志賀越え(山中越え)馬頭観音


- GPS
- 03:41
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 494m
- 下り
- 483m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
京阪電鉄京津線 滋賀里駅乗車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
●旧道を通り、山中の集落を過ぎるとバイパスと合流します。合流地点でバイパスを横切った先に志賀越えの道が続いています。しばらく舗装路を歩き、堰堤を越えるとすぐに、左手の沢沿いに下りていきます。これが道かと少し不安になりますが、灯籠がありますから間違いないと安心できます。通り抜けることのできる堰堤を過ぎると、多少は草が生い茂っていますが、今の時期ならまだ大丈夫です。以前夏場に通ったときには、進む方向が解らずに苦労したことがあります。滋賀越えの道の案内表示がある辺りから、幅の広い立派な道となります。少し進むと、雨水などで道の中央がかなり深く浸食されています。両サイドに通行できる幅が残っていますので、危険ではありません。 ●比叡山ドライブウェイに行き当たると、左手に少し進み、トンネルで東側に抜けます。この辺りが志賀峠だと思いますが、ドライブウェイによって峠らしくはありません。志賀峠からの下りは、しばらくは快適な山道を進んでいきますが、南西に方向を変えた辺りからは荒れています。足下に石がゴロゴロしていて不安定です。幅の広い林道になってからも、最初の方は崩落しています。危険ではありませんが、快適とはいえません。馬頭観音への分岐の手前辺りからは快適な林道となります。 ●馬頭観音への往復はまったく問題ありません。崇福寺跡への分岐には、以前は川を渡る橋があったと思うのですが、なくなっています。崇福寺跡付近が危険ということで、取り外されたのかもしれません。少し先まで進み、戻ってくることで対応できます。危険と表示されていましたが、どこが危険なのかまったく解りませんでした。 ●志賀大仏周辺は問題ありません。百穴遺跡周辺は、あちらこちらに道や踏み跡があります。適当に鉄塔まで進み、巡視路で下りてきています。百穴遺跡から先は、舗装路です。 |
その他周辺情報 | ●北白川仕伏町バス停付近には、自動販売機はありますが、トイレはありません。 ●山中の集落には、自動販売機とトイレはありません。 |
写真
感想
約3年前の真夏に滋賀越えの道を辿りましたが、草が生い茂っていて道が解りにくいところがあったり、荒れている所も多く、もう一度訪れたいとはあまり思っていませんでした。もう一度訪れるなら、草が生い茂っていないこの時期だろうと、滋賀越えの道が初めての相棒のkumakumoを誘ってみました。
あまり良い印象がなかったのですが、今回の再訪で印象が変わりました。季節的なものかもしれませんが、草もあまり生い茂っていなくて、荒れている所も少しましになっているような気が。今回は覚悟していたからかもしれませんが・・・。これなら興味を持った方にも充分にお勧めできると思いました。
ちょっと残念だったのは、最後に展望があるだろうと思った鉄塔下からは、まったく展望がなかったことでしょうか。もう少しこの辺りの鉄塔を探索すると、好い展望の所もありそうですが、手を広げすぎると収拾が付かなくなりそうなので、今のところは探索しないつもりです。
前日の夜に「軽く嵐山辺りへでも」と聞いていたはずだが、家を出
るや否や「バスで北白川」云々と聞こえてくる。
すでに防寒対策は解いて出発したのだが、比叡山にでも登ろうもの
ならけっこうきついだろう。幸い、今回は山に登るというより旧道
の峠越えになるらしい。その名も志賀峠(山中越)。
北白川仕伏町のバス停からしばらく車道を歩いて不動堂へ。こちら
の不動尊はたいした目力で、宇宙人のようにも見える。天井からは
木魚代わりの魚(開梛)が下がっていた。その天井画がまた、風神雷
神なのだろうが不気味。全体としてシュールな空間ができあがって
いた。
京都市から滋賀県大津市に入り、自動車も通るバイパスの下で旧道
は、弁財天の灯籠が残っている。大きな鉄パイプに挟まれそうな堰
堤を抜け、川だったのか道だったのかわからないようなところを通っ
て、志賀峠。ドライブウェイの麓には首のないお地蔵さん。昔から
人が歩いていた道を自分も歩きながら、自動車はそもそも外来種な
のだなぁと思う。
馬頭観音はお地蔵さんのように石の面に掘られていて、頭の上にあ
る何かは箱座りの馬なのだろう。馬頭観音だというからそのように
見るが、知らなければ三面六臂の阿修羅のごとく。 すぐそばに、
立壺菫の花がこっそり開いていた。
天智天皇が夢のお告げによって建立したという崇福寺(すうふくじ)
は、そこそこの敷地にいくつもの伽藍が点在していた模様。金堂跡、
講堂跡、小金堂跡、塔後、弥勒堂跡と、つぎつぎ歩きながら巡った
が、木造の建物はいずれも礎石だけが残っている。跡と言えばたい
てい石。
大仏は本体がお堂からはみ出した形。大文字山へ行く銀閣寺道の角
にもちょっと大きめの子安観音像があったが、それを一回り大きく
した感じ。ぱっと見、大仏というより大地蔵。だが、こちらの大仏
はれっきとした阿弥陀如来らしい。お堂はどちらもおそらく後付け。
風雨に倒れたり焼け落ちたとしても、石の仏様は最後に残る。
そして百穴古墳群。ほんとうに百はあるかと思うくらい、あちこち
に古墳の穴があいている。これもいわば石づくり。長く残るお墓は
たいてい石。
いつもより少し早めの下山。たいして上っていないので下山もなに
もといったところだが、真昼の四条。高瀬川は桜が満開。職業桜?
スマホも満開。観光外来のお客様たちを見ながら、この地に生まれ
育った者としては、最後は石にでもなるのがよいか……なんて。
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