三浦アルプス(三浦富士、武山、大楠山)
- GPS
- 08:24
- 距離
- 12.3km
- 登り
- 636m
- 下り
- 631m
コースタイム
- 山行
- 2:56
- 休憩
- 1:13
- 合計
- 4:09
- 山行
- 3:50
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 4:17
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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コース状況/ 危険箇所等 |
大変よく整備されている。大楠山は途中で崖崩れがあって通れない道あり。山頂までのハイキングルートは確保されている。 |
その他周辺情報 | ソレイユの丘のThe CLIFFキャンプ場にソロテントサイトあり。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
サンダル
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
携帯トイレ
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感想
筆者は神奈川県で生まれ育ったので、小学校の社会科の授業では神奈川県の地理や歴史について勉強したのだが、何故神奈川県の県境と相模国の国境があんなに違うのか不思議であった。かつては川崎全域と横浜市の大半にあたる部分は相模国ではなく武蔵国であったのに、何故に神奈川県になってしまったのだろう。鎌倉や小田原からしてみれば、幕末まで片田舎でしかなかった「神奈川」なんて場所の名前まで県名に付けられてしまい、さぞかしプライドを傷つけられたことであろう。と言うことで調べたところ、筆者にとっては驚くべきことが分かった。廃藩置県のあった明治4年9月の段階では、神奈川縣というのは今の神奈川県東部だけで、西部は小田原縣になっている。その2ヶ月後の11月には、神奈川縣は東京の多摩地区、今の青梅のあたりまで拡大していて、小田原縣は足柄縣と言う名称に変わっているのだが、なんとこの時、旧伊豆国(伊豆半島全域)は足柄縣に組み込まれているようなのだ。しかし明治9年には伊豆は静岡縣に組み込まれ、残りの足柄縣も神奈川縣になり、さらに明治26年には多摩地区は東京府に組み込まれ、ほぼ現在の神奈川県が成立したようだ(神奈川県立公文書館紀要を参照させていただきました)。登山の感想のはずがずいぶん回り道をしてしまったが、何が言いたいかというと、三浦半島のことである。三浦半島こそはかつて相模国であり、そして神奈川県であり続けた貴重な(?)地域なのである。
だからなんなのだ、という声も聞こえてきそうなので、本題に入ろう。我らのリーダーが某おしゃれ女子系登山雑誌を読んでいて、神奈川県の三浦半島でテント泊が出来るところがあるという情報を拾ってきた。時期的に5月では我々の体力と装備では高山に行けないので、これはテント泊の練習にはちょうどいいだろうということで、計画を立ててみることになった。テント設営場所は「ソレイユの丘」という総合レジャー施設で、その中にオートキャンプやグランピングが出来る場所があり、その一部にソロキャンパーのためのスペースがある。そこに1泊することにして、当日と翌日に三浦半島の低山を歩いてみようという計画である。調べてみると1日目は三浦富士から武山という低山を縦走し、2日目は三浦半島最高峰(と言っても241mだが)である大楠山に登るのがよさそうである。間をつなぐ交通はバス利用で、それほどタイトでない計画が出来上がった。
さて、登山当日、リーダーとは京急長沢駅で待ち合わせた。筆者は品川から京浜急行の特急に乗ったのだが、立派な車両なので最初、有料特急なのかと思ってしまったぐらいである。快適に車窓を眺めて京急長沢駅に着くと、駅前には広いスペースがあって、そこで出発の準備をして、駅至近の団地群を抜けて登山口に入った。実は、登山ルート案内には次の駅である津久井浜から登るルートを紹介しているケースが多い。しかし、地図を見ると林道のような舗装道もしくは砂利道を行かねばならないように見えたので、登山アプリで皆さんの足跡がしっかりついていて、かつ舗装道ではないと思われる長沢駅からのルートを選択した次第である。結果的には正解であっただろう。ただ、道は狭くて草木も生い茂っているので、すれ違いと虫には注意が必要である。登山口を入ってすぐ、解放戦士の碑というのがあったのだが、明確ではなったが全共闘の時代を感じさせる碑文があり、昭和は遠くになりにけり、という感じである。
