鈴鹿/電車に乗って霊仙山@5月下旬とは思えない寒さ


- GPS
- 07:48
- 距離
- 21.9km
- 登り
- 1,175m
- 下り
- 1,231m
コースタイム
- 山行
- 6:54
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 7:49
天候 | くもり山頂はガス |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
最近は仕事の取材で電車に乗ったり沿線を歩いたりすることが多い。
特に電車が好きなわけでもないのだが、調べたり取材しているうちに、なんとなく興味が出てきている。
そんなわけで、今回も電車に乗ってどこかの山に行こうと計画。湖西線に乗って比良山を歩くのはわたしにとっては平凡。六甲山へ行くには通勤客で満員となる電車に乗らなくてはならないので敬遠(早朝に出発すればいいんですけどね)。鈴鹿の霊仙山なら東海道線を乗り継いで行くことができるのでこれに決定。
前々日の雨でヤマシャクヤクは終わっているだろうが、エビネはまだ咲き残っているのではないだろうか。
天気予報では晴れ、気温は低そうだが大陸からの高気圧に覆われるので、空気は澄んで、遠くまでよく見えるかもしれない。等圧線は密ではないので風弱く穏やかそう。
早朝の電車は米原での岐阜県方面上り線への乗り継ぎが悪く、同駅で長い待ち時間が生じる。
ちょっと遅目だが京都駅7時33分発の米原行きに乗ると、連絡がスムーズになる(3分の待ち合わせ)。
さてこの7時33分発の米原行きはちょっと曲者というか、間違いやすい列車。危うくわたしも騙されそうになった。
京都駅の東海道線上り列車は通常2番線の発着。電光掲示板(発車標)も、先発7時33分発米原行きはここ2番線からとなっているので、何の疑いも持たず2番線で待っていた。ところがふと向かいの0番線(京都駅には0番線というのがある/1番線はない)を見ると、そこの電光掲示板にも先発7時33分発米原行きとなっている。
えっどういうこと!?と思って2番線の掲示板を見直すと、普通米原行き。そして0番線は新快速米原行き。普通と新快速が同時に発車するわけだ。慌てて0番線に移動、無事に新快速に乗ることができた。
この2つの列車は山科駅、大津駅と複々線区間をランデブー走行する。もっともこの2つの列車は時刻表では同時刻であっても、普通列車の方が20~30秒ほど先行すること、山科駅、大津駅ともに同じホームの左右に別れて2つの米原行きが向かい合わせに停車することで、間違って乗車しても、気づいてどちらかの駅で乗り換えることは可能なわけだが...
間違って米原まで普通電車で行ってしまうと、米原発大垣行きの列車に間に合わず、30分後の次の列車まで待たなければいけない。
常は平日の朝に京都駅から電車に乗ることはほぼないので、わたしが知らないだけで、よく利用する人には当たり前の話なのだろうが...
