蒜山三座縦走(下蒜山・中蒜山・上蒜山) ※これが本当の「露払い」ってか!
- GPS
- 05:35
- 距離
- 10.4km
- 登り
- 1,136m
- 下り
- 1,106m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年10月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
10月18日(土)、とある業務上のイベントに参加するため島根県の浜田市に出張することになった。昨年もこのイベントに参加するために出張し、イベントはもちろんその他業務をこなしながら、山陰の温泉・グルメ、そして三瓶山登山にと充分に満喫した出張であった。今年もその出張がやって来たわけだ。今年は訳あって移動日である16日(木)に山登りを行うことになった。
計画は次の通りだ。16(木)に自宅を出発し山登りをした後、業務遂行。翌17(金)にイベントを開催する浜田へ移動し準備作業。18(土)はイベント開催。19(日)に残り業務を行うというものだ。まず登る山は「蒜山」。なぜなら山陰で名前が挙がる山として大山、三瓶山は既に登頂済み。次は蒜山ということになる。今年夏、その蒜山を目指すも悪天候で見合わすことになってしまい、結局道後山へ変更したという経緯にあった。だから今回は何が何でも「蒜山」という鬼の決意で挑む。
出発前日の15(水)にはイベントの準備、業務の事前準備、宿泊準備、登山準備、温泉準備、ご朱印帳の準備等、諸々の準備を整えた。昨年は登山靴を持って行ったものの、肝心のビジネスシューズを忘れるという失態を演じたが、今年はそういうことのないように何度も確認して準備にあたった。
さあ出発の時間だ。ココから蒜山までは高速で420キロ、軽く5時間は掛かる。蒜山登山を夜明けとともに出発するためには、今すぐ出発しなくてはいけない。23時自宅を出発、コンビニで食糧などを調達し小倉東ICから高速に乗り出発した。関門橋を渡り本州に入ると中国自動車道をぶっ飛ばす。眠気の波が何度も襲ってくる。その度にガムを噛んだり、お茶を飲んだり気を紛らしてきたが、もう限界だ。少し横になろう。荷卸峠のパーキングエリアで仮眠をとった。
小一時間死んだように眠る。「ハッ!」っと飛び起きると、すっかり充電完了、再度車を走らせた。しかし長距離の高速運転はだんだん退屈になってくる。特に中国道は山の中を走るのでラジオの電波が入りにくく、入っても韓国のラジオばかり。こういう時にCDでもあればいいのだが、急いで出発したのでそこまで頭がまわらなかったようだ。「何かないかなぁ?」運転しながら社有車のダッシュボードをゴソゴソ手探りで探していると、「あったあった!CDがあるやないか!どれどれ何のCDだ?」「エーーーーー!中森明菜!今どき誰が聞くねん!!」「おっと、もう1枚あった。今度は何だ?」「えーと、ん?松山千春!ええわもう千春で」。洋楽好きな私だが今はコレしかない。さすがに中森明菜を聞くわけにはいかんしな(笑)。
千春のCDを挿入している時に、車は広島北ジャンクションに差し掛かったところだ、その時は脳がエアポケットに入っていたんだろう、間違って広島方面へ向かってしまった。「ヤバイ!」と思ったときには既に遅く、車は中国自動車道から分かれ山陽自動車道方面へ。「オイ!千春!」と思わず松山千春に怒りをぶつけてみるも後の祭り、もう行くしかない。このまま岡山まで行き、岡山ジャンクションで岡山自動車道を北上、中国自動車道へ戻り、そこから米子自動車道で蒜山まで向かう、もうコレしかない。ずいぶん遠回りしたがやっとのことで蒜山ICに着いた。
それにしてもすごい霧だ。時間は6時半、もうすぐ夜が明けようとしている。1時間仮眠したものの7時間ほぼぶっ通しでココまで来た。疲れた……。しかし疲れたなんて言ってられない。本番はココからなんだ。登山口である犬挟峠に着くと、7時ぴったりに登山口を出発した。
