記録ID: 7165387
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無雪期ピークハント/縦走
紀泉高原
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】淡輪から大福山 妙法蓮華経 譬喩品
2016年03月22日(火) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- --:--
- 距離
- 17.3km
- 登り
- 687m
- 下り
- 692m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 1:37
- 合計
- 8:27
9:06
44分
淡輪駅
9:50
0分
9:50西谷寺■10:00
9:50
78分
10:15二代橋
11:08
11:20
10分
11:08信浄院11:20
11:30
20分
11:30孝子札立分岐
11:50
12:08
34分
11:50鉄塔休憩■12:08
12:42
4分
12:42逢帰ダム分岐
15:23
5分
15:23懺法が岳(西峰)
15:28
5分
15:28懺法が岳(東峰)
15:33
12分
15:33西谷池分岐
15:45
4分
15:45バベ尾分岐
16:26
7分
16:26大福名水
16:33
13分
井関橋
16:46
8分
16:46牛神さん
16:54
39分
16:54小川地蔵尊
17:33
ゴール地点六十谷駅
久しぶりの経塚巡行だ。本日は第三番大福山。もっとも第三番は3箇所が想定されていて、その一つ雲山峰は次回回しとなった。
孝子札立分岐から大福山への道は葛城修験の道というだけでなくすばらしいプロムナードだった。人気のハイキングコースというのが良く分かった。道はほぼ平坦、要所要所で見晴らしが効く、季節によれば花もすばらしいだろう。
■コースタイム
南海淡輪9:06
9:50西谷寺■10:00
10:12不祥祠
10:15二代橋
10:38滝場・金剛童子?祠
10:47関電道分岐
11:08信浄院11:20
11:30孝子札立分岐
--------
11:50鉄塔昼食休憩■12:08
12:19関電道分岐
12:42逢帰ダム分岐
12:46札立山■13:00
13:04札立東山
13:38見返り山■14:05
14:12奥辺峠
14:32大福山へ600m地点
14:46俎石山分岐
14:47大福山■15:00
15:23懺法が岳(西峰)
15:28懺法が岳(東峰)
15:33西谷池分岐
15:34斜面足が攣った休憩■15:42
15:45バベ尾分岐
15:49井関峠■16:05
16:14谷を横切る
16:26大福名水
16:33井関橋
16:46牛神さん
16:54小川地蔵尊
17:10駐車場
17:32六十谷駅
距離:17.2km
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2024/9/24復刻版
対応元記事は;
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-283.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-284.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-285.html
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■写真について
二代橋の祠までは2016/3/15の下山時の写真を多用しています。
孝子札立分岐から大福山への道は葛城修験の道というだけでなくすばらしいプロムナードだった。人気のハイキングコースというのが良く分かった。道はほぼ平坦、要所要所で見晴らしが効く、季節によれば花もすばらしいだろう。
■コースタイム
南海淡輪9:06
9:50西谷寺■10:00
10:12不祥祠
10:15二代橋
10:38滝場・金剛童子?祠
10:47関電道分岐
11:08信浄院11:20
11:30孝子札立分岐
--------
11:50鉄塔昼食休憩■12:08
12:19関電道分岐
12:42逢帰ダム分岐
12:46札立山■13:00
13:04札立東山
13:38見返り山■14:05
14:12奥辺峠
14:32大福山へ600m地点
14:46俎石山分岐
14:47大福山■15:00
15:23懺法が岳(西峰)
15:28懺法が岳(東峰)
15:33西谷池分岐
15:34斜面足が攣った休憩■15:42
15:45バベ尾分岐
15:49井関峠■16:05
16:14谷を横切る
16:26大福名水
16:33井関橋
16:46牛神さん
16:54小川地蔵尊
17:10駐車場
17:32六十谷駅
距離:17.2km
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2024/9/24復刻版
対応元記事は;
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-283.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-284.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-285.html
