愛宕山千日参り
- GPS
- 04:31
- 距離
- 11.6km
- 登り
- 1,049m
- 下り
- 1,050m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
清滝から京都バスで嵯峨小学校前下車、JR嵯峨野線嵯峨嵐山からJR |
コース状況/ 危険箇所等 |
往復表参道の整備された道 |
写真
感想
愛宕山(924m)山頂の愛宕神社は、伊弉冉尊(いざなぎのみこと)他を祭神とする。全国の愛宕神社900社の総本社で、火伏せの神として知られる。7月31日の千日参りは、7月31日夜から8月1日早朝にかけてお参りすると千日分の御利益があるとされている。今年は、「法改正と社会事情により夜間の電気の通電・設営が困難になった」と夜間参拝できない旨発表され、祭礼は7月23日〜8月1日の昼間開催となった。それでも千日参りの登山は参拝者の挨拶が楽しい。登る人には「お登りやす」、下る人には「お下りやす」と挨拶して一寸した一体感が得られた。
清滝へのバスは千日参りの日は臨時便が頻繁に走り乗り遅れた8:00発の定期便の10分後の臨時便に乗ることができた。バス停からは一旦清滝川まで下り、金鈴峡を渡って表参道の鳥居を潜る。表参道を全区間登るのは平成22年の千日参り以来12年振りで、知っているようで忘れていた景色が多い。右手にケーブル軌道跡を見て谷から稜線に取付くところにはお助け水がありこれも記憶になかった。尾根に乗ると嵯峨小学校の清滝分教場の跡があり、案内板によると明治15年に開設、大正11年に火災で焼失されるまで使われたそうだ。
表参道には丁石が50丁に渡って設置されいる。お地蔵さんも祀られ夫々に花が供えられていた。二十五丁目には茶屋“なかや”跡があり、愛宕ケーブルが開通した昭和4年には清滝の渡猿橋付近に移転し、今でも営業されているようで米粉の団子“しんこ”が頂ける。五合目からは、P745の南側をトラバースする道になり傾斜が緩む。P745の北側は愛宕ケーブルの軌道がありP745付近にはケーブルの愛宕駅跡がある。明神谷の源頭を過ぎると再び傾斜が増して中尾根の付け根に乗り上がると水尾分れで西の方へ水尾への道が分岐して行った。
水尾分れを過ぎると花売場の小屋があり普段は開いているのを見ることはないが、この日は水尾の住人が詰めて、柚子塩や飲み物などを販売されていた。花売場なのに“花”と呼ばれる樒は置いてなかった。傾斜が増し階段道となるといよいよ信仰エリアで黒門が現れた。嘗ての白雲寺の遺構で、明治の初めの廃仏毀釈により失われた寺で本地仏であった勝軍地蔵は西京区大原野の金蔵寺に移された。黒門を過ぎると社僧の住坊(教学院、大善院、威徳院、福寿院等)の跡思われる石組や平坦な敷地の跡が窺われ、社務所前の灯篭の並ぶ参道を進むと最後の石段で山頂へと進む。門を潜ると左に向きを変え、愛宕神社に到着した。本殿に参拝し、千日分の御利益を得た。奥の院には愛宕太郎坊が祀られている。太郎坊は日本八天狗(他に鞍馬山僧正坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、相模大山伯耆坊、大峯前鬼坊、彦山豊前坊)のトップで何れも修験道の山に繋がる。数えてみればすべての山に登っている。
愛宕山(924m)の山頂には愛宕神社が古くから鎮座し、山頂標識は無く、三角点も設置できなかったので、愛宕山の北のピークに3等三角点「愛宕」(890m)が設置された。山屋でない参拝者は興味もなく行く人はいないが、京都市内が一望できるので山屋は立ち寄る人が多い。数人の山屋が休憩中だったが、日陰のベンチが余っていなかったので社務所前の広場に戻り、昼食休憩を取った。下りは、「お登りやす」とすれ違う人に挨拶をしながら同じ表参道を清滝へと下って行った。コースタイムを1時間近く短縮し清滝BSに戻ると2分後に出発する臨時便に乗ることができた。嵯峨小学校前でバスを降り、嵯峨嵐山駅からJR嵯峨野線で帰路に着いた。
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