今日はあらゆる場所で数センチ以上積もった落ち葉を,
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今日はあらゆる場所で数センチ以上積もった落ち葉を,
ざざっざざっと漕いでいきました。ざざっざざっと。落ち葉のプチラッセルどこまでも。
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ざざっざざっと漕いでいきました。ざざっざざっと。落ち葉のプチラッセルどこまでも。
月山の本道寺口=高清水通りは(肘折口とともに)なかなか手が出せない長大さですが,広大なすそ野の森を通過する点で月山の魅力がつまったコースであることは間違いないです。
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11/5 8:30
月山の本道寺口=高清水通りは(肘折口とともに)なかなか手が出せない長大さですが,広大なすそ野の森を通過する点で月山の魅力がつまったコースであることは間違いないです。
二年連続で今年もいらしたmicremonさんはじめ,多くの方々のレコを拝見して自分の念願がたかまっていました。そのサワリだけでも触れたい希望です。
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11/5 8:39
二年連続で今年もいらしたmicremonさんはじめ,多くの方々のレコを拝見して自分の念願がたかまっていました。そのサワリだけでも触れたい希望です。
口之宮湯殿山神社さん門前の駐車場で準備をしていると,たまたま境内の整備に来られた方から,
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11/5 6:49
口之宮湯殿山神社さん門前の駐車場で準備をしていると,たまたま境内の整備に来られた方から,
このパンフレットをいただきました。地元・本道寺地区会さん発行で,A3両面カラーで六つ折,
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このパンフレットをいただきました。地元・本道寺地区会さん発行で,A3両面カラーで六つ折,
この道の整備に尽くされている「大黒森プロジェクト」の方々の熱意あふれる案内書でした。ありがとうございます。ラッキー・ついてます◎
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この道の整備に尽くされている「大黒森プロジェクト」の方々の熱意あふれる案内書でした。ありがとうございます。ラッキー・ついてます◎
まずは階段を上って参拝です。口之宮湯殿山神社さんはかつて月光山本道寺として徳川幕府の保護もうけた一大宗教施設でしたが,戊辰戦争の際に庄内藩と交戦する新政府軍の焼き討ちにあって灰塵に帰し(明治元年),後日再建されたものです。
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11/5 6:52
まずは階段を上って参拝です。口之宮湯殿山神社さんはかつて月光山本道寺として徳川幕府の保護もうけた一大宗教施設でしたが,戊辰戦争の際に庄内藩と交戦する新政府軍の焼き討ちにあって灰塵に帰し(明治元年),後日再建されたものです。
神社さんの右わきに入口があります。黒い安山岩の石柱は,「大黒森プロジェクト」で令和2年にルートの各所に設置された道標とのことです。立派です。
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11/5 6:55
神社さんの右わきに入口があります。黒い安山岩の石柱は,「大黒森プロジェクト」で令和2年にルートの各所に設置された道標とのことです。立派です。
「従是高清水迄九十六丁處」 この石碑(文政五年,1822)が発見されたことにより,かつて96個の丁石が設置されたことが判明し,発掘が続けられて現在30個が発見されているそうです。左下の「世話人」のところには氏姓のある三名のお名前あり。
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11/5 6:57
「従是高清水迄九十六丁處」 この石碑(文政五年,1822)が発見されたことにより,かつて96個の丁石が設置されたことが判明し,発掘が続けられて現在30個が発見されているそうです。左下の「世話人」のところには氏姓のある三名のお名前あり。
現在までに最も手前側で見つかったものという「九丁」石。右に「同村」,左に「多右衛門」とあり,個々の石の奉納者のお名前が記されているようです。
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11/5 7:33
現在までに最も手前側で見つかったものという「九丁」石。右に「同村」,左に「多右衛門」とあり,個々の石の奉納者のお名前が記されているようです。
標高770mあたりまでは,造林地や多くの植物がいりまじる里山ゾーンです。いい色してます。
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11/5 7:36
標高770mあたりまでは,造林地や多くの植物がいりまじる里山ゾーンです。いい色してます。
ここもいい色〜♪
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11/5 7:46
ここもいい色〜♪
「夫婦清水(みよとしず)」の水場(道脇の湧水)は「十三丁」でした。
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11/5 7:48
