記録ID: 81472
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無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
涸沢カール・奥穂(敗退)
2009年09月12日(土) 〜
2009年09月13日(日)
DarkHorse
その他2人
- GPS
- 32:00
- 距離
- 34.5km
- 登り
- 1,734m
- 下り
- 1,722m
天候 | 12日 雨 13日 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年09月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
来週からは、子供たちの運動会、稲刈り、お祭りもありしばらくは山に行けそうにない。そして来月には、紅葉も終わり初雪も降り早くも冬山になる。 12日、前線の通過で雨が降るのは確実だったが、日曜の晴れを期待し涸沢に行った。 雨の中、上高地から約6時間歩いて涸沢に着く。 風も吹き、雨脚が強まる中、凍えながらなんとかテントを設営。 そのあとは、翌日朝まで、テントから一歩も出ず引き籠った。 何度か、これはやばいと思う突風が吹き激しくテントが揺れたがなんとか持ちこたえた。 明日の晴れを期待して早く寝る。 防寒の対策はバッチリだったので良く寝ることが出来た。 初、涸沢は浸水と濡れと風との戦いだったが、こんな状態でも楽しんでいる自分がいた。 13日 朝の3時テントの中で目覚める。 雨がテントのシートを叩く音が聞こえた。まだ雨が止まないのか・・。 涸沢に来て今日は晴れを期待し、あわよくば奥穂にアタックをかける予定でいた。 雨が降っているので半分あきらめかけ、少し眠る。 4時にちょうど再び目覚めた、雨が止んでいた。 隣の友人のテントにランタンの明かりが灯っていたので、「行きますか?」 と声をかけると「行きますか!」の返答。雨で諦めていたかと思ったが、この返答がちょっとうれしかった。 濡れて湿った雨合羽を上下着て、ポーチに水、行動食を入れ出発の準備にかかった。 ヘッドランプを灯し、まだ暗い奥穂の登山道を歩きだした。 ルート上の丸印のマーキングと踏み跡を見落とさぬよう岩場の道を歩いた。 1時間ほど歩くと次第に明るくなって、微か眼下に涸沢のカールのテント場や小屋がかすかに見えた。そのあたりからの急登の岩場「ザイテングラード」を三点支持で慎重に登り切ると、白出のコルの「穂高岳山荘」に到着した。 ここはすでに稜線上で雨風が吹いていた。 奥穂ピークを目指す前に、とりあえず小屋に入ってコーヒーをたのんで飲んだ。 ストーブに当たりながら暖を取っていると、青年の登山者が、頂上に向かう登山道で人が滑落したとの事を奥穂の小屋番の人に言っていた。小屋中に緊張が広まった。 その後、小屋番の方々が慌てる様子もなく冷静に救助に向かって行ったのが印象的だった。 体も温まり、相変わらず風が吹いているが雨が止んだ様子だったので、いよいよピークアタックする。 小屋のすぐ隣の岩場に取りついた。 登り始めた瞬間、これはヤバいと思った。突き刺さるような冷たい風で、岩が凍りついていたのだ。 ここはもう冬山、強風で体感温度は厳冬期並みの。 鎖や、梯子も凍っていた、それを掴む手も、手袋も濡れ寒く感覚が麻痺しつつある。それでも、もう少しでピークだ、登っていれば手先も温まってくるだろうと思った。友人もそれを思っていたのか、こんな状態でもお互い止めようと言い出さなかった。 慎重に10数分登っていると、上から中年の男性が下ってきた。この先は行かない方がいいと、遭難者を救助している小屋の人に言われたらしいのでその方も下りて来たらしい。その時僕らも目が覚めた。 もしその遭難者がいなかったら、自分達が滑落し遭難していたかもしれない。そう思ったら恐ろしくなった。こんな荒れた天気の日に登頂しても景色も見られる訳ではないし、誰も誉めてはくれない。ピークハントにこだわっていないと言ってはいたが、心の底ではそれにこだわっていたのかもしれない。すぐに引き返せる勇気と決断は厳しい自然に立ち向かう上でとても大切なことだと当たり前の事だが身を持って解った。 また来年あたり、再び訪れるの楽しみにして今日は凅沢に下って、ゆっくりおでんでも食べて凅沢を思い切り楽しもう。そう予定を切り替えた。 やはり山を生涯楽しむには「山は逃げない」 そのくらいの気楽な心構えでないと駄目だ。今まで焦って行き急ぎ過ぎていたのかも。 |
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