電車話が長くなってしまったが、さてさて無事に予定通り柏原駅に8時46分に到着。
降り立ったのはわたし一人のみ。駅前には店らしきものは何もない。おおよそ東海道本線らしからぬ駅である。
名神高速道路を潜って山に入っていくと、道が濡れている。昨晩かきょう未明まで雨が降っていたのかもしれない。ヤマビルが出そうな雰囲気だが気温が低いので大丈夫だろう。
途中林道から外れて10分ほど藪をかき分けると「柏原のお滝さん」がひっそりと落ちているのだが、きょうは立ち寄らずそのまま林道を行く。
天気予報は晴れだったが一向に青空が見られない。雲が切れる気配も感じない。
二合目までは植林地の谷道。一応ヤマビルを警戒して足速に駆け登る。その加減もあって少し汗をかいて暑く感じたので、パーカーを脱ぐとすぐに体が冷え、5分後にはザックに収納したパーカーを再び取り出すことに。気温は朝から上がってなさそうだ。
植林地、アセビ中心の灌木帯、二次林のあまり高くない樹林帯を繰り返す尾根道を歩く。カマツカやウツギ、タニウツギの樹木の花は咲いているがいずれも終盤。地上にはほとんど花は咲いていない。散ったフジの花だけが足元に彩を添えている。
登山道は急坂もなくなだらかで、時折左手が開け養老山地の山々の向こうに伊勢湾が望め楽しめるので、案外思っているよりも早く三合目、四合目避難小屋、五合目と過ぎて行く。
これ以降上部は草原状のところがあったり、石灰岩が現れたり、霊仙山の特徴的な風景に徐々に変わっていく。途中のヤマシャクヤク、ニリンソウ、等は花の時期が終わっている。背の低いマムシグサが目立つ。
展望所からは伊吹山が望め、その右奥に御嶽山の姿も見ることができる。
山上での展望が楽しみだ。(というわけでここでの写真は撮っていない)
谷山へ寄り道。展望はないが苔むしたカレンフェルトの頂上西部分は、鈴鹿北部の山にやってきたのだなあと感じさせてくれる。
少し下ると霊仙山のどっしりした山上部分と避難小屋が目に飛び込んでくる。
樹林帯を抜け、草原状になると予想外に風が強い。それと同時に西側からガスが上がってくる。
避難小屋でちょうど昼の時間なのだが、小屋内は風は凌げるものの薄暗く陰気なので外でいつものようにパンを齧る。
この日は予報より低く彦根の最高気温は18.6℃、昼前後は16℃から18℃の間で推移していた。標高1,000mのこの地点では彦根市観測所を標高100mとした場合、900mの標高差がある。100m差の乾燥断熱減率1.0℃湿潤断熱減率0.5℃なので、きょうの場合中間をとって100m上がるごとに0.75℃下がるという計算をすると、下界が17℃であればここはだいたい10℃。風速は体感では7~8m、1mごとに体感温度は1℃下がると言われているので、今の体感温度は2~3℃。寒いはずである。
それにしても天気予報はハズレ、わたしの想定も甘かったと言わざるを得ない。
ちょうどガスがかかる時間帯にわざわざ合わせるかのように、展望が利かない経塚山、霊仙山頂、最高点と歩く。
ニリンソウは半開きで風で揺れているので写真に収めようにもブレブレになってしまう。他にはハタザオ、マンネングサ、それに最近増えてきたように思われるタンポポなどが咲いている。
登山者はわずかで数名とすれ違ったのみ。みなさん口々に「寒いですね」とおっしゃる。
最高峰から経塚山へと下り出すとようやくガスが切れる。しかし上空は高層雲がびっしり全面を覆っているので曇ったまま。上空での風の向きや速さの違いで雲が波状になっている(波状雲)。
お虎ヶ池までは寄り道ばかり。北側の東西に長いカレンフェルトの丘から経塚、本山頂、最高点の三山を望む風景は迫力だ。バックが青空であればなお良いのだろうが、ガスが切れたことでよしとしよう。
ただここは足の踏み場もないほど鹿のフンだらけ。
きょうも霊仙山を楽しんだので、いよいよ山上平原より滑りやすい急な登山道を下って行く。きょうはストックを持ってきていないので慎重に下り樹林帯へと入っていく。
この辺りキンラン、ギンランを期待していたのだが見つけることはできなかった。
また結局予想通りヤマシャクヤクは4箇所とも完全終了。エビネは終盤で傷んで色も褪せ気味だったがたくさん見ることができた。