「夫婦清水(みよとしず)」の水場(道脇の湧水)は「十三丁」でした。
広い伐開地に残されたシナノキの大きな株。三本に分かれて空間を分け合っている姿が美しいです。この先からガスの中に入っていきます。
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11/5 8:04
広い伐開地に残されたシナノキの大きな株。三本に分かれて空間を分け合っている姿が美しいです。この先からガスの中に入っていきます。
このあたりが最後のスギの木になります。ここは太い杉が残され,小広い広場にもなっているので,往時は小屋掛けの茶屋があったのかもしれません(妄想)。そして,
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11/5 8:26
このあたりが最後のスギの木になります。ここは太い杉が残され,小広い広場にもなっているので,往時は小屋掛けの茶屋があったのかもしれません(妄想)。そして,
その先からいよいよ月山のふところらしいブナ林の水平道に入っていきます。どきどき。
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11/5 8:34
その先からいよいよ月山のふところらしいブナ林の水平道に入っていきます。どきどき。
「二十四丁」の奉納者は「茂吉」さんでした。
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11/5 8:40
「二十四丁」の奉納者は「茂吉」さんでした。
ガスが濃くなっていきます。てくてく。
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11/5 8:42
ガスが濃くなっていきます。てくてく。
をを。うっとりな風景。
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11/5 8:44
をを。うっとりな風景。
ほんのサワリではありますが,これが高清水通りかぁ〜と感慨深く進みます。
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11/5 8:58
ほんのサワリではありますが,これが高清水通りかぁ〜と感慨深く進みます。
姥様につきました。岩鼻先生の本によると往時はここが女人結界だったようです。地理院地図の石碑マークはもうちょっと先のやや平坦なコルにあり,もしかしたら姥様たちは昔はそこにあって,茶屋とかもあったのかも(妄想)。
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11/5 9:14
姥様につきました。岩鼻先生の本によると往時はここが女人結界だったようです。地理院地図の石碑マークはもうちょっと先のやや平坦なコルにあり,もしかしたら姥様たちは昔はそこにあって,茶屋とかもあったのかも(妄想)。
二体は,「姥像」と「祖母神像」とのことです。左側の像は毀損されてます。これ以外に墓石が一基,供養塔が二基,復元されており,プロジェクトの方が最近設置された黒い道標が加わっています。
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11/5 9:15
二体は,「姥像」と「祖母神像」とのことです。左側の像は毀損されてます。これ以外に墓石が一基,供養塔が二基,復元されており,プロジェクトの方が最近設置された黒い道標が加わっています。
姥様の周辺をうろうろして今日は満足です。霧の中を下山します。この道の広さからして,往時は「元高清水」まで乗馬の便もあったのかも?(妄想)。ちなみに芭蕉は羽黒山口を六合目まで乗馬して参拝したという記事を読んだことがあります。
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11/5 9:40
姥様の周辺をうろうろして今日は満足です。霧の中を下山します。この道の広さからして,往時は「元高清水」まで乗馬の便もあったのかも?(妄想)。ちなみに芭蕉は羽黒山口を六合目まで乗馬して参拝したという記事を読んだことがあります。
ブナ以外の大きな樹木もまじった森をおりて行きます。
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11/5 9:50
ブナ以外の大きな樹木もまじった森をおりて行きます。
イイ(・∀・)q
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11/5 9:51
イイ(・∀・)q
今日唯一の花は里山ゾーンのコナスビ。
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今日唯一の花は里山ゾーンのコナスビ。
ノブドウの実の紫と青。
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ノブドウの実の紫と青。
ガスの下に出ると,向かいの斜面の色づきが見えてきます。
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11/5 10:01
ガスの下に出ると,向かいの斜面の色づきが見えてきます。
なにげに月山湖の大噴水の水柱が見えました。
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11/5 10:08
なにげに月山湖の大噴水の水柱が見えました。
この標識につられて,反射板に寄ってみます。風吹(かざほこ)はこの尾根の西側の谷の名前です。