今回はテント泊ということで、筆者の荷物は水とかも入れて12㎏ぐらいになってしまった。なので早く歩けない。しかし、軽ければ早く歩けるかと言えばそんなことは無い。でももうちょっと軽量化を図りたいところである。だいたい三浦富士に上るのに皆さん10ℓぐらいのザックで運動靴で登ってくるのに、こちらはハイカット登山靴にテン泊装備である。さぞかし奇異に見えたことであろう。まあ、歩荷訓練と思ってくれたかもしれない。そういういう面もあったのではあるが。
登ること約1時間で、三浦富士山頂に着いた。西から南にかけての眺望がよく、何人かのハイカーが景色を楽しんでいた。我々も写真を撮ったり給水したりして、少し休憩してから砲台山に向けて出発した。実は、この山行の少し前に、某有名ガイドさんの歩き方講習を受けて、それはとてもためになったのだが、筆者はいろいろ指摘を受けた。まあ、リーダーはさほど指摘を受けず、今回の三浦半島山行はその復習を兼ねてリーダーに後ろから歩き方を見てもらったのだが、筆者はどうも膝が内側に入っているらしい。個人的感覚では相当にかかとを外側に出して足の外側から着地するぐらいの感覚でないとまっすぐに膝が出ていないらしい。ストックの使い方も教わったように試してみた。以前からダブルストックで下りで普通の握り方をして前に突くと絶対に前かがみになるよなあ、と思っていたので、短いシングルストックで山側の足の横に突くのは非常に合理的だと思い、試してみることにしたのである。最初は慣れなかったが、だんだん感じはわかってきて、2日目の下りあたりになるとだいぶ慣れてきたようだった。これは結構自分には合っているかもしれない。
さて、三浦富士の次のピークは砲台山だ。名前の通り太平洋戦争の前から砲台を設けていたらしい。元々は大塚山と呼ばれていたらしい。縦走路からちょっとそれてその山頂を巻くようにして行く。果たして行ってみると砲台を備えてあったと思しき丸い窪みがあった。これは昭和初期に設置された高角砲(高射砲)が設置されていた跡で保存状態はかなり良いように思われた。太平洋戦争末期の空襲の際にも使われたのだろうか。1基だけ、孤軍奮闘と言いたいところだが、ほぼ当たらなかったのではないだろうか。
巻道ショートカットして戻って、次のピークは武山である。武山は基本的に不動尊がある山であるらしく、山頂には展望台があり、360度、海の見える景色が見渡せた。展望台の下が休憩所になっていたが、先客で一杯だったため、我々は登山道脇のベンチで昼食を取ることにした。ここにはきれいな公衆トイレもあって、関係者のご配慮に感謝いたします。ここでちょっとゆっくり目に休んでから、下山に取り掛かった。不動尊があるだけあって、下りはいきなり舗装道である。このままずっと舗装道は嫌だなと思っていたら、リーダーが目ざとく脇道を見つけた。やけに細い道だったのでちょっと不安だったが、山レコアプリは警告を出して来なかったのでそのまま降っていった。途中、筆者は、世界戦で井上尚弥がルイス・ネリから喰らったような見えない角度からの木の枝フックを浴びた。前をいくリーダーのテント用クッションがザックに外付けされているのだが、その横幅が大きいので、どうやらそれに引っかかった木の枝が跳ね返ってきたらしい。幸いダウンはしなかったが、数回浴びたので、これはもしかしたらリーダーがわざとやっているのではないか、と疑ったが、真相はわからない。しかし故意であれば相当な技術だ。多分高角砲で飛行機を撃ち落とすより難しいだろう(そんなことはない)。リーダーに遠回しに文句を言うと、「近くに寄りすぎなんじゃないの?」と一蹴された。まあ、そんな緊張状態の中で茂みの道を抜けると再び舗装道に出た。今度はバス通りまで続く道だろう。果たして、大きな通りに出て、無事バス停まで辿り着いた。
キャンプ場まで行くのに竹川というバス停から長井と言うバス停まで京急バスに乗った。長井のバス停からは30分ほど歩くのだが、このロードがなかなか遠い。田中陽希氏のグレートトラバースが実はロードがきついのだと言うのが100万分の1ぐらい分かった気がした。それでもひたすら歩けば目的地には着くのである。ソレイユの丘に近づくとゼッケンをつけて走っている人がいる。どうやら登山道で見かけた「みちくさウルトラマラソン」のコースに入っているようだ。100kmはとてもじゃないが走れそうにない。いや歩くのも無理だろう。みなさんお疲れ様です。
さて、ソロキャンプサイトは一番奥の方にあり、ロープで区画されている。まず筆者のテントから立てたのだが、ペグを打ち込むための適当な石がない。どうしようかと思っているとリーダーが「こうやって足で押し込めばできるよ」と教えてくれたが、どうもリーダーのようには上手くできない。いつの間にかリーダーのテン泊スキルは向上しているようだ。と言っているうちにテントも完成したので、辺りを探検することにした。同じソロサイトには、バイクや自転車で来ている人もいた。まるで「ゆるキャン」のりんちゃんのようである。一瞬妄想した一部読者の夢を打ち砕くようだが、女子高校生ではなくオジサンたちであった。基本的に登山のテン場と違って、いろいろ行き届いていて、我々のようなテン泊初心者には快適だが、テン泊の猛者たちからすれば過保護に見えるのかもしれない。
