岡山県瀬戸内市 甲山〜立石大師〜我城山 史跡&花&野鳥



- GPS
- 05:07
- 距離
- 10.9km
- 登り
- 307m
- 下り
- 310m
コースタイム
- 山行
- 3:58
- 休憩
- 1:09
- 合計
- 5:07
歩行距離11km、歩行時間4時間、歩行数17,100歩、消費カロリー1,010Kcal
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
峨城山創造の森駐車場(峨城山創造の森案内図<写真53>撮影地点周辺)は3台程駐車可能です。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所やヤブコギはありません。立石大師<写真12,13>から五重層塔<写真18>までは正規ルートではありませんが、なんとなく踏み跡がありました。 甲山(こうやま)登山道は分岐にテープはありますが道標はないことが多いので、道標よりもテープに注意したほうがいいでしょう。 我城山(がきやま)<写真51>へは、金次郎像<写真50>右の階段を上ります。峨城山創造の森案内図<写真53>に記載されている道はどれも整備されているようで、運動靴でも歩けます。 ひょうたん池公園<写真46〜49>から踏切を渡らず線路西側の道を南下し、民家の敷地内かもしれない箇所を抜けました。いったん線路東側の道路に出てから西にくぐり直したほうがよかったと思いましたが、知らなければ線路下をくぐる箇所がわからないかもしれません。我城山(がきやま)<写真51>は西から登り東へ下りれば道がわかりやすいです。 最後に干田(ほしだ)川畔に出ると、通行止めの表示があったので、対岸に渡りました。看板は西端に寄せてあり、北東からは車が来ていたので、一方通行だったのかもしれません。線路手前で線路沿いにあぜを歩いて右折、無事に線路を越えられましたが、もう少し手前で対岸に渡っていたほうがよかったかもしれません。 甲山親水公園ルート登山口<写真04>から甲山(こうやま)頂上<写真09>を経て立石大師<写真12,13>までは、正規ルートでテープや道標があります。 甲山親水公園ルート登山口<写真04>は舗装道路から少し見上げる位置にあります。最初は細道ですが、すぐに広めのきれいな土道になりました。比較的緩やかなトラバース道で、途中1か所だけ溝状に掘れた箇所を横切りましたが、しばらくするとピンクテープがありました。この道はさらに続いていましたが、長いピンクテープで右折すると、すぐ上にもピンクテープがありました。 標高80m辺りでテープはないものの直登開始、斜面を登り始めるとすぐにピンクテープがあり、木の間をどこでも歩けそうですが、なるべくピンクテープの側を歩きました。 標高130m辺りには六郎稲荷神社<写真05,06>の説明板ができていました。そこから磐座(いわくら)ゾーンが始まります。信仰の対象の岩場なので、信仰心を尊重する意味で上には登らないほうがいいです。踏み跡はちゃんと左(東)を巻いていたので、それに従いました。 甲山(こうやま)頂上<写真09>からいったん南西に下り上笠加甲山祭祀跡南西端<写真11>から元来た道を立石大師<写真12,13>への道の分岐まで引き返す予定でしたが、分岐を見落としたようです。歩けるので、ここからそのまま尾根の少し下を北東に進みました。 甲山(こうやま)頂上<写真09>の南にあったピンクテープで右折し南東方向に下り始めると、木の間をどこでも歩けました。ピンクテープや白いビニール紐などの目印はあったりなかったりですが、方向を間違えなければ大丈夫です。 標高80mを切った鞍部に道標がありますが、そのすぐ手前に北東の谷沿いに下りそうな分岐があり、ピンクテープが続いているのが見えました。さらに南東に下ると、最後にはシダの間の細道になり、標高95m辺りに立石大師<写真12,13>が祀られていました。 立石大師<写真12,13>から五重層塔<写真18>までは正規ルートではありませんが、なんとなく踏み跡がありヤブコギせずにすみました。 おそらく、正規ルートは谷沿いを北東に下るのでしょうが、標高80mを切った鞍部近くの分岐まで戻らず、立石大師<写真12,13>から北東尾根を下りてみました。 高さ40〜60cmのシダが脚に当たりますが足元は見えます。しかも、踏み跡が縦横無尽に延びていました。方向を確認しながら進むと、シダがなくなれば木の間をどこでも歩け、またシダが茂ってくると錯綜する踏み跡が現れるといった感じです。 最後は右側に石で囲まれた小さな水場のあるちょろちょろ流れをまたぎ、すぐに五重層塔<写真18>のある墓地に出ました。登山口の道標は見ませんでしたが、ここからは土道が延びており、舗装道路に出られました。 |
