記録ID: 5598673
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ハイキング
近畿
蘇鉄山〜大泉アルプス〜陶器山
2023年06月11日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:28
- 距離
- 26.0km
- 登り
- 168m
- 下り
- 72m
コースタイム
天候 | 午前中:雨 午後:くもり時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
南海本線堺駅 ⚪︎帰り 南海高野線金剛駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
⚪︎竹内街道、西高野街道 道はアスファルトまたはコンクリ 道が細い割に交通量があるため、車に注意 ⚪︎蘇鉄山、大泉緑地、陶器山 土の道 ぬかるんだ箇所は、スニーカーの場合滑りやすい |
その他周辺情報 | 市街地なので、コンビニや飲食店多数あり。 金剛駅前にコンビニあり。 |
写真
堺事件の石碑。
慶応4(1868)年、この付近に上陸したフランス人兵士11名を、当時堺を警固していた土佐藩士が殺傷した事件。フランス側の要求により、土佐藩士11名が堺の妙国寺で切腹した。(説明版より要約)
土佐藩士の誰が切腹するかは、土佐稲荷神社でくじ引きで決められたらしい😨
慶応4(1868)年、この付近に上陸したフランス人兵士11名を、当時堺を警固していた土佐藩士が殺傷した事件。フランス側の要求により、土佐藩士11名が堺の妙国寺で切腹した。(説明版より要約)
土佐藩士の誰が切腹するかは、土佐稲荷神社でくじ引きで決められたらしい😨
天誅組上陸の地。
天誅組は尊王攘夷派の志士たちが中心となって結成された組織です。文久3(1863)年、天誅組は京都を出発、淀川を下って大坂から海路、堺のこの地に上陸し、大和へ向かって五条代官所を襲撃しました。(説明版より要約)
金剛山の千早峠を通って五条に出たらしい🤔
天誅組は尊王攘夷派の志士たちが中心となって結成された組織です。文久3(1863)年、天誅組は京都を出発、淀川を下って大坂から海路、堺のこの地に上陸し、大和へ向かって五条代官所を襲撃しました。(説明版より要約)
金剛山の千早峠を通って五条に出たらしい🤔
海の見える社交クラブ「旭館」―アサヒビールゆかりの地
南海本線堺駅のそばを流れる堅川沿いに「旭橋」「あさひばし」と刻まれた橋柱が残っています。ここはむかし旭川があった時代に旭橋が架かっていた場所でした(川は昭和30年に埋め立てられました)。・・・明治21年(1888)、アサヒビールの創始者である鳥居駒吉は、仲間とともに「旭の家」を含めた周辺の土地を整備して社交クラブ「旭館」を開きました。
(堺意外史お散歩WEBより)
南海本線堺駅のそばを流れる堅川沿いに「旭橋」「あさひばし」と刻まれた橋柱が残っています。ここはむかし旭川があった時代に旭橋が架かっていた場所でした(川は昭和30年に埋め立てられました)。・・・明治21年(1888)、アサヒビールの創始者である鳥居駒吉は、仲間とともに「旭の家」を含めた周辺の土地を整備して社交クラブ「旭館」を開きました。
(堺意外史お散歩WEBより)
蘇鉄山頂上。ソテツが植えられている。
(以下、説明版より要約)
蘇鉄山は大阪湾に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所を明治12年に大浜公園として開放され、展望のよい築山として整備されたところです。
この蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山の頂に近代地図作成のための一等三角点が明治18年に設定されました。その後、御蔭山が削られ、昭和14年にこの蘇鉄山の標高6.97mの所に移設されたものです。
(以下、説明版より要約)
蘇鉄山は大阪湾に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所を明治12年に大浜公園として開放され、展望のよい築山として整備されたところです。
この蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山の頂に近代地図作成のための一等三角点が明治18年に設定されました。その後、御蔭山が削られ、昭和14年にこの蘇鉄山の標高6.97mの所に移設されたものです。
十三里石。高野山女人堂まで約52km。
江戸時代に、大小路橋から高野山女人堂までの1里ごとに(約4km)13基の里石が建立された。13基全て現存している。大小路橋から数えて最初の里石。全ての里石を見て回るのも面白そう😃
江戸時代に、大小路橋から高野山女人堂までの1里ごとに(約4km)13基の里石が建立された。13基全て現存している。大小路橋から数えて最初の里石。全ての里石を見て回るのも面白そう😃
装備
個人装備 |
スニーカー
傘
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感想
元々、南葛城山を計画していたのですが、朝から雨です。
なので雨でも安全なコースを考えました。
蘇鉄山〜大泉アルプス〜陶器山は、堺の山を巡るコースです。
大泉アルプスとは大泉緑地にある人工の山で、小笠山・笠伏山・双子山・双ヶ丘の愛称です。ネットでそう呼んでいる記事を見かけて気に入ったので私も呼ぶことにします😆
陶器山は堺市と狭山市の境目にある三等三角点がある山です。
信号が少なく、また歴史を感じられるようにしたいので、竹内街道・西高野街道・天野街道を通るコースです。
90%はアスファルトかコンクリの道なのでスニーカーで十分です。というか登山靴はソールが擦り減るので勿体無い😁
陶器山下山ルートでは予定していたルートが土砂崩れで通行禁止のため、別の下山ルートを行った先の住宅街で袋小路に迷い込んでしまいました。参考にされる方は、迷っているログは無視してください。
スマホの問題なのか休憩時間がバグっています😵
ごはんやコンビニなど合計50分くらい休憩していた気がします…
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