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■写真について
二代橋の祠までは2016/3/15の下山時の写真を多用しています。
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
淡輪駅9:06発。淡輪は前回の帰り道に通ったくらいで、なにも知らないのだが海遊びのできる住宅地として近い将来発展しそうな土地のように思える。
しかし、古い町並みも残っている。駅近くにある住宅の土塀。石をうまく使っていて、デザイン的にもおもしろそうだ。
しかし、古い町並みも残っている。駅近くにある住宅の土塀。石をうまく使っていて、デザイン的にもおもしろそうだ。
古墳の傍を通る。宇度墓古墳、淡輪ニサンザイ古墳ともいうようだ。5世紀後半に築造された全長約170mの前方後円墳という。垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の墓とされ、陵墓参考地となっている。
9:50、西谷寺に到着。ここが飯盛山の登山口になっている。これより少し北(下)には電話ボックスとトイレがあるし、さらに少し下には自動販売機もある。ボクは2回ともジュースを補給し、トイレも拝借した。よいハイキング基地だ、ありがたい。
■西谷寺で休憩。9:50-10:00
西谷寺についてはz宴会報告したので、パス。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7257118.html
西谷寺についてはz宴会報告したので、パス。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7257118.html
■11:08ー11:20信浄院の参道入口に着いた。
前回、足痛のためパスしたところだ。鉄山氏の案内板には「葛城二十八宿行所 飯盛山信浄院(法華道場)」と明記してある。ぜひ立ち寄らなければ。
前回、足痛のためパスしたところだ。鉄山氏の案内板には「葛城二十八宿行所 飯盛山信浄院(法華道場)」と明記してある。ぜひ立ち寄らなければ。
少し角度を変えて・・・・
一番左手は、淡輪の奥の、御座の池北にある土取り場(石とり場?)の跡だろう。そうすると、俎石山と大福山ははっきり見えないが、大福山直下の送電鉄塔と、その手前のP372あたりが大きく見えているのは?大福山は結構遠い。
一番左手は、淡輪の奥の、御座の池北にある土取り場(石とり場?)の跡だろう。そうすると、俎石山と大福山ははっきり見えないが、大福山直下の送電鉄塔と、その手前のP372あたりが大きく見えているのは?大福山は結構遠い。
山頂にはベンチがしつらえられていた。しかし、木々が生い茂ってきて見晴らしはあまりよくない。
正面の道を東に行けば見返り山経由大福山。
ここから南、鳴瀧不動や平井峠に行くのも行者道だろう。
正面の道を東に行けば見返り山経由大福山。
ここから南、鳴瀧不動や平井峠に行くのも行者道だろう。
■14:47大福山の標石。
これは下の地蔵横にあったものを、ここに引き上げたもののようだ。平成11年のことというので、最近の整備のようだ。
http://www.syotann.com/daifukusan110614.html
右面の刻字から元禄九年の建立で、裏面には、「葛城道第十二番行處堤婆品窟」とある。
これは下の地蔵横にあったものを、ここに引き上げたもののようだ。平成11年のことというので、最近の整備のようだ。
http://www.syotann.com/daifukusan110614.html
右面の刻字から元禄九年の建立で、裏面には、「葛城道第十二番行處堤婆品窟」とある。
■大福山の標石の左にある祠が経塚とされているようだ。ここに弁財天の石像がお祀りされている。弁財天もあたらしく平成11年10月の開眼だそうだ。
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkatp300/daihuku.html
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkatp300/daihuku.html
石碑、祠をまとめると横一列に並んでいる。
要するに、葛城二十八宿経塚の第3番は古文書によって諸説あり、ここ大福山、雲山峰、大福山より来たに少し下った第3経塚旧地、それに墓ノ谷・役行者御母公の墓にあったという説もある(智航・葛嶺雑記)。
要するに、葛城二十八宿経塚の第3番は古文書によって諸説あり、ここ大福山、雲山峰、大福山より来たに少し下った第3経塚旧地、それに墓ノ谷・役行者御母公の墓にあったという説もある(智航・葛嶺雑記)。
■少し休憩したあと、第3経塚旧地に行ってみる。さりほどの分岐から3、4分下って行き、巻道になるころ、「第三経塚跡」の案内板があって、ゆくやかな尾根を少し登ると経塚があった。大福山の分岐から5分くらい。尾根の中央、岩が転がっており、岩の間にヒデが置かれていた(15:05)。
15:05、大福山の分岐まで戻ってきた。足はあまり調子良くない。時々、右ふくらはぎがピリピリする。左は前の筋肉が張っている。こうなると退散しかない。とりあえず井関峠へ。
あれ、ここにも大福山弁天窟の看板があった。弁天窟は大福山から俎石山の間から下るものだと理解しているのだが、ここからも行けるのか?それらしき踏み跡はないけれど?
あれ、ここにも大福山弁天窟の看板があった。弁天窟は大福山から俎石山の間から下るものだと理解しているのだが、ここからも行けるのか?それらしき踏み跡はないけれど?