犬挟峠には車は1台もなく、どうやら今日は私が1番スタートのようで気分が良い。スタートしてすぐに森の中に入ると、徐々に傾斜がきつくなってくる。鎖を使った急登も現れ、これを越えると登山口付近に漂っていた霧も越えたらしく、まぶしい太陽が顔を出した。森の中を歩くこと30分、5合目を過ぎた辺りから樹林帯を抜け視界が一気に広がった。ここが雲居平と呼ばれる場所で、笹原に覆われた尾根道が山頂まで続いている。さらに眼下には雲海が広がっており、幻想的な雰囲気が漂っていた。「それにしても、雲一つない快晴。風もなく景色も素晴らしい。本当に絶好のタイミングで来たもんだ。」こんな最高の山登りが、一転して最悪な気分になるまでに時間は掛からなかった。
一面に広がる笹の絨毯を歩き始めた時、あることに気づいた。それは笹の葉に朝露がべったりと付いており、笹原を掻き分けて歩いていくうちに、靴とズボンの裾がボトボトに濡れてしまっていたのだ。「これは参った!」笹の葉に引っ掛からないように歩こうにも、笹原の中に作られた道ではどうしても足にまとわり付いてしまう。しばらく無視して歩いていたが、靴の中にも水が入り始めた。「オイオイ、マジかよ!?」先を見ると、笹原は延々と続いている。「いやー、これやったらまさに露払いやんけぇ!!!こんなことやったらスパッツを持ってくるべきやった。ていうか、スパッツなんか持ってへんけどな!」と一人ボケツッコミを入れる。「仕方がない、このまま歩くしかない!」と心に決め、笹露の付いた道を進んで行く。ついに靴の中にはこれ以上水が入らないというほど水が入ってしまい、歩くたびに「ぎゅー」と音をたて始めた。
天気は快晴で、これ以上ない程素晴らしいのに、靴の中にあるたぷたぷの水で、足は濡れて気持ち悪いわ、靴は鉛のように重いわで山行は不快そのものである。傾斜がきつくなると笹原はようやく薄くなり、地獄の朝露から解放された。しかし解放されたといっても新しく露が付かなくなっただけで、たぷたぷ状態は変わらない。我慢して進むと、傾斜も徐々に急になり鎖場も現れた。最後の急坂を登るとようやく下蒜山山頂に着いた。
「やっと着いたか。」やれやれとベンチに腰を掛けようと思ったら、ベンチもぐっしょり濡れていた。「クソッ!」。とりあえず持ってきた三脚で山頂標識をバックに記念写真を撮る。そして靴の中に入った水と、水をたっぷり含んだ靴下を絞った。「よくもまあこんなに水が入っていたもんや。」雲海が広がる最高の景色を見ながら呟く、「笹露がなかったら最高の山歩きが楽しめたのに……。」下蒜山山頂をあとにし、中蒜山方面に下っていく。
「ありゃりゃ…」残念なことに、こっち側にも笹原が続いており、さっき水を抜いた靴は元通りたぷたぷ状態に戻ってしまった。「これやったらなんぼやっても一緒や。こうなったらかかって来いや!」半切れ気味で下蒜山の急坂を下り切ると、前方が大きく広がり、端正な中蒜山の姿が迫ってきた。この辺りの最低鞍部は「フングリ乢(たわ)」と呼ばれ、その昔巨人がまたいで越したときにフングリ(男性器)をこすったという面白い伝説が残っている。
相変わらず続く笹道を進むと、中蒜山の登りに差し掛かった。「いやいやキツイ。」急坂に心が折れそうになりながら、休み休み登っていく。睡眠不足からか、それともたぷたぷの靴のせいか、登り坂が長く感じなかなか山頂に着かない!辛抱して一歩一歩登ると、塩釜冷泉との分岐点に来た。「あともう少しだ。」そう言い聞かせると、山頂避難小屋、そして待ちに待った中蒜山山頂に着いた。
