大無間山
- GPS
- 14:09
- 距離
- 17.7km
- 登り
- 2,425m
- 下り
- 2,420m
コースタイム
- 山行
- 10:41
- 休憩
- 1:14
- 合計
- 11:55
過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
P1の小無間山とのコルは南側と北側の崩壊がつながり、ナイフリッジ状になっている。3本ロープが架けられているが、テンションのきつい奴に頼ると身体が南側に引っ張られるのでかえって危険。弛んでいるロープを持つこと。 |
写真
感想
大無間山は南アルプス深南部の山である。井川ダム最北端の田代から単純標高差は1700メートル近い。「鋸歯」と呼ばれるP1〜P4は激しいアップダウンがあり、累積標高差は2000メートルを超える。コースタイムは14時間。そればかりではない。P1と小無間山との間には、両サイドが崩壊したナイフリッジがあり、昭文社の「山と高原地図」シリーズの2014年版「塩見・赤石・聖岳」には、「小無間山〜P1間のコルはナイフリッジ状の崩壊地になっており通行不能」と記されている。破線すらなくルートが途切れているーこんな山は知る限り見たことがない。20年ほど前の地図やガイドブックには、ちゃんとルートが記載され、崩壊地の記載はあるものの、通行が不能とか超危険という記載はない。Y男さんグループが3年前に登った際には、南側崩壊地と北川崩壊地は繋がっていなかったというから、最近崩壊が激しくなっているようだ。ネットで最新の山行記事を読むと、3本ザイルが架かり、何とか通行できるようである。昨年東北の神室山で出会った人の話でも何とか通行は可能だといっていた。もう少し崩壊が進めば本当に通行ができなくなるだろうとか、ナイフリッジの上部の方が崩れてきており、そちらの方が危険という記事も見られる。僕の残されている300名山の中でも最も厳しい山の一つである。
その厳しい山に82才のOさんと74才のH男さんの3人で臨むことになった。Y男さんグループは空身でピストンしたと聞く。早朝4時にスタートし戻ったのは18時。14時間を要している。その山行にOさんも参加していたが、直前に持病の不整脈が出て断念。それでも諦めきれずに2時間後に出発。P2まで行って引き返したという。Oさんにとってはリベンジの山である。Oさんの要望を入れて、日帰りのピストンは止めて小無間山小屋泊りとした。初日は食糧、水3・5リットル、寝袋などを標高差1000メートルを登って小無間小屋まで担ぎ上げ、荷は小屋にデポして、水、行動食など最小限の荷で大無間山に向かい、その日は小屋まで引き返し小屋泊まり。二日目に下山するプランとした。
それでも初日は、累積標高差2000メートルを登って1000メートル下り、行動時間は10時間に及ぶ。足は持つかとちと不安である。7月に遠征した北海道のニセイカウシュッペ山から下山中転倒し、左足に違和感を覚えた。2日間休養しテーピングして石狩岳に臨み、その効用を実感した。タイツはそのテーピング理論を応用したものである。あの締め付け感が嫌でこれまでタイツを敬遠してきたが、今回初めてタイツを着用することにした。
8月12日4時前、田代の民宿を出発。前日下見しておいた諏訪神社境内の空き地に駐車し、4時5分スタートを切る。8月も中旬になると日の出が遅くなり、4時を過ぎてもまだ暗闇。Oさんが登山届を出すにも手間取っている。いつものように82才のOさんがトップで歩き出す。ヘッデンを頼りに踏み跡をたどる。倒木があるところで踏み跡を見失い、しばしウロウロ。3人でヘッデンを照らし、6つの目を凝らせば登山道に復帰できた。4時30分を過ぎる頃から辺りがようやく白み始める。白い大きな笠のキノコが群生。薄明かりに心なしか笠が光っているように見える。気味が悪い。発光現象があるのだろうか。
