和15年)なら82年前だ。
当時はまだ細かったブナの木にナイフかなんかで切り付けたのだろう。
それがブナの成長とともに文字もでかでかと大きくなって、切り付けた人間もこんなに大きな文字で名前が晒されることになるとは思わなかったのではないだろうか。
ブナの木に文字を刻むなんて現代なら言語道断だが、「知事一行」なんていう文字もあり、当時はブナなんて役に立たない木の代表だった(だから漢字が「橅」)わけだし道徳観も違ったので仕方がない。
ただ中には昭和30年のものもあって、尾瀬は昭和28年(1953年)に日光国立公園の特別保護地区になっているのだから、これはちょっとダメだなと思った。
ただ、さすがに最近刻まれたものがないのは流石だった。
ブナも枯れずに成長したことだし、この文字も多少は歴史的な価値があるのかもしれないと思いながら進む。
燧林道もところどころ湿原があり、小さな湿原にはミズバショウがいっぱい。
一番大きな横田代にはほとんどミズバショウがなかったが、これは逆に富栄養化が進んでいない証拠なのだろうか。
横田代からは見晴らしがよく、平ヶ岳、越後三山方面がまだまだ雪を被ったまま堂々と横たわっている。
御池駐車場に到着するとちょうど先輩も燧ヶ岳から下りてきたところでタイミングが良かった。
御池新道の湿原もなかなかいい雰囲気だったそうだが、やはり残雪の急斜面が多く、行かなくて正解だったんじゃないかとのこと。
この時期の湿原はミズバショウは見頃だったが、全体的に花はまだまだこれからといった感じだった。
もう少し湿原の緑の濃い時期に今度こそ御池新道から燧ヶ岳に登ってみようと思う。
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