「やっと着いた!」。とりあえず山頂標識をバックに写真を撮る。山頂には長ベンチが数脚あり、見ると朝露もすっかり乾いており、ドッかと腰を下ろした。犬挟峠を出発してから2時間45分、ようやく一息入れることができた。まずは靴の中にある大量の水を除去することからだ。靴を脱いで靴を逆さまにすると水がドバドバと出てきた。靴下も脱いで固く絞る。そして裸足のまま、おにぎりを食べエネルギー補給を行う。気持ちも少し落ち着き、山頂からの素晴らしい景色を堪能することにした。朝霧はすっかり霧散し、眼下には蒜山高原が一望である。「さあ、残るは上蒜山のみ。あと一つだ。」濡れた靴下と登山靴を履きなおし出発した。
中蒜山の下りを下ると、ユートピアと呼ばれる草原にやってきた。笹露は快晴の空に照らされ乾き始めており、最初の頃のような悲惨な状態ではない。コルを過ぎると、上蒜山への登りに入った。傾斜はかなりきつい。とてもじゃないが一気にスイスイとはいかない。「いやマジきっつい。」息を整えながら登ると、ようやく傾斜もゆるやかになり槍ヶ峯の分岐点に来た。上蒜山山頂はここから藪コキをすること約5分のところだ。藪コキはいやだが、ここで引き返したとなると上蒜山は登ったことにならないわけで、選択の余地はない「もちろん行く」だ。
最初は道らしいものも確認できるが、そのうち道らしい道もなくなり本格的な藪コキに入った。有難いことに所々にピンクのテープがつけられており、それを目印に進んでいく。「いやいや物凄いクマザサだ。」胸丈くらいに伸びたクマザサをかき分けて進んでいく。「もしこのクマザサに朝露が付いていたら全身びしょ濡れで発狂するところだったろう。」頭の上に三脚を担ぎ、陸軍の歩行訓練のような格好で歩いていくと、ウソのように開けた空間があった。「ここだ間違いない。」そこには上蒜山山頂を示す三角点があった。しかし標識もなく、展望もきかない処で長居は無用、写真だけ撮ってさっさと元来た道を戻り返す。
槍ヶ峯の分岐点に戻ると、ようやく3つのピークを登り終えた安堵感を感じ、やっと下山するんだという気持ちにさせてくれた。稜線を下る道は気持ちよく、素晴らしい景色も手伝って気分よく下りていける。槍ヶ峯からははっきりと大山を見ることができた。さすがに秀峰と言われる伯耆大山、物凄い存在感である。大山を見ながらそのまま下って行くと、右足のつま先が痛くなり始めた。これは以前からそうなのだが、下山時に必ず足の親指が靴のつま先部分に当たって痛くなる。おそらく登山靴が合っていないんだろう。つま先をかばいながら下り続け、最後の杉林を抜けるとようやく下界に下りてこれた。
出発して5時間15分、精神的・肉体的にもかなり疲れた。さぁ、ここから出発地点の犬挟峠まで戻るのだが、奥の手としてタクシーを使う。事前情報では上蒜山登山口から下蒜山登山口(犬挟峠)まで距離にして12km、金額にして4,000円近くかかるとのことで、ここで日頃鍛えた交渉術を使う。2件目にかけたタクシー会社は3,000円の固定価格でやってくれるとのことでココに決めた。電話して5分ほどするとタクシーが到着、固定価格のためメーターを倒さず出発、運転手さんと山登りについて話が弾む。約20分で犬挟峠に到着、これで本当のゴールインである。靴と靴下を履き替えようやくスッキリした。
米子と倉吉で業務をこなし、本日宿泊の三朝温泉に到着した。本日の宿はというと、なんと「旅館大橋」である。旅館大橋……、文化庁登録有形文化財の建物、自家源泉5箇所を持つ100%完全掛け流しの湯、現代の名工に輝く料理長が作る創作料理と非の打ち所が無い。かの温泉評論家の郡司勇氏曰く、全国で5箇所しかない満点を付けた山陰きっての名旅館である。