ジグザグの急登をひと登りすると傾斜が緩んで雷段(1085メートル)に出た(4時49分)。ここは平坦地。「段」がつく地名は珍しいが、「山伏段」や「栗ノ木段」など南アルプス深南部の山に見られる。要するに急登が緩んだ平らなところに付けられているようだ。倒壊した小屋を見送る。沢音が聞こえてきた。普通登りだしの沢音が徐々に聞こえなくなっていくものだが、高度を上げてから聞こえてくるというのはどんな地形になっているのだろうか。そんなことを考えているうちに沢音は遠のいていった。登山道はかつて造林用の作業道だったようだ。階段もなければ岩踏みもない、根張りだってさほどない、快適な道が続く。その上、檜・杉林に山風の微風が吹く。実に心地いい。このところずっとうんざりするほどの猛暑続き。日中熱くなった空気が夜間に冷えて重くなり、斜面を駆け降りてきているのだ。長丁場の上に歩きにくい道だったら辟易するところだ。空は高曇りの晴れ。この先ずっと樹林帯歩き。展望は得られないが、その分直射は避けられた。
1500メートル付近から急登。しかし悪路ではない。土踏みの急登だから何となく靴を置くと滑ってしまう。初めて着用したタイツは膝頭がキュッと締め付け感がして持ち上げる足が軽い。大量の水、無人小屋泊まりの荷がいつもより重いが、締め付け感が不快でなくすいすい登って行ける。テーピング効果がしっかり働いている実感がする。心配した暑ぐるしさも感じられない。タイツに半ズボンか巻きスカート、カラフルな速乾性のシャツという山装束がすっかり定着している。そんな装束で岩角をひっかけて肌身は守れるのか、ファッション性が優先されているのではないかと、見向きもしなかったタイツだが、実用性がありそうだ。
Oさんが
「急登が堪えた。一本立てましょう」
とクラシカルな言葉を発して休憩宣言。そんな言葉が出てくるのも、さすが戦後間もなくから山とスキーを楽しんできた山屋さんのことではある。山用語一つにしてもそこいらの新参者とは年季が違う。彼はどの山にご一緒してもトップを買って出る。トップで歩けば自分のペースが守れるからだ。決して早いわけではないが遅いわけでもない。82才としては驚異的といっていいスピードだ。ワンピッチ目は必ず30分で休憩を取るし、きついところでは、「1時間ごとに小休止」というセオリーにとらわれず休憩を要求する。無理せず頑張らず自分のペースさえ守り切れば今回の長丁場も登り切れるという、確かな確信があるからだろう。ヤセ尾根を急登し、巨岩が見えてくるとOさんが
「もう小屋が現れていいはず」
という。間もなく小広いP4の高みに出た(1796メートル)。小屋はどこかと目を凝らすと、うっそうと茂る樹林の奥に青いペンキの小無間小屋はあった。彼の記憶力は確かである。スタートしてから丁度3時間。コースタイム通りだった。
小屋は静岡市営。避難小屋といえども今日瀟洒な小屋が増えているというのに、トタン板囲いというのはちと貧相である。水場もない。トイレがないためだろう、この先野糞が目立った。20年以上も前の古いガイドブックに目を通すと「中電の反射板巡視の小無間小屋」と紹介されている。その後静岡市が譲り受けたものと見える。こじんまりしている小屋は10人ほどは泊まれそう。銀マットが敷かれ小ぎれいである。寝袋が一つ置かれ、ロープの束がとぐろを巻いて置かれている。これはP1から下ったコルのナイフリッジに架かるザイルの補修用のものだろう。使い残しの2リットルペットポトルに水も残っている。蓋を取って匂いを嗅いでみたが異臭はなし。これは今宵煮沸して使わせてもらおう。諏訪神社境内には他に駐車している車はなかったし、後続が来るとも思われない。今宵は貸し切りだろう。デポできるものは最大限デポする。雨は降りそうにもない。雨合羽までデポした。
水と行動食、最小限のものだけを詰め込んでスタート。P4はびっしりオオシラビソに覆われているが、西側の展望がきき、大無間山が垣間見える。まだはるか彼方だ。ここのP4から小無間山にかけて、「鋸歯」と呼ばれる起状の激しいヤセ尾根が始まる。この先P3、P2、P1と小ピークを越していき、標高差300メートルの小無間山に登り切って、激しいアップダウン劇は終わる。昨夕民宿の食堂に飾られていた大無間山の写真を眺めた。右に長く延びる穏やかそうに見える大無間山のスカイラインがコルに向かって急激に高度を落としていた。最後のP1とのコルからは標高差300メートルのカベになっているのだ。
