五色沼〜櫛が峰〜磐梯山☆磐梯山を南北縦断


- GPS
- 07:43
- 距離
- 22.6km
- 登り
- 1,328m
- 下り
- 1,569m
コースタイム
- 山行
- 6:48
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 7:34
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
櫛が峰への登りはわずかに踏み跡はあるもののマーク類は一切なし ザレた火口縁のやせ尾根なので、足場を慎重に選ぶ必要あり |
写真
感想
この日は日本の上空は高気圧に覆われ、広い範囲で晴天が期待できそうだ。前日の安達太良山から下山した後に公共の交通機関で登山口に移動できる山・・・という条件で山行先を探したところ、磐梯山以外の選択肢が思いつかなかった。
数年前、磐梯山に登ったのは涼しい秋風が吹き始める夏の終わりのことだった。郡山駅で乗る列車を間違えるという失態のせいで登山の開始が大幅に遅くなり、登山前は快晴の天気だったのが、山頂に着いた時にはガスの中という残念な思い出がある。その時は八方台から登ったので、次回は是非、裏磐梯からの荒々しい爆裂火口を通るルートで登ってみたいと考えていた。
二本松から猪苗代まで移動すると裏磐梯高原行きの東都交通のバスに接続する。猪苗代の駅前は閑散としており、店らしきものも近くに見当たらない。あてもない客を待つ数台のタクシーがくれなずむ黄昏の中で蛍のように微弱な光を放っていた。
予約したホテルは五色沼の入口のすぐ近くで源泉かけ流しの温泉のあるところだった。バスが停まる大きなリゾートホテルの食堂では家族連れやカップルで賑わっているのが見える。単独の時には閑静なホテルは有難い。
翌朝、早起きして五色沼の入口近くにある毘沙門沼を訪れる。沼のほとりにつけられた木道の上には雪が消えていたが、倒木が散乱している。木道の沿って歩くと緑碧の水面の彼方に冠雪した磐梯山と櫛が峰の展望が広がった。理想的な風景画のような景色だ。
この景色を見た瞬間、はるか以前にこの景色をみた記憶が脳裏に蘇った。高校の修学旅行でこの地を訪れたことを思い出す。景色を眺めているうちに磐梯山の白い頂きが徐々にローズ・ピンクに染まってゆく。なんとも美しい色彩の変化だ。山が美しい色に染まっている時間は長くは続かない。空が明るくなるにつれ、磐梯山のピンク色も急速に色褪せていく。
朝のこの時間帯には誰もいない・・と思っていたら、探勝路を犬を連れて散歩しておられるご婦人がおられた。毘沙門沼のほとりを巡ってホテルに戻る。ホテルは夕食がない代わりに豪勢な朝食がついているのだった。
準備を整えると再び五色沼の入口から出発する。先ほどの毘沙門沼の畔を訪れると、水面の色が明るい緑碧色に変化しており、朝陽に照らされて白銀に輝く磐梯山と美しいコントラストを見せてくれる。
五色沼の探勝路を先に進むと積雪した道となるが、雪がしっかりと踏み固められている。深泥沼、竜沼と次々と小さな沼が現れる。沼が現れるたびに探勝路から外れて雪の上を歩いて水面に近づいてみる。雪はしっかりと締まっており、踏み抜きの心配はなさそうだ。樹林の中を自在に歩くことが出来るのはこの時間帯ならでは特権かもしれない。日中は相当に気温が上昇し、雪が緩むことになりそうだからだ。近くの桧原湖は湖面が完全に凍結しているようだが、凍結している沼はひとつもない。
やがて広々とした弁天沼が現れる。探勝路に沿って沼の南側に回り込むと、沼越しに西大嶺(にしだいてん)と西吾妻山を仰ぐ。先にすすむと道の両側にはるり沼と青沼が現れた。五色沼の名称は沼によって水の色が異なることに由来するらしいが青沼の水は一際、青かった。
火山性の硫酸イオンによるものなのだろう。
最後の沼である柳沼に至ると唐突に池の反対側に物産店と、沼のほとりを通過する車が目に入る。車道に出たところが裏磐梯レイクリゾートだった。ここからはもう少し待つと8時45分に裏磐梯スキー場まで無料の送迎バスがあるのだが、2kmほどの距離なので、スキー場にバスが到着するよりも歩く方が早いだろう。この時、道路のすぐ右手に広がっていた筈の凍結した桧原湖の写真を撮り損ねたのは迂闊であった。