展望デッキの先に海岸へ降りられる道があり、行ってみることにした。が、閉門時間が迫っていたのですぐ戻って、売店でビールを買って晩御飯だ。ビールはコロナビールだけだったので、瓶はお店で引き取ってくれるのか聞いたところ、その際におかわりもどうぞ、と言われてしまった。多分顔が緩んだのだろう。リーダーに睨まれた。
さて、晩御飯はお湯を入れるだけのパスタにしたのだが、なかなかお湯が沸かなくて困った。風があったせいだろうか、あるいは容器が大きすぎたのだろうか?いずれにしても食材を持ち込んで料理をしないのなら、ジェットボイルという選択肢もあるね、などとリーダーと話しているうちにお湯もかろうじて沸いてきたので、パスタにありつけた。しかし味はイマイチで、リーダーのアマノフーズのカレーとナンというのが若干羨ましく、賢い選択だと思った。今後の参考にしよう。この晩は油壺の方で花火大会があったようで、我々は展望デッキからそれを眺めることができた。とてもラッキーであった。
さて、翌朝、鳥の声で4時前から起こされた。年寄りはここから寝るのが一苦労である。まあ、それでも頑張って6時ごろまで寝て、ダラダラして、その後テントをたたみ、予約しておいたキッチンカーみたいなところの朝食をいただいた。クロワッサンとクラムチャウダーでなかなか美味しかった。ちょっとしたトラブルというか、お店の人に適切に対応してくれたのだが、それは割愛する。まあ、「人間万事塞翁が馬」的なことである。一喜一憂してはいけない。
さて、朝の儀式も済ませて、バス停までのロードに出発だ。ザックが重いが昨日の往路よりはマシだ。まあ、ちょっとは体力が回復しているのかな。バス停では結構人が待っていて、我々もだいたい時間通りに来たバスに乗り込んだ。昨日乗ったバスと途中まで同じルートをいくが、その後、三浦半島の西側を北上する。前田橋というバス停で降りて、2日目の登山開始である。どこに登山口があるのかちょっと迷ったが、川の縁、というかほとんど川の中を飛び石づたいに行くような感じで登山が始まった。ちょうど何組かのグループと同じような時間の出発となったので、時々道を譲りながら、川に落ちないようにしながら川を遡った。
少し行くと、川に別れを告げて山道になる。なんか、ひたすら階段の様相を呈している。階段階段また階段、ちょっとうんざりしそうだが、先日の歩き方講習の復習には良い環境である。足の運び方を確認しながら登っていく。昨日のプチ縦走とは違いほぼ一貫して登りである。そして山頂に近づくと何やら灯台のような建造物が見えてきた。そばには展望台もあって、説明書きを読むと当時の天皇陛下がお越しになったようだ。登ってみると、なかなか素晴らしい景色が広がっていた。横浜のランドマークタワーがあんなに近くに見えるとは思わなかった。
そこから山頂まではすぐであった。山頂で昼食、と言っても行動食を食べ尽くすような感じにはなったのだが、一応昼食をとって、少しゆっくりした。山頂は平らなスペースがあり、ボール遊びをする家族連れの姿も見えた。今年新たに発売された山と高原地図の三浦半島&房総半島版にも書いてあるが、頂上の展望塔は立ち入り禁止となっているので、眺望はその下の展望台でどうぞ。
当初、登山ガイドで勧められているように下山は別の道を通るつもりであったが、地図を見るとどうやら舗装道のようである。リーダーと相談して元の道を戻ることにした。再び、階段階段また階段の道を経て、川沿い道に入るところに来て、リーダーが「滑って川に落ちるのが嫌だからこっちの舗装道から行こう」と言う。うっ、木の枝フックの仕返しに、隙を見て突き落とそうと思っていたのが発覚したか?素知らぬ顔で舗装道を下っていくと、「三浦一族ゆかりの地をめぐる」と書かれた観光看板が出てきた。大河ドラマ・「鎌倉殿の13人」では陰謀に次ぐ陰謀が描かれていたようである。ちょっと背筋が寒くなり、リーダーに歯向かうと完膚なきまでに叩きのめされそうなので変な気は起こさないようにしようと改めて思った。読者諸氏にはくれぐれもこの話はリーダーには内緒にしていただきたい。
ということで、暗殺も流刑もされずに前田橋のバス停に無事着いた。ここからバスに乗って逗子駅まで行く。途中江ノ島が見え、葉山御用邸をかすめ、数多くの外国人観光客を見て、JR逗子駅に着いた。逗子駅前でコーヒーとケーキをいただいて今回の登山は終了である。低山とはいえ、首都圏からこのように近くてテン泊と組み合わせて楽しめるのはなかなか良いのではないだろうか。夏山登山本格化の前に練習がてら行ってみるのはいかがだろうか。(完)
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