実は昨年も三朝温泉に宿泊し、三朝温泉の湯めぐりに出かけ、この大橋にも立ち寄った。しかし宿のウリである、「天然岩窟の湯」は女性専用であったため泣く泣く断念、露天風呂とふくべの湯という内湯に入るしかなかったのだ。その時には次のように感想を述べている。「やはりこの旅館は泊まってこそ、その素晴らしさを実感できるのだ。そうだな、この旅館は今の自分ではまだまだ不釣合い。あと20年経ってからまた来よう。」と。しかしあの時の悔しさは心に残ったままになっており、再戦の機会を窺っていたのだ。こういった名旅館は一人宿泊をやっていないか、やっていても物凄く高くて泊まれないということが多いが、大橋は違う。平日限定のビジネス素泊まりプランなるものがあり、純粋に温泉を楽しもうという私のような輩にも門戸を開いているのだ。ただし素泊まりプランということで、現代の名工の料理は味わえないが、素晴らしい温泉と宿を味わえればそれでいいではないか。
大橋に着くと、抹茶とお菓子のウェルカムサービスを受ける。部屋に入ればさすがに名旅館、部屋の雰囲気もいう事がない。部屋からは三朝川の清流を見渡すことができ、一人で過ごすにはもったいない程の部屋の広さがあった。部屋に入るとやっとホッとできた。今日は本当に忙しかった。昨日の23時からほぼ徹夜で車を運転、蒜山に着くと蒜山三座を5時間余りかけ縦走、下山して仕事をこなしてと……。本来ならここでゆっくりするところであるが、ここでゆっくりしないのが私らしいところ。これから三朝の湯めぐりに出かけることにする。
昨年は旅館中心に攻めたが、今年は日帰り施設中心に行く。大橋でゲタを借り、カランコロンと鳴らしながら歩いていく。温泉街の雰囲気を感じながら公衆浴場「たまわりの湯」にやって来た。今年の4月から「菩薩の湯」からリニューアルした施設で、透明な湯が掛け流されている。施設は綺麗すぎて風情はないが、とにかく疲れきった体に染入るようで、入った瞬間唸り声が漏れてしまった。その次に入るのは三朝温泉のルーツと呼ばれる公衆浴場「株湯」である。建物のオンボロさと、一つしかない浴槽はいかにも公衆浴場ならではの素晴らしい雰囲気を漂わせている。
部屋に戻ると、スーパーで買った惣菜とビールで夕食をとる。入浴後でしかもアルコールも入ったせいか恐ろしいほどの睡魔が襲ってきた。「ここで眠ればどれほど幸せだろう。」と、眠気に体を委ねようと思うが、ここで寝ては元も子もない。21時にあの岩窟の湯が男性専用に替わるのだ。そこまでは何がなんでも起きていなくては…。そうだ、眠気覚ましに風呂でも入ろう。内湯のふくべの湯と露天風呂に入る。平日のためか宿泊者は多くないのか、どちらも貸切状態で楽しめた。
部屋に戻ると、解禁時間の21時2分前に部屋を出て、デジカメを片手に浴室へ向かう。「ヨッシャ!オレが一番やろう!ん?マジかよ!?」一人のオッサンが既にそこにいた。「悔しいです!」岩窟風呂の温泉写真を撮影する計画は泡と消えてしまった。こうなったら温泉そのものを堪能するしかない。
扉をガラッと開けると、岩で囲まれた3つの浴槽があり、向かって右から上之湯、中之湯、下之湯となっており、上之湯がトリウム泉、あとの2つがラジウム泉と表記されていた。まず一番大きな中之湯から入ることにした。「おおー結構深い。」深さは腰ぐらいあろうか。噂通り浴槽の足元からガンガン湧出しており、これ以上ない新鮮な湯である。下之湯へ移動した。中之湯より少しヌル目になっており、長湯するならこっちだろう。最後に上之湯に入る。上之湯のトリウム泉は世界に類例が殆んど無く、本泉のトリウムエマナチオン含有は現在のところ世界第一位とのことで、まさに奇跡の湯といえる。
ここでラジウム泉について簡単に説明したい。ラジウムを含有した温泉は地下から湧出後、気化してラドンガスに変わる。そのラドンガスが呼吸によって肺に入ると、肺から血液に溶け込み全身の細胞内に刺激を与える。このようにラドンのような弱い放射線が刺激となり、細胞を活性化させ、これにより毛細血管が拡張し、新陳代謝が向上することで免疫力や自然治癒力が高まる。これを「放射線のホルミシス効果」という。しかしまぁー、評判通りの素晴らしい温泉だった。温泉写真は撮れなくて残念だったが、小一時間ゆっくり岩窟風呂を堪能し大満足で部屋に戻ってきた。長い長い1日が終わろうとしている。殺人的スケジュールであったが、反面物凄く充実した1日であった。疲れたので22時に就寝とした。
