古地図を持ち八ヶ嶽 擬宝珠嶽へ。森林限界越えのお花たちとも沢山会えた!
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- GPS
- 05:05
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 1,228m
- 下り
- 1,222m
コースタイム
天候 | 曇り、時々、晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
のろし場以降は、森林限界で鎖場あり。ただ、危険箇所はありません。 |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ、LEDランプ 1
GPS NV-U37、USBバッテリー 1
地図、手持ちコピー 1
コンパス、笛 1
バンドエイド、湿布、テープ 1
エマージェンシーシート 1
保険証、jRO会員証 1
カッパ、ザックカバー、ゴム手袋 1
ストック 1
水 1.5L
バナナ 1
カメラ、予備バッテリー 1
非常食 1 チョコ、おつまみ等
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感想
土曜日は午後時間があるので山に行きます。4月に富士見町信濃境の博物館で見た八ヶ嶽の山岳図の擬宝珠近辺を歩き、記載内容を確認したいと思います。また、この時期は森林限界以上のお花も始まっていますので、お花も楽しみです。
お昼を家で食べてから来ました。途中の展望台からずっと路上駐車が続いてますが、この時間は帰り始める時間なので一番上の駐車場が空き始めていますので余裕でとめることができました。観音平を1時10分出発。登り3時間、下り2時間、6時前後に登山終了が目標です。途中の時間を見て、もし難しいようなら編笠山に目標を変更もあり。雲海まで35分、押手川まで1時間5分。そこそこいいペースです。この1ヶ月、朝は20分ほど軽いジョギングをしてますが、体力維持に役に立っているようです。
押手川から上はイワカガミが可愛くひっかかりながらも、青年小屋まで1時間55分。ここまで多数の人とすれ違いました。また、青年小屋はカラフルなテントが一杯でにぎやかでした。時間もないので、そのまま休まずにギボシへ向かいます。ノロシ場からはいよいよ森林限界、古地図を手に持ち、擬宝珠嶽エリアを上ります。と思ったら、その前に、ヤマザクラが可憐に咲いています。こんな標高2500m超えるところにも咲くんだ。
西ギボシへ向かう坂の下に立つと、”左の岩塊が虚空蔵嶽そっくり”、”右の岩塊が地蔵嶽だろうな”と思える光景がありました。西ギボシの岩場では、ミヤマキンバイ、さらにはイワウメも。今年も会えました。さらに東ギボシの頂上路には、コメバツガザクラにウラシマツツジ。これはかわいい!タイムよりお花優先で頂上まじかで足止めです。かわいいお花を堪能してから、頂上に到達、2時間50分。ここは古地図の阿弥陀嶽。
古地図の薬師嶽は今の権現岳の左の岩塊、権現嶽は右の岩塊ではと思いました。形がそんな感じです。江戸時代は山頂を踏むよりも、岩塊を仏に見立ててお祈りしながら巡っていたと考えると、岩塊単位で名前がつくのは自然なことと思います。虚空蔵嶽に対応した岩塊にもそのように思いました。
10分ほど眺望を楽しみ下山開始。青年小屋まで40分。押手川まで1時間15分。雲海まで1時間35分。観音平の駐車場まで2時間ちょうど。青年小屋以降は、鹿以外とは会いませんでした。予定タイムでは下れましたが、とてもへたりました。軽いジョギングは下りには効かないようです。18時15分に到着し家に帰宅。なんとか晩御飯には間に合いました。
図鑑を調べましたが、ミヤマカタバミではないでしょうか?
勝手にリンクしてすみません。
http://matsue-hana.com/hana/miyamakatabami.html
DSAさん、ありがとう! たしかに、ミヤマカタバミですね。可憐な花がそこらここらにありましたが、わかってすっきりしました。
来週は、谷川岳、一の倉沢ですね。
お気をつけて、無理しないように。
totoro sanさん、こんばんは!
午後から歩き始めて、このルートを明るい内に下山ですか
花を愛でながら流石のスピードですね!凄いです
古地図!リアルですね〜
現在の山名と違うピークに命名されていますか
現在の山名は、いつの時代に名付けられたのでしょうね?