大無間山の山頂までほとんど展望に恵まれない、長丁場の山である。この山のハイライトは眺望がいいとか、山型がいいとか、花に見とれるところにあるのではない。激しいアップダウンの「鋸歯」と崩壊した両サイドが繋がったナイフリッジの通過にあるといっていい。いささか緊張が走る。うんと荷が軽くなったリュックを背負い、P3とのコルへ下っていく。左手に樹林の間から大無間山がちらりと垣間見える。まだ大分遠い。岩と木の根が絡んだ急登を登り返してP3に立つ(7時31分)。むろん岩峰に過ぎないP3に山名板は立っていない。それはP2もP1も同様だ。再びコルに降りて急登を登り返してP2に立つ(7時42分)。Oさんが「前回ここまで来たんだ」と感慨深そうである。樹間から見上げるような小無間山が垣間見える。
P4に登り返してから小無間山とのコルへだらだら下っていくと、崩壊地が見えてきた。最初は左手(南側)がパックリ崩れている。実際はすごい崩壊地なのだろうがガスが立ち込めてきて全体状況がつかめない。その縁を慎重にたどっていくと右手(北側)も大きく崩壊し、両側の崩壊がつながってナイフリッジになっている。3年前ここを通過したことがあるY男さんは、この画像を見て「崩壊が進むと両側がつながるのではと危惧していたが、ホントにつながってしまった」と驚きの声を上げたほどだ。彼らが通過したときは右手の崩壊は稜線に迫っていたが、左側の崩壊と繋がってはいなかったのだ。崩壊が目に見えて進んでいることを実感する話である。南アルプスには「崩れ」という意味の「薙」という地名が多い。南アルプスの山は崩れやすい地質なのだろう。
ここでもOさんがトップで取り付く。前半の水平部分は難なく通過し、後半の斜度のあるナイフリッジも慎重によじ登った。ただ右片手にストックを持ち、左手でロープをつかんで通過するのはちと危なっかしく見えた。登り切ってから彼に
「下りではストックは仕舞った方がいいのでは」
と声をかけると、
「下りの方がより危険ですからね」
と同意した。H男さんが続く。二人が灌木のある安全地帯に上がったのを見届けてナイフリッジに取り付く。3本架かっているロープを束にしてつかみながらナイフリッジを進む。一歩一歩、歩を進めるごとに足元からガラガラ崩れていく。それでも前半はほぼ水平に近いので恐怖は感じられない。しかしテンションがきつい1本は、左寄りに架けられているので頼り切ると崩れている左側に引っ張られてしまい、かえって危ない。そのロープは手放し、弛んでいる他のロープ2本に頼る。恐怖感が増したのはナイフリッジが小無間山側に斜度が増した斜面だ。砂地が付いた岩はずるずる滑る不安にかられる。ロープを握っているだけでは靴を滑らせた場合、ロープを手離してしまう恐れがある。そうなれば万事休すだ。弛みを利用してロープを手首に巻き付けて一歩一歩慎重に身体を引き上げる。無事ナイフリッジを脱し、左手が灌木混じり、右手側(北側)だけの崩壊斜面に到達した。
ナイフリッジと呼ばれるところは各地にある。ジャンダルム〜奥穂高の馬ノ背、大山の弥山〜剣ヶ峰、笈ヶ岳手前の冬瓜山、戸隠山の蟻ノ戸渡、鳥甲山の剃刀刃など。スパッと切れ落ちている馬ノ背も蟻ノ戸渡も馬乗りになりいざりながら通過したが、いわれるほど恐怖感はなかった。大山のナイフリッジは延々と続き長く、引き返してくる者もいたが、足元から次々崩れ落ちることも滑ることもなくさほど危険を感じなかった。しかしここは長さは短いものの緊張を強いられた。ナイフリッジは通過したが、危険地帯は続く。右手側の崩壊はさらに上の方まで延びて、灌木自体が不安定な奴もある。灌木に頼り切るというのも危険である。一本一本つかむ灌木、根っこが浮いていないか確かめながらつかまり身体を引き上げていく。ここまで崩壊が延びてきたら間違いなく通行は不可能になるだろう。