翌朝、4時40分に起床した。年寄りのようにこんな朝っぱらから……、いや違う!これは決して自然に目覚めたのではない。意図的にこの時間に起きたのだ。何を隠そう岩窟風呂の入浴時間が朝5時からなのである。そう、温泉写真は諦めたわけではないのだ。朝一で岩窟風呂に入るために、10分前の4時50分に部屋を出た。通りすがり湯守の方とすれ違い、「もう温泉に入ってもよろしいですか?」と訊くと「どうぞどうぞ」と快い返事。浴室に入ると、予想通り誰もいない。「わはははは!こんな朝早く風呂に入る奴がいるとしたら、そいつはただのアホや(笑)。ただしオレ以外の話やけどな……(大笑)。」思う存分温泉撮影を楽しむことができ、これ以上ない満足感。撮影後は朝風呂をゆっくり楽しみ、体をウェイクアップさせた。部屋に戻ると、出発の準備にかかる。朝7時ピッタリに旅館大橋を出発した。
三朝温泉から倉吉を経由し米子、米子から山陰道に乗り松江を経由し出雲までやってきた。ここで少し寄り道をし出雲大社にお参りすることにする。10月には全国八百万の神々が出雲大社に集まって神議をするとされ、出雲以外では10月を「神無月」と呼ぶのに対し、出雲では「神有月」と呼ぶ。参拝方法も独特だ。普通の神社では二礼・二拍手・一礼が一般的だが、出雲大社では二礼・四拍手・二礼で参拝を行う。神楽殿にかかる日本一の大注連縄や本殿を遠目に見ながら広い神社内を散策し、一の宮専用のご朱印帳にご朱印をもらった。
参拝が終わると、出雲名物のアレを食べる。アレと言えば出雲そばに決まっている。当初荒木屋に行きたかったのだが、営業時間が11時からと言うことで断念、第二候補で9時から営業している八雲本店に決めた。注文するのは出雲名物「割子そば」で、今回は三色割子とした。特別ウマイというわけでもなく普通にウマかった。MVF評価でいえば星半個といったところか。まぁ出雲でそばを食うという一種の使命感みたいなもんを味わえただけでもよかろう。
出雲を出発し大田市にある物部神社に立ち寄る。先ほどの出雲大社が出雲国の一の宮、こちらの物部神社は石見国の一の宮に当たる。ここでお参りをするとともに、本日2つ目のご朱印をゲットする。大田を過ぎ温泉津温泉までやって来た。温泉津温泉は私が入った数ある温泉の中でもお気に入り温泉の一つである。赤い石州瓦が続くタイムスリップしたような温泉街は重要伝統的建造物保存地区に指定され、ノスタルジックな気分にさせる。しかし凄いのは温泉そのもののいわゆる温泉力である。まずは元湯泉薬湯にお邪魔する。相変わらずのレトロの浴槽は「あつい湯」「ぬるい湯」「座り湯」の3つに分けられており、深緑色の湯が満ち溢れている。ぬるい湯でも40度以上、あつい湯はな、なんと46度もあって残念ながら「あつい湯」は入浴できなかった。さっぱりと入浴し、向かいの薬師湯へと温泉はしごする。
個人的にはさっきの元湯の方がお気に入りだが、この薬師湯はなんと日本温泉協会の審査で6つの項目全てで満点の「5」の評価を得た全国屈指の名湯である。オール5は中四国ではココだけ、全国でもわずか12箇所しかないとのこと。ラッキーにも一人入浴の時間帯があり、その隙に温泉撮影を行った。温泉津の名湯を楽しんだ後、浜田で取引先の方々と15時に待ち合わせをし、明日のイベントの準備を行った。
準備終了後の会食だが、既に浜田の小料理屋「具味」を予約してある。この具味、のどぐろの煮付けで平成19年10月のMVF(Most Valuable Food)に輝くと同時に、平成19年の年間準MVFに選ばれた店だ。あののどぐろの味が忘れられず、今回もこちらにお邪魔することにした。今日は10時前に食べた出雲そば以外何も食べておらず、餓死寸前の状態である。