この日はスキー場は今季最後の営業日だ。スキー場に通じる道路は未舗装のダートの道で、多数の水溜りが出来ている。時折、スキー場に向かう数台の車がタイヤを泥まみれにしながら私を追い越してゆく。
ゲレンデに到着するとリフトを使用しない登山者に対して矢印で誘導がある。リフトを使えばゲレンデ・トップまで上がることが出来るのだが、ここは全て自分の足で登るという初志を完徹したいところだ。
登山者はゲレンデの左手にある樹林の手前を歩くように案内板が出ている。ペア・リフトで悠々と運ばれてゆくスキー客を横目にゲレンデの脇を登ると早速にも大粒の汗が噴き出す。
リフト・トップに着いて一息つくと、休憩しておられる先行者の男性がおられた。ここからは急斜面のゲレンデではなく、左手の緩斜面のゲレンデを登ってゆくが、ここを滑るスキーヤーはいないようだ。男性は銅沼(あかぬま)の方に向かわれるが、私は朝日の差し込む自然林の疎林の中につけられたトレースを追って火口原を目指す。
平坦な土地ではあるが樹林の中に頻繁に繰り返される漣のような隆起が雪面の上に描かれる樹々のシルエットを複雑なものにしている。晴れた日にこういう地形を歩くのは独得の愉しさがあるが、大きな山の山麓ならではと言えるだろう。
小さな平地に飛び出すと目の前に火口縁の荒々しい岩壁が目の間に立ちはだかる。磐梯山のピークは既に火口縁に隠れてしまって、ここからは拝めないのだった。樹林を進むと凍結した小さな池が現れる。池の脇を掠めて△1159の小さな龍騎の上に立つと、広々とした火口原の景色が広がる。普段眺める山の姿と大きく異なるせいか、その壮麗さに日本離れした印象を感じるのだった。そして果たしてどこをどう登ってあの火口縁にたどり着くことが出来るだろうと思う。
樹木のない平原を進み樹林帯に入ると九十九折りの急登が始まった。ここでも先行者のトレースにより登山道の雪が踏み固められているので。アイゼンがある方が良いのは確かなのだが、そろそろつけようかと思っているうちに斜度が緩くなった。樹林が切れて岩場になったかと思うと、唐突に火口縁の一端に飛び出した。
磐梯山の山頂部が視界に飛び込んでくるが、同時に左手には剥き出しの岩肌が威容を誇る櫛が峰が迫力ある姿を見せる。風が強いせいであろう。山肌にはほとんど雪がない。尾根には微かなトレースがあるように見える。
分岐には一人の男性が磐梯山の山頂を登ために身支度を整えておられた。櫛が峰を見上げて、登攀を逡巡していると、男性が「時折、ここを登る方もおられるようですよ」と教えて下さる。急ぐ山旅ではない、櫛が峰を往復することにする。
男性とお別れして、空身で痩せ尾根を登り始めると途端に風が強い。リュックの脇にグローブを出したまま忘れてきたことに気が付く。しかし、既にそれなりに登ってきてしまっている。昨日と異なり、今日の気温は明らかに暖かく感じられる。グローブを諦めて先に進むことにする。
急峻な尾根には微かに踏み跡があるようだが、マーキングの類は一切、見当たらない。足元が崩れやすいザレ場の登りが続くので、慎重に足場を選んで登る。尾根の上部で雪の吹き溜まりが現れると、今度は一気に膝まで沈み込む。草付きが現れると斜度も緩くなり、楽に山頂に達することが出来る。
下から見上げた時には山の上には背の高い標柱が見えていたが、山名標かと思いきや昨日の安達太良山の鉄山で見かけたものによく似た火山観測機であった。山頂からは東側にその安達太良連山がなだらかな山容を広げている。風が強かったのは登り初めの一瞬であり、結局、グローブを必要とするような強風はほとんど吹いていなかった。
櫛が峰の山頂から引き返すと下山は右手に大きく崩落した爆裂火口を見下ろしながら急峻な尾根を下ることになる。爆裂火口に近づくと高度感は半端ないが、足元が脆そうなので近づくだけでも勇気がいるだろう。
先ほどの分岐に戻ると下から続々と人が登ってきている。リュックの脇に落ちていたグローブを無事回収すると、いざ磐梯山に向かって再び出発だ。三合目分岐と呼ばれる猪苗代方面からの登山道と合流すると、挨拶した男女に何となく見憶えがある。すかさず男性が「昨日もお会いしましたね、安達太良山で」と仰る。お二人は昨日は下山後、この近くのペンションに移動されて来られたらしい。
周囲の雪は茶褐色の砂塵にまみれているところが多い。爆裂火口から噴き上げられた砂塵によるものだろう。雪がなくなっているところでは一面の泥濘状態となっているところが多い。ひとしきり急登を登って尾根に乗るとすぐに弘法清水小屋だ。
