金剛山〜太平記の山旅〜
- GPS
- 08:14
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 1,324m
- 下り
- 1,322m
コースタイム
天候 | 曇り時々雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
道の駅駐車場 帰りは行きと逆 |
コース状況/ 危険箇所等 |
○ポスト 見当たりませんでした。 ○トイレ 道の駅と山頂にあります ○コース状況 行きは水分道、帰りは坊領ルートをとおりました。 どちらも危険箇所はありません。 水分道では、迷いやすいところが何箇所かありました。 坊領ルートは、分岐には迷わないように、標識や進んではいけない道に木の枝を置いたりしています。 このため、迷わずに歩けました。 |
写真
感想
太平記を読んで歩いてみたいと思っていた金剛山坊領ルート、歩いてきました。
道の駅ちはやあかさかに車を停めて出発です。
この近くで楠木正成が生まれたようです。
行きは、水分道を歩きました。
この道、車道から林道をしばらく歩きますが、二河原辺を過ぎてしばらくすると山道になります。
ここから山歩きが楽しめます。
このルート、歩く人は少ないようです。
青崩道まで誰とも会いませんでした。
山頂では、霧氷が花盛りでした。
久しぶりの金剛山の山頂を楽しめました。
帰りは坊領ルートです。
このルートには、楠木正成の城跡があります。
鎌倉時代の終わりの頃、後醍醐天皇が笠置山にこもって討幕の旗を揚げました。
楠木正成は、赤坂に城を築いて幕府軍と戦いました。
楠木軍数百人に対して幕府は数万。
笠置が落ちた後もしばらくは戦っていましたが、一旦、金剛を退きます。
後醍醐天皇は捉えられ隠岐へ流罪となります。
しかし、楠木正成は、北条幕府が占領していた赤坂城を奪還します。
そして、千早城を築城して金剛山に篭り、またまた数万の幕府軍と戦います。
そうこうしているうちに、後醍醐天皇は隠岐から逃れて、伯耆国船上山で名和長年とともに幕府と戦います。
ここも、幕府軍の方が人数でははるかに上回っていましたが、攻めきれないうちに、奇襲攻撃を受けて旗色が悪くなってきます。
ここで、後醍醐天皇は討幕の綸旨を発します。
それに呼応して、足利尊氏が六波羅探題を滅ぼし、新田義貞が鎌倉を攻めて鎌倉幕府は滅亡しました。
大きな時代の転換期に、都から離れた金剛の山城に篭って、時代を変えた楠木正成の山城を見てみたいと思っていました。
上赤坂城に立ってみると、少しですが楠木正成の気分を味わえました。
久しぶりの金剛山を堪能しました。
面白かった。
笠置山と船上山にも行かなくては。
コメント
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tanosiku先輩、こんにちは〜
さすが先輩、スキーがてきなくても滑りはお上手です
ちょっと蝋梅して寒気がしてきましたので布団に入ることにします
しかも、氷点下なのに、ゼリーなんか食っちゃってるし
どうやらHG爺さんや舞子ヴィラさんに壊されちまったままのようですが、2月のヴィラ・ハンドレッドマウンテンズ滞在で駄目押しされないようにご注意くだされ〜
フレさん こんにちは
すべりましたか。
オヤジギャグはイカンですな。
ゼリー、熱いほうじ茶と一緒にいただいたので、おいしかったですよ。
気を付けましょう。
へたれ山岳部にはまたこんど参加しましょう。
では、梅田岳おまちしてま〜す。
私は関西のお山をほとんど知らなくて…。
しかし結構な積雪なんですね。
霧氷がいい感じ
本格的な雪山はとても無理ですが、
私もチェーンスパイク使って早く山歩きしたいな〜。
まだ雪の上を歩いていないので。
-3度でのランチは想像するだけで寒そうです。
お疲れ様でした。
ケロさん あけましておめでとうございます
金剛山は近畿では六甲山と同じように関西では有名です。
関西の丹沢のようなものかもしれません。
この山、冬は霧氷が有名で、近場で簡単に登れるため人気です。
チェーンスパイク、昨年、フレさんとコラボしたときに買いなはれと言われて、モンベルで買いました。
これ、アイスバーンになっているところで威力発揮です。
雪がないところでも歩きやすいので、冬の低山ではいいですよ。
お持ちでしたら試してみてください。
標高1000mの冬山なので、慣れればこんなものかですよ。
もっとすごいのは-10℃近いところで昼にしたことがありますが、ボンベのガスが気化せずに使えなかったことがあります。
本年もよろしくお願いします。
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