店に入り、刺身の盛り合わせを頼む。刺身はのどぐろの炙り、あわび、生えび、サザエ、鯛等々の豪華版。生えびのぷりぷり感、あわびのコリコリ感、そして脂ののったのどぐろを炙った刺身はどれも絶品である。次にお待ちかねののどぐろの煮付けだ。「おーきたきた!!」。この「ふわっ」とした舌触り、そしてこの脂の乗りっぷりはまさに最高。さすが年間準MVFに輝いた一品、あらためて脳内にその味を入力した。ワイワイガヤガヤ過ごすうちに、甘鯛の塩焼き、ワタリガニを平らげ、腹いっぱい、胸いっぱいの大満足状態になった。「もうアカン。これ以上食われへん!」精算を終えると、本日の宿である美又温泉「旅館みくにや」に移動となった。
宿の感じは学生時代に過ごした貸間アパートのような雰囲気で、昨日泊まった旅館大橋とは雲泥の差である。というか、「あれと比べちゃいかん!(笑)」。みんな私が温泉好きだと知っているので、取引先の一人がみんなで美又温泉の共同湯に入りにいこうと気を遣って頂き、宿の近くの「美又温泉会館」にいくことにした。入ってビックリ、さすが美人の湯の評判通り、強ヌルヌル泉でアルカリ度は相当高いと思われる。残念なのは強めのカルキ臭がしたことだが、あえてみんなに言う必要もないわけで、自分だけにとどめておいた。
翌日は朝からイベントが始まる。朝から大忙しで、立ちっぱなしで足がかなり疲れた。ようやく16時にイベントも終了となり、取引先のみなさんともここでお別れする。私は今日の宿である三瓶温泉に向かって出発した。到着時間は7時頃になりそうだと事前に連絡を入れており、三瓶温泉の湯元旅館に着くとすぐに食堂に案内された。そこには10人の団体様と6人の団体様が既に食事中で、その中にポツンと一人食事をとる。「ありゃりゃりゃ」。宿泊者がこんなにいるとは……。これは全くの想定外だった。これならゆっくり温泉を楽しむのは難しいかもな。しかしこんな事で諦める私ではない。夕食をのんびり食べている団体様を尻目に、さっさと食事を切り上げ、風呂に向かう。
「オーこれかこれか!」そこは茶褐色の湯が湯量たっぷりに注がれていた。自身の温泉入浴写真を撮影、噂通りかなりヌルい。浴槽には湯の華だろうか、温泉由来の茶褐色の泥が薄く溜まっている。長湯をしたが、やはり季節的に少々寒く感じる。最後に熱いシャワーをぶっかけ、横の家族風呂に移動する。横の家族風呂はコンクリートに囲まれた浴槽で、先程の湯の華が厚く溜まっていた。こちらも温度的にはかなりヌルく、最後に熱いシャワーをぶっかけた。温泉の感じとしては温度、色、ともに千原温泉に非常によく似ている。部屋に戻っても独り身でやることもないので、再度ヌルい風呂に入りに行き、震えながら入浴した。入浴後部屋に戻ると、やはりやることもないので今度は就寝とした。
翌朝日曜日今日も晴れだ。この4日間全て晴天に恵まれた。三瓶温泉を出発し出雲で業務をこなす。出雲から松江に行く途中、鄙びた温泉に入ろうと海潮温泉を目指す。まずは桂荘、正式名称を農村環境改善センターという。建物は町の役場風の公営施設と思われるが、しっかり掛け流しの温泉が溢れていた。透明で特別特徴はなかったが、今日一番目の温泉でまずはさっぱりする。次に訪れるのは同じ海潮温泉のかじか荘だ。鄙びた雰囲気の建物に入ると、先程の桂荘と同じく料金箱とスタンプ帳があり、入浴者は料金箱に200円を支払い、スタンプ帳にスタンプを押すというシステムになっている。浴室に入ると細長い浴槽に透明な湯が物凄い勢いで掛け流されていた。のんびりと入浴した後、出雲国の一の宮である熊野大社に向かう。出雲国の一の宮は出雲大社だけでなく、熊野大社もあるのだ。熊野大社でお参りした後、ご朱印をゲットした。その後、松江で業務をこなした後、美保関に立ち寄り、米子で最後の業務を終えることができた。長かった山陰出張もこれで終了、今年も目一杯充実したものであった。おわり。
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