後は山頂までは一投足で最後の斜面を登る。昨日の安達太良山とは違って、有難いことにこの日は快晴微風の好天に恵まれている。山頂に立つと文句なしに360度の好展望が広がっている。南側には猪苗代湖、その彼方でわずかに冠雪した山は那須連山と日光の山々が見えているようだ。右手の銀嶺は燧ヶ岳に始まり平ヶ岳、越後駒ヶ岳と続く越後の山々であることを居合わせた男性が教えて下さる。北側の純白の飯豊山池の右手に見える白い山は月山らしい。その右手にある蔵王は雪が少ない。男性は近くの方かと思いきや、岐阜から来られて昨日はやはり安達太良山を登っておられたようだ。
山頂での眺望をひとしきり堪能すると、下山を開始する。弘法清水小屋の日当たりの良い岩の上で卵の燻製と郡山で入手したくるみゆべしで軽いランチをとる。三合目分岐に戻り、猪苗代方面に向かうと足元の雪はさらに緩くなったように思われる。広い雪原の斜面を降ってゆくとすぐ先にはスノーボードで滑降したばかりの若者と下から大粒の汗をかきながら登って来られる男性と出遇う。裏磐梯からのルートに比べて猪苗代から登る人は少ないようだ。結局出遭ったのはこの二人のみであった。
沼の平の凍結した池を眺めながら下降してゆく。雪原にはまばらに生える白樺の樹が雪の上に綺麗なシルエットを落としていた。沼の平の南にも右手には広々とした雪原が広がる。雪の下には湿原が広がっているのだろう。
ここから見上げる磐梯山も山頂の南東側の荒々しい岩肌が威厳を感じさせる。左手のなだらかな二重尾根の先に赤埴山の見晴らしの良さそうな雪稜と山頂が見えている。この埴という字は単純に「はに」と読むが、埴輪の他にはあまりお目にかかる機会のない漢字だ。
尾根上には前日のものと思われるトレースがついている。この山の西側をトラバースする道を通る方が圧倒的に多く、前回は私もそのルートを歩いたのだった。赤埴山への尾根を登るとすぐにも左手に安達太良山の展望が広がる。山頂からも360度の展望が広がる。磐梯山に比べると高度を些か落としたものの、青い湖水が広がる猪苗代湖は大きく感じられる。
驚いたことに赤埴山から南に伸びる尾根にはトレースがなかった。猪苗代湖を眼下に見下ろしながらダイナミックな下降の景色を堪能する。トラバース道と合流すると再び先ほどのスノーボードの若い男性に追いつく。赤埴山に登ってここからスノーボードで滑降するのも気持ちが良いだろうと思われるが、それは余計なお世話というものだ。男性がそうしなかったお陰で静かならノートレースの雪面を歩くことが出来たのだから。短いながらも、この日の山行で唯一のノートレースの区間であった。
しばらくは好展望の尾根が続くが、すぐに天の庭と呼ばれる猪苗代スキー場のゲレンデのトップに出る。事前のリサーチ不足のせいだが、下山後に猪苗代スキー場は平日は何とリフト代が無料ということを知る。しかし、この日は最後まで自分の足で下ることを目指すので、既に地面が露出しスキーヤーの滑らないゲレンデを下降する。
交流の家分岐からは林道がゲレンデになっているようだ。林道の間をシュートカットしようとして樹林の中に足を踏み入れた途端に大きく踏み抜き、転倒する。早朝とは違って、雪はますます腐ってゆくようだ・
葉山のゲレンデの下に到着し、次の電車の時間を確認するとほぼ1時間後であった。駅までに歩いて辿り着く十分があるだろうと皮算用をする。ここからは地図上の実線で記された小径を辿って下降するが、この選択が間違っていた。道はすぐに笹藪が繁茂し、倒木が散乱するやぶ道となった。
舗装路に出て、駅が近づいたところで、踏切の音が聞こえる。まだ時間が数分あると思っていたのだが、慌てて時間を確認する。他の時間帯は郡山行きの列車は毎時58分なのだが、14時代のみは52分発だった。慌てて駅に駆け込むが、交通系ICカードのお陰で切符を買わなくて済むのがありがたい。おそらく列車がわずかに遅れていたのだと思うが、ぎりぎり間にあうことが出来た。
列車が郡山に近づくと、安達太良山の上にも雲一つない蒼空が広がっていた。高村光太郎の智惠子抄の一節「あどけない話」を思い出す。
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