ナイフリッジのコルから300メートルの急登をあえいで、9時42分小広い小無間山(2150メートル)に着いた。ここもコメツガやオオシラビソの針葉樹にびっしり囲まれ展望はない。スタートしてから5時間半以上が経過。小ピーク群とナイフリッジの通過で長丁場の大無間山のハイライトは終わった。この先、小無間山〜中無間山〜大無間山まで、もうきついアップダウンはなくあと2時間ほどのんびり稜線を歩けばいい。
だらだら下っていくとトップを行くOさんが
「前方に山が見えない。おかしい」
と言い出した。GPSでチエックしてみると進むべき方向に誤りはなかった。それを聞いて彼は
「枝道に出も踏み込んで引き返すのも嫌ですからね」
と相槌を打つ。鬱蒼とした針葉樹の樹林帯、石も倒木も苔むしている。足元にはイワカガミの艶のある葉が叢生している。もう花季が過ぎて花らしい花もない。わずかに秋の花のママコガやギンリョウソウの仲間というヒョウクジョウソウが見られるぐらいだ。変わり映えのしない縦走路が続く。しかしこれが南アルプスの深南部にふさわしい光景ではある。ひたすら木の香、土の香を嗅ぎ、自然の中に身を融合させるのもいい。突然稜線の右側を巻く道が明るくなった。多分左側はガレているのだろう。数メートル斜面を上がってみると案の定大きく崩壊している。ここが唐松薙といわれるところだ。大きく崩れた斜面にはガレの縁までガスが充満。残念ながら富士山は望めない。
10時34分、中無間山に着いた。縦走路はここから左へ大きく曲がる。下山の際直進しないようロープが張られている。ここまでくれば長丁場の大無間山登頂はほぼ確実になってきた。コースタイムで歩ければ12時には山頂に立てるだろう。間もなく13時間を超える長丁場の山に登頂できるのだと思うとふつふつ喜びがこみ上げてくる。しかし疲れてきたこともあってここからが意外と長く感じられた。急登し右手に展望が得られる岩場を2ヶ所見送る。馴染みのある山型ではない。帰宅して調べてみると光岳〜上河内岳の稜線のようだ。右奥に見えるのは荒川3山のようだが雲がかかっていた。Oさんに足がつる症状が出てきた。心配されたがすぐに回復。半端でない登りが続く。大無間山を遠望したとき、双耳峰に見えたあのところに差し掛かっているのだろう。ということは山頂に近いはずだ。しかし登れども山頂はなかなか現れない。気になってGPSでチエックしてみるとまだ1000メートルぐらいありそうだ。しばらく歩いてまだかチエックしてみるとまだ300メートルほどある。
11時54分、ついにだだっ広い山頂にたどり着いた。まったく展望のない山頂だが、いつもの山頂にも増して登頂の喜びが大きい。リベンジのОさんも満足げである。率直に言って「82才のOさんがこの長丁場の大無間山に挑戦して大丈夫か」と思わなかったいえばウソになる。一度ならず大丈夫かと気になった。しかしペースを守り、日帰りにこだわらず小屋泊まりにして重荷は避難小屋にデポし軽量で登った作戦が功を奏した。山頂に思い思いの余韻を残して下山だ。14時丁度、小無間山に戻り、ナイフリッジのコルへ急降下。崩壊が始まっているナイフリッジの上部から慎重に下降する。Oさんはストックをザックにしまい込んでナイフリッジを無事通過。H男さんと僕が続く。渡り切ったOさんが、僕がナイフリッジを通過するのを眺めて
「渡辺さんの真剣な顔を初めてみました」
と冷やかした。雨がポツリポツリ落ちだした。雨合羽は小屋にデポしてきたので、大降りされたらかなわんなあと危ぶんだが、縦間から北側の天空には青空さえ垣間見えている。大降りになる心配はなさそうだ。お湿り程度の雨脚は長丁場で火照った身体にはかえって心地いい。16時、無事小屋にたどり着いた。天候は下降気味。明日は確実に雨降りだ。
翌13日は予報通り朝から雨降り。予定していた笊ヶ岳は断念することをすでに決めている。快適に1000メートルを下って、お世話になった民宿で汗を流した。
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