看板には「籤法が岳(せんぽうがだけ)」と表記してある。「籤法が岳」はすぐ東にも同じ名前のピーク(381m)があり(あるいは、2つのピーク合わせての山塊を「籤法が岳」?)、2006年に、その「籤」が「懺」に修正されたものらしい。そこで、「懺法が岳」。
http://6232.teacup.com/syoutann/bbs/787
たしかに、修験等で、懺悔の修法から来ていると言われればその通りである。しかし、2008年のあるブログ写真には、正しく「懺法が岳」と表示されているのに、今は「籤法が岳」と再修正?表記してあるのはどういうことや?
http://yamacdfuro.blog10.fc2.com/blog-entry-170.html
一方では、ココ、西の「懺法が岳」は「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」、東のP381「懺法が岳」は「籤法ヶ岳(くじほうヶだけ)とする意見もある。2008年のあるブログ写真にも、林野庁の案内図に、西は「懺法が岳(せんぽうがだけ)」、東は「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」とある。地元の方のサイトにも、「昔からこういわれてきた」とあった。ココ西の「懺法ヶ岳」はたしかに修験の行所になっているので、「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」でよいだろう。でも、東の「懺法ヶ岳」は修験の山と関係がないのなら、「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」でもよい気がする。東のP381「懺法が岳」が、つい最近まで「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」と呼び慣らされてきた理由があるのだろう。その理由も知りたいところだ。ボクは地名については地元主義だからね。
http://6232.teacup.com/syoutann/bbs/787
たしかに、修験等で、懺悔の修法から来ていると言われればその通りである。しかし、2008年のあるブログ写真には、正しく「懺法が岳」と表示されているのに、今は「籤法が岳」と再修正?表記してあるのはどういうことや?
http://yamacdfuro.blog10.fc2.com/blog-entry-170.html
一方では、ココ、西の「懺法が岳」は「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」、東のP381「懺法が岳」は「籤法ヶ岳(くじほうヶだけ)とする意見もある。2008年のあるブログ写真にも、林野庁の案内図に、西は「懺法が岳(せんぽうがだけ)」、東は「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」とある。地元の方のサイトにも、「昔からこういわれてきた」とあった。ココ西の「懺法ヶ岳」はたしかに修験の行所になっているので、「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」でよいだろう。でも、東の「懺法ヶ岳」は修験の山と関係がないのなら、「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」でもよい気がする。東のP381「懺法が岳」が、つい最近まで「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」と呼び慣らされてきた理由があるのだろう。その理由も知りたいところだ。ボクは地名については地元主義だからね。
■15:33、西谷池分岐
ここを過ぎたあたりの坂道で足が攣った。一度に両足が攣るもんだから倒れるしかない。普通の坂道でよかったが、ガケや沢道なら厄介なことになっただろう。10分ほど小休止。
ここを過ぎたあたりの坂道で足が攣った。一度に両足が攣るもんだから倒れるしかない。普通の坂道でよかったが、ガケや沢道なら厄介なことになっただろう。10分ほど小休止。
実に良い峠だ。テントも張れるし水は東西の谷におりれば採れるだろう。テントOKかどうかは知らないが、案内板には、レクリエーション利用を図る自然休養林なので、問題はないだろう。当初の計画では、孝子から入って、ここで一泊する予定だった。
後背は古そうだが、お地蔵さん自体は新しいもののようだ。和歌山市のサイトでは、「文化十二年の文字が彫られた地蔵がある井関峠を過ぎ・・・」とあるので、元来は古いもののようだ。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/032500/sizen/3_01/no06.html
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/032500/sizen/3_01/no06.html
■牛神さん(16:40)
川が湾曲するところで祠があった。牛神さんというようで、多数の牛の置き物がお祀りしてあった。
牛神さんは馬の馬頭観音に相当するものか?
泉州の熊野街道筋にはよく見られるようだ。
−牛神は水の神様である。米作りには水が必要で、そして牛や馬が必要である。特に西日本では牛だ。米作りが無事にできるよう、また牛の労苦を労うようお祈りをしただろう。
川が湾曲するところで祠があった。牛神さんというようで、多数の牛の置き物がお祀りしてあった。
牛神さんは馬の馬頭観音に相当するものか?
泉州の熊野街道筋にはよく見られるようだ。
−牛神は水の神様である。米作りには水が必要で、そして牛や馬が必要である。特に西日本では牛だ。米作りが無事にできるよう、また牛の労苦を労うようお祈りをしただろう。
撮影機器:
感想
今日も出発が遅くなったし、案の定の足の攣りで雲山峰、墓の谷行者堂はいけなかった。しかし、エスケープで下った道もなかなか歴史を感じさせるよい道だった。今日は足の不調の割りに17km歩けた、コースも見所多数、密度の濃い巡行ができた。
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