それにしてもヤマシャクヤクの花びらはどうなるのだろうか。想像では多くの花びらが地面に散っているイメージだったが、全くみられなかった。散ることなく茶色くクシャクシャと縮んで残るのかと言えばそうでもない。風で飛んだとも思えないし、雨で溶けたのかとしか思えない。
そして汗ふき峠から榑ヶ畑へ。このコースは23年ぶり。山小屋「かなや」さんでジュースを買ったのを覚えている。当時からは道がだいぶ荒れたように感じる。
途中に漆ヶ滝のある谷山谷コースは廃道になったのかと思っていたら、砂防工事で通行止めという看板がところどころで見受けられた。ということは工事が終われば整備して登山コースとして復活するのだろうか。現在、滝上部のトラバース部分を中心に危険な状態と聞くが、好きなコースなので是非ともまた登ってみたいと思う。
そういう谷山谷コースが通行止めなので、上丹生からの周回ができないということもあって、この榑ヶ畑コースも歩く人が少なくなったのだろうか。
養鱒場から榑ヶ畑登山口までも車の通行はあまりなさそうで、1箇所崖崩れもあって
それ以上奥は車道も荒れてきている。
さて、登りは軽快にいいペースで歩いていたので、帰り想定の電車(醒ヶ井16時38分発)には余裕だと思っていたが、山上でうろうろしたことで時間を費やし、ちょっと時間が押してきた。
30分後の次の電車にしても問題ないのだが、夕方の通勤帰りで混み合うだろう時間帯にかかるのが嫌なので、できれば16時38分発に乗りたい。
駅で帰り支度するのは、バタバタするのと、着替える場所がトイレくらいしか考えられないので、予め養鱒場の休憩東屋で支度する。
汚れて汗臭い山帰りのおっさんが混雑する電車に乗るのもなんだかなぁ、ってことで、あまり汗はかいていないものの、ボディシートで体を拭き、制汗剤をスプレーし着替える。
電車内でヤマビルが這い出てきて隣の乗客に騒がれるのは嫌だという想定もして、一応念のためヤマビルチェック。
この休憩所の東屋を出たのは電車発車時刻の43分前。早足で歩いて無事2分前に駅に到着することができた。
コメント
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本来の登山を実践されたような山旅だと感じ入れました。
霊仙山は今畑か落合に駐車して周回する人が圧倒的に多く、それは一番おいしい所だけつまみ食いですよね。
大昔は最寄りの鉄道駅から歩くか、バス便があれば登山口近くまで利用するスタイルでした。麓の集落の生活や生業を想像しながら歩いて登山口へ着き、いよいよ山道に入って山の霊気を感じながら山頂を目指していました。昭和の登山スタイルです。
そういう私も霊仙山は往復、多賀町の相乗りタクシ―を利用しました。本レコのような山旅を理想としつつも、20km越えはもう難しくなってしまいました。
エイチび〜さんが実践されているのを拝見して古いスタイルを想起した次第です。
私もかれこれ山登りを始めて50年ほど経ちます。
山を登り始めた頃は、家族で山に行くにも我が家には自家用車はなかったですし、友人と行く時ももちろんのこと、いずれも公共交通機関利用でした。
三条京阪発の広河原行き、梅の木行き京都バスにはよく乗ったものです。満員すしづめで登山口に着いた時にはすでに疲れていました。懐かしく思い出されます。
社会人になって以降、ほとんど自家用車利用となりました。時間に追われる中での隙間登山なので致し方ないことかなとは思いますが、yoritonさんがおっしゃられるように麓の集落の生活や生業を感じることであったり、段階を踏んで街から山へとお邪魔しますと入山していく、山への敬意とか、心準備を何気なくしていた気がします。
でもやっぱりそれが基本なのですよね。心準備や準備運動も兼ねていましたから。いきなり山に入ると遭難リスクも高まるような気がしてならないです。
また下山後の疲れた体での車の運転よりも、電車等ではしっかり体を休ませられますから。グラデーションなんですよね、いきなりじゃなく徐々に。
今後はどちらを中心にってことはないですが、余裕ある時は電車・バスでって感じでしょうか。
車で行くにも、奥まで乗り入れられてもちょっと手前から歩こうかって思うことは多いです。環境のことを考えてってこともありますしね。
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