その他周辺情報 | 我城山(がきやま)<写真51>の西、吉井川沿いを北上すると「備前福岡一文字うどん」があります。営業時間は10〜15時、定休日は水曜日と第1・3火曜日です。周辺で自家栽培した小麦を石臼製粉機で皮ごと挽いた小麦粉を使用しており、合鴨農法で活躍した「五穀鴨」の肉も名物です。また、すぐ側で毎月第4日曜日の午前8時〜11時に「備前福岡の市」が開催されます。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
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感想
今年は、梅や桜の開花が例年より遅く、3月に入っても開花情報があまり聞かれませんでした。この日は気温が高くなる予想だったので、運が良ければ梅と桜の両方が見られるのではないかという淡い期待を抱きながら、瀬戸内市長船(おさふね)町と邑久(おく)町の境付近に位置する甲山(こうやま)から我城山(がきやま)エリアを巡りました。2020年3月15日に同地域を訪問し、予想外の河津桜(かわづざくら)が咲いていたという記憶が蘇りました。
2020年3月15日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2258295.html
梅や桜だけでなくホトケノザなど早春の草花、まだこの地域の池や川に居残っている渡り鳥、そしてこの地域特有の史跡など、見所はいくつもあります。8年前には古墳なども見学しました。
2017年1月29日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1055323.html
今回、訪れたエリアを甲山(こうやま)エリア、長船町土師(はじ)から邑久町北池エリア、我城山(がきやま)エリアと大きく3つに分け、それぞれのエリアにおける活動をレポートします。
【その1「甲山」エリア:干田川親水公園〜甲山〜立石大師〜甲山東麓】
出発点は甲山(こうやま)の北西麓、干田(ほしだ)川畔にある干田川親水公園です。以前ここで河津桜を見たのは3月15日で、今年は例年より開花が遅いため、花はさすがにまだ早いと諦めていました。
しかし、この日にたまたま咲き始めたのか、1輪だけ開花した河津桜<写真02>を見ることができました。満開よりも開花したばかりのほうがむしろ有り難みを感じました。また、花かと思い近づくと、実は古いアシナガバチの仲間の巣<写真03>だったというサプライズもありました。桜が満開だったら、おそらくハチの巣の存在に気づくことはなかったでしょう。
川沿いには河津桜らしき低木が並んでいましたが、どれも見えているつぼみは黄緑色でした。これらが咲き始めるのは今月半ば以降でしょう。
山行開始早々に気を良くし、公園の向かいにある甲山親水公園ルート登山口<写真04>から甲山に登りました。最初は細道ですが、すぐに広めのきれいな土道になり比較的緩やかなトラバース道がしばらく続きました。標高80m辺りでテープはないものの直登開始、斜面を登り始めるとすぐにピンクテープがあり、木の間をどこでも歩けそうですが、なるべくピンクテープの側を歩きました。
標高130m辺りには六郎稲荷神社<写真05,06>の説明板ができていました。そこから磐座(いわくら)ゾーンが始まります。磐座(いわくら)とは神が宿る石や岩のことで、昔から信仰の対象となっています。信仰心を尊重する意味で上には登らないほうがいいです。踏み跡はちゃんと左(東)を巻いていたので、それに従いました。周辺は岩だらけでどこまでが磐座なのかよくわからず、ずっと岩場の左(東)を巻いていましたが、我慢できなくなり、岩の間を歩いて岩場<写真08>を見に行ったりもしました。前回が5年前なので記憶もおぼろげですが、これほど岩だらけだった印象はありません。