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11/5 10:19
この標識につられて,反射板に寄ってみます。風吹(かざほこ)はこの尾根の西側の谷の名前です。
反射板は,ダム管理の無線用のものでした。山中の風雪に耐えて無言で働く頼もしいやつですね。
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11/5 10:23
反射板は,ダム管理の無線用のものでした。山中の風雪に耐えて無言で働く頼もしいやつですね。
山の下のほうはカエデ類の葉がまだ残って,晩秋らしい里山風景でした。ありがとうございました。
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山の下のほうはカエデ類の葉がまだ残って,晩秋らしい里山風景でした。ありがとうございました。
(おまけ)帰りに月山酒造さん(を構成する設楽酒造店さん)に寄って,
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(おまけ)帰りに月山酒造さん(を構成する設楽酒造店さん)に寄って,
(おまけ)自分用のおみやげに,蔵元限定の(たぶん)「一声(ひとこえ)」ボトルから大吟醸をチョイス。もったいなくてまだ開けないまま冷蔵庫に鎮座中。
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(おまけ)自分用のおみやげに,蔵元限定の(たぶん)「一声(ひとこえ)」ボトルから大吟醸をチョイス。もったいなくてまだ開けないまま冷蔵庫に鎮座中。
(おまけ)月山酒造さんの庭先に保存されている三山電鉄の木造単車モハ103。1926年開業時から1974年まで現役だったそうです。ネット記事によると保存状態は良好らしく,酒造さんのHPでは保護のため覆いをかけていることと,利用プロジェクトが進行中とアナウンスされています。「かいしゅう(海味)」は開業時の終点駅名。
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(おまけ)月山酒造さんの庭先に保存されている三山電鉄の木造単車モハ103。1926年開業時から1974年まで現役だったそうです。ネット記事によると保存状態は良好らしく,酒造さんのHPでは保護のため覆いをかけていることと,利用プロジェクトが進行中とアナウンスされています。「かいしゅう(海味)」は開業時の終点駅名。
(おまけその2)肘折に抜ける十部一峠に向かう国道458号の様子を見に,銅山ゲートまで。
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(おまけその2)肘折に抜ける十部一峠に向かう国道458号の様子を見に,銅山ゲートまで。
(おまけその2)今年の冬季閉鎖は11月1日15時でした。
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(おまけその2)今年の冬季閉鎖は11月1日15時でした。
(おまけその2)ゲート脇の対岸斜面に残る幸生(さちゅう)鉱山の「大切坑」の坑口跡と,
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(おまけその2)ゲート脇の対岸斜面に残る幸生(さちゅう)鉱山の「大切坑」の坑口跡と,
(おまけその2)下流側には沈殿池。1961年まで操業していたそうです。
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(おまけその2)下流側には沈殿池。1961年まで操業していたそうです。
(おまけその3)112号に戻って対岸の獅子口諏訪神社(獅子口明神)さんにお参り。
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(おまけその3)112号に戻って対岸の獅子口諏訪神社(獅子口明神)さんにお参り。
(さらにおまけ)昔は「しまかげのビバオール」でしたが,今は新潟のセイヒョーさんが作っているのでした。
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(さらにおまけ)昔は「しまかげのビバオール」でしたが,今は新潟のセイヒョーさんが作っているのでした。
(さらにおまけ)帰り道,米坂線越後大島駅前から,夕暮れに雄大な杁差岳。いつも見ずにおれない景色です。左奥の本山は雲の中でした。そして,
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(さらにおまけ)帰り道,米坂線越後大島駅前から,夕暮れに雄大な杁差岳。いつも見ずにおれない景色です。左奥の本山は雲の中でした。そして,
(さらにおまけ)電灯の灯った踏切で見る鉄路は,草に覆われてまったく見えなくなっていました。
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(さらにおまけ)電灯の灯った踏切で見る鉄路は,草に覆われてまったく見えなくなっていました。
あれ〜。本道寺からの道、初めてでしたっけ??
確かに長いですが、歴史ある、ブナ林素敵な緩やかな万歩路。blue bluさんのお眼鏡にかなうお気に入りの路と思ってました。
どうしても泊まりになると思いますが、清川行人小屋からの大雪城、胎内岩あたりの黄泉の国のような月山の原風景もぜひ是非是非😊そして、湯殿山口之宮神社本道寺ですから、湯殿山にも参拝を。私もその参拝道を次回は巡ってみたいものです(元茶屋では何を行者さんに提供していたんでしょうね。妄想妄想😄)
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