不思議です。こういった山旅も興味深いですね
totoro sanさんの、山に対する造詣!感服致しました
tailwindさんの速さにはかなわないですが、この1ヶ月のジョギングのお陰で、登りはほぼイメージどおりの速度で登れ、余裕もありました。下りも予定通りの時間では下れましたが、こちらは余裕なしでした。ジョギングは下りには効かないようです。
そうなんです。古地図を見て疑問に思うのは、現在の山の名前はいったい、いつ、だれがどう決めたのだろうか?ということです。古地図ではかなり違う名前がついていることが多いです。そのようなことも考えながら、歴史に思いをはせ登ると、また興味深いものがあります。
今回は古地図どおり岩塊達を、虚空蔵、地蔵、擬宝、阿弥陀、薬師、権現に見立てながら歩きました。森林限界を超えた下界とは別世界のもと、仏を巡り歩くとすこし厳かな気分を感じます。
お疲れ様でした。トトロさんのレコは花が多くて素敵です。
お昼からサクッと登れるとは、健脚と地の利ですね。
Mikuniさん、おはようございます。
今回は、春の花が沢山楽しめました。八つに近い我が家はとてもありがたいです。そして速く歩けると行動範囲が広くなり、限られた時間で行ける選択肢がひろがり、うれしいです。
キボシは本来半日でいく距離ではないですが、ジョギングで体力維持し、日の長い今の時期だから行けると思い、行って見ました。森林限界越えのお花たちにも沢山出会え、楽しかったです。
おはようございます。
土曜日の午後、半日山行でこれだけの濃い内容はさすがですね。
いよいよ花が増えてきた八ヶ岳。それだけでもなかなか足が進まなくなりますが、さらに古地図で探索。どちらもとても興味深いです。
問題の古地図、眺めれば眺めるほど面白いですね。編笠にはちゃんど「押手川」が表記されているし、「狼煙場」も明瞭に。
するとノロシ場の手前、今の青年小屋から登りに掛かるあたりに鳥居が立っていたんでしょうか。
「ここからが仏の居場所」という印だったんでしょうね。
案外昔から同じ地名だなあ、と思う一方で山の名前はかなり変化しているらしい。
赤嶽はまさか同じ赤岳だろうけど、その左の「天狗嶽」は形と位置からして横岳としか思えないですね。こうなると「阿弥陀嶽」も現在の「阿弥陀岳」なのかも怪しい。
権現嶽のすぐ下にはなにやら社のようなものがありますね。これ権現小屋?(^^)
赤線は登拝道なのでしょうが、擬宝珠から先では妙に谷に下って権現小屋の方に回り込んでいるような・・・・。そこに「たいないくぐり」と書いているようなのもさらに気になります。洞窟でもあるのか???
いやいや興味が尽きません。
pasocomさん、こんばんわ。
古地図とお花たちとジョギングのお陰で、濃い山歩きが楽しめました。
古地図では、変わっているところも多々あるが、現在と共通する部分も多々あります。天狗岳はたしかに怪しいと私も思いました。富士見町の信濃境方面、編笠や権現エリアからはほとんど見えませんので。
天狗という地名はそこらじゅうにあるので、現在とは別の山と思います。形からすると、横岳と硫黄か?ただ、聳え立つ阿弥陀がないのが不自然で気になります。
権現嶽のすぐ下の社は、現在もある小さな石つくりの社かな、と思っています。次回行ったら、年号を確認したいです。1800年以前ならそうかも。
赤線は私も気になっています。この通りなら、今はないトラバースルートがあり、胎内くぐり(洞窟と考えるのが自然)があったということですね。今もあるのかも。
pasocomさんの日記からこの記録を拝見しました。
さすが、地元!!古地図をもって色々な背景を考えながらのの登山楽しそうです。阿弥陀がどこになるのでしょうか、この続きが楽しみです
こんにちわ、nori3さん。
pasocomさんのレコでのコメント、よくお見かけしてました。
pasocomさんの日記へのコメントとして、以下日記を作成しました。
http://www.yamareco.com/modules/diary/16057-detail-75187
よろしければ、ご一読ください。
ちなみに、古地図の阿弥陀は、今の東ギボシと思っています。
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