結局、標高164mの甲山(こうやま)頂上<写真09>まで大小の岩が続いており、これらすべてを磐座(いわくら)ゾーンとみなすことにしました。昔はきっとこの一帯で祭事が行われていたのでしょう。現在もなお密かに存在するパワースポットでした。ちなみに、甲山はかつて神山(こうやま)とも呼ばれ、神様が鎮座する山(神奈備)として地域の信仰を集めていました。
8年前に南麓から登った際に見た上笠加甲山祭祀跡<写真10,11>も磐座です。この南西端から元来た道を立石大師<写真12,13>への道の分岐まで引き返す予定でしたが、分岐を見落としたようです。歩けるので、ここからそのまま尾根の少し下を北東に進みました。見上げるとしばらく岩が続いており、磐座(いわくら)の一部だったようです。巨石10個程が12m四方に分布しているという割には範囲が狭いと思っていましたが、気づいていなかっただけでした😅
実は、パワースポットはこれだけではありません。ここから本日のメインへ。
甲山(こうやま)頂上<写真09>の南にあったピンクテープで右折し南東方向に下り始めると、木の間をどこでも歩けました。標高80mを切った鞍部に道標がありますが、そのすぐ手前に北東の谷沿いに下りそうな分岐があり、ピンクテープが続いているのが見えました。どうやら、5年前に少しだけ歩いた道だったようです。
帰りはそこから下ろうと確認だけしてさらに南東に下ると、標高95m辺りに立石大師<写真12,13>が祀られていました。周辺はやはり磐座(いわくら)で、突如現れるためか、甲山(こうやま)頂上<写真09>よりもむしろこちらの方が強力なパワーを感じました。邑久郡大師霊場北巡り八十八箇所霊場第八十八番札所になっており、昔はもっと参拝客が多かったことでしょう。
磐座の東を巻きさらに上ると、標高100m辺りが岩場の終点<写真15>です。おそらく周辺はすべて磐座でしょう。岩の上には上がりませんが、格好の展望地となっており、南南西方面を望むと「おくの細道アルプス」の大雄山(だいゆうざん)など<写真16>、さらには「玉野アルプス」および「光南台アルプス」の一部となっている貝殻山や金甲山(きんこうざん)<写真17>などが見えました。5年前はこれほど展望がよかった記憶がなかっただけに、得をした気分でした😊
展望を楽しんだ後、しばらく引き返し分岐から谷沿いを北東に下るつもりでしたが、地形図を見る限りは尾根沿いの方が歩きやすいイメージでしたので、一か八かでこの北東尾根を下りてみました。高さ40〜60cmのシダが脚に当たりますが足元は見えます。しかも、踏み跡が縦横無尽に延びていました。方向を確認しながら進むと、シダがなくなれば木の間をどこでも歩け、またシダが茂ってくると錯綜する踏み跡が現れるといった感じで、最後は右側に石で囲まれた小さな水場のあるちょろちょろ流れをまたぎ、すぐに五重層塔<写真18>のある墓地に出ました。予想通り、登山口の道標は見ませんでしたが、ヤブコギはなく迷路で出口を探している感覚で楽しかったです😊
甲山(こうやま)は、8年前にテープを頼りに東北東尾根を下ったら水道タンクの辺りに出てしまい、立ち入り禁止区域を迂回してヤブコギして舗装道路に下りたことがあります。ここ以外は道ではないところでもヤブコギなしで歩け楽しかった印象しかありません。昔から信仰の対象で人が入ることが多く、道の跡があっちこっちに残っているのかもしれません。今回もラッキーでした😊
【その2「長船町土師」から「邑久町北池」エリア:木鍋八幡宮〜荒神屹〜甲山南麓】
甲山から下りてきて、最初に向かったのは長船町土師(はじ)にある木鍋(きなべ)八幡宮です。昔から心身の病気平癒や子供の疳の虫(かんのむし)封じの神様として有名な神社です。疳の虫とは子供が興奮して夜泣きやかんしゃくなどを起こすことですが、今や死語となったような気がします。
ここでは檜皮葺(ひわだぶき)の本殿<写真25>の屋根越しに今年お初の梅の花<写真26>を見ることができました。まだ3分咲きくらいでしたが、よそでももっと花が見られそうな予感がしました😊また、とてもかわいらしい神馬(しんめ)像<写真24>が特に印象的でした。
木鍋八幡宮を出てから、長船町と邑久町の境に位置する荒神屹(こうじんたわ)に向かって南下しました。主に自動車が往来する舗装道路なのでこの道を歩いているのは我々だけでしたが、木鍋八幡宮の南東では、満開となった梅の花<写真30〜33>が見られました。今年は開花が例年より2週間程遅れたそうで、この日に見られるかどうかは微妙な状況でしたが、ちょうどいいタイミングで満開の梅の花を観賞することができました。
また、荒神西池ではカルガモやマガモ<写真34>、邑久町北池地区に入っても花や野鳥を断続的に見ることができました。甲山南麓の邑久町北池と上笠加(かみがさか)地域は、古墳など史跡の宝庫ですが、8年前にいくつか見学済みです。今回は花と野鳥でお腹(気持ち)が一杯になり、この間にある史跡はほぼスルーしてしまいました😅
【その3「我城山」エリア:ひょうたん池公園〜我城山〜干田川】
甲山(こうやま)南麓から我城山(がきやま)の北にある「ひょうたん池公園」に寄りました。この池には、カルガモやヒドリガモに加え、アヒルが1羽いました。マガモを飼い慣らし改良した家禽なので生物学的にはマガモと同じ種ですが、マガモより翼が小さく体が大きいので飛べません。昔、アヒルを飼っていましたが、見たのは随分久しぶりです。
池越しには甲山とその麓を通過する電車<写真49>も見られ、テンションが上がりました😊
ひょうたん池公園から踏切を渡らず線路西側の道を南下したら、民家の前でコンクリート道が途絶えました。庭先かもしれない箇所をすぐに抜け、法面と線路の間を歩いて無事に二宮金次郎像<写真50>に到着。5年前、8年前ともにここからトンネル状の通路を抜けて線路の東に出たように思います。今回歩いた箇所の一部は民家の敷地内だったかもしれないので、いったん線路東側の道路に出てから西にくぐり直したほうがよかったと思いました。
我城山<写真51>へは、金次郎像右の階段を上るのですが、すっかり忘れていて施設の周囲を一周、引き返しました😅我城山はやはり西から東へ下りたほうが道がわかりやすいです。階段を上ると鳥居からきれいな土道になり、分岐で右折し我城山南東尾根へ。
我城山は標高75mしかない超低山で、頂上には上水道設備があり、フェンスに囲まれて立ち入り禁止になっています。ここから西南西方向に進み、舗装道路に出合うと壁に案内図<写真53>が掲げられたトイレ兼休憩所がありました。ちょうど周辺が駐車場になっており、今まではそこからスタートでした。
のんびりした後、シロハラに導かれ舗装道路を西へ、標高43.0m三角点「片山」<写真55>が設置されたさくら広場に出てきました。我城山一帯には古墳群があり、名称は道標では「上笠加(かみがさか)古墳群」、岡山県の埋蔵文化財地図では我城山古墳群となっています。途中で踏み跡に入りそれらしき墳丘は見たものの特定できませんでした。どの古墳にも開口部はなく、石室は外から見られないようです。
さくら広場には椅子やテーブルがたくさんあり、おくの細道アルプス<写真57>や芥子山(けしごやま)<写真58>などの展望を楽しむことができました。周辺の桜の花芽はまだかたそうだったので、ソメイヨシノでしょう。今年の開花は4月初めになるかもしれません。
展望を楽しんだ後、南に下って王持(おうじ)八幡宮<写真60〜65>に参拝しました。仲哀(ちゅうあい)天皇の皇子・応神(おうじん)天皇を首座に祀ってあるので皇子(おうじ)八幡宮と称していましたが、文禄元年(1592年)に森忠政(後に津山城を築き津山藩初代藩主となった)が王持(おうじ)と改称、山名を峨城山(がきやま)としました。この神社は境内社が多く、特に橿原(かしはら)神宮遙拝所?<写真62>や境内社にしては大きい大仙神社<写真63>などたくさんの神様が祀られており、やはり強力なパワースポットでした。
干田(ほしだ)川畔に出ると、通行止めの表示があったので、対岸に渡りました。看板は西端に寄せてあり、北東からは車が来ていたので、一方通行だったのかもしれません。暖かいを通り越して暑かったのか、口を開けたままのアオサギ<写真67,68>などを見ながら線路手前で線路沿いにあぜを歩いて右折、無事に線路を越えられましたが、もう少し手前で対岸に渡っていたほうがよかったかもしれません。
ゴール直前で再び干田川親水公園へ。ご機嫌で羽毛を逆立てていたり、うれしそうに飛び跳ねたりするオオバンの可愛い姿<写真72,73>が見られました😍そろそろ見納めの彼らに元気をもらい、